1話 ヒーローとは懐かしい響きだ
校門を出たところで皇がおもむろに口を開いた。
「目的地まで結構時間があるから、ここいらで簡単に説明しておこうか。」
彼女は言うと一歩前に進みだし、こちらを上目遣いで見る。
俺は一瞬ドギマギしてしまうが平静を装い、返す。
「頼む。」
彼女は見透かしているかのようにくすくす笑いながら続けた。
「では、そうだね。まず結論から言おう。この世界には人の数、いや森羅万象に物語がある。」
一息入れ、続ける。
「それを観測して、語り紡いでいこうということさ。私が観測者で君が語り部だ。」
「なるほど、だが観測者がそのまま語り部やったほうがいいんじゃないか?」
「いや、私そういうの苦手なのだよ。」
彼女はすらりと言ってのける。
まぁ、確かに苦手そうだ。
なんとなくだがわかったような気がした。
俺の好きな小説の主人公みたいで結構楽しそうじゃないか。
「残念だけど、私たちは主人公にもヒロインにもなりえない。言うなれば、劇場に来た二人だけの観客みたいなものさ。」
「なるほど、ね。」
まったく、人がせっかく興に乗ってきたとこなのにと辟易するが彼女はそれを知ってか知らずかそのまま続ける。
「具体的に説明しようか。理解するには一度体験した方が良い。ほら、遠いけどあそこをよく見てごらん。」
俺は彼女が指さした方を見てみる。
「全く見えん。」
「目を凝らして。」
進みながら彼女が言うようによく見てみると、小学校高学年くらいの少女が木の上を見つめていた。
「よく見えたな。」
「人より目が良いからね。それより、ほら。」
彼女の言葉で俺はようやく気付く。少女は木の上に手を伸ばそうと腕をパタパタしていた。何があるのか見てみると、子猫らしきものが乗っている。
「なるほど、おびえているのか。」
大方好奇心旺盛な子猫のことだ。そのまま登って行ってしまったのだろう。
「猫ならあの高さから降りられると思うが……。」
「まだそういう『経験』をしたことがないのだろうね。」
俺は同意して頷く。
あそこまでなら少し背伸びをすれば届きそうだ。
俺は小走りで木の下まで向かう。
「よっ、と。」
少々あくせくしたが、なんとか子猫を掴むことができ、少女に手渡した。
その時、後ろでなにやら息切れしている女がいたが、無視することにしよう。
「ちょ、ちょっと。いきなり走らないでくれたまえ。」
体力なさすぎだろうこの女は……。
「すまん、体が勝手に動いてな。」
皇は頬を膨らませるが、しょうがない奴だなと呆れ交じりに息を漏らす。
それを見ていた少女は目をパチパチさせて呆けていたが、腕の中にいた猫が少女の頬をなめるとハッと我を取り戻し、頭を下げる。
「あ、ありがとうございました!ベヒモスも、ほら。」
「ミャオ。ミャア。」
ベヒモスと言われた猫は気は進まなさそうだったが、主人の真似をしているのか人間らしい所作で首を前にやる。
「あ、ああ。」
俺は少々戸惑いながらも返すと彼女たちはそのままパタパタと走りさってしまった。
「一応、ありがとうとは言ってくれたみたいだね。」
「でも、俺様ならこれくらいどうってことなかったぜ。とも言ってるみたいだ。」
「いやまぁ、それでもいいんだが。」
あの子ベヒモスって言ったよな。どんな名づけのセンスだよ……。
「それに動物の言葉もわかるのか。」
「ちょっとだけね。ま、それは置いといて、だ。体験と言ったね。」
そういえばそうだった。少々驚いて頭から抜けていた。
「あの子が主人公の物語では君はピンチから救ってくれたヒーローというところだね。」
「ヒーローか。」
懐かしい響きだ。
「ふふ、男の子なら誰しもがあこがれるだろう?」
彼女は意地悪な笑顔で言うが俺は首を横に振る。
「昔はな。だがもう卒業した。」
俺が言うと彼女は寂し気に笑い続けた。
「そう、か。私は今もまだ、あこがれているよ。」
一瞬、静寂がながれる。
しかし、彼女は何でもないかのように笑みを浮かべて沈黙を破った。
「まぁ、端的に言えばこういう日常の中でも様々な物語が隠れているということさ。それを観測し、語っていくのが私たちの使命。」
大げさに言えばね、と続けて彼女は速足に進んでいく。
気丈にふるまっているがその背中はどこか寂しげに見えた。