表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/26

桜が咲く日

朝の空気が、いつもより少し明るかった。


時計屋の石段で、ガブはゆっくり目を開ける。


春の朝はやわらかい。冬の冷たい空気とは違って、どこか丸い匂いがする。


通りの向こうから、八百屋のおばさんの声が聞こえる。


「咲いたよ」


その声は、いつもより少し弾んでいた。


魚屋の大将が顔を上げる。


「何が」


「桜」


おばさんは商店街の端を指さす。


そこには一本の桜の木がある。商店街の入り口に立っている、少し古い木だ。


毎年、春になると咲く。


でも、最初の花が咲く日は、いつも少し特別だ。


魚屋の大将は目を細める。


「ほんとだな」


枝の先に、小さなピンク色が見える。


まだほんの数輪。


けれど、確かに咲いている。


ガブは石段から下りる。


通りを歩き、桜の木の下まで行く。


見上げる。


薄いピンクの花が、空の中で小さく揺れている。


風が吹く。


花びらはまだ落ちない。


咲いたばかりだからだ。


喫茶ひだまりの女性も外に出てくる。


「あ」


桜を見る。


「咲いたんですね」


八百屋のおばさんがうなずく。


「春だよ」


ガブは木の下に座る。


そのとき、灰色の影が近づいてくる。


ふわだ。


ふわも桜の下で止まる。


ガブの少し横。


二匹で見上げる。


もちろん、猫は桜の意味を知らない。


ただ、風の匂いが変わったことは知っている。


昼になると、人が少し増える。


子どもたちが走ってくる。


「咲いてる!」


ランドセルが揺れる。


桜の木の下で立ち止まる。


「まだちょっと」


「でも咲いた」


子どもたちは嬉しそうだ。


一人がガブを見る。


「ガブ、春だよ」


ガブは目を細める。


それだけ。


ふわは桜の影を追いかける。


花の影が地面に揺れている。


午後、風が少し強くなる。


枝が揺れる。


そのとき、小さな花びらが一枚だけ落ちる。


くるくる回る。


ゆっくり地面へ。


ふわの前に落ちる。


ふわは不思議そうに見る。


前足でちょん、と触る。


花びらは軽く動く。


ガブはその様子を見ている。


商店街の人たちも桜を見る。


時計屋のおじいさんも外に出てくる。


「今年も咲いたな」


それだけ言う。


夕方になるころ、桜の色は少し濃く見える。


空がオレンジ色だからだ。


通りを歩く人たちが、みんな少しだけ上を向く。


春になると、町の人はよく空を見る。


桜があるからだ。


ガブは桜の木の下で丸くなる。


ふわもその隣で丸くなる。


花びらはまだ少ししか落ちない。


満開はまだ先。


桜は急がない。


ゆっくり咲いて、ゆっくり散る。


野良猫ガブは、今日も何もしない。


ただ、桜の下で昼寝をしていただけだ。


その横で、ふわも昼寝をしている。


風が吹く。


枝が揺れる。


小さな花びらが、もう一枚落ちる。


それだけで、商店街の春は、少しだけ深くなる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ