待つ場所
朝の空気は、少しだけあたたかくなっていた。
商店街に差し込む光も、やわらかく広がっている。
時計屋の石段で、ガブは丸くなっている。
そのすぐ隣で、ふわも丸くなっている。
昨日と同じ場所。
同じ距離。
けれど、ふわはゆっくり目を開ける。
石段の下を見る。
何もない。
昨日、小さな包みが置かれていた場所。
今はただの地面だ。
ふわはしばらくそこを見ている。
ガブはまだ眠っている。
通りには、いつもの朝の音が戻ってきている。
八百屋のおばさんの声。
魚屋の氷の音。
喫茶ひだまりの扉が開く。
からん。
女性が外に出る。
そのあと、おじいさんが来る。
いつものように。
同じ時間。
同じ歩き方。
ふわの耳が、ぴくりと動く。
目が少しだけ開く。
ガブはまだ動かない。
おじいさんはベンチに座る。
帽子を持って、静かに待つ。
今日は、手に何も持っていない。
小さな紙袋もない。
扉が開く。
「おはようございます」
「おはよう」
おじいさんは中へ入る。
ふわは石段からゆっくり下りる。
あの場所へ歩く。
昨日、包みが置かれていた場所。
そこに座る。
何もない。
でも、ふわはそこにいる。
しばらく、そのまま。
通りを見ている。
ガブは石段の上からそれを見る。
何も言わない。
ただ見ている。
喫茶ひだまりの中で、おじいさんは席に座る。
コーヒーを受け取る。
窓の外を見る。
ふわがいる。
昨日と同じ場所に。
少しだけ、目が細くなる。
カップを持つ手が、ほんの少し止まる。
それから、ゆっくり一口飲む。
何も言わない。
ふわは動かない。
ただ、待っている。
時間が流れる。
通りの音が増えていく。
子どもたちが通る。
「あれ、ふわ」
一人が言う。
「どうしたの?」
ふわは答えない。
ただ、その場所に座っている。
ガブが石段から下りてくる。
ふわのところまで歩く。
隣に座る。
ふわは少しだけガブを見る。
また前を見る。
二匹で、同じ場所を見る。
何もない場所。
でも、昨日は何かがあった場所。
喫茶ひだまりの中で、おじいさんはその様子を見ている。
コーヒーを飲み終える。
カップを置く。
少しだけ考えるような時間。
それから立ち上がる。
外へ出る。
からん。
扉の音。
おじいさんは、昨日と同じように歩く。
猫たちのいる方へ。
ふわは顔を上げる。
ガブも少しだけ目を細める。
おじいさんは少し手前で止まる。
しゃがむ。
今日は、手に何もない。
ただ、そこにいる。
しばらく、そのまま。
風が通る。
ふわは動かない。
逃げない。
おじいさんも何もしない。
やがて、おじいさんは立ち上がる。
「またな」
小さく言う。
そのまま、ゆっくり歩いていく。
ふわはその背中を見る。
追いかけない。
ただ、見ている。
ガブはその隣にいる。
午後になる。
ふわはもう一度、あの場所に座る。
今度は少し短い時間。
それから立ち上がる。
石段に戻る。
ガブの隣に座る。
体を丸める。
夕方の光がやわらかくなる。
商店街はいつもの一日を終えようとしている。
ふわは目を閉じる。
今日は何もなかった。
でも、何もなかった場所を、覚えた。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、いつもの場所で眠っていただけだ。
その隣で、ふわは「待つ場所」を覚えた。
それだけで、明日は少しだけ変わるかもしれない。




