17/友達だから
「あいつら遅くないか? いつも二人して誰よりも早く教室二人占めしてるだろあの二人」
「……まあ確かに、そう言えばそうね……」
「……」「……」
ところで、だ……。
なんだろうこの空気は。このなんとも言えない虚しさは……。
「遅いよな。あの二人……」
「そう、ね……」
ふう、どうしてこうなってしまうんだろうな。
まあ、こいつと正面切って二人きりで、水入らずの一対一でいるのは初めてだけれど、それにしたってここ迄違う物だろうか。
一対一でも、周りに誰かがいるときには何の問題もなく接することができるのだが。
周りの喧騒が無くなってしまうだけでどうしてこうも変わってしまうのだろう。不思議である。
いや、その理由というか、原因のようなものに少なからずの心当たりがないわけではない。
簡単だ。彼女が俺を避けている、ような気がする。
というか上手く言葉で表せないが、それでも無理矢理に表現するならば、つまりはそういうことになる。
まるで俺に話し掛けられるのが怖い、みたいな。俺に話し掛けて欲しくない、かのような。
そんなオーラを全身で感じてしまうのだ。俺の勘違いであって欲しことではあるけれど。
俺は彼女みたいな奴のことをどうしても嫌いにはなれないから、むしろ好きだ。
恋愛感情とは少し方向が違う好意、である。
ベクトルが違う感情だ。好意というよりは憧れ、のような感じなのだ。
自分に迷うことなく、自分を迷うことなく、真っ直ぐにひたむきな彼女はもしかしたら、俺がそうありたいと願っていた理想の人間なのかもしれなかった。
こんなふうに自分を周囲に振りかざすように颯爽と「生きていく」ことができたら、さぞ気持ち良いことだろう。
自分には絶対に無理なことだから、できない生き方だから、彼女のことを羨ましいとさえ思う。
安西奏が万人に好かれる人間ならば、淡野観月は万人に頼られる人間だ。
さすがは委員長、今では既にクラス中にその存在を、実力を認められており、何か問題が起こる度に彼女がそこへ赴いては、あっという間に片付けてしまうのだ。
とは言え、俺達は既に高校生、半分はもう大人。
高等学校迄きて殴り合い、蹴り合い、取っ組み合いの子供のような喧嘩等起きる筈もない。
大抵は平和的な問題である。例えば「淡野さん、これどこに貼ったらいいかな?」とか、
「淡野さんこの問題が分からないよ~」とかいう感じだ。
このクラス自体が優等生というか、人畜無害の集まりだということを差し引いても彼女は良くやっている。
既にクラスにとってなくてはならない存在だ。必要不可欠な人間だ。
彼女自身が魅力的な人間だということもそれを手伝っている、
綺麗に整った顔。形の良い小さな輪郭。サラサラのセミロングの髪の毛。
そして男勝りなルックスがそれら全てをひっくり返し、この美少女は何もかも格好良い。
眼鏡が似合う、インテリ美少女。
委員長であり、剣道部の主将であり、なにより頼れるお姉さん、ときては異性からも同性からも好かれない訳がなく、当然のように安西と同じく人気者に落ち着いている彼女。
しかし、皆と仲良くするというよりは、クールに冷静沈着に淡々と人間関係をこなすというイメージ。
いつでも自分と周りとの間に線を引き、その上で他人と付き合っている彼女。
そんな彼女のことが、俺はやっぱり嫌いじゃない。
「……ところでさ」
「……何よ?」
あまりにも退屈になってしまい、さすがに痺れをきらした俺はそんなことをきいてみた。……少し興味があった、のかもしれない。
「……淡野って彼氏とかいんの?」
「な、なんでそんなこと、きくのよ?」
「いや、なんとなく……」
「か、彼氏なんて……」
心無しか、彼女の顔が紅くなっているような気がするのは、俺の都合の良い思い込みだろうか?
「彼氏なんていない……。いたことないし……」
「へえ。意外だな」
モテるだろうに。こんな美少女を放っておく程に、こいつの生きてきた道には目の節穴ばかりなのだろうか。
「……そんなの考えたことないし、私は竹刀振ってれば良かったし……」
彼女にしては珍しく、うろたえている様子。彼女らしくもない、そんな顔をするなんて。
まあしかし、彼女のことをまだ半分も知れていない俺がそこ迄言ってしまうのは、結論を急ぎすぎだろうか。
俺のまだ知らない淡野観月という人間を、新たに知ることができたのかもしれないのだし。
「……それに、彼氏なんてバレたらお父さんになんて言われるか……考えたくない……」
「お父さん? バレたらどうなるんだ?」
「……殺される」
「殺さ、れるだって?」
「……その相手が」
恐いっ。恐すぎるっ。……つまりはあれか。
彼女の父親は、彼女を誰にも渡したくないと……いうわけか。
我が娘が、目に入れても痛くないと、いうわけか。
「ちなみにお父さん、私より強いから」
「強いってなにが……」
「剣道に決まってるでしょ。家、道場なのよ。」
「ああ成る程。そうだったのか。家が道場ねえ」
それが彼女の、淡路観月の他者と一線を画す強さの理由か。
家が道場。生まれたときから剣士になることが、決まっていたのだ。
それが人として、一人の女性としての幸せかどうかは俺には分からない。
だけど、少なくとも彼女を見る限りでは不幸ではないだろう。
「それは、凄いな。……大変、でもあるか」
「別に……私にとってはそれが当然で、当たり前だから」
それはそうだろう。俺だってそうだ。
俺にとっての日常は、誰がなんと言おうが、誰に否定されようとも俺の中ではそれが普通なのだ。
俺にとってはそれが当たり前。ずっと独りが当たり前。
……だった。ついこの前迄は、
彼女に出逢う、そのときまでは。
「……じゃあ、××は彼女とかいない、の?」
「俺?」
彼女は座っていた机の椅子から立ち上がり、教室の窓側に向かって歩きながらそう言った。
「俺は……今は……」
俺に彼女と呼べる存在は……。
「……今は、いない」
「そっか……いないんだ……」
その彼女の顔は教室の窓に向かっていてこちらからは窺えないが、なんとなく嬉しそうな、安心しているように見えたのは……どうだろう、やはり錯覚なのか。
都合の良い思い違いなのだろうか。
「それじゃあ、ええと……その……あの……」
「……?」
ガラッという教室のドアが開かれる音に、彼女の次の一言は呑み込まれることとなった。
彼女の言葉を最後迄きくことは、ついに叶わなかったのである。
何を言いかけたのだろうか?
「暖か~い。幸せ~。ほらほらアズみんもはやく~」
「わ~本当。あっ、二人ともきてた」
「お前らにしては、遅かったな。なんだ待ち合わせでもしてたのか?」
二人同時、という点に俺は疑問を抱き、先頭でドアを開けて入ってきた安西にそう問い掛ける。
「ん? いやいや違うよ~。偶然そこでバッタリしちゃったわけですよ。これって運命? ××君羨ましい~?」
「良かったな。勝手にやってな。神田、朝からこいつの相手するのは大変だったろう? ご苦労だったな。まあ座れ」
「え、ううん。大丈夫、だよ」
「あ~、××君ひど~い。なんで二人していじめるのよ~。アズみんとおんなじようなこと言ってる~」
「俺達はお前とは違う。朝からお前の滅茶苦茶に付き合いきれないんだ。一人で暴走してろ」
「あ~もういいよ。だったら……」
そうすると彼女は対象を変更し、窓際から俺達のやり取りを眺めていた淡野に照準を合わせるように、近寄って……。
音も無く、忍び寄り、彼女の身体に抱き着こうとして……そして……。
「やめろっっ……!!」
……え? 何だ? 彼女は、淡野は何故か感情を高ぶらせて叫ぶ。絶叫して、いた。
ズバァッ
風を切るような音がしたかと思えば、彼女が安西が頭を押さえて戸惑っていた。
まるで、頭を思い切り強く殴打されたかのような、何故そうされたのか理解が追い付かないでいるかのような、そんな苦悶の表情をしていた。
そして恐る恐る彼女の方を見つめる。
淡野が竹刀を振り抜いていた。いつの間にか、手には竹刀。
顔に激昂の成り損ないのような表情を貼り付けて、容赦の無い暴力を安西に向けていた。
一体、何を、しているんだ……お前は……。
「淡野。お前何、して……」
「……っ!」
彼女は我を取り戻したかの様に自分が今したことを理解し、そして……表情を歪めてただ立ち尽くすのみ。
「……い、痛。痛いよ。痛い。酷いなミズキ。ちょっとふざけた、だけだよ」
「……あ、あ、ああ、私……なんで……こんな……」
彼女は竹刀を投げ捨てるように取り落とす。
カランという音がして、彼女がその場に崩れ落ちるのが同時だった。
俺はその一連の異常を、ただ呆然と傍観していた。
何だこれは? なんなんだこの馬鹿げた筋書きは……。
シナリオがあったかどうかも疑わしい、冗談で済まされない冗談が、今まさに、俺の眼前で起きてしまった。
いや、これはまだましだ。まだ取り返しがつく失敗だ。間違えるんじゃない。お前。何を指をくわえて黙っているんだお前は。何をしているんだ。馬鹿かお前は。さっさと動けこの愚か者。この状況を誰が打開するんだ?
「安西大丈夫か?」
お前だろうが××。お前意外に誰がいる?
「……えっと私は、大丈夫、だけど……」
「そうか良かった。」
「……う、うん」
そして、俺は彼女のもとへ。この場で今一番助けを求めているだろう彼女のもとへ歩いて行き、うずくまって震えている彼女と目線を合わせるようにその場に膝をついてこう言葉をかけた。
「淡野大丈夫か?」
すると彼女は怯えたように俺と目を合わせると、そしてだんだん顔色が戻っていく。表情が僅かに緩んだ。良かった。
「わ、私……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめん、なさい……」
「いいよもう謝るな。お前は謝らなくていい」
「え、え……?」
ここは、この場では彼女に最大の助けを、最高の希望を、俺ができる限りの優しさを、彼女が再び立ち上がる為の力を、彼女の強がりの笑顔をもう一度、取り戻す為に。
「もう大丈夫だ。良かった。もう大丈夫だ。良かった。取り返しがついて、良かった。やり直しができる、良かった。良かったな。淡野観月。お前のことを誰も責めたりしない。後はお前がどうするかだ?」
俺の「良かった」をきく度に、少しずつ、少しずつその顔を上げる彼女。
そしてその綺麗な顔に一筋の涙が流れているのが見てとれた。
ごしごしと手で涙を拭う彼女は、いつもの淡野とはまだ遠かったが、それでももう大丈夫だろう。
「安西さん……ごめんなさい。私、どうかしてた。頭、大丈夫? 痛かったでしょ? 本当にごめんなさい。……私のことを、許してくれる?」
「大丈夫だよ~。気にしない気にしない。……ミズキも人並みに女の子だったんだね~安心、したよ~」
「……あ、安心?」
淡野は、安西がそう言うと、疑うようにそうきいた。
ふう、そうだよな。それはそうだよな。彼女を助けられるのが俺だけなんてことはなかった。
ここにもう一人、どんな奴でも相手が宇宙人だったとしても仲良くなってしまうかもしれない、友達全てが親友で恋人だと思いこんでいる、安西奏がいるじゃないか。
ハハ。バカじゃないだろうか俺は? 一人で思い上がってまるで道化だ。
でも、それでも哀れなピエロにでも、できることはある。今、彼女に手を差し伸べることが、できる。
彼女を救い出すことが、できるじゃないか。
「ミズキも私達とおんなじで、何処にでもいる普通の女の子だって。面をつけて、竹刀を握れば最強の剣士になるかもしれないけど、そうじゃないときは、落ち込んだり、何かに当たりたくなるときもある可憐で儚くて、でも強い女の子なんだって知ることができたからっ。私は嬉しいよっ教えてくれてありがとうっ」
「何で、そんな、私、酷いことをした、よ……。暴力を振るったんだよ? それに理由をきかないの? 私がこんなことした理由っ。なんで安西さんのことを叩いたのか、剣道をやっている私が、面もつけない、竹刀も何も持たない丸腰の女の子を、一方的に打ちのめした、そうするに値する理由を、私にきかないのっ……?」
「「きかない」」
同時だった。俺と安西、二人の言葉が重なって強い想いになって彼女に向かってゆけ。淡野観月に分からせてやれ。
「なんでっ? どうしてっ? 私は、暴力を、……」
「友達だから」「友達だからだよ」
今度はタイミングがずれはしたが、言いたいことは全く同じ。俺と安西は、同じことを思っている。
「友、達? ……それ、だけ?」
「それだけだ」
「そうだよ~」
「友達……」
俺達がいいたいことはそれだけだった。俺達は、彼女に伝えるべきことをちゃんと伝えたと思う。
彼女もそれをちゃんと、しっかり分かっていると思う。
とにかく俺達は、そこで他のクラスメート達がやって来て話しを中断することになった。
それ以上続けることはできなくなったのだ。いやもう充分だと思うけどな。
そんな淡野は俺の隣の彼女の机につき、ぼんやりと前を向いて座っていた。
そして俺と目が合うと、気まずそうに目をそらす。
あれ? またどうして、周りに人がいるときには大丈夫なんじゃなかったのか? 果たしてどういうことなのか。まあいいか。
とにかくそんな感じで、淡野観月は、正式に仲良しメンバー入りを、果たしたことに、……やっぱりなるんだろうなあ。
また友達が増えた。
まあ、竹刀を置いて話す分には面白い奴だけれどなあ。