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最後の一年 ―きみへ残す言葉―  作者: 無咲 油圧


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1/6

プロローグ 宣告の日

その日、空はやけに青かった。

夏の終わりを告げるように、遠くの蝉が最後の声を振り絞っていた。


病院の窓際で、少年はただ、空を見上げていた。

その名は――陽翔はると

十七歳。

普通の高校二年生だった。

いや、「だった」と過去形で語るのは、あの日を境に彼の世界が変わってしまったからだ。


医師の口から出た言葉は、あまりにも静かだった。

まるで、風がカーテンを揺らすように淡々と。


「進行性の心筋症です。現状の治療では、あと一年……いえ、正確には、残り十二か月前後と見られます」


時計の針が止まったような感覚。

陽翔はうなずくことも、泣くこともできなかった。

ただ、医師の口の動きを見つめていた。

“死ぬ”という言葉を聞いた気がする。

だが、その意味が脳に届くまでに、ずいぶんと時間がかかった。


隣で母が泣いていた。

父は、握った拳を膝の上で固く震わせていた。

病院特有の消毒の匂いが、やけに刺すように感じた。

世界の音が遠のいていく中で、陽翔はただ、ひとつの疑問だけを抱いていた。


――俺は、あと一年で何を残せるんだろう。


その夜、家の灯りは早く消えた。

母は泣きすぎて声が枯れ、父は無言のまま、リビングで酒を煽った。

妹の紗菜さなだけが、何も知らずに「お兄ちゃん、明日アイス買ってね」と笑っていた。

その笑顔が痛かった。


陽翔はベランダに出て、夜風を吸い込んだ。

八月の空気はまだ生ぬるく、遠くで花火大会の音が響いていた。

空に散る光の一つひとつが、命のように見えた。

瞬いては、消えていく。


「一年か……」


声に出してみても、現実味はなかった。

一年後の自分がいない世界なんて、想像すらできない。

でも、その未来は確実に来る。

誰が止めようとしても、時間は進む。


スマートフォンを開く。

SNSのタイムラインには、クラスメイトの楽しそうな写真が並んでいた。

文化祭、海、恋人との写真。

そのどれもが、もう自分には関係ない世界の出来事に思えた。


――俺だけ、時間の外に取り残されたみたいだ。


気づけば、画面が滲んでいた。

涙なんて出したくなかったのに。

けれど、止めようとしても止まらなかった。


嗚咽がこぼれた。

声にならない声が、夜の闇に溶けていった。


翌朝、学校に行く支度をしていると、母が言った。

「無理しなくてもいいのよ、陽翔」

彼は笑って返した。

「大丈夫。普通にしてたいんだ」


その「普通」が、どれほど貴重かを、彼は初めて知った。

駅までの道。

コンビニのコーヒー。

教室のざわめき。

どれもが、心の奥に焼きついていく。


席に着くと、隣の悠真ゆうまが声をかけた。

「おはよう、寝坊するかと思ったわ」

「俺そんなに寝坊キャラじゃないし」

他愛もない会話が、心にしみた。

言えない。

“あと一年で死ぬ”なんて、言えるわけがない。


授業中、窓の外に目をやると、校庭で誰かが走っていた。

その姿がやけに輝いて見えた。

“生きてる”って、こういうことなんだろうか。

汗をかき、息を切らして、必死に走る。

そんな当たり前のことが、どれほど尊いかを、陽翔は思い知らされていた。


放課後、屋上に上がる。

金網越しに、沈みかけた太陽が見えた。

世界は相変わらず美しくて、残酷だった。


「――なあ、悠真」

「ん?」

「もしさ、あと一年しか生きられなかったら、何する?」

唐突な問いに、悠真は目を細めた。

「……なんだよ、急に」

「ちょっと気になって」

「そうだな。俺なら、後悔しないように全部やる。好きな人に告白して、親孝行して、旅して、笑って……」

「そっか。いいな、それ」


陽翔は笑った。

でも、その笑みはどこか儚かった。


悠真は不思議そうに彼を見つめ、そして軽く肩を叩いた。

「お前、なんかあった?」

「……いや、なんも」


嘘だった。

本当は言いたかった。

でも、言葉にした瞬間、全てが終わってしまいそうで。

沈みゆく太陽を見つめながら、陽翔は心の中でつぶやいた。


――俺は、これからどう生きればいい?


風が頬を撫でた。

その温度だけが、確かに“今”を生きている証のように思えた。


その夜、陽翔はノートを開いた。

真っ白なページの一行目に、震える手で書いた。


「死ぬまでに、やりたいこと」


そして、その下に一つ目の言葉を綴る。


「誰かの心に、俺を残す」


ペンを置くと、不思議な安堵が胸に広がった。

それは、死を受け入れるためではなく――

生きるための始まりだった。

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