提灯のひかり
その日の朝、商店街は少しだけ騒がしかった。
いつものシャッターの音に混ざって、脚立のきしむ音や、誰かの笑い声が聞こえてくる。
時計屋の石段で、ガブは顔を上げた。
見上げると、通りの上に赤いものが揺れている。
提灯だ。
まだ数は少ないが、細いロープにいくつか吊されて、風にふわりと揺れている。
八百屋のおばさんが脚立の下で声をかけている。
「もうちょっと右だよ!」
上にいるのは魚屋の大将だ。
「これでいいか」
「いいねえ」
提灯は、まだ昼間なので光ってはいない。ただ、赤い色が空に浮かんでいる。
ガブはゆっくりと石段から下りる。
通りを歩く。
足元には、紐や箱や、まだ使われていない提灯が並んでいる。
商店街の奥から、子どもたちの声が聞こえる。
「お祭りだって!」
「ほんと?」
走る足音。
ガブはその間をすり抜ける。
定食屋の前では、店主が大きな鍋を洗っている。
「今年もやるのか」
魚屋の大将が言う。
「小さいけどね」
店主は笑う。
「小さいほうがいいさ」
時計屋のおじいさんも、今日は外に出ている。脚立を押さえる役だ。
「昔はもっと大きかった」
ぽつりとつぶやく。
「屋台もいっぱい出てた」
八百屋のおばさんが言う。
「でも、これくらいがちょうどいいよ」
ガブはその声を聞きながら、提灯の影を踏む。
赤い丸が、地面に揺れている。
昼になるころ、喫茶ひだまりの前にも、小さな紙が貼られる。
「お祭りの日
アイスコーヒーあります」
女性はその紙を貼りながら、少しだけ笑っている。
ガブは店の前で座る。
女性がしゃがむ。
「夜、提灯つくんだって」
ガブは瞬きする。
夕方になると、提灯の数が増えていた。通りの端から端まで、赤い丸が並んでいる。
まだ灯りは入っていない。
けれど、もう祭りの顔をしている。
子どもたちが走り回る。
「焼きそばあるかな」
「あるよきっと」
八百屋のおばさんが笑う。
「そんな大きな祭りじゃないよ」
「でもあるでしょ?」
「あるよ」
魚屋の大将が、紐を引っ張って確かめる。
提灯が一斉に揺れる。
その影が、ガブの背中を通り過ぎる。
やがて、空が暗くなり始める。
誰かが言う。
「そろそろつけるか」
ぱちん。
最初の灯りがともる。
赤い提灯の中で、電球がやわらかく光る。
その灯りが、ひとつ、またひとつと続く。
通りが、少しだけ別の場所になる。
昼の商店街とは違う顔。
やわらかく、あたたかい光。
ガブは立ち上がり、通りの真ん中まで歩く。
見上げる。
提灯の列が、空の上まで続いているみたいだ。
八百屋のおばさんが言う。
「いいねえ」
魚屋の大将も見る。
「まあな」
喫茶ひだまりの女性も外に出てくる。
「きれい」
時計屋のおじいさんは、ゆっくりうなずく。
誰も大きな声を出さない。
ただ、灯りを見ている。
ガブは通りの真ん中で座る。
提灯の光が、毛の上に丸く落ちる。
春の夜は、まだ少し冷たい。
けれど、灯りの色はあたたかい。
明日は祭りだ。
焼きそばの匂いがして、子どもたちが走って、音楽が少しだけ流れる。
きっと、いつもより少しだけ賑やかな日になる。
それでも、商店街は変わらない。
魚屋がいて、八百屋がいて、時計屋があって、喫茶店があって。
その真ん中に、ガブがいる。
野良猫ガブは、今日も何も準備しない。
ただ、提灯の下で座っていただけだ。
それだけで、明日の祭りは、もう少し楽しみになる。




