少しだけ近く
朝の光は、昨日よりも少しだけやわらかかった。
喫茶ひだまりの前のベンチに、おじいさんはいつものように座っている。
手には同じ帽子。
背中は少し丸い。
扉が開くのを待っている。
からん。
扉が開く。
「おはようございます」
女性の声。
「おはよう」
おじいさんは立ち上がる。
店の中へ入る。
いつもの席に座る。
窓際の席。
外がよく見える場所。
そこから、時計屋の石段も、段ボールの家も見える。
ガブは石段の上にいる。
ふわは家の前にいる。
女性がコーヒーを淹れる。
湯気がゆっくり上がる。
おじいさんはそれを見てから、窓の外に目を向ける。
いつもと同じ景色。
けれど、今日は少しだけ違うことを考えている。
コーヒーが運ばれる。
「どうぞ」
おじいさんはうなずく。
カップを持つ。
一口飲む。
それから、しばらく外を見る。
ガブが体を起こす。
石段から下りる。
ふわも少し遅れて歩く。
二匹が並ぶ。
通りをゆっくり進む。
喫茶ひだまりの前を通る。
おじいさんの目が、その動きを追う。
今日は、少しだけ長く見る。
カップをテーブルに置く。
少し考える。
それから、ゆっくり立ち上がる。
女性が少し驚く。
「もう出られますか?」
「ちょっとだけ」
おじいさんはそう言って、外へ出る。
からん、と扉の音。
外の空気はやわらかい。
おじいさんは一歩、また一歩と歩く。
猫たちのいる方へ。
ガブは立ち止まる。
ふわも止まる。
二匹とも、逃げない。
でも、近づかない。
そのまま、おじいさんを見る。
おじいさんは、少し手前で止まる。
無理に近づかない。
距離を保つ。
しばらく、そのまま立っている。
風が通る。
野菜の匂い。
魚の匂い。
コーヒーの匂い。
おじいさんは、ゆっくりしゃがむ。
膝に手を置く。
そして、小さく言う。
「こんにちは」
猫に向かって。
ガブは目を細める。
ふわはじっと見ている。
おじいさんはそれ以上何もしない。
手も伸ばさない。
ただ、そこにいる。
少しだけ、近い場所に。
時間が流れる。
商店街の音が戻ってくる。
八百屋のおばさんの声。
魚屋の氷の音。
おじいさんは、ゆっくり立ち上がる。
「またな」
小さく言う。
猫たちにか、空にか、よくわからない声。
そのまま、喫茶ひだまりに戻る。
席に座る。
カップのコーヒーは、まだ少し残っている。
一口飲む。
さっきより、少しだけ味が違う気がする。
窓の外では、ガブが歩き出す。
ふわもその後をついていく。
二匹は、いつもの場所へ戻る。
石段の上と、その下。
いつもの距離。
けれど、少しだけ違う。
さっき、誰かがその間にいたから。
おじいさんは窓の外を見る。
ほんの少しだけ、笑う。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、通りを歩いていただけだ。
その途中で、おじいさんが少しだけ近くに来た。
それだけで、商店街の空気は少しだけやわらかくなる。




