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知らない足音

その日の朝、ガブは少し早く目を覚ました。


理由はわからない。


けれど、空気のどこかに、いつもと違う匂いが混ざっていた。


時計屋の石段の上で、ガブはゆっくり体を起こす。耳がぴくりと動く。


風の向こうから、かすかな匂いがする。


猫の匂いだ。


この商店街では、あまりしない匂いだった。


ガブは石段を下りる。


通りはまだ静かだ。シャッターはほとんど閉まっている。八百屋のおばさんの店だけが半分開いている。


「おや、早いね」


おばさんが言う。


ガブは返事をしない。


通りの奥へ歩く。


ゆっくり、慎重に。


匂いは確かにある。


けれど、姿はまだ見えない。


魚屋の前を通り過ぎる。


氷を運ぶ音がする。


「どうした」


魚屋の大将が言う。


ガブは足を止めない。


商店街の端まで来る。


そこには、小さな路地がある。普段はあまり人が通らない場所だ。


ガブはそこで立ち止まる。


影がひとつ、動いた。


細い体。


灰色の毛。


ガブより少し小さい猫だった。


その猫も、ガブを見て止まる。


二匹の間に、静かな時間が流れる。


風が通り抜ける。


灰色の猫は少しだけ耳を下げる。逃げる準備の姿勢だ。


ガブは動かない。


しばらくして、灰色の猫が一歩だけ後ろへ下がる。


ガブはまだ動かない。


威嚇もしない。


ただ、そこに立っている。


灰色の猫はガブを見ながら、路地の奥へ消える。


小さな足音が遠ざかる。


ガブはしばらくその場所に座る。


匂いはまだ残っている。


新しい匂い。


昼になるころ、八百屋のおばさんが言う。


「ねえ、見た?」


魚屋の大将が顔を上げる。


「なにを」


「猫」


「ガブならそこにいる」


「違うよ、もう一匹」


大将は少し驚く。


「へえ」


時計屋のおじいさんも外を見ている。


「灰色だった」


おばさんが言う。


「小さめの」


ガブは石段に戻っている。


何事もなかったように丸くなる。


午後、喫茶ひだまりの女性が外に出てくる。


「あれ?」


通りの向こうを見る。


そこに、灰色の猫がいた。


電柱の影から、こちらを見ている。


女性はしゃがむ。


「こんにちは」


灰色の猫は動かない。


けれど、逃げない。


ガブはその様子を石段から見ている。


灰色の猫と、ガブの目が一瞬合う。


すぐに逸れる。


夕方、灰色の猫はまた路地へ消える。


誰にも触られず、何も食べず、静かに消える。


八百屋のおばさんが言う。


「住みつくかね」


魚屋の大将は肩をすくめる。


「さあな」


時計屋のおじいさんは空を見上げる。


「猫は自由だ」


ガブは石段で目を閉じる。


匂いはまだ風の中にある。


この商店街には、ガブがいる。


けれど、誰かが来ることもある。


追い出すわけでもない。


迎えるわけでもない。


ただ、そこにいるだけ。


夜になる。


街灯の下、ガブはゆっくり目を開ける。


通りの端に、灰色の影がもう一度だけ現れる。


遠くから、こちらを見ている。


ガブは動かない。


灰色の猫も動かない。


そのまま、夜の風が二匹の間を通り過ぎる。


野良猫ガブは、今日も何もしない。


ただ、新しい足音を聞いていただけだ。


それだけで、商店街の空気は少しだけ変わった。


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