表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

婚約破棄からはじまる物語

だから私はいなくなる、やっとご希望に沿うことが出来ますわ

作者: 弍口 いく
掲載日:2026/02/08

 数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。

「ルシア・エメリッヒ、お前との婚約を破棄する」

 卒業パーティーの最中にレナードが声をあげた。


 よっしゃぁ!

 私は心の中でガッツポーズした。これで後腐れなく去れるわ。


 私ルシアは、由緒ある旧家エメリッヒ伯爵家の長女に生まれた。栗色の髪に焦げ茶色の瞳の地味で目立たない女だけど、頭は凄くいいのよ、入学時から守りつけた首席で王立学園の卒業式を迎えた。そのパーティーでの出来事、婚約者であるシュトレン侯爵令息レナードに婚約破棄を言い渡された。


 レナードの腕には私の一歳年下の妹リアナがぶら下っている。彼女は金髪にエメラルドの瞳で庇護欲をそそる可憐な少女だ。ええ、わかっていますとも、あなたが着ているその淡いピンクの綺麗なドレス、卒業生でもないのにレナードが誂えてくれたものなんでしょ。


 本来なら婚約者である私が贈られるべきもの、なのに一向に採寸の連絡もないし、これはリアナに行ったと悟り、仕方なく自腹で既製品を購入したわよ。痛い出費だったわ。


 でも、パーティーに出席しないで逃げたと思われるのは我慢なりません、有耶無耶にならないように正々堂々とケリを着けたかったのよ。


 リアナは清純な印象を振りまきながら、私のモノを横取りする天才だった。両親も自分たちと同じ金髪にエメラルドの瞳を持つリアナを溺愛して、彼女の望みをなんでも聞き入れた。『姉なのだから可愛い妹に譲ってあげなさい』が口癖だった。ほんと、よくある話だ。


「お姉さまゴメンなさい、私たち愛し合ってしまったのよ、お姉さまには申し訳ないと思っているけど、真実の愛には抗えなかったの」

 悲劇のヒロインのように大きな瞳を潤ませながら言うリアナ、臭い芝居に呆れながら、私は冷ややかな目を向けた。最初から奪う気満々だったくせに。


 私の婚約者なのに、二人の親睦を深めるためのお茶会には、なぜかリアナが同席していた。それを許す両親も問題だけど、レナードも歓迎していた。二人は私そっちのけで話を弾ませていたし、そういう関係になるのに時間はかからなかったようだ。


 美しい妹に婚約者を奪われる地味な姉の話も珍しくはない。これもよくあるパターンだが、別に顔だけ男のレナードを奪われて惜しいとは思わない、こちらからリボンをつけて進呈したかったくらいだし婚約破棄は望むところだ。派手好きのレナードなら、どこかの国の王太子のように、晴れがましい場所でやらかすのではないかと予想していた。


 二年前、某国の王太子がやらかして大事件になったことは記憶に新しい。十年も婚約していた筆頭公爵家令嬢との婚約を破棄して、真実の愛の相手である男爵令嬢と結ばれることを宣言した。


 権力者である筆頭公爵家の怒りを買った王太子は後ろ盾を失って廃太子となったが、男爵令嬢との〝真実の愛〟を貫いて結ばれたと絶賛された。その事件はブームを巻き起こした。某国では真実の愛を叫んだ婚約破棄が続発して問題になった。あれから二年、流行は下火になっていたが……。


「承知いたしました」

 私が平然と言ったのでレナードは肩透かしを食らったようだが、予想していたことなので書類も用意してある。


「ずいぶん物分かりがいいのだな」

「私が取り乱して泣いて縋るとでもお思いでしたか? あなたとリアナの()()は周知の事実、こうなることは予想していましたから、あなたから言ってもらって助かりましたわ。たとえ婿()()りでも侯爵家のあなたの方が身分は上、私からお断りすることは難しいですから」


 私とレナードの婚約は、将来、継ぐ爵位がない三男のレナードを心配したシュトレン侯爵が、エメリッヒ伯爵家の婿にとねじ込んできたものだ。最初からレナードは私が気に入らなかったようで、歩み寄る隙も無かった。


 しかし、私は地味で目立たない令嬢ではあるが、決して気弱で大人しい女ではない、気が強く行動力もある方だ。


「せっかくの卒業パーティーを台無しにするような野暮なことはしたくありませんから、さっさと終わらせましょう。婚約()()の書類は用意しております、あとはあなたのサインだけ、私たちは十八歳で成人しておりますから、両親の同意は必要ありません」


 会場が騒然としている中、私は隠し持っていた書類を出した。

「よ、用意周到だな」

 私が妹を虐めたり嫌がらせをした事実はないから弾劾されることはない。あくまでただの浮気だ。


「ただ、婚約時に家同士で交わした取り決めに関しては、双方の当主で話し合っていただく必要はありますが」

「その必要なないだろう、俺はリアナと婚約し直すのだから、家同士の契約に変わりはないはずだ」

「それならよろしゅうございます、さあ、こちらにサインを」


 レナードがサインしたのを確認してから、私は見物人たちの方へ向き直り、

「皆さま、お騒がせして申し訳ございません、お気になさらずパーティーをお楽しみください」

 大仰に淑女の礼をして出口に向かった。


 パーティーに参加していた生徒たちが残念そうに見送っているのが目の端に入る。きっと大揉めに揉めて修羅場になることを期待していたのだろうが、お生憎様、私が素早く対応してすぐに終息させたので、野次馬は拍子抜けして散り散りに立ち去った。


 きっとリアナとレナードは勝ち誇った笑みを浮かべながら私を見送っているのだろうな。愚かなあなたたちが思っているように事が運ばないとも知らずに……。



   *   *   *



 翌朝、私が旅支度をしていたところ、エメリッヒ伯爵に呼ばれて応接室へ行った。

 そこには殴られたのだろうか?頬を腫らしたレナードと、カーク・エメリッヒ伯爵と夫人モニカ、その娘ルシアも神妙な面持ちで座っていた。


「どういうことだ! 婚約を破棄されたって」

 私が入室するなり伯爵が怒鳴った。まだ聞かされていなかったのだろうか? 昨夜のうちにリアナが得意げに報告していると思っていたのに。

「破棄ではなく解消です、私はレナード様のご希望に沿って書類を提出したまでです」

 座れとも言われないので私は立ったまま、冷ややかに伯爵を見下ろした。


 あの後すぐに書類を役所に提出して受理されたから、取り消すことは出来ないはずだ。


「勝手なことを!」

「お言葉ですが、勝手なことを企んだのはそちらの二人ですよ、私を追い出して伯爵家を自分たちが継ぐつもりでいたようですから」

「それは! 俺が婿に入ることに変わりはないのだから、リアナと結婚して、リアナが伯爵家を継いでも問題はないと思ったから」


 レナードの言葉に伯爵は頭を抱えた。

「問題は大有りだ、リアナにエメリッヒ伯爵家を継ぐ資格はない、エメリッヒの血を継いでいないのだからな。シュトレン侯爵の方には我が家の事情を伝えあったのに」


「だから父は激怒しました。せっかく探してやった婿入り先をダメにするなんて、と……。でも俺は聞いていなかったのです!」

 いやいや、そんな大事なことを伝えないはずない。レナードがいい加減に聞き流していたに違いない。


「まさかリアナが養女だったなんて思わないでしょ、お二人はルシアよりリアナを溺愛されているじゃありませんか!」

「そうよ、お父様とお母様は私を実の娘のように愛しんでくださっているじゃありませんか、いつもルシアお姉様より私の方がエメリッヒ家の後継ぎに相応しいとおっしゃってたでしょ」

 リアナは自分の立場もわきまえず、レナードにしなだれかかりながら両親を責める。


 まあ、勘違いしてしまうほど伯爵夫妻がリアナを可愛がっていたのは事実だ。でもあなたが孤児院から引き取られたのは九歳の時、流行り病で亡くなった実のご両親が農民だったとは覚えているわよね。


「貴族はなにより血を重んじる。いくら私たちがお前を愛していても血がモノを言うのだ。平民ではエメリッヒ伯爵家を継ぐことは出来ないんだ」

 本当はリアナを跡継ぎにして婿を迎えて、ずっとこの邸で一緒に暮らしたかったのだろうが、そんなことをすれば親戚連中が黙っていない。


 伯爵が私を疎むのは、私が伯爵の弟マーク叔父様と同じ髪色だから。伯爵は自分より優れている弟に劣等感を持っていた。長男を差し置いて、文武両道で優秀な弟に跡を継がせる話も出ていたらしい。

 奇しくも、夫人も同じように、優秀な姉が栗色の髪に焦げ茶の瞳だったそうで、いつも比べられてずいぶん嫌な思いをしたらしい。


 私はこの髪色だけで、生まれた瞬間から疎まれていたのだ。


 冗談じゃないわよ、それって私のせいじゃないでしょ? 夫妻とも金髪碧眼の美男美女だが、ハッキリ言って中身は残念、前伯爵から引き継いだ事業も領地経営もうまく行かずに、由緒あるエメリッヒ伯爵家が傾きかけているのが現状だ。今の状況を知れば、亡くなった前伯爵夫妻は、優秀な次男に跡を継がせなかったことを後悔するだろう。


「じゃあ、私はどうなるの?」

「心配いらないわ、あなたには一生不自由なく暮らせる個人財産を用意するつもりよ」

 夫人はリアナの美しい金髪に指を滑らせた。

「ですって、良かったわねレナード様、私たち結婚出来るわ」


 単純なリアナは喜んだが、最初の予定はそうじゃなかったんだろうな。きっと、表向きは私とレナードをそのまま結婚させて、私をお飾りの妻にし、愛人のリアナを本妻扱いして、ずっとこの邸に居させるつもりだったんじゃないかしら。でも、レナードが勝手に婚約破棄を叫んだから予定が狂った。


「でも爵位が継げないんじゃ俺たちは平民になるんだぞ、社交界にも出られない、貴族専用の店にも入れなくなるんだぞ」

「えっ? そうなの?」

 侯爵令息のレナードにとっては耐えがたいことだろう。家格が下の伯爵家に婿入りするのだって最初は渋っていたようだし、ほんと身の程を知らない奴だ。


「私たちと一緒なら大丈夫よ、ほら、平民でも富豪の商人なんかは社交界に出入りしているでしょ、お金を積めばなんとでもなるわ」


 さて、そのお金はどこから出すつもりなんだろう? 一生不自由なく暮らせる? それどころかこのままの贅沢な生活を続ければ、エメリッヒ伯爵家の財政は三年も持ちませんけど。


 伯爵は家令からの報告書を読んでいないのだろう。ちゃんと確認していれば、いくら頭が悪くても、エメリッヒ伯爵家が没落まっしぐらなことくらいはわかるはずだ。それが明るみに出るのも時間の問題だ。そうなれば、マーク叔父様あたりが乗り込んで来て建て直そうとするか、それとも共倒れを恐れて見捨てるか。

 もう私には関係ないし、教えてあげる義理もない。


「ルシアが伯爵家を継いでも、ちゃんと面倒を見てくれるわよ、姉なんだから」

 ほらね、やっぱりリアナの面倒を一生、私に見させるつもりだったんだ。それもレナードと言うゴミ付きで。でも、そう旨くはいきませんよ、私はもう、

「姉じゃありませんけど」


「酷いわお姉様! いくら私が養女だからって、そんな言い方!」

 とたんリアナが大きな目に涙を溜めながら食って掛かる。一瞬にして嘘泣きができるのはスゴイ特技だ。情に訴えかける嘘泣きはいつものように両親に向けたもので、伯爵夫人はすぐに反応する。

「そうよ、血は繋がっていないけどリアナはエメリッヒ伯爵家の娘、あなたの妹じゃない」


 ふふっ、今までは言い返せなかったけど、もう違うのよ。だって、

「私はもうエメリッヒ伯爵家の娘ではありません、除籍されていますから」

 赤の他人、だから父ではなく伯爵、母ではなく伯爵夫人なのだ。


「なんですって! そんなバカなこと! いつ除籍されたと言うの?!」

 夫人は伯爵にキッと目を向けた。

「私は知らないぞ」

 伯爵は大きく首を横に振る。しかし、知らないでは済まないのよね。


「いいえ、伯爵はサインされました。二週間ほど前です、もう正式に受理されています」

 面倒な執務を学生の私に押し付けていた伯爵が、書類をちゃんと読んでいないことはわかっていた。当主のサインが必要な書類の中に、私を除籍する書類を紛れさせていても気付くはずはなかった。


「ですから、卒業を機にこの家から出ていきます。レナード様との婚約も無事に解消となりましたし、跡を濁さずに去ることが出来ます」


「去る?……いったい、なにを言ってるんだ? どういうつもりだ」

 寝耳に水の告白に伯爵の頭では理解が追い付かないのかしら? 

「家を出るですって! なぜ? あなたは跡継ぎなのよ、そんなこと許されるはずないでしょ、我が伯爵家を継いで、リアナの生活を支える責任があるのよ」

 そんな責任は断じてない。


「もう手続きは終わっています、私はエメリッヒ伯爵家と縁が切れています」

「いったいどうして! なぜそんなことをしたの?! なにが不満だったの! 不自由させたことはないでしょ。学園にも通わせて教育だってちゃんと受けさせたじゃないの」

 夫人は本気でそう思っているのだろうか?


「それは貴族令嬢としての必要最低限です。でも、学園に通っていたこの三年、私はドレスを一着も誂えてもらっていません。リアナには十着以上誂えていますよね」

 我が家の経済状況が悪いにもかかわらず、基、知らずに、リアナだけは分不相応の贅沢な生活をしている。


「そんなはずない、あなたもちゃんとドレスを持っているじゃない」

「今回の卒業パーティーではどうしても必要だったので、お祖母様から頂いた宝石を売って、既製品を購入しました」

 そんなことにも気付かないなんて、よほど私に興味がなかったのね。


 学園ではパーティーやお茶会があるので、貴族令嬢としてドレスも必要だ。しかし私が持っているのはデビュタントでお祖母様に誂えて頂いたものだけ、祖母亡きあとは誰も私の服装を気にかけない。普段は学園の制服で済ませられるが、それでパーティーやお茶会へ行くわけにはいかない、だから社交界への参加は避けた。


 婚約者のレナードからもドレスやアクセサリーを贈ってもらったことはない。シュトレン侯爵家では婚約者に当てた予算が組まれているはずだが、リアナに流れていることに侯爵家は気付いていないようだ。チェックはないのか?


 だから、『ドレスが無いから参加できない』と、目を潤ませながらお断りの説明をしまくったわよ。エメリッヒ伯爵家だけではなく、シュトレン侯爵家も評判を落としているはずよ。耳に入らなかったのが不思議なくらいだわ。


「そんなっ、なぜ言ってくれなかったの?」

「私の話など聞いてくれたことがありましたか?」

 ここ数年、両親とまともに話をしたこともない。


「いったい、この家はどうなっているんだ! なんで養女のリアナだけが愛されていたんだ、ドレスを作ってもらえなかったって? リアナは毎回新しいドレスと宝石で着飾っていたのに?」


 いやいや、それをプレゼント一つ贈らないあなたが言うのか?

 これまでの会話を茫然と聞いていたレナードが一番混乱しているようだわね。この家の異常に今更気付いたの? あなたは私の婚約者として度々家に来ていたじゃないの。


「そんなつもりはなかったのよ、ルシアは私の実の娘よ、愛していないはずないじゃないの、ただ、性格が暗いし、なにも話してくれないし、扱いにくい子だから」


 どの口が言う、こんな性格にしたのは誰? なにを話しても聞いてくれなかったのは誰? それも、もうどうでもいいけど、今日で私はいなくなるんだから。


 その時、執事が遠慮がちに入室した。

「旦那様、お客様がいらっしゃいました」

「来客の予定はないぞ。取り込み中だ、断れ」

「はい、しかし、お断りするのは……」


「それどころじゃないんだ、先触れ無しに来るような無礼な奴は追い返せ!」

 すでに苛立っていた父は、八つ当たりするように執事を怒鳴りつけた。


 そこへ、

「ルシア! 大丈夫か!」

 ユーリが飛び込んだ。


 そして、ずっと立ちっぱなしだった私の元へ来て抱き寄せた。

「大きな声がしたけど、なにかされなかったか?!」

 ユーリの逞しい腕に包まれると安心する。


「貴様! なぜ勝手に入ってきた! 護衛はなにをしてるんだ!」

 伯爵が乱入者に憤慨して腰を浮かした。


 そんな伯爵をユーリは睨み返した。黒髪に群青の瞳で精悍な顔つき、長身で体格もイイ彼に見下ろされて、伯爵はたちまち勢いを失くした。


「私は追い返されるのかな?」

 続いて無断で入室したのは、ユーリと一緒に来たキャシディ公爵だった。さすがに伯爵も我が国の四大公爵家の一つであるキャシディ公爵の顔は知っていたようだ。


 困惑しながら、

「あなた様がなぜこのようなところへ?」

「確かに先触れも出さずに訪問したことは無礼だったが、悪天候で馬車が思うように進まずに、到着が遅れてしまったから仕方なかったのだ」


 キャシディ公爵はユーリの横に立った。私は彼の腕の中に埋もれたままだ。

「彼は私の従兄妹の息子でね、訳あって公爵家でお預かりしていたんだよ、ルシア嬢とはお幼い頃に出会っていてね」


 伯爵はユーリを見直してハッとした、幼いころの面影がわずかに残っているので、あの時の少年だと気付いたのだろう。

「幼い頃……」


「思い出してくれたかな? そう、あの時のユーリだ。八年前、あなたが嘘つき呼ばわりして追い出した。また追い出しますか? でも今回はルシアを連れていきます。本当は昨日の卒業パーティーに乗り込んで、君をカッコ良く攫うつもりだったんだけど、間に合わなかった」


 いやいや、あんな中に現れたら収拾がつかなくなる。それに私はレナードと違って派手なことは好まない。粛々と去りたかったし、間に合わなくて良かったわ。


「君が言った通りに婚約は解消されたんだな。まあ、そうならなきゃ、キャシディ公爵家の権力を使うところだったけど、その場合は慰謝料が発生するだろうし、余計な出費がなくて良かったよ」


 ユーリは私を抱きしめたまま、

「じゃあ、行こうか」

「行こうって、どこへ?」

 伯爵は予期せぬ訪問者を前に、なにが起きているのかわからずに困惑している。そして、夫人とリアナ、レナードも同様だ。


「ルシア嬢との縁は切れているのだから貴殿には関係ないだろ。今、我が家と養子縁組する手続きをしているところだ。そして、キャシディ公爵家から、ルーシェン王国王太子であるユーリ、ユリスモール殿下に嫁入りしてもらう予定だ」

 キャシディ公爵が説明した。


「王太子殿下ですって!?」

 伯爵は青ざめた。昔、知らなかったとはいえ、邪険にして追い返した少年だ。


「本物の王子様なんですか? ルーシェン王国って我が国の五倍くらいある大国なんでしょ、その王太子殿下?」

 リアナは弾けるような声を上げて立ち上がった。成績下位の彼女でもルーシェン王国のことは知っていたのね。でも、なにを思っているのか、胸の前で手を組み、エメラルドの瞳がキラキラしてるわ。


「はじめまして、私は妹のリアナです。私も連れて行ってくださいませんか」

 はあ? なにを言い出すのやら。

「もちろんわかっていますわ、今も平民の出だからってさんざん貶められていたんですもの、王太子妃になれないことはわかっていますけど、地味で冴えないお姉様より私の方が美しいし、側妃で我慢しますから」


 この子はほんとに……どこまでも図々しい、と言うかなにもわかっていないのね。


「妹? ああ、ルシアには妹がいたね、でも……君は誰だい?」

 ユーリは思いっきり不審そうな目を向けた。



   *   *   *



 私には実の妹がいた。

 リアナ、金髪にエメラルドの瞳で庇護欲をそそる可憐な少女。彼女が九歳、私が十歳の時に事件は起きた。


 その頃は家族と共にエメリッヒ伯爵領の本邸で暮らしていた。自然豊かな美しい土地だった。少し離れたところにあるキャシディ家の別荘にユーリは滞在していた。彼は一つ年上の十一歳、黒髪に群青の瞳、端正な顔立ちの少年だった。私たちは森の中の秘密基地で毎日のように会っていた。


 初恋だった。

 彼と過ごしたのは一カ月程、その森で、二人だけの時間をゆったり過ごしていた。


 彼は外国人で家の都合でこの国に来て、各地を転々としていると聞いていたが、当時はルーシェンの王子だとは知らなかった。彼は側妃の子供で、正妃が生んだ第一王子より遥かに優秀だったため、正妃に疎まれて命を狙われていた。それで側妃の親戚であるキャシディ公爵家に匿われていたのだ。それでも刺客は追ってくる。


「そろそろここを発たなければならないんだ」

「えっ? どこかへ行っちゃうの? もう、会えないの?」

「わからない」

「……寂しくなるわ」

「俺もだ」


「私も連れて行って、だって、私なんかいないほうがいいのよ、お父様もお母様もリアナさえいればいいんだから」

 当時は既に、エメリッヒ伯爵夫妻は自分たちの色を受け継いだ金髪碧眼のルシアだけを可愛がり、溺愛していた。私はいない者として扱われており、使用人たちも夫妻に倣って私を軽んじた。伯爵令嬢なのに専属の侍女はおらず、私が毎日一人で森へ行っても放置されていた。


「わかるよ、俺も邪魔な子供だからな、でもね、だからと言って自分に価値がないとは思わない、いつか見返してやろうと思っているんだ」

「強いのね、ユーリは」


 ユーリもお母様を亡くし、母国を離れて寂しい思いをしていた。私たちは心の隙間を埋めるように寄り添っていた。ユーリとの出会いは、私の折れそうな心を支えてくれた。




 その日、リアナが姿を消した。


「リアナ!! どこにいるの!!」

 半狂乱で叫ぶ伯爵夫人。

 森へ行って迷子になったのかもしれないと、夜を徹して大捜索されたが、リアナは見つからなかった。


 騒ぎを聞きつけて、翌日ユーリが邸に来てくれた時、ちょうど私は夫人に責められていた。リアナ付きの侍女が、リアナが私と一緒に森へ行くのを見たと言ったからだった。その嘘を夫人はあっさり信じた。後から知ったのだが、その侍女は仕事をさぼって恋人と会っていたのだ。


「ルシアは一人で来ました。リアナは一緒に居ませんでした」

 ユーリがそう言ってくれたが、夫妻は信じない。


「あなたたちがリアナを仲間外れにして二人で遊んでいる間に、リアナは迷子になってしまったんでしょ! あなたのせいよ! なぜ妹の面倒を見てあげなかったのよ!」

 夫人は半狂乱になって私を責め立てる。


 そんなことを言われても私は知らない。何度、リアナと一緒にはいなかったと言っても信じてもらえなかった。ユーリは私を庇って嘘をついていると決めつけられて、追い返された。


 そして、彼と会うのを禁じられて、部屋に閉じ込められた。

 私たちは最悪の状況で別れることになった。


 その後、ユーリからの手紙を下働きの子がこっそり届けてくれた。私に親切にしてくれた数少ない人の一人だ。

『あんな酷いことを言われて傷ついているだろう、傍にいてあげられなくてゴメン。いつかきっと迎えにいくから待っていて』

 短い文章の中に彼の心がいっぱい詰まっていた。今でもその手紙大切に持っている。




 一週間経ち、二週間が経ち、一カ月が過ぎ、捜索隊は縮小されたが、夫人はあきらめられなかった。毎日泣き暮らしていた。

 リアナの失踪になんの関係もない私は八つ当たりされて責められ続けた。夫人は暴言を吐き、暴力を振るうようになった。


 そんな妻を見兼ねた伯爵が、リアナ(の代わり)を連れて戻った。


 それが今のリアナだ。孤児院でリアナそっくりの少女を見つけて引き取ったのだ。正気を失っていた伯爵夫人には、もはや見分けはつかなかった。偽物のリアナを抱きしめて涙した。


 その後、落ち着いた伯爵夫人がどこまで理解しているかは知らないが、リアナが本物ではなく養女だと言うことはわかっていたようだ。そして、私だけが実の娘だとわかった上で、なお偽物のリアナを溺愛していたのね。


 結局、本物のリアナの行方は不明のままだ。

 事故か事件か……。当時の捜査関係者の話では、人身売買をしている悪徳商人に拉致されたのではないかと言う話だ。金髪碧眼の子供は高値で売れるそうだ。





 それから七年後、王立学園に通っていた私は王都でユーリと再会した。それは偶然ではなく、ユーリが私を捜してくれたのだ。彼はたった一カ月しか一緒に過ごしていない私との約束を覚えていてくれたのだ。それを知った時は、家族からは透明人間のような扱いを受けている私を捜してくれる人がいて嬉しかった。ユーリの胸元を涙で濡らした。


 それはルーシェン王国の王太子が卒業パーティーで筆頭公爵家の令嬢に婚約破棄を言い渡し、男爵令嬢を王太子妃にするとバカな宣言をした翌年だった。


 王太子が婚約破棄した公爵令嬢の家は王家も軽視できない権力を持つ筆頭公爵家、怒りを買った王太子は廃嫡された。傷付いた公爵令嬢は他国へ嫁入りしたが、娘を蔑ろにされた父親の怒りは収まらない。筆頭公爵家の権力、派閥の力を屈指して王家に圧力をかけ、王太子を甘やかし続けた王妃の責任を追及して離宮に幽閉した。


 元王太子と男爵令嬢は結婚して、小さな領地を賜ったと言うことになっているが、その後、謎の死を遂げたことは伏せられている。


 そうして王太子の席が空き、側妃の子で、今まで王妃に疎まれて暗殺の恐れがあったために国外へ逃げていたユリスモールが呼び戻されることになった。


 ユーリの正体を知った時はそりゃビックリ仰天したわよ。迎えに来てくれたってことは、私に王太子妃になれってことでしょ? 無理無理無理!! 一介の伯爵令嬢に務まるわけがない! 文官の試験を受けて、一人で生きていこうと思っていたのよ。


 でもね、私を必要としてくれるのなら……って、考え直した。


 今までずっと必要とされなくて、疎まれて、存在そのものを否定されてきた私にとってどれほど嬉しかったか。だから、頑張ってみようと思った。


 幸い冷酷な王妃は幽閉され、筆頭公爵家とその派閥貴族たちに睨まれた国王は勢いを失っている。側妃だったユーリのお母様の実家も王妃の圧力が無くなって持ち直しているし、なにより筆頭公爵家がユーリの後ろ盾になってくれたらしい。


 その理由は、元王太子に婚約破棄された公爵令嬢の嫁ぎ先がキャシディ公爵家だったからだ。彼女はキャシディ公爵の嫡男と結婚して幸せに暮らしているらしい。


『不思議だよ、君と過ごしたのはたった一カ月程だったのに、七年も会っていなかったのに、こんなに魂が惹かれるなんて……きっと〝運命の出逢い〟だったんだよ』

 なんてユーリは恥ずかしいことを真顔で言いながら、準備が整ったら必ず迎えにいくと言ってくれた。そして一年、連絡を密に取り合い、逢瀬を重ねて愛を育んだ。


 だからね、レナードとリアナのことはあまり責められないのよね、私だって浮気していたんだから。



   *   *   *



「ですから、私がその妹です、血は繋がっていませんけど」

 リアナは得意の甘える微笑みをユーリに向けた。


 エメリッヒ伯爵夫人はそんなリアナに憤然とした。

「連れて行ってですって?!」

「だって、ルーシェン王国のような大国の側妃になれば、今以上に贅沢な暮らしができるでしょ」


 今までさんざん贅沢してきたのに、まだ足りないと言うの?

 ここにいるリアナはただ可愛がられるためだけに連れて来られた愛玩動物のようなもの、感覚が麻痺するくらい無茶苦茶に甘やかした結果がコレなのね。


「俺が愛しているのはルシアだけだ、君をルーシェンへ連れて行くつもりはない」

「えーっ、私の方が可愛いのに、ユリスモール殿下は目が悪いんですか」

「なんてこと言うの!」

 さすがに伯爵夫人がリアナの口を押える。


「そうかも知れないな」

 こんな人たちをまともに相手するのもバカらしいと思ったのだろう、ユーリは苦笑しながらそう言うと、私を抱き締める手を強めた。

「贅沢がしたいなら今まで通りエメリッヒ伯爵夫妻に頼むんだな」


 伯爵夫妻はお互い気まずそうに視線を交わした。

 面倒を見る私がいなくなったら、将来リアナをどうするつもりだろう? お金で解決するのが無理なのはすぐにわかる、贅沢が身に染みついた頭お花畑をどう養っていくんだろう。


 レナードは言葉もなく茫然としていた。先ほどの発言でリアナは全く当てにならないことがわかったと同時に、自分の将来が詰んでいることに気付いたのだろう。婿に入るつもり満々だったから、身を立てる準備はしていないはずだ。文官の試験も受けていないし、騎士団入団の予定もない。学園を卒業した成人男性がいつまでも公爵家に身を置くわけにはいかないだろうし、路頭に迷う未来が見えている。


 まあ、私にはもう関係ないことだ。


「行こうか、ルシア」

 ユーリが私を抱き寄せたまま出口に向かうと、

「待ちなさい! あなたが行ってしまったら、この家はどうなるのよ」

 伯爵夫人が未練たらしく縋った。


「知りません」

「なんて薄情な子なの! 私たちを捨てるつもりなの!」


「なにをおっしゃいますか、それがあなたたちのご希望だったでしょ? やっとあなたたちのご希望に沿うことが出来るのです、八年もかかってしまいましたけど」

「八年?」


「お待たせして申し訳ありませんでした。この八年、私を見るのはさぞ不快だったでしょうが、八年前はまだ十歳の子供、どうすればいいのかわからなかったのです。だから、八年間で準備しました。在学中に上級文官の資格を取り、一人でも生きていける目処を立てました。今まで出していただいた生活費、学費等は、伯爵の代わりに無償でしていた執務の給金と考えれば十分でしょ」


 本当に私は家を出て、文官勤めをしながら一人で生きていくつもりだった。

 その時は、まさかユーリが迎えに来てくれるとは思ってもいなかったのだ。


「八年前とはなんのことだ? 私たちの希望だと?」

「お忘れになったのね、でも、私はハッキリ覚えていますよ」


 あの言葉を聞いた瞬間、私はあなたたちの子供ではなくなった。

 たぶん、あなたたちはそんなに深く考えていなかったのだろう。リアナが行方不明になって、混乱していたのだろう。でも、そんな時だから、つい出てしまった本音だ。


「おっしゃいましたよね、八年前、本物のリアナがいなくなった時に、『お前がいなくなればよかったのに』と」


 そう、だから私はいなくなる、やっとご希望に沿うことが出来ますわ。


   おしまい


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしましたので、他の作品も読んでいただければ幸いです。

 ☆☆☆☆☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なあ? 少し質問いいかな? その隣国の暗殺された男爵令嬢。本当に男爵家の実子なのかな? どこかの身元不明の女の子を養子にしたとか? 本物のリアナ、どこ行った? ↓ 以下、「勘のいいガキは嫌いだよ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ