一方その頃 使用人たち
華やかに着飾った紳士淑女たちが戯れるパーティー会場。
──その隅っこに、使用人たちは固まっていた。
一人は侍女姿、一人は執事、はたまた庭師、給仕、ドアマンに至るまでてんでバラバラにざっと十数人。
その全員が、第二王子の婚約者付の、王家から選りすぐられたプロフェッショナルである。
普段は揃いの制服を身に纏い、主人の側に控え、あるいは遣いとして外へ出ている彼らがこのように別行動をしているのかというと。主人であるヴィオレッタ様の采配である。
せっかくの学園パーティーだ。勝手に休みを与えるわけにもいかないが、いつも世話になっている使用人たちにも楽しんでもらいたい。だから今日限りは、自分のやりたい仕事だけをするように。
そういう言で、料理が好きな者は厨房に、庭仕事が好きな者は庭に、といった具合で、ヴィオレッタ様は今日限りお付きの者をそれぞれの仕事に振り当てた。
まったく素晴らしいお嬢様だった。
あの王子がやらかし遊ばされてくださらなければ。
普段はプロフェッショナルな使用人である彼らは、器用にも落ち着いた表情のまま顔面を蒼白にしていた。
そっとお腹のあたりに手を添える者がいるのは、胃がキリキリと傷んでいるからだ。
「筆頭は?」
「今呼んでます」
と、そこに、普段は完璧な執事である現馬丁の、第二王子殿下婚約者付筆頭使用人が駆け込んできた。普段は鉄面皮の護衛である現給仕に連れられている。
「状況は?」
「男爵家の令嬢を抱いて御学友を引き連れた殿下が、ヴィオレッタ様が咎人であり、メイユール公爵家から絶縁されたと表明し、婚約破棄を宣言され、次の婚姻先は祖父ほどもご高齢で成り上がりの平民であると言い渡され、御学友と共に魔法をお使いになられてフォルティア学園から追放をされました」
「は?」
普段はベテラン侍女の女中が淀みなく答える。
圧の強い「は?」だった。
沈黙の答えに、わざわざ言われずとも偽りがないことを察したのだろう。
仕事の速い現馬丁の執事は、無言のまま庭まで連れてきていた馬でその場から駆け去っていった。それからさほども経たず、執事服に変わった現執事元馬丁が、同じ馬に乗って庭を駆けていくのが見える。
王城の方向だった。
このまま報告に行くのだろう。
「ヴィオレッタ様の御身を守るのがお役目だというのに、遂行できず...」
「辞任します」
「とある国では、腹を切って責任を取るのだとか」
普段は護衛をしている者たちは責任を感じていた。
「王子殿下の行いにわたくし共使用人が口を挟むわけには参りません。仕方のないことでしょう」
「我々は主の命を果たすのみ。その場にいれぬ仕事を任されたのも、高貴な方々の行いを遮らないのも、どれだけ口惜しくとも仕事の範疇です」
宮廷での働きが長く権力者との付き合いも理解している、普段は侍女をしている者たちが口々に慰める。
「今からでもできることをやりましょう。そこのあなた。ヴィオレッタ様が出て行かれた庭の右から、あなたは左から、範囲を広げてヴィオレッタ様をお探しください。他の者たちもこの二人に従い、連携して探されるように」
「承知いたしました」
元は貴族の家で侍女長をやっていたこともある者の言葉に、普段は馬丁や伝令をしている者たちは一斉に去っていく。
「あなた方は、校舎内をできるだけ早く見て回ってください。その体力を見込んでのお願いです。うち一人は大門の前に立って、ヴィオレッタ様がいらっしゃられるか確認してください」
「「はっ!」」
普段は護衛をしている者たちは、騎士らしく腹から返答の声を上げて素早く去った。
「残りの者たちは、ヴィオレッタ様のお側にいることの多いわたくしたちと共に、心当たりのある場所を回りましょう」
「まだいらっしゃるのでしょうか」
「そう願いましょう。最初は寮からです」
数秒で采配を済ませたプロフェッショナルたちは、あっという間に胃を押さえながらも散っていった。
残された者たちは、まるで葬式のように厳粛に、しかし葬列にしてはやけに速いペースで歩いていく。
「辞任したあとはどうします?」
ほぼ走っているような速さで歩きながらも息ひとつ乱さず、使用人の一人が平坦な声音で問いかけた。
「首かもしれませんよ」
「その前に辞めます。退職届は最低何秒で受理されるのでしょうか」
「なぜみなさん、ヴィオレッタ様が主人でなくなられたら、我々が第二王子婚約者付の使用人を解任されるように話されるのです?」
再び葬式のような沈黙が降り立った。
「そもそも我々は、第二王子とその婚約者両名のための使用人でございました。ほぼ陛下公認でヴィオレッタ様付となってお仕事をさせていただいておりましたが、その事実は変わりません」
「忘れていたかった...っ!」
「ヴィオレッタ様が執り行われた、進行中の事業も多々ございます。それは第二王子の名のもとで行われておりました。ヴィオレッタ様がいなくなられた今、その仕事は、殿下が......殿下と......我々は.........」
「殿下と......?」
「殿下と......!?」
そらからは誰も発言せず、沈黙したまま寮に辿り着いた。
ヴィオレッタ・メイユール公爵令嬢の居室をノックしても、返答はない。
静かに目を閉じ、現実と直面するための覚悟を固めて、侍女たちはドアを開けた。
もぬけの殻だった。
「......ヴィオレッタ様は慈善活動にも力を入れていらっしゃいました。教会や修道院とお手紙をやりとりもされていました。その中でなくなっている物がありましたら、そちらに行かれている可能性が高いです」
「では、手紙を中心に、どこに行かれたか手がかりがないか探しましょう」
「ヴィオレッタ様が普段どのような方とやり取りをしていらっしゃったか知らない者は、とにかく違和感を感じる物を報告してください」
「......手がかりになるかはわかりませんが、ヴィオレッタ様が書き残された手紙を見つけました」
ちょうどそのとき、他の場所にいた使用人のほとんども集まった。
「パーティー会場に待機していた者ですが、学園長が到着されました!」
「ああ、助かった......では、殿下と御学友の方々が今会場で繰り広げてあられる...お振舞い...は、これで一時的にでも鎮静したとみてよろしいでしょう」
「鎮静しますか...?」
「たしかに会場での騒ぎが収まれば、これで安心してヴィオレッタ様を追うのに時間が使えますね!」
「追えるほどヴィオレッタ様の動向を把握できたのですか?」
「いいえ」
誰も動向が掴めなかったとわかった途端、全員が興味を失って黙り込む。
かわりに、皆で手紙を覗き込んだ。
そこには、現在行っている事業の引継ぎが、丁寧に書き記されていた。
誰とどのようなやり取りをしたのか。いつ、次の予定が入っているのか。
簡潔ながらもわかりやすく、これを見ればどのような活動をしていたのか、大まかながらに見て取れる。
さらに、重要な役割には、きちんと引き継ぐに相応しいだろう者が列挙されている。
使用人宛には、職を辞す場合のことも考えて、金払いが良く使用人を必要としていそうな家々が並んでいる。
退職金の資金になりそうな物さえ置いてあった。
アフターフォローばっちりだった。
完全に自分はいなくなるつもりの手紙だった。むしろいなくなった後の指示しか書かれていない。
何も未練を感じられない。
デフォルメされた菫に描かれた、にっこり笑う顔も目に眩しかった。
婚約者である第二王子への心残りのような感情も、どこにも仄めかされてはいない。
名前に言及すらされていない。
使用人全員が薄々察してはいた。
いつも優しい笑みで、婚約者の振る舞いを受け入れる。どんなことをしていても、受け入れに溢れる姿勢で微笑ましく見守っている。
そんな主人に一度、レイモンド王子殿下についてどう思っているのか、侍女の一人が尋ねたことがある。
その答えがこれだ。
『レイモンド殿下? 学生気分に浸っていたいのでしょうね。二十年後あたりにご一緒に働ければいいわねえ』
以上。
かくいう彼女は、学生の身ながら忙しく、学園から離れることも多い。
それを気にしている様子は見られない。気にする理由があるとすら思っていないようだった。
ただ、第二王子の婚約者としての責務は完璧以上に果たす。
婚約者としての責務以上のことはしない。
もちろん、殿下の日常生活での振舞いに口出しなどしない。
業務に含まれていないからだ。
あれは完全にビジネスだった。
微笑ましく思っているのは本当のようだ。ただ、それだけだ。不適切に見られる行動を殿下が取ることがあっても、優しく見逃すだけで咎めはしない。
殿下と意見の齟齬があるような場面でも、対抗はせずに柔軟に笑って受け流す。
女性からああいう態度を取られるようになったら終わりだ、と側で見ていた男性の使用人の幾人かは思っていたが、その考えが口に出されることはなかった。
よく考えれば、婚約者として行動する必要のある場以外では、「レイモンド様」と呼んですらいない。
そんな彼女がビジネスから解任された場合、どのような対応をするのかというと。
侍女の一人が、結びの言葉を読み上げる。
今後は一平民として、王家の皆さまのご繁栄をお祈りいたします。
敬具。
ヴィオレッタ。
そしてコミカルな菫の吹き出しから。
献身的にお仕えしてくださった使用人の皆さん、今までありがとうございました。
お疲れ様でした!
「終わった......」
「うっ......吐きそう...」
「神よ...」
「精霊よ...」
「妖精よ、どうか私をあなたの国に連れて行ってほしい。苦痛なき世界で踊り明かすだけの存在になりたい」
「なぜ自分は働くことを選んだのか...?」
しばらくすると、やや逃避的な思考で使用人たちは現実を拒絶しだす。
「いやしかし、ヴィオレッタ様は公爵家の御令嬢。平民になると言っても、慣れぬ市井に戸惑っておられるはず」
「ドレスのまま外に出られたのです。民衆の中では目立ちもしましょう」
「王城に連絡が行くまでの間、少なくとも学生街を出られることはないのでは?」
「あの靴ではそう遠くにも行けないかと」
別の世界では、人はそれをフラグと言った。
ちなみに、まさにちょうどその瞬間、ヴィオレッタは靴を売り払おうとしていた。