第四章 冬 ― 最後の贈り物
冬の風が頬を刺す頃、陽翔の体は思うように動かなくなっていた。
学校も休みがちになり、ベッドの上で過ごす時間が増えた。
それでも、彼の心は不思議なほど穏やかだった。
“やりたいこと”のほとんどを、もう終えていたからだ。
ノートには、びっしりと文字が並んでいた。
「ありがとう」
「好きだったもの」
「伝えたかった言葉」
「生きてよかった」
ページをめくる指が震える。
しかし、その震えさえも「生きている証」だった。
ある朝、病院の窓から見える世界が雪で白く染まっていた。
「初雪だよ」
凛音が窓を開け、小さな結晶を掌に受け止めた。
「見て、きれい」
「……ほんとだ」
陽翔はその小さな雪を見つめた。
その一粒一粒が、命のように儚くて、美しかった。
凛音がベッドの隣に腰を下ろした。
「ねえ、陽翔くん。怖い?」
「……ううん。不思議と、もう怖くない」
「どうして?」
「残したい人がいるから。俺の中で、“生きる意味”ってそれだったんだと思う」
凛音は静かに頷いた。
そして彼の手を包む。
「私ね、あなたに会って、生きることをもう一度信じられた」
「……ありがとう」
陽翔はかすかに微笑んだ。
その瞬間、雪の粒が舞い込み、ふたりの手の上で溶けた。
その温もりは、永遠のように感じられた。
その日の夕方、陽翔はノートの最後のページを開いた。
そこに書いたのは、彼自身への手紙だった。
陽翔へ。
よくここまで頑張ったね。
悔いはあるかもしれないけど、
あなたはちゃんと愛されて、ちゃんと愛した。
それだけで、もう十分だと思う。
ありがとう、陽翔。
――さようなら。
ペンを置いた瞬間、胸の奥から込み上げるものがあった。
それは涙ではなく、静かな満足感だった。
“生き切った”という確かな実感。
夜。
家族が病室に集まった。
父はいつもより口数が少なく、母はそっと毛布を直した。
紗菜は眠そうな目で、兄の手を握っていた。
「ねえお兄ちゃん、もうすぐクリスマスだね」
「そうだな」
「プレゼント、なにが欲しい?」
陽翔は笑って言った。
「紗菜の笑顔」
「えー、そんなの簡単すぎる!」
「それが一番、嬉しいんだ」
母の瞳が潤んだ。
陽翔は気づいていながら、あえて何も言わなかった。
その夜、家族で小さなケーキを食べた。
白いクリームの上に、小さなロウソクが一本。
炎が揺れ、その光がみんなの顔を照らした。
陽翔はそっと願った。
“この光が、少しでも長く続きますように。”
数日後、悠真が病室に来た。
手には編集を終えたUSBを持っていた。
「例の映像、完成した」
「……見せてくれる?」
「もちろん」
ノートパソコンの画面に映し出されたのは、陽翔の笑顔、友人たちの声、家族の写真。
そして最後に、彼がカメラの前で語ったあの言葉が流れた。
「俺はもうすぐいなくなるかもしれないけど、俺の中にあった“想い”は、ちゃんと残ると思う。生きるって、誰かの心に触れることなんだと思う」
画面が暗転し、“ありがとう”の文字が浮かんだ。
陽翔は涙をこぼした。
悠真は無言で肩に手を置いた。
「……すげえよ、お前」
「ありがとう、悠真。お前がいてくれて、本当によかった」
「バカ。こっちのセリフだ」
ふたりは、言葉の代わりに拳を合わせた。
その一瞬に、すべての想いが詰まっていた。
凛音はその夜、病室にもう一度来た。
手に一輪の白い花を持って。
「これ、“雪椿”。冬に咲く花なの」
「きれいだね」
「花言葉、知ってる?」
「知らない」
「“ひとときの温もり”」
陽翔は微笑んだ。
「……まるで、俺たちみたいだ」
凛音の目から静かに涙がこぼれた。
陽翔はその頬を指で拭い、言った。
「泣かないで。俺、ちゃんと生きたから」
凛音は頷き、陽翔の手を強く握った。
「あなたがくれた言葉、ずっと忘れない」
「俺も。……ありがとう」
夜が更けていく。
雪は静かに降り続けていた。
機械の音が一定のリズムを刻む。
陽翔はまぶたを閉じ、家族と友の顔を心に浮かべた。
父さん、母さん、紗菜。
悠真。凛音。
ありがとう。
最後に見たのは、白い雪と、凛音の笑顔だった。
そして、深い眠りのように――
彼は静かに息を引き取った。




