7/日常を斬り裂いて
相変わらず春の訪れを感じられない日々。
ストーブの効いた心地良い教室ではクラスメートの面々が黙々と机に向かい世界史教師が黒板に書き連ねるわけの分からないカタカナの象形を、自らのノートだったりルーズリーフだったりに写していた。
話し声などは聞こえてこない。
比較的真面目な生徒が揃っているクラスだった。
携帯をいじっている者もいないのは今どきは珍しいか。
安西も神田も真剣に授業を受けている。
とは言っても俺と彼女達の席は離れているので遠巻きに見ただけの感想だが。
周りの雰囲気に流されて俺も取り敢えずノートにシャープペンシルを走らせる。
自分で書いてることの意味が分からないが。
一応俺も今年からは受験生だ。
今迄は大学などどうでもよかったが、最近になって考えを改めてみた。
さっさと自分の力だけで生きていけるようになる為にはそれが近道だと思った。
いつまでもこの生活が続くわけもない。
現実逃避しながら生きられるのは学生迄だ。
まだ少年だから色々と許されるが大人になったらそうはいかない。
大人になれば自分に情けをかけてくれる者なんていなくなる。
大人になれば何かをする度に面倒な約束事が付いて回る。
守らなければならないルールがある。それを破れば罰を受けなければいけない。
子供の内は説教で済んだものを、大人に説教しても仕方ない。
すでに人間が完成している大人に何を言っても無駄。
痛い目を見なければ気付かないのはみんなそうだ。
高校を卒業したらあの二人との関係はどうなるのだろう。
今迄通り続けるのかそれとも疎遠になってしまうのか。
安西との関係は神田のそれとは違うのだから対応が変わってくる。
俺としてはこれからも二人とは仲良くやっていきたいとは思っている。
それでもこの先どうなるかは分からない。
どうなるか分からない未来程不確かなものはないからな。
そんな今から考えてもどうしようもないことを指先でシャーペンをクルクル回しながら思考する。
世界史教師がテスト範囲とは関係無い世間話を始めたのだから俺のせいじゃない。
周りの奴らも顔には出さなくても面倒そうにしているのが分かってしまう。
こんな大人にはなりたくないな。
自分で自分のことが見えていない人間は見苦しい。
初めて出逢ったときに安西も言っていた気がする。
周りから煙たがられているのを自分では気付かない人間はやり方が悪いのだと。
そうゆう奴は喋っているときより黙っているときの方がいくらかましだと思ったときがある。
その人間の印象を決定しているのはやはりその言動が殆んどを占めているといっていい。
外見もそうだがその人間が何をどう感じそれをどう表すかを他人は注意深く観察しその人間がどうゆうタイプなのか判断する。
付き合っておいた方が自分にとって有益かそうでないかを決める足掛かりにする。
大勢の人間から見限られた者は、はい仲間外れの出来上がり。こうやって差別が起こる。
なんのことはない他の誰でもない俺のことだ。
誰からも必要とされない人間は必然的に仲間外れになる。
誰が考えても分かりそうなものだけど。
「あんた。真面目にやりなさいよ。今が何の時間か分かってるの?世界史の授業の時間なのよ。偉大なる先人に失礼じゃない」
一瞬誰が誰に話し掛けたのか分からなかった。
そんなシチュエーションに遭遇したことなんてない。
相手の方から声をかけられたことはいつからなかっただろう。
声の主を俺はその両眼で捉える。
次の瞬間。迫りくる凶刃。
迫りくる脅威。
風を切る物凄い音。
ズバァッ
唐突に起きたことに思考回路がついていけてない。
が、それでもなんとかその凶刃を両腕を交差させてガードする。
間一髪。まだ収まらない狂気。
完全に殺したはずの斬撃は更に牙をむき、俺の体重を軽く呑み込んで吹っ飛ばす。
抵抗する暇すら与えられずに教室の壁に叩き付けられた。何が起こった?
何だよ。
クラス中から視線を集めているじゃないか。
目立たず注目されずに生きていくつもりだったのに。
いきなり有名人になってしまったようだ。
いつまでも床に座っているわけにはいかないので立ち上がって汚れを払う。
俺の隣の席に座っていた眼鏡を掛けた女子生徒が片手で竹刀を構えている。
犯人はこいつしかいない。
「おいお前。何すんだよ」
いきなり竹刀で殴られたにしては穏やかに問い掛ける俺。
きつい目付きで俺を睨み付けてくる彼女は面倒臭そうに言う。
「あんたが悪いんでしょ。あんた不真面目なのが露骨すぎるのよ。そうゆうの不愉快だから」
なんだそれ。
どうしてそんなことで俺はお前に竹刀で叩かれなきゃいけないんだ?
周囲の沈黙が痛い。
全員の視線が世界史教師も含めて俺と彼女に集まっていた。
安西と神田の二人も例外ではなく。
「あんた言ってもきかなそうな顔してるから殴って話しきかせようとしただけよ」
理不尽だろ。そんな理由で竹刀を向けられてたまるか。
よく見ると彼女の机の下にその竹刀を収めていただろうケースが落ちていた。
俺はその攻撃に直前まで気付けなかった。
気付いたときには避けられるタイミングは無かった。それにだ。
こいつ今の斬撃を片手で椅子に座りながら繰り出したっていうのか。どんな剣さばきだよ。
俺は昔格闘技の経験があったのだが、敵にダメージを与える攻撃を放つ為にはしっかりとした体重移動が必要不可欠なのだ。
今のはいくら不意をつかれたとはいえ、完全に状態を崩された。
ブランクもあるだろうが線の細く見える少女に軽々とあしらわれたことが少しの屈辱。
だがこいつ普通じゃない。竹刀を構える姿を見れば一目瞭然。
竹刀と一体化しているかのような構えは見る者に違和感を与えない。剣で闘う者の構えだ。
彼女は落ちていたケースを拾い上げ竹刀をしまう。
こいつが竹刀を取り出したことさえ俺は気付かなかったのか。本当に鈍ったな。
「次は気絶させるわよ」
「だから俺はどうすればお前に気絶させられずに済むんだ?今のだって訳分からない。いきなり何すんだ。謝罪を要求する」
無駄だと分かってはいたが。
名前も知らない初対面の相手にこんな仕打ちができる奴が謝るくらいなら最初からこんなことはしない。
「今度またそんな私の機嫌を損ねるような態度でいたらとゆう意味よ。謝らないわ。私は悪くないもの」
思った通りの自分勝手な言い分。自分のすることを疑うことは決して無いという感じだ。
どんな時でも自分の力を信じられるという裏返しかもしれないが。
「なんだそれ?俺はお前になにかしたのか?竹刀の錆にならなきゃならないことを何かしたのか?」
「・・・存在が気に入らない」
存在を否定された。じゃあ俺は存在が気に入らなくて竹刀の錆にされそうなったのか。
・・・ここは落ち込むところか。
「とにかく・・・」
彼女は眼鏡を指先で押し上げる仕草をして。
「あんた気に入らないのよ。淡野観月はここに宣言するわ。私の視界に入ってこないでくれる?」
清々しく宣言された。清々しく拒否された。頼んでもいないのに。
告白する前にフラれたみたいな?
何でもいいけど知り合ってしまったのだ。
眼鏡を掛けた、その日のHRで見事クラス委員長に任命されることとなる彼女と。
俺の隣の席に陣取る彼女と。
鞄から伸びるように見えている竹刀に脅える日々も同時にスタートした。