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20/23

20/嘘をつきました……それも嘘でした

沈黙。誰もいない静まり返った体育館。


剣道部の活動が終了し、時間が止まっているかのように普段の喧騒を失っている空間。


普通ならそこには人の声があってはならない、人の気配があってはならない。


そんな沈黙の中に、私はいた。佇むように、立っていた。


無意味にではない。ちゃんとした、意味があってここにいる。


理由があってここにいる。全てを終わらせる為だ。


終わらせる為に、私は来た。もうすぐここへやって来る、悪党に思い知らせてやる為だ。


あいつの悪意を、敵意を、真っ向から打ち破る為だ。


早く来い。さっさと来い。私はもう、待ちくたびれている。


痺れを切らせている。待った。長い時間を待った。


来る日も来る日も待った。この日が来るのを、ずっと、ずっと待っていた。


ギイッ……


重い扉が、開く音がした。そして私の目に映る、一人の男子生徒の姿。


平均より高い身長。恵まれた体格。それでいて引き締まった身体。


きっと、女の子ならだれでも擦れ違えば振り返らずにはいられない、整った顔。セットされた髪の毛。


そして違和感だらけの表情は、私が前に見たときと変わらない。


心の中で何を考えているのか、分からないのが恐怖を掻き立てる、そんな不気味な印象を受ける一人の人間と、私は相対していた。


「安西先輩。久し振りですね。なんだ、あの手紙、先輩だったんですか? 何の用ですか。何の用があって、こんなところで二人きりで?」


彼は何の後ろめたさもなく、自然に私に話し掛けてきた。


「それは君が一番分かってるんじゃないの? 私にそれを言わせる気? だとしたら、やっぱり君は駄目だね。あのとき振っといて正解だった。私は君が嫌いだもん。」


「ねえ? ……近江君?」


オウミシュンが、私の目の前にいた。近江瞬が、そこにいた。


「酷いですね。俺は何も悪いことしてないっていうのに、嫌いだなんて、傷つきますね……」


「うるさいだまれ……」


「…………」


「私はやっぱり君が嫌いだよ。うん君が嫌いだ。だって、君は、……」


私はもう人を嫌いにならないと決めていたのに、……君だけは、君だけは……。


「君は醜い……からね」


「……へえ、そうすか、俺が、醜い、ですか……。ふうん、そういう見方もあるか。なんてったって世界は広いっすからね。そういう考え方もあるでしょう。この世界のどこかに、先輩が仲良くなれない人間が数えきれない程にいるのと同じで、そういう物の見方もあるでしょう。……そうですね。そうです」


彼は、そんなことを言った。まるで自分の非を認める気など毛程もないというような、そんな口調。


そんな目をしていた。嫌なことは全て、他人のせいにできる、そんな目を、していた。


「……私に嫌がらせをするのはどうして? 君、私に振られたのがそんなにショックだったの? そんなに私のことが好きだった? だとしたらおあいにく様。君全然タイプじゃなかったから。ごめんね」


彼は平然と、ただそこに立っているだけだった。私を見つめているだけだった。


「ごめんね。ごめんね。ごめんね。だから二度と近寄らないでね。不幸の手紙とかマジ古いし、ストーカーとかマジキモいし、盗撮とかされたって、それがなに? それそんなに楽しい? だとしたらやっぱりあんた狂ってるよ。誰かの不幸しか笑えないなんて、やっぱりあんた……」


思いっきり、体重を乗せた、平手打ちをくらわせた。パアンと小気味良い音が鳴る。

「私は嫌いだっっ」


「…………」


「大嫌いだっっ」


体制を崩す彼にもう一度平手打ち。パアンという音が体育館に響く。


これで終わりなのだろうか。これで全てはおしまい、なのだろうか。


ここ迄やれば、さすがの彼でももう手出しは出来ない筈。


嫌がらせは止まる筈。アズみんにもバレてしまったけど、もう隠す心配はなくなる筈。


これでなにもかも、悪い夢は去った。全ては終わり、夢は覚める。


悪夢はいつか、終わるのだ。だから、これで……もう……終わり……。


心の底から、感動が込み上げてきて、そして私の顔に笑みとして表れる。


あはははは。あはははは。あはははは。ねえ、神様ちゃんと見てた? 私、ちゃんと、……できた……


一瞬。私からの暴力を受けて呆然としていた彼が、全身の力を抜いたかのように、私にしなだれ掛かって、きた。


自然に、ごく自然に、起きたそれに私は反応できない。


彼の体重を感じ、そして……


彼がその綺麗な顔を不気味な程に劣悪な笑顔で歪めていることに気が付き、どうしてだろう? どうしてそんな顔を、して……ざく、ざくざくざくズブズブズブ


「……っ?」


あああっっっ。嗚呼嗚呼嗚呼っ。自らの腹部に走る絶望的な苦痛。


一瞬で全身を恐怖に苛まれ、支配され、私は無我夢中で、必死で後ろ向きに倒れこむ。


私は畳の上に倒れ、自分の身体から血の気がひいていくのを感じた。


力が抜けていく感覚。確かな痛み。確かな痛み。もう指一本さえ動かすことは叶わず、そしてそんなどうでもいいことがどうでもよくなる位に、私の周囲にたまっていく赤い水溜まり。


それは紛れもなく、疑いようもなく、明らかで、考える迄もなく……単純明快なそれは……やはり… …


「血だ……」


自分の制服を塗らす液体の鮮烈な、衝撃的な迄の赤さに打ちのめされ、最早恐怖するとか、動転するとか、狂乱するとか、そういった段階をすっ飛ばし、人形みたいになっていく自分がわかる。


血が、出てる……。出血してる。私の身体から、血が、でていて……


「はは、はははは、はは、ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ」


彼は笑って、いた。いや、ちがう。そんな笑い方があるものか。人間が、《あはは》なんて漫画みたいに笑うものかっ。


そんな作られたような笑い方……こいつは狂っている。壊れている。


最初からそうだ。最初から、分かっていたじゃないか。


こいつと私は、何から何まで《違う》のだ。違う人同士が、繋がり合える筈がない。


好き合える筈がない。分かり合える、……筈なんかなかったのだ。それを私は、分かっていながら、油断して、今こんなことになっている。そう思った。


私を見下ろす彼の手元にキラリと怪しく光る鉛色の物体を見ることができた。


……包丁……だった。


一体身体のどこからそんな物を出したのか。そんな疑問が沸いてきて、そして目の前に、彼の顔があった。


彼は私の身体の上にいた。私は動けない。苦痛に呑み込まれていくように、私は動けない。


彼は私の耳に口を添えて言った。


「……先輩。綺麗です……。前から赤が、似合うと思ってました。やっぱりそうだ。間違ってなかった。先輩には赤がよく似合う。……とても魅力的です。とても綺麗ですよ。この世で一番、あなたが綺麗だ」


私の身体を抱き締めて、そして全身を壊す位に激しく包容し、包容され、そしてまた言う。


「可愛いですよ。先輩。安西先輩。とてもとても、可愛いですよ。今にも枯れてしまいそうなその顔も、赤く染まったその服も、人形みたいに動けない身体も、全部、全部可愛いです先輩」


彼の制服のブレザーに、私の血液が付着する。彼は血塗れになるのも構わず私を抱き締めて繰り返す。


「やっぱり好きです。先輩。俺、今迄色んな女と関係してきましたけど……先輩が一番です。先輩が一番好きです。だから、だから、あんな奴のいないところへ、先輩を送ります。後で俺も行きますから、向こうで待っててください。一人にはさせません、よ。先輩」


彼がいう《あんな奴》とは一体誰のことだろう? そんな疑問は、浮かぶ前に消える。


今の私には、そんな思考を働かせることさえ困難だった。


意識が朦朧とし、意識が混濁し、意識が耗弱し、途絶えそうだ。今にも消えてしまいそう。


私は、死ぬのだろうか。…………………………………………嫌だ。


嫌だ嫌だ嫌だ。いやだいやだいやだ。イヤダイヤダイヤダ。


私は死にたくないっ。生きたいっ。生きたい生きたい生きたい生きたい。


嗚呼嗚呼嗚呼。こんなにも酷い。こんなにも絶望的だ。こんなにも、救いようがない。


彼に言った言葉なんか嘘だった。世界は、やっぱりきりがなくて終わりがなくて救いもなかった。


不幸は不幸で、不幸でしかない。不幸は、誰がなんと言おうが、自分がなんと思おうが、不幸だ。


ごめんね××君。私嘘ついたよ……。騙してごめんね。不幸は不幸でした。


彼がぶつぶつぶつぶつ小声で何か言っているが、もう何も聞こえない。何も感じない。


私はここで終わる。ここで終了だ。ここで終末だ。


あ~あ。うまくやったつもりだったんだけれどなあ。


うまく人気者になれた、つもりだったんだけれどなあ。


そんなにうまくいかないか。そんなに簡単にいかないか。


人生は甘くないし、世界は甘くない。


ていうかそんなの関係ないし、……人生とか、世界とかいうまえに私は一人の人間に殺されかかっているんだから。


一人の人間に、生命を剥奪されようと、しているのだから。


人生も世界もないか。あはは、あはは笑えるよ。


笑えて、笑えて、……そして泣けてきた。


泣けて、泣けて、そして笑えてきた。


メビウスの輪みたいに裏と表が繋がっていて、笑っているのに泣いていた。


誰かが助けてくれれば、いいのに。


誰かが助けてくれれば、いいのに。


今迄に仲良くなった皆の中の一人でもいい、一人でもいいから助けてくれれば、いいのに。


……分かってる。現実はそんなに甘くない。世界と同じで、人生と同じで甘くない。


そんなことは、分かって…………


「……安西ここに入ったのか? もうここしかないよな。ここしか。……でも変だよな。なんで剣道部の活動場所なんかに用があるんだ? 誰もいないぞきっと。淡野だって、きっともう帰ってる」


壁一枚隔てた、向こう側から聞きなれた声がする。


「う~ん。おかしいね。ここだと思うんだけど。カナデがこっちの方に行くの、見えたんだけどな」


「本当か? 神田?」


「あ~信じてないでしょ? 本当の本当に、見たんだってばあ」


もう一人。もう一人聞きなれた声。


私は笑いたくなって、そしてやっぱり泣いた。


救いはやっぱり、あるのかもしれない……

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