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19/救ってくださいお願いします

くっ……どうしてっ……。


どうしてっどうしてっ……。


バシンバシンバシンッ。


バシンバシンバシンッ。


なんだこれは。どうなってしまったんだ私は。


身体が重い。剣が鈍い。腕が固い。足が棒のよう。


そして恐い。恐ろしい。嫌だ、もう戦いたくない。私の目の前のこの少年を傷つけるなんて、恐ろしくて、恐ろしくて。


そんなこと、……できない。嫌だ嫌だ嫌だ。


やめろ。もう何も考えるな。集中、集中だ。いつもの私に戻れ。戻るんだ。


何を恐れることがある? 今迄通りにやればいいだけのことじゃないか。


何をためらっているんだ私は。何を恐れているんだ私は。

バシンバシンバシンッ


バシンバシンバシンッ


苦しい。胸が締め付けられているようだ。闘いの最中で、こんなことは今迄になかった。


こんなに辛いなんて、闘うことが恐いなんて、こんなにも恐ろしいだなんて……。


そんな極限状態に追い込まれ、私は誰かの言葉を思い出す。


《俺はもう闘わないって。誰かを殴るのはもう飽きたんだよ。くだらない》


あああっっっ! やめろっっっ! 私はっ、私はっ……。


バシィッッ


そして私の竹刀は宙を舞った。私を守るものは、もうない。竹刀がなければ、もう終わりだった。


「部長。俺の勝ちです。やっと勝てました。長かった。……本当に長かった。やっと、あなたに勝つことがっ……」


目の前の少年は、微塵の容赦もなく私に向かって竹刀をふりおろす。


その面の奥に、残酷な笑みが見えた気がした。恐ろしい笑顔が……。


「……できるっっ!」


バシィィンッ


勝負はついた。私は敗北した。私は負けた。負けた負けた負けた。


信じられなかった。信じることができなかった。


いつもは逆だった。竹刀を弾かれるのは彼の筈だった。


それなのに、それなのに……。


今無様に丸腰を晒しているのは私だった。


彼は、勝ち誇るように私を見下ろす。


「ありがとうございました。部長。これで次の大会、自信がつきました。部長のおかげですよ。淡野先輩」


「……そう。良かった、わね……。近江君、強くなったわね……」


嘘だった。彼はいつも通りだ。彼は変わらない。


変わったのは私だ。私はどうなってしまったんだ。


私は震えながら立ち尽くす。もう彼を見ていたくなかった。


彼が恐い。恐ろしい。不気味な笑顔。綺麗な顔をして、それでいて違和感だらけの表情。


その全てが、恐ろしい。


私は逃げ出した。更衣室へ走った。走って走って走って、走った。


その私を、他の部員達が見つめている。


どうしたどうしたと、指を差し合う皆。その全てが恐ろしい。


その全てに恐怖した。


私は扉に手をかける。ギイッと音をたてて開く扉。中に滑り込んで、そして崩れ落ちた。


今朝と全く同じに、全く違う理由で。


面を外し、胴を外し、小手を外し、軽くなった身体を抱えて。


ただ、ただ、泣いた。込み上げてくる涙は、ただ、ただ、溢れだす。


どうしていいか分からない。どうすればいいか分からない。


どうなってしまったのか分からない。どうしてなのか分からない。


苦しかった。とにかく苦しかった。


それでも涙は止まらずに、私の頬を通り過ぎていき、道着に落ちる。


染み着いた涙を拭い、涙が溢れだす目を擦った。


止まれっ、止まれっ、止まれっ!


私は部長だ。剣道部の主将だ。その私が、こんな姿を晒すわけには、いかないっ。


しかし、その思いに相反するように止まらない涙。流れ続ける涙。


助けて……誰か助けて……私を救って、くださいお願いです、誰か……。


……そして、私はようやく思い出す。今朝起きたことを、事細かくに夢想する。


私は嫉妬していた。どうしようもなく嫉妬していた。


彼と仲良くする彼女達。二人が憎かった。どうしようもなく、憎かった。


そして私に向かってきた彼女に、咄嗟に反応してしまい、振りかざされた暴力。


私は安西奏に、ただ怒りをぶつけただけだ。


彼女に嫉妬の炎を燃やし、彼女をその火で焼いてしまいたかった。


彼女を壊し、彼女がいなくなれば、私のことを見て貰えると思った。


彼が、私だけを見てくれると思った。


……彼が好きだった。私は彼が好きだった。


今迄誰か異性にこんな感情を抱いた事はなかった。


男性という存在は、私の中では常に闘うべき相手でしかなかったし、お父さん以外には数える程にしか負けたことがない。


ましてや同年代の男の子に、心を奪われたことなどない。


私には男も女もない。全ては倒すべき相手、だった。


それが……あろうことか、好きだなんて、そんな自分が恥ずかしかった。


そのような幼稚な感情を抱いている自分が情けなくて……それでもそんな自分を否定しきれない、相反する感情が、私の 中でぶつかり合い、そしてただ苦しいだけだった。


好きって、こんなに苦しいことだったなんて……。


こんなに胸が痛いなんて……。


憎しみと隣り合わせの感情だなんて……。


それなら、それなら……好きになんてなりたくなかった。あいつのことなんか知らなければ良かった。


同じクラスになって、同じ授業を受けて……そしてあいつの人形みたいな表情をみたとき、無性に嫌だった。


まるで、この世に自分独りしかいないかのような、諦めたような冷たい顔をしたあいつに、私は竹刀を向けた。


これ迄も、よく分からないものには取り敢えず竹刀をふりおろせば良かった。


それでなんとかなったからだ。私はそうやって生きてきた。


でも違った。彼に痛みを与えたとき、私にも痛みが走った。


私は驚いた。そんな経験は生まれて初めてだった。


痛みは与える物であって。共有する物ではなかった筈なのに。


私はその場では平静を保つことができた。


そんな感覚は気のせいだ、と思い込むことで私は私を保つことができた。


更に私は、記憶のページをめくる。


彼が練習中に体育館にやってきた。そこにいる彼が、あまりにも不自然で、最初はその事事態を疑った。


でも……それは現実だった。そして、私は嬉しかった。


何を思ったのか、そんな暖かい思いが心の中を埋め尽くしていった。


馬鹿な。私は、彼に会いたかったとでもいうのか?


彼の顔を見たかったとでもいうのか?


そして私は感じた。

彼の殺気、というか戦闘者としての気配を感じた。


一瞬で理解した。彼は私と同じなのだと。


そして私は思った。彼のことをもっと知りたいと。彼をもっと知ってみたいと。


そして……気が付いたら、好きになっていた。


どうしようもなく惹かれていたのだ。


教室で隣の机に座ると、彼の顔をつい見てしまう。


そのことを絶対に彼に悟られないように、細心の注意を払って。


彼が別の方向を向いていると確認に確認を重ねて、そして初めて彼の顔を見る。


そして見つめ過ぎて、気付かれそうになったときもあった。


そして今朝、思えば二人きりで話したのはそれが最初。


私は、彼の顔をまともに見れなかった。


どうしても、目を背けてしまう。だって、だって……恥ずかしいから。


多分彼にも分かっているのではないか……?


私が彼を避けているように、彼の目に映ったかもしれない。


そう思うと、また胸の奥が痛かった。


ズキンズキンと、捻れるように痛むのだった。


そして、彼があんなことをきいてきたのには、私は動揺を隠せない。


私は期待してしまった。もしかしたら、××も、私と同じ気持ちでいてくれているのかも、と。


そんなありもしない妄想を膨らませて。


私は愚かだった。どうしようもない愚か者だった。


なぜなら、彼女の姿を見つけた彼の顔を、見てしまったから……。


あの照れ隠しのようなツンとした平静を装うかのような、でも本当は嬉しそうにしていたのが私には分かった。


だってそれは、私が彼に向かって被った仮面に、よく似ていたから……。


だから私は確信した。彼の心には彼女しかいないのだと。


そんな知らなくていい真実は、私の心には、重すぎた。


《良かったな。勝手にやってな》


彼の言葉が蘇る。


《俺達はお前とは違うんだ。》


突き放しているように見えて、実はそうではない照れ隠しのような。


《朝からお前の滅茶苦茶に付き合ってられないんだ。一人で暴走してろ》


嗚呼酷い。彼の、彼女に向けられた言葉ばかりが蘇る。


悲しみは続く。そして終わらない。


私はどうすれば良いのだろう。


誰か、私を救ってください。お願いです。


助けて、ください。お願いします……。

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