第50話 変態猫、扉を開く
私は常に一番だった。
何をするのも一番でなければいけない、そう思っていた。
でも負けた。
一度ならず2度までも。
正々堂々と正面からぶつかり合って負けた。
その身を焦がすほどの悔しさは私を蝕むと同時に得も言われぬ快楽をもたらした。
他の者に負けたとしてもこうはいかないだろう。
だが恋と言えるほど綺麗な感情でもない。
この感情に名前をつけられない。
でもあえて付けるとしたら一つだけ当てはまるものがある。
それは……『期待』
私が全力を尽くしてもなお届かない。
力の差を見せつけられる。
自分が惨めで弱いのだと突きつけてくる。
わざと負けに行くなんてことは決してしない。
血反吐を吐くほど本気で努力し、全力で戦ってもあの男なら私を倒してくれる。
そんな期待を否応なく抱いてしまう。
だから私はあの男に自分をペットとして扱うことを望んだ。
他では決して得ることのできない快楽を得るため、そして何よりも己がプライドをへし折り決して天狗にならず、ひたむきに努力を続ける。
そして相手を侮らず全力を尽くす。
そんな戒めをこの身に刻むために──
◇◆◇
「はぁ……行っちゃったのね。ここからが楽しいところだったのに」
私は自分の雷の力で焼き切った縄を捨て、呟く。
先程の轟音は私にも聞こえていたし、今もなお凄まじい魔力を外からひしひしと感じている。
放置プレイだと思えば興奮しなくもないが、今はあの魔力の塊と遊んでくるほうが楽しそうだ。
(放置プレイはまた今度すればいいもの。あの魔力の塊はそうそうお目にかかるものじゃないし遊んでこないと勿体ないわ)
一人の武人として、最強の令嬢としてずっと孤独を歩み続けた者として。
自分より圧倒的に格上の相手と戦えることには心が躍る。
私は部屋を出てすぐにでもあの男の元へ向かおうとするがふと縄に縛られ、先程の轟音もあってか怯えたように座り込むリサの姿が目に入る。
(……まあ、ちょっとくらいなら遅れてもいいかしら)
私はリサに近づくと胸元の縄へと触る。
ちゃんと縛られているように見えて見た目以上に縄の縛りは緩かった。
きっとあの男がリサ相手に遠慮してゆるく縛ったのだろう。
(はぁ……あの男にはあとで説教ね。今はリサと少し遊ぼうかしら)
私はテーブルの上に置いてあったまだ余っている縄を手に持つと再びリサに近づく。
目隠しをしているからかリサは私が何をしようとしているのかわからず戸惑った様子を見せている。
「あ、あの……シャーロットお嬢様……?動けるのですか……?」
「縄とか手錠ごときで私が完全に動けなくなるわけないでしょう?」
「そ、それはそうかもしれませんけど……」
私も縛りは初心者だがまだまだ縛れる余地があると思う。
私は自分の感覚に任せてなんとなくリサを縛っていく。
すると先程よりも遥かに扇情的なリサが出来上がった。
私はその出来上がりを見てゾクゾクする。
(うん……中々いい出来ね……)
「シャーロットお嬢様……ちょっと苦しいです……」
「生命活動に支障は出ないように縛ってあるわ。少し外に出てくるからちょっとだけ待ってなさい」
「え!?このまま放置するんですか……!?」
「ええ、大丈夫。本当に少し遊んでくるだけだから」
そう言って私はリサの返事も聞かず部屋を出る。
そして魔力の反応がする方向へと走り出した。
(大きな魔力反応は一つ……戦ってるのはブラッドかしら?いずれにせよあの男はいないようね)
私は学園全体の魔力を探りながら内心そう独りごちる。
魔力で全員の場所を把握なんてできないけど飛び抜けた魔力を持っているかあの男の魔力だけは遠くからでもわかるようになった。
まあ一応ご主人様なわけだし魔力くらいは覚えておかないとね。
(ブラッドの加勢は面倒だしいらないわね。だけどあの男は……全然違う方向へ向かってる……?)
魔力を追うとあの男は飛び抜けて大きい魔力反応から離れていくように移動している。
だが私を倒すほどの男が敵を前に逃げるというのは考えづらい。
となるとそちらに何かしらの事が起きていると見るべきか。
刹那の思考の中、シャーロットはそう結論づける。
方向転換しエドワードの元へと走り出すと何もなかった場所から急にエドワードの近くに大きな魔力反応が現れた。
(へぇ……敵の出現を察知したのね。やるじゃない。私に勝った男なだけあるわ)
あの男の元にたどり着くまであと500メートルほど。
あと30秒もしないうちに到着するだろう。
いよいよ敵の姿が見えてきた頃、私は躊躇なく敵に飛び蹴りをお見舞いする。
敵は吹っ飛んでいき男は驚いたように私を見つめる。
「マクスウェル様……!?どうしてここに……!?」
「なんでって……こんなに楽しそうなことやってるんだもの。私も参加するしか無いでしょ?」
私の思惑通り、敵はほぼ無傷で立ち上がる。
やはり今まで対峙したどの敵よりも強い。
その事実に自然と口角が上がる。
(ギルバート、やるわよ。準備なさい)
『もう二度と我の前で情けない姿を見せるなよ』
(ふん、アンタは精霊らしく黙って私に力を貸していればいいのよ)
『ほざけ。我の力が貴様ごときの小娘に扱いきれるものか』
私は霊剣化したギルバートを構える。
激しい戦いの最中、男は私に援護することを伝えてくる。
相性の問題から私にトドメを託すらしい。
正直あの男がゲルナと名乗るこの敵を倒すのは無理だと思う。
自分と敵の力を正確に見極め見栄をはらず任せてくるのはいい判断だ。
(本当に面白い男ね。だったら私も自分の価値を証明しましょうか)
「3分稼ぎなさい。後は私がやるわ」
「了解!」
男が敵に突撃していくのを確認して私は目を閉じる。
あの男ならば私に攻撃を届かせることはない。
そう信じて魔力を練り上げるただその一つに全力の集中を注ぐ。
今まで私はたくさんの努力をしてきた。
武芸に花嫁修業に政治。
マクスウェル家の長女として様々なことを叩き込まれてきた。
だがその前提は間違っていたのだ。
努力は必ず報われる。
なんて滑稽な言葉なのだろう。
そんなの当たり前のことだ。
結果の伴わない努力は努力とは呼ばないのだから。
そんなのものはただの自己満足で終わる一流だ。
真の一流が為す努力とはできるまで励み続けること。
結果を残して初めてそれは努力と認知される。
自分に満足しては自分の終着点は決まってしまう。
その事実に気づいたからこそ私は変わった。
誰にも負けない最強の人間に……神の領域に達することが私の目標になった。
そのためにあの男に2度も敗北してから死ぬ気で訓練を繰り返した。
そして私は《《努力》》したのだ。
神の領域へと至るために──
「さあ、終焉の時間よ。死になさい……『天ノ鳴神』」
そしてその瞬間、私は神へと届きかけた。
雷を司りし雷神へと。
この世の存在がいくら足掻こうが決して届かぬ至高の領域に。
(へぇ……中々気分が良いものね。この世界って)
私の全身は雷に包まれる。
しかしその雷は私の身を灼くことはない。
全身が軽く、そして視覚、聴覚といった五感がこれ以上無いくらいに研ぎ澄まされ、全てが遅く見える。
「さあ……始めましょうか。蹂躙の時間をね」
私はこれ以上無いくらい気分良く笑みを浮かべるのだった──