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まず向かった先は、当然のことながら古着屋だった。お金は限りがあるのだから、節約は大事だものね。
と、つい先ほどまでトップレベルの高位貴族令嬢だったとはとても思えない考えで、ヴィオレッタは店に足を踏み入れる。
流石は学生の街と言ったところで、古着屋の取り揃えもなかなか若者が好みそうなものだ。
例えばブラウスでは、同じような白色が並んでいるように見えても、総レースのものや、たっぷりとフリルがあしらわれているもの、胸元の全面に刺繍が施されているもの、ビーズが縫い付けられているものなど、どれもこれも可愛らしい。
それがまさに、ヴィオレッタが頭を悩ませている理由だった。
(年頃の娘が着るにはちょうどいいでしょうけど、この年ではねえ...。)
見た目では違和感がないとわかってはいても、それでもやっぱり気恥ずかしい。これでも、もはやヴィオレッタは前世の自分ではなく、ヴィオレッタという一人の人間として生きている自覚はあるのだけれど。
そもそもが服を選ぶとなると、レイモンド殿下の装いや催しのコンセプトに合わせてばかりのところもあった。だから単に、年相応に着飾るのに慣れないというのもある。
年相応......こんな若い子向けの服装を、自分の「年相応」と言うのが、少しばかり無理をしているように感じてならないけれど...。
迷いつつも手に取ったのは、一番地味そうに見えた、袖口と襟の先を刺繍が彩る生成りのブラウス。
縁を囲うように施された刺繍は、ブラウスの色味も相まって古いキャンバスと額縁のよう。
手に取ってみると、刺繍は意匠化された春の草花の図案だった。どこか可愛らしい丸みある刺繍だ。
よく見たら使われている糸はほとんど黒に近い青緑色で、光の当たったときだけ色を見せる。
お洒落ね......。
使われている糸の色の深さや、エレガントなデザインから一見大人びているのに、小さな貝ボタンは少し形が不揃いで、自然な生成り色がどこか素朴。ヴィンテージらしい可愛らしさがあった。
あら。お安い。
買ってしまった。
やっぱり可愛らしすぎたんじゃと思いはしても、年甲斐もなく気に入った服を買えたことにそわそわしてしまう。いえいえ、これが年相応ということにしておきましょう。
これからは王家の婚約者として、流行や経済で服を選ぶこともないのだから。お洒落をする楽しみにも慣れなくてはね。
古着屋でのお買い物なんて、もしかしたら今世では初めてかもしれないわねえ。
次に入ったのは、打って変わって新しくオープンしたばかりのように見えるお店だった。
リネンのスカーフや木綿のハンカチが色とりどりに店先に並ぶ、染物屋だ。
真新しい白地に、水彩画のようなごく薄い風合いの色。むらのある染め方が前世の藍染に似ている気がして、それで足を止めたのだ。
製造にあまり手間がかかっていないらしく、商品は思った以上に安い。
売られている服も、スカートやワンピース、シャツといった、簡単な造りのものが多い。
その中でも目を止めたスカートは、ウエスト近くでは朱や鴇色、水色が重なり合って、紫色が淡く仄めかされている。裾に近づくほど色が濃くなっていって、柔らかい紫や赤紫がだんだんと藍に移り変わっていった。
朝焼けみたいな素敵な色ねえ。
ウエストのフロントは木製のボタンが三つ並んでいて可愛らしい。どうやらここでサイズの調整もできるようね。コルセットとは大違い。......今まで毎日着なければならなかったのは、本当に何だったのかしら......?
もちろん、買った。
これでやっと上下揃って、さっそくお店の中で着替えさせてもらう。もともと着ていたドレスは、畳んで古着屋さんで貰った紙袋に仕舞わせていただいた。
仕上げは足元ね。
少し先に、靴下専門店を見つけた。
刺繍の入った靴下、動物のお顔が描かれている靴下、貴婦人の手袋のようなレースの靴下。様々な靴下がある中で、やはりこの時期、表に面して並んでいるのは季節に合わせて春めいた色のものだ。
だいたいおいくらくらいなのかと、店の前で立ち止まって覗いてみた。
ううん...箱入り育ちなせいで相場がよくわからないけれど、これくらいのものなんじゃないかしら。
とはいえ、これに関しては少しくらい妥協する気もあった。こういった摩耗が激しいものは、長く使えるものを買っておいた方が、長い目でみれば安くで済む。
下手なところで安物を選ぶよりも、専門のお店で買っておきたい。
そこでふと、ヴィオレッタはワゴンの中の一つに目を止めた。
春らしい薄手の浅葱色。側面にはシックなシルバーの刺繍がされているけれど、これまた絵柄に愛嬌があった。
左靴下の側面には、もくもくと煙を吐き出す魔法の大釜で、中の薬がエメラルドの糸で表されている。
右靴下の側面は、インク壺に入った羽ペンと、羊皮紙の上の書きかけの魔法陣。壺の中のインクと魔法陣は、光沢のある紺糸で仕上げられていた。
魔法や魔術が教育課程の多くを占めるフォルティア学園の学生街ならではの絵柄なのかもしれない。
そういうわけで、靴下も買った。
最後のローファーは、雑貨屋で手に入れた。
カトラリーのセットや空の香水瓶が店の外まで押し出されている雑貨屋で、靴も何足か表にならんでいたのだ。
踵はないけれど女性的で上品なデザイン。気になって、近づいて手に取ってみれば、履き慣らされた風合いの茶色の革。
中古品のようだったけれど、手入れが行き届いているのが見て取れて、あまり気にならなかった。
内側は布張りになっていて、中敷きの褪せた布地の上に、工房の名前だろう流麗な筆記体とバラが一輪、アンティークゴールドの糸で刺繍してある。
他にも幾つか靴はあったけれど、試し履きさせてもらえばこれがサイズぴったりだったので、お買い上げさせてもらった。中古品ということで安くで手に入れられて、むしろ得した気分だ。
合計金額は、ちょうど銀貨四枚分ほど。金貨を切り崩す必要はなかった。
ちなみに、ドレスシューズは金貨三枚と銀貨三十枚に変わった。
足形からヴィオレッタに合わせて作ってあるため、貴金属のピンよりも売り物としての扱いが難しいのだろう。それでも、使われている材料や技術でこれだけ高くつく。
銀貨があと五枚で金貨に換えられたと思うと、少し惜しく感じてしまう。もっと高く売ればよかったかしら...。
外したアクセサリーや殿下に渡された書類などの一切合切を、古着屋からの紙袋に仕舞い込んだ。結婚証明書だけを目的地のメモ代わりに持つ。
歩きやすい靴に靴下。ドレスよりもずっと動きやすい服。
ヴィオレッタは足取りも軽く、辻馬車の行き交う大通りの方へ歩き出した。
目立つ恰好でもなくなったのも、視線が感じられなくなってとても楽ね。
いくら貴族の学生も多いと言っても、ここまで贅を凝らした盛装で歩く人間は珍しいわよねえ。今の時間は学園でパーティーがあるはずだと知っている者も少なくはないでしょうし。
それにいくら王都の治安は悪くないといっても、高価な装いのままでいるのはねえ...。
この先のことを考えると、ドレスをできるだけ汚したくないのもあった。今慌てて売るのではなくて、落ち着いたときに布地やレースを解いて部位ごとに分ければ、もっと高くで売れるでしょう。
靴の方はずっと持っているのにも邪魔になるからと、さっさと処分してしまったけれど......。
大通りにはすぐに辿り着いた。王都の中央にある大きな十字路にも繋がる道からは、さほど遠くない空に王城が望める。
王都の中央からやや北にある王城が、十字路に直面するように南側に顔を向けているためだ。
王城が北にあるのは、昔の王都がもっと北寄りだった証だ。だからこそ、旧市街も北にある。今ではすっかり南側が栄えているが、昔の王都の中心は旧市街だった。
その旧市街も今は、背の高い教会や、かつての名残りの広い公園広場に行き当たるばかりの静かな町だ。
ヴィオレッタは手を挙げて、ちょうど通りかかった辻馬車を止めた。
「すみません、旧市街地までお願いします」
手綱を振り下ろして馬を止めた御者は、身軽に御者台から飛び降りた。
「やあお嬢ちゃん。こんな時間からおめかしして、デートかい?」
着崩れた制服を直しもしないで、乗車の助けに手を差し伸べながら御者の男はにこやかに尋ねる。
服装が変わるだけで、こんなにも対応が変わるものなのね。
それが何だか面白くて、ヴィオレッタはくすくす笑いながら手を取った。
「ええ、そんなものです」
たしかに、間違ってはいない。なにせこれから結婚相手の家まで行くのだから。
「そいつはいい。これだけ美人なんだ、どんな男もイチコロだよ」
「お上手ねえ」
この国の男性陣はお世辞が得意な気がするわ。あれかしら、欧米文化なのかしら。ここは異世界だけれど。
話している間にも、御者はヴィオレッタが馬車を乗る手助けをして扉を閉め、また身軽に御者台に飛び乗った。
「旧市街のどのあたりかい?」
手綱を拾い上げた御者が、馬車を進ませながら訊いてくる。
「そうねえ、このまま道なりに進んでから北へ行って、住宅街に入ったら降ろしてくれれば」
「住宅街? 目的地ははっきりしてない感じかい」
「ええ。目印があるのはわかっているのだけれど......それがどこなのかは」
「へえ。まあ何もない街だ、目印があるなら見つかるだろうね」
「そう願っていますわ」