第一話:錆びた鉄屑と、お節介な木漏れ日
最新型VRMMORPG『エテニウム・オンライン』のサービス開始から一ヶ月。
先行プレイヤーたちが「効率的なレベリング」や「レア装備のドロップ率」に血眼になっている喧騒の中、
始まりの街・ルミナスの片隅にある、うらぶれたベンチに腰を下ろしている青年がいた。
プレイヤー名、ハル。
職業、双剣使い。
「……よし、これで三本目」
ハルは満足げに、手元にある「錆びた鉄の短剣」を眺めた。
ゲームを始めて三日。彼はまだ、街の外にいる最弱モンスター「草原スライム」すら十匹も倒していない。
代わりに彼が没頭していたのは、初期装備として配られた二本の短剣と、露店で見つけた安物の砥石で、ひたすら「金属の質感を確かめること」だった。
このゲームの売りは、現実と見紛うほどの五感フィードバックだ。
ハルが砥石を滑らせると、キィィィという甲高い音と共に、火花が散る。
その熱、鉄の匂い、そして少しずつ輝きを取り戻す刃の美しさに、彼は心を奪われていた。
「君、それ……もう新品より切れるんじゃない?」
呆れたような声が頭上から降ってきた。
顔を上げると、そこには腰に大きな金槌を下げた少女が立っていた。
防具屋の看板娘、NPCのミナだ。
「あ、ミナさん。こんにちは。
……見てください、この反り。
初期装備とは思えないくらい素直な刃をしてるんですよ」
「いや、普通はそれを持って森に行って、オークとか倒して、もっと強い剣に買い替えるのよ。
誰も初期装備を三日かけて研がないわよ」
ミナは溜息をつきながらも、ハルの隣にどっかと座った。
ハルのような「効率を無視して、世界の細部にこだわるプレイヤー」は、
NPCである彼女にとっても珍しく、どこか放っておけない存在になっていた。
「……ねえ、ハル。そんなに刃物が好きなら、南の『ささやきの森』に行ってみたら?
そこでしか採れない『アオノニガヨモギ』の汁を刃に塗ると、金属が青く透き通って綺麗に見えるわよ。
……まあ、あそこは視界が悪いし、初心者が一人で行く場所じゃないけどね」
「青く透き通る……。いいですね、それ! 行ってみます!」
ハルは目を輝かせ、研ぎたての双剣を腰の鞘に収めた。
「ぼっち」であることを寂しいと思ったことはない。
むしろ、自分のペースでこの世界の美しさを独り占めできる贅沢を楽しんでいた。
『ささやきの森』は、ミナの言葉通り、昼間でも薄暗く、霧が立ち込めていた。
時折、茂みがガサリと揺れる。普通の初心者なら、ここで剣を構えて警戒するだろう。
だが、ハルは違った。
「わあ、この苔、踏むとふかふかしてて気持ちいいな……。
あ、あそこに咲いてる花、図鑑に載ってたやつだ」
彼はモンスターを「敵」としてではなく、「風景の一部」として眺めながら進んでいく。
殺気がないせいか、本来なら襲いかかってくるはずの野兎たちも、ハルの足元を平然と横切っていく。
森の奥深く。
目的の『アオノニガヨモギ』を見つけた時、ハルは奇妙な光景を目にした。
一本の巨木の根元に、
黒い靄のようなものが、トゲのある蔓に絡まって動けなくなっていたのだ。
「……? 罠かな。……大丈夫? 痛そうだね」
ハルは自然に、腰の双剣を抜いた。
もしそれが強力なモンスターの子供だとしても、
彼にとっては「困っている何か」にしか見えなかった。
研ぎ澄まされた双剣が、空気を切り裂く。
シュパッ!
一閃。
ミナに呆れられるほど磨き上げた刃は、硬い蔓をバターのように滑らかに断ち切った。
解き放たれた黒い靄は、空中でくるくると円を描き、
やがて小さな、子供のような形に固まった。
瞳は夜空のように深い紫。背中には、透き通った羽。
【システム通知】
隠し条件:『無垢なる守護』を達成しました。
隠し職:『境界の召喚士』への適正が認められました。
眷属候補:【影の精霊・ナハト】があなたの影に定着しました。
「えっ、召喚士……? 俺、剣士なんだけどな」
ハルが首を傾げると、小さな影の精霊——ナハトは、嬉しそうにハルの影の中に飛び込んだ。
と、同時に。
ハルの手元にある双剣が、ほんのりと紫色の光を帯びる。
「……あれ? 剣が軽くなった? それに、なんだか視界がはっきりするような……」
それは、召喚士が「召喚獣を戦わせる」のではなく、
「召喚獣の力を武器に宿す」という、このゲームでも極めて稀なプレイスタイルの目覚めだった。
帰り道、ハルの前に森の主である「フォレスト・ベア」が立ち塞がった。
本来、今のハルのレベルでは一撃でゲームオーバーになる強敵だ。
「うわ、大きいな……。でも、せっかく研いだ剣だし、試してみるか」
ハルは双剣を構えた。
すると、影からナハトがひょこっと顔を出し、ハルの背中をそっと押す。
ハルの体が、重力を無視したような速さで加速した。
「——えっ、速い!?」
本人が驚いている間に、双剣は熊の爪を弾き飛ばし、その懐に潜り込む。
一撃、二撃。
ナハトの魔力が宿った刃は、鋼鉄をも断つ鋭さで熊の表皮を切り裂いた。
気づけば、巨体は光の粒子となって霧散していた。
「……倒しちゃった。……まあいっか。それより、ヨモギ! 早くミナさんに見せに行こう」
ハルは、自分が「サーバー初のボス級モンスター単独撃破」を成し遂げたことにも気づかず、
カバンに入れた薬草の匂いを嗅いで、ふふっと笑った。
こうして、世界最強の(本人はその自覚が全くない)双剣使いの冒険が、静かに幕を開けたのである。
第1話 完
【ハルのステータス(隠し)】
• メイン職: 双剣使い Lv.5
• 隠し職: 境界の召喚士 Lv.1
• 相棒: 影の精霊・ナハト(懐き度:MAX)
• 現在の所持品: 研ぎ澄まされた鉄の双剣、
アオノニガヨモギ、
綺麗な石ころ×12




