花びらを追いかけて
春の風は、気まぐれだ。
時計屋の石段で、ガブはいつものように丸くなっている。
昼の光はあたたかく、背中の毛をゆっくり温めている。
通りの端にある桜の木は、昨日よりも少しだけ花が増えていた。
枝の先に、薄いピンク色が広がっている。
満開にはまだ遠い。
けれど、風が吹くと、小さな花びらがときどき落ちる。
ふわは桜の木の下にいた。
細い体をまっすぐにして、空を見上げている。
そのとき、風がふわりと通る。
枝が揺れる。
ひらり。
一枚の花びらが落ちる。
くるくる回りながら、地面へ向かう。
ふわの目が、ぱっと開く。
花びらは、ふわの前をふわりと通り過ぎる。
ふわは前足を出す。
ちょん。
花びらは軽く跳ねる。
また風に乗る。
ふわはそれを追いかける。
ぴょん。
通りの真ん中まで走る。
八百屋のおばさんが笑う。
「元気だねえ」
花びらはまだ落ちる。
もう一枚。
それも、ふわの前にひらひら落ちてくる。
ふわは夢中になる。
右へ、左へ。
ぴょん、と跳び、くるりと向きを変える。
魚屋の大将がそれを見る。
「忙しいやつだ」
ガブは石段の上から見ている。
目を細めて、少しだけ顔を上げる。
ふわは花びらを追いかけて、段ボールの家の前まで行く。
入口の前で止まる。
花びらが、段ボールの屋根に乗る。
ふわは前足を伸ばす。
屋根に届かない。
もう一度、ぴょん。
段ボールが少し揺れる。
花びらはふわの鼻の前に落ちる。
ふわはそれを見つめる。
ちょん、と触る。
花びらは軽すぎて、すぐに風で動く。
それがまた楽しい。
ふわはまた追いかける。
午後になると、花びらは少し増える。
風が吹くたび、ひらひらと落ちる。
子どもたちが通る。
「ふわ!」
一人が指をさす。
「花びらで遊んでる」
子どもたちは笑う。
ふわは花びらを追いかけて、くるくる回る。
ガブはその様子を見ている。
ときどき、花びらが石段まで飛んでくる。
一枚が、ガブの前足の上に落ちる。
ガブはそれを見る。
少しだけ前足を動かす。
花びらは落ちる。
それだけ。
ふわはまた走る。
風のあとを追う。
花びらのあとを追う。
夕方になるころ、風は少し弱くなる。
花びらも、ゆっくり落ちるだけになる。
ふわは少し疲れたのか、桜の木の下で座る。
舌を出して、前足をなめる。
ガブが石段から下りてくる。
ふわの近くまで歩く。
ふわはちらりと見る。
ガブはそのまま桜の木の下に座る。
二匹の間に、花びらが一枚落ちる。
ふわはそれを見る。
けれど、もう追いかけない。
今日はたくさん追いかけたからだ。
夕方の光が、桜を少し赤く染める。
花びらが静かに落ちる。
野良猫ガブは、今日も何もしない。
ただ、桜の下に座っていただけだ。
その横で、ふわは花びらをたくさん追いかけていた。
それだけで、商店街の春は少しだけ楽しくなる。




