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「レイモンド様。ご機嫌麗しゅう」
「......マリアンには挨拶も無しか」
あらあら...好きな子が放って置かれるのがそんなに嫌なのね。
でも自分の御身分を無視するのは、王族としてどうかしら......。ちょっと心配になりながらも、ヴィオレッタはマリアンに向き直ってカーテシーの姿勢を取る。
「いいえ、そのようなつもりはございませんでしたわ。悪く思わせてしまったのならごめんなさいね、マリアンさんも御機嫌よう」
「ひっ...! わ、わるくなんて......ご、ごめんなさい!」
「またマリアンを怖がらせるのか...!」
「まあなんてこと...怖がらせてしまったのね......」
まあ......いやね。若い子が嫌がることを無意識でしてしまう年寄りなんて。なんだか悲しくなってしまう。
それに、どうしましょう。怖がっているからなのか、マリアンさんがまだカーテシーを返してくれないわ。これは挨拶が終わったと考えていいのかしら。
王族と婚約者ということでロレンス殿下に一番に挨拶させてもらったけれど、さすがに先生がいらっしゃるとなると。はやくクレール先生に挨拶させてほしいわ。
マリアンさんに先に挨拶してしまったから、順序としてはもうすでに逆になってしまっているのだし......。
頭の固い年寄りがそうやって慌てふためいても、他の皆さんはすっかり気にせずにいるらしい。
それどころか、なんだか隊列のように一列に並んで、次に進む用意をした様子。
まあ。いつの間に。
列の中央にレイモンドが立ち、マリアンを腕に抱いている。
きつくこちらを睨むレイモンドに、ヴィオレッタも居住まいを正した。
若者の話の速さについていけなかったけれど、どうやらこれからレイモンド殿下より、ヴィオレッタへ何か告げることがあるようだ。
それならば、ヴィオレッタは臣従する立場の者として、しっかり拝聴するべきだろう。
「ハァ......もういい。お前の白々しい演技にはもううんざりだ」
心当たりがなくて、ヴィオレッタは黙っていた。
白々しかったかしら。
具体的にどのあたりが白々しかったのかしらね。
貴族である以上、多少なりとも腹芸は熟さないといけないのだから、いつの話かにもよるだろうし...。先週のお茶会のときかしら。
「この俺の名を騙り、権力を笠に行った数々の横暴もだ!」
あらまあ。そうだったかしら。
記憶を辿ってみても、これといって権力を使った覚えといったら、第二王子の婚約者として自然受け持つことになる職務を扱うときくらい。それも、仮とはいえ王族に籍を置く者の義務のはず...。
もちろん、婚約者の立場から、殿下のお名前や紋章をお借りして書類を纏めることもあったけれど。第二王子の婚約者のお役目を引き受けたとき、それも契約に含まれていなかったかしらね......。
でもそう言われれば、なんだか自信がなくなってきたわ。
もしも本当に、ヴィオレッタが王家の名前を笠に不正を行っていたとすれば、それは大変なことだ。
一体どんな場面でそのような越権をしてしまったのか...。これは確認を取らなければ。
「失礼して、発言の許可をいただいてもよろしいかしら」
「駄目だ! マリアンから聞いているぞ、醜い言い訳など俺は聞き入れない!」
駄目......あらまあ......駄目だったの...。
じゃあどうやって、気づかずにやってしまったという数々の横暴の確認をすればいいのかしら。
(それにしても、レイモンド殿下はよくそんなに難しい言葉が使えるようになったわねえ。)
心の中で、思わずそんなよそ事を考えていたのが伝わってしまったのか。殿下はますます目をきつくされる。ごめんなさいね。これからは心の中でも大人しくしておきましょう。
「こうまで言っても素知らぬふりか......!」
「落ち着いて、レイモンド。この女に何を言っても無駄だよ」
あら、選手交代のご様子。お次はフィエルト様。
「あくまでも知らない顔を続けたいなら、そうするといい。でもここではっきりさせておくよ。君のしてることは無駄だ。マリアンに何をしたのかすべて聞いている。ここまで言ったら、もう自分に何が待ち受けているのかわかりそうなものだけどね」
「やめとけやめとけ、わからないからあんなことしたんだろ。まあ、だから今報いを受けるわけだ」
「イヴァン。下品な君と意見が合うのは癪だが、今回ばかりは同意せざるを得ない」
次に登場したのは、イヴァン・サフィールさん。
商人の大家とは言え、平民のサフィールの御子息と公爵家のフィエルト様が下の名前で呼び合うなんて、知らないうちにとっても仲良くなったよう。良いわねえ、男の子の友情かしら。
「へえへえ、相変わらず嫌味ったらしいお貴族様だぜ。まあ、そういうことだ、運よく第二王子の婚約者に居座っていた性悪お嬢様。王家から出る資金も一体どこに消えてるのやら」
そう言って、ちらりとこちらを見るサフィールさん。
これはわたくしへの質問と受け取っていいのかしら...人に頼んで書類を持ってきてもらわないと、この場で詳しく説明するのは難しいのだけれど......。
「マリアンはいっぱい傷ついた。いっぱい泣いてた。ぜんぶ、ここで終わり。もうマリアンには手出しできない。僕たちが、させない」
あら......考え込んでいる間に聞き逃してしまったのかしらねえ。今何についてお話されているのかしら......?
「ジルベールの言うとおりだ! よくぞ今まで自分の生家にもレイモンドにも隠れて、と言ったところか。それも今日で終わりだがな。ヴィオレッタ・メイユール嬢。いや、もはやただのヴィオレッタ、だな」
あら。
これはロラン様。
「私の生徒たちの言うことをすべて聞いていたでしょう。これほどのことをしておいてまだ学園に通えると考えているなら、あなたは私の想像以上の馬鹿だ。しかしそんなあなたのために、ここではっきり言ってあげましょう。このマルセル・クレールの名にかけて、あなたは今日をもって、この栄誉あるフォルティア学園から追放される」
あらあら。
クレール先生......ここで挨拶を申し上げるのは、さすがにタイミングが悪いのでしょうね。
それにしても、皆さんよくくるくるとお話を交代できるわねえ。若さかしら。普段のパーティーやお茶会のようなところだと、もう少しお年を召されて落ち着かれた方をお相手することが多いから、なんだか新鮮だわ。
「哀れなものだな、ヴィオレッタ。メイユール公爵家からは縁を切られ、学園からは追放。だが、これも当然の報いだ! 身分が下のマリアンを虐め、権力を乱用する貴様は俺に相応しくない! ヴィオレッタ! 貴様との婚約を破棄する!!」
「あらまあ......」
(一周してまた殿下......。)
会場のどよめきを背に、びっくりして殿下を眺めていたら、書類が数枚足元に投げられた。
いったいどこに持っていたのかしら......魔法で出したのかしら?
「拾え」
これをどうしてほしいのかわからなくて眺めていると、殿下から声がかかる。
「次のお前の婚約者だ」
「あら...」
「これから貴様は、貴様が蔑む平民の、祖父ほども年上の男に嫁ぐのだ!!!! 幸い、成り上がりで金だけはあるらしいな。卑しい貴様には似合いだ!! お前に相応しい人間を用意してやったぞ、せいぜい喜ぶことだな!!!!!」
「まあ、それはご丁寧に」
床の書類を見て、少し考える。
メイユール公爵家の者としても、第二王子の婚約者としても、何かするために床に身を伏せるのは顰蹙を買うものだけれど......よくわからないながらも、お話を聞くかぎり今のわたくしはどちらでもないということなのだしねえ。
一生懸命調べてくださった書類を放っておくのも悪いと思って、ヴィオレッタは普通に膝を着くことにした。
散らばった紙を拾い集める。ついでに床で不揃いな角を揃え、重要な書類だったら外から見えないようにと、羽織っていたショールで風呂敷包みにすることにした。
きゅっと締めた結び目を持って立ち上がる。久々にしてはなかなか上手くできたのではないかしら。ちょっと嬉しいわ。
よっこいしょ。あら、つい。声には出てないわよね?
目を上げると、隊列の皆さんは何やら変なお顔。あら、マリアンさんは笑っていらっしゃるわ。今は怯えてはいないのね。わたくしも笑い返しておきましょう。
「何を笑っている!! 状況を理解していないようだな? 王家と公爵家から与えられた物は、もはや貴様のものではない。せいぜい馬鹿にしていた平民のように、身一つでここを出て行け!! 今すぐだ!!!」
クレール先生とフィエルト様に肩を押される。ロラン様とイヴァン・サフィールさんに腕を取られ、後ろの窓辺の方へ引きずられた。ジルベール様が放った風魔法が体にあたり、窓を飛び越えて庭まで押し出された。
その向こうで、マリアンさんに口づける殿下が見えた。
「あらまあ......」
ヴィオレッタはさっきと同じ言葉を繰り返した。
そういうことらしい。
なんというか、びっくりさせられることの多いパーティーだったわ。
さて。部屋に戻ったらお仕事をするつもりでいたけれど。これで予定変更ね。