【短編小説】先延ばし
連休も最終日になり、妻と二人で散歩に出たときの事だ。
ちょっとした公園を歩いていると、木の枝を咥えた犬が得意げになって歩いているのが目に入った。
飼い主の男は申し訳なさそうに頭を下げるので、こちらは和かに笑って返す。
犬は宝ものを拾ったみたいな顔をしている。
男が連れたもう一匹の犬がそれを横取りしようとしているが、なかなか上手くいかない。
まるで人間の少年たちみたいな微笑ましい様子を見て思わず犬を飼おうかなどと考える。
妻が小さなくしゃみをして、ふたりの生活に紛れ込んだ犬はたちどころに消えた。
「寒いか」
「まだ平気だけど、暖かい飲み物が欲しいな」
午後三時の太陽は既に心もとなく、なんとも眠たげな光を公園の池に垂らしていた。
自動販売機で暖かいお茶を買って渡すと、妻は嬉しそうに微笑んだ。
消えた犬が再び顔を見せる。
「犬、か」
ほんの少し先の約束。
それはすぐに冷えてしまうかも知れないけれど、その時はその時だ。
どうせ自分たちには未来が無い。
どれほどの長さがあるとも知れない突堤を歩くのに似ている。
それはとても長い可能性だってあるし、唐突に終わる可能性だってある。
とても長い夕暮れだ。
その突堤は何にも照らされず、ぼくらはその薄暗い群青色をした空の下に伸びる突堤を、ただゆっくりと歩くだけだ。
厭になったら、歩くのを止めたらいいさ。
そう言って笑うが、果たして君は納得しているだろうか。
「ぼくが歩けなくなったら、その時は体に繋がっているケーブルを抜いたり電源を切ったりしてくれよ」
「約束しかねるわ」
「それでも仕方ないけれど、やってくれると助かるな」
「助かるのはあなたであって、私は、救われないもの」
「そうだね」
やはり、ぼくたちに犬は飼えない。
ぼくが見ていた犬は、寂しそうに俯いて消えてしまった。
風が吹いて木々が揺れると、妻の顔に夕陽が当たり陰影が強くなった。
それが寂しい顔なのか、つまらない顔なのか判断しかねる。
君が歩けなくなったら、ぼくはどうするだろうか。
君に接続されているケーブルを抜いたり、電源を切ったりするだろうか。
少なくとも、今日ならおぶって帰ることができる。
公園の池はきっと浅いから、二人で入るには具合が良くない。
「少し歩こうか」
妻が頷き、ぼくたちは再び歩き始めた。
犬を連れた沢山の人たちとすれ違う。
ぼくたちが歩いている公園に集まった数々の犬たちはとても楽しそうで、どの犬も嬉しそうに尻尾を振っていた。
週末の大型スーパーではしゃぎ回る子どもたちにもよく似ている。
普段の散歩道より楽しいのだ。
いつもの散歩なら歩くのが厭になったりもするけれど、今日は違うだろう。
彼らが連れて歩く子ども達ですら。
夢。未来。
美しい朝日。それは明日の約束。
望むべくもないそれら。
個人的な事情。
ぼくらが歩き続ける突堤を延長させて朝日を臨むなんて言うのは身勝手な話だ。
こちらの勝手で顔を出されられる朝日の方はたまったものじゃない。
「それでも、幸福な瞬間は存在するってあなたは言ったじゃない」
「その光があるから、陰鬱な影の色だって濃く深くなるんだよ」
そしてその影が自分の存在と言うせいだと識っていたら、ますます濃く深い影になる。
「その太陽が欲しくて仕方ない人たちもいる。治療を頑張ったり、誘拐したり」
「そこまで欲しいものなの?」
「そう言う人たちもいる。そうじゃない人たちもいる」
「そうね」
「キリスト教の偉い神父さんは、子どものいないぼくたちみたいなカップルは犬や猫を飼うべきじゃないって言ってたみたいだよ」
「満たされてしまうから?」
「そう、犬や猫が太陽になってしまうから」
「そうね」
でも犬や猫はぼくを恨んだりしない。
ぼくの細胞に関係が無いからだ。
「まぁ、何も性急に決めることじゃないか」
「うん」
その顔は緊張から解放されたからなのか、倦怠から抜け出たからなのか、少なくとも午後三時の太陽よりは明るく、綺麗に光って見えた。
「今日のところは帰ろうか」
別の自動販売機で、また暖かいお茶を買えば良い。
そうやって少しずつ突堤を伸ばしていけば良いんだ。
犬が鳴いて、立ち木の奥へと消えた。




