6/知ることは辛いこと
あまりの寒さにまるで凍り付いているかのように静まり返っている校舎。
それでもこのドアを開けばいる筈だ。
逆に静けさが恋しくなる程のハイテンション女が。そして朝は不機嫌なローテンション少女も。勢い良く開く。
そうしたら予想が外れた。
それにしてもこのドアを開く度に予想を裏切られているような気がする。
安西が自分の机に突っ伏していた。だが神田の姿が見えない。
あいつ毎日早起きしている訳ではないのか?
それともやはり朝は苦手なのか。
安西の背後に音を立てずに忍び寄り彼女の背中を叩く。
「おいおい。あいつどうした。神田。やっぱり朝は弱いのかあいつ」
「うわっ。ビックリした。なんだ君か。ていうかやっぱりってなに?」
不味い不味い。想像の一部が漏れだしている。
「いや・・・なんでも。お前一人か。神田もいると思ってたからさ」
安西と二人きりになるとは思っていなかったので心の準備がまだ出来ていない。
お互いに次の言葉が出てこない。沈黙を沈黙で上書きするように。
「そっか。もうすぐ来るかもね。別に強制はしてないんだから仕方ないよ」
いやもしかしたらわざとかもしれない。
俺と安西を二人きりにしてやろうと、あいつなりに気を使ったということなのかもしれない。
「そうだな。来るかどうかはあいつの自由だったな」
嫌でも何かを期待してしまう。急激にペースを上げる心臓の鼓動。
その一つ一つが苦しい。それ以上俺を見ないでくれ。
「きっと来るよ。今にもその扉を開けてさ」
今は来なくて良い。もう少しこのままで。
安西の時間を独占したい。
自分以外の誰にも渡したくない。
永遠にこの教室に誰も来なくてもいい。
俺は近くにあった机の椅子を引き抜いて彼女のと向かい合うように座る。
「安西。いつまでだ?いつまでこの関係を続けるんだ?俺とお前はいつまでこのままなんだ?」
俺は彼女を我慢できなくて気持ちを押さえつけられなくなって思ってることが口をついて出た。
格好悪い言い方だ。
けどそんなことが気にならない位今の俺は盲目だった。
「慌てない慌てない。私はまだあなたのことを半分の半分も分かってない。
この前も言ったよね?
そんなんで無理矢理にしてもきっと上手くいかないよ。
君はもっとクールな人かと思ってたけど、そうじゃないことを今知った。
また一つ君を知れて良かったよ。今何もかも強引にしてしまったらそれすらもう出来なくなるんだよ。
お互いのことをちゃんと分かってないでお互いに唯一無二だなんて辛すぎるよ。
そんなの私は耐えられない。それに耐えなきゃならない関係なんておかしいよ」
もう一度突き放された。この前と同じようにこの前より強く。
彼女は自分の考えを覆す気は全くないようだった。
徹底しているな。
そこが彼女の彼女たる由縁だろう。
人との人間関係に容赦はしない。そこに情を挟んで曖昧にしてしまうことは決してない。
何処までも徹底している。
多分そういうところを全部ひっくるめて好きになったのだろうけど。
今はそれが少し邪魔。何でだよ。
どうしてそんなにも時間をかけたがる。
お前がどうしたいのか分からない。
「・・・悪い。俺のこと見損なった?俺のことを知って、俺がどういう奴なのか分かって、それで愛想尽かしたか?」
「ううん。そんなんじゃないよ。君のそんなとこが良いんだよ。優しすぎるのもつまんないじゃん。もっとお互いをぶつけ合わないと。お互いを知れないからさ。今はこれでいいの。もっと私に君を見せて」
彼女の指が俺の顔を目指して伸びてくる。
今度はデコピンじゃなかった。
俺の唇を塞ぐように添える。
俺はそれ以上何も言うことは出来なくなる。
彼女の仕草一つ一つは誰も邪魔できない空気を纏っている。
まあそうじゃなきゃ彼女は彼女ではなかっただろうが。
「今はまだダメだよ。もう少し待って。君のことを本当に特別にできる準備が整うのを待って」
「・・・」
彼女の作り出した空気は俺の反論を拒絶する。
俺の反撃を許さない。自分と俺との間に一線を引く。
俺からは踏み込めない断ち切れない線を。
俺は無言で頷くしかなかった。
俺の唇に添えられた指が離された。彼女は微笑む。
天使のようなはにかみ笑顔で。
どうして今そんな顔ができるんだ。暫くはまた無言。
俺はこの緊張感が抜けるのを待ち、今のことを無かったことにしようと心掛ける。
いつも通りに話し掛けた。
「神田来ないな」
「来ないね」
彼女が目を閉じた。何の前触れもなく閉じた。
一瞬気の迷いが起きたがすぐに捩じ伏せる。
違うこれは試されているんだ。
俺という人間をもっと知る為の行為なのだ。
この状況下で俺がどうするか見ている。
俺が何も行動を起こさないでいると、暫くして彼女は諦めたように。
「つまんないの。勘違いするかと思ってたのに」
本気で騙されると思っていたらしい。俺も舐められたものだ。
「そんな思い上がってなんかいない。お前がそういう奴だってことぐらい少し一緒にいれば分かる」
まだ出逢って間もない俺でもな。
「そっかー。バレちゃったかー。これでまた一つ私を知れたね。一歩前進だ」
後退の間違いじゃないだろうな。
お前のことを知る度にお前のことを遠く感じるのは気のせいだよな。
俺とお前はやっぱり違う者同士だ。
どうしようもなく遠い。
それでも、どうしても俺はその絆を壊したくない。
ようやくできた繋がりを守りたい。
ならばこいつの良いところ悪いところ、おもしろいところつまらないところ全て受け入れて初めて対等の人間関係が始まるのかもしれない。
「そうだな」
今は同意。答を出すのを先延ばしにして保留。
どこまでもいい加減だ。
どこまでもどうしようもない。俺という人間は。
本来なら誰とも関わらずに生きて、一人で生き続けどんなに辛くても生き続け、最後に誰の目も届かないところで死んでいく筈だった。
絶望的なその未来から目を背けながら無意味に生きていく筈だった。
その運命は変わらない筈だった。
変わらない筈だった運命が変わろうとしている。
俺はもう独りじゃない。
大嫌いだった孤独を振り切って諦めていた宿命を覆し、俺は変われたのか?
頭の中を様々な思いが巡っていたところに教室のドアを僅かに開け、中を窺う者がいることに気が付いた。
僅かな隙間から片目だけを覗かせて。
俺が気付いたことに気付いたらしく、ドアがゆっくりと閉じられる。
・・・おいおい。
すかさずドアを開ける。
その先に思った通りのローテンション少女が立っていた。
「えと・・・。その・・・。ちょっと入りづらい雰囲気で・・・。でも少し気になって」
「もういいから。さっさと入れ」
「ごめんなさい」
神田安住がすまなそうにしながら二人の間に割り込む。
「あっ。神田さんいたの?なんだすぐ入ってくれば良かったのに。そこ寒かったでしょ」
「え・・・ええと。ごめんなさい」
謝ってばかりの彼女。
その顔からは生まれたばかりの赤子のような戸惑いが窺える。
危なかった。
少し間違えばこいつに決定的瞬間を目撃されるところだった。あれ?
でもこいつはいいのか?
もうなにもかも知られているんだし。
俺達の事情を。知られてしまっていることだし。
「今来たの。今・・・。だからっ・・・」
最初から見ていたらしい。
会話を全て聞かれていたらしい。彼女の表情がそれを物語っていた。
「神田。分かったから。もういいよ」
彼女が不憫に見えてきた。
「いや・・・。私邪魔だったらどっか行ってるけど・・・」
「いいよ。話は終わったから。お前はここにいろ。どこにも行かなくていい」
彼女は胸を撫で下ろす。
動揺がようやく収まり、いつもどうりの彼女が戻ってきた。
「少し寝坊しちゃって、いつもより遅くなったんだけど・・・」
予想通り朝は弱かったらしい。
「そしたら中でどんな感じてになってるか気になってつい・・・」
要は好奇心か。彼女にも案外子供っぽいところがあったのか。
また一つ彼女を知れた。安西風に言うならだ。
「神田さん・・・。いやアズみんっ!」
「へ・・・?」
「は・・・?」
それはなんだ?いや大体想像はつくが。
「ニックネームだよ。神田さんって下の名前安住って言うんでしょ?だからアズみんっ。今からそう呼ぶことにしたからね」
「・・・まあ・・・良いけど・・・」
もしかして気に入ってたりして。
こいつも一応は女の子だからな。華の女子高生だからな。
友達からニックネームで呼ばれることに憧れていたって不思議じゃない。
それは年頃の少女なら誰でもやっていることだし。
神田がそれを望んでも全く不自然じゃない。
「はははっ。アズみんとか笑える」
「ちょっと?なんかバカにしてない?傷つくんだけど」
「嘘だよ。似合ってんじゃねえの?」
「もう・・・」
「あれ・・・二人共いつの間にか仲良くなってない?」
安西がそう言ってきた。
お前が仲良くしろって言ったんじゃねえか。
「悪いかよ。なあ神田?」
「そんなに仲良くないって」
安西にはそう見えるのか。
彼女に嫉妬して欲しい俺はやはり卑怯で小さい人間。
彼女に自分のこと以外を見ないで欲しい独占欲。
自分と神田との間の繋がりをもっと見せつけたい。
少しは苦しんだら良い。
彼女が俺のことで苦しむのを見たい。
俺はまた一つ自分を嫌いになってみた。
「良かった。仲良くなって。二人が楽しそうで私も嬉しいよ。」
本当に本当か?
本当に本当に本当に?
もっと悔しがれよ。
もっとその綺麗な顔に憎しみに歪んだ色を見せてくれよ。つまらない。
無反応が面白く無い。
「・・・カナデ、でいいのかな?」
神田が唐突に言った。
神田が彼女なりの勇気を振り絞って。俺達の方へ歩み寄ってくる。
「うん。カナデ。そうだね。そう呼んだら良いよ。アズみん」
やっぱり女同士の方が仲良くなれるのか。
仕方ないよな。女子二人に男一人じゃ。
俺だけ少し遠いのは仕方ない。別にいいそれくらいなら我慢できる。
我慢することは得意だ今迄もそうしてきた。そしてこれからもするだろう。
自分の感情を押さえ付けることを。
沸き上がる感情を捩じ伏せて現実的にならなければならないのだ。俺はこれからも。
この二人と関わり合う為に何かを我慢しなければならないことがきっとあるだろう。必ずやってくる現実が。
その時は・・・笑って傷つける自分でいたい。