あと少しだけ
春の午後は、静かだった。
商店街の通りには、やわらかい光が広がっている。風は弱く、どこか眠たくなるような空気が流れている。
時計屋の石段で、ガブは丸くなっている。
いつもの場所。
いつもの姿。
そのすぐ下に、ふわがいる。
段ボールの家の前ではなく、石段のすぐそば。
昨日より、少しだけ近い場所だ。
ふわは座っている。
ガブの方をちらりと見る。
また前を見る。
何度かそれを繰り返す。
ガブは目を閉じている。
気づいていないようにも見えるし、気づいているようにも見える。
八百屋のおばさんがその様子に気づく。
「近いねえ」
小さく言う。
魚屋の大将もちらりと見る。
「そうだな」
それだけ。
午後の光が少しずつ傾く。
石段の影が、ゆっくり伸びる。
ふわは、少しだけ前に動く。
ほんの少し。
石段に前足をかける。
止まる。
ガブは動かない。
しばらく、そのまま。
風が通る。
ふわの毛が揺れる。
ガブの耳が、ほんの少し動く。
ふわは、もう一歩だけ進む。
ぴょん、と小さく跳ぶ。
石段の上に乗る。
ガブのすぐ隣ではない。
でも、前より近い。
猫一匹分もない距離。
ふわは座る。
体を丸める。
まだ完全には安心していない。
でも、逃げる様子もない。
ガブはゆっくりと目を開ける。
ふわを見る。
ほんの一瞬。
それから、また目を閉じる。
それだけ。
拒まない。
追い払わない。
そのまま。
通りでは、子どもたちが歩いている。
「あ」
一人が気づく。
「近い」
声をひそめる。
「すごい」
みんな立ち止まる。
でも、騒がない。
静かに見る。
ガブとふわは、並んでいる。
触れてはいない。
でも、離れてもいない。
ただ、同じ石段の上で、同じ時間を過ごしている。
夕方になる。
光がやわらかくなる。
石段が少し冷えてくる。
ふわは、少しだけ体の向きを変える。
ほんの少しだけ、ガブの方へ。
毛と毛が、かすかに触れる。
ほんの一瞬。
すぐに離れる。
でも、その一瞬は確かにあった。
ガブのしっぽが、ゆっくり動く。
それ以上は何もない。
それで十分だった。
夜が近づく。
商店街の灯りが少しずつ点く。
ガブはそのまま丸くなる。
ふわも、そのすぐ近くで丸くなる。
距離は、もうほとんどない。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、いつもの石段で眠っていただけだ。
そのすぐ隣で、ふわも眠ろうとしている。
それだけで、二匹のあいだの空気は、少しだけ変わった。
言葉はない。
約束もない。
でも、距離は確かに近づいている。
商店街はそれを静かに見ている。




