16/彼女の為ならば
「アズみんっ。おはよっ。」
「あっ。カナデおはよ」
ばしっと背中を叩かれ、飛んできた挨拶に私は、挨拶を返す。
私をその呼び方で呼ぶのは一人しかいない。
それを抜きにしたって、聞き慣れた友人の声を忘れるわけもなく、その声で自分のことを呼んでくれることにむしろ感謝してしまうような、綺麗で美しいバイオリンのような声の知り合いはやっぱり一人しかいないのだった。
「こんなところで会うなんて、運命かな? 運命なのかな? 私とアズみんの切っても切れない絆のおかげかなー?」
「……そんな大げさな。偶然だよ。毎日通ってればそういうこともあるって」
それもその筈。私やカナデが通う高校は、もう目と鼻の先。
という程でもないが、もう見えてくるくらいだろう。
どちらかといえば都会に位置する私達の学校は、駅からそう離れていない。
交通の便の良さは学生の人気の一つで中々の有名高だ。
その上、そんなに勉強しなくても普段の努力を怠らなければ楽にパスできる入学試験なども相まって、入学志願者が絶えないという面白い学校だった。
中学生から受験勉強なんかで青春を灰色に染めたくなんかない、という人達に担任の教師がそれなら、と勧める学校で、それはそれで需要はあるみたいだ。
まあ、ぎりぎり迄重要な選択から逃げて逃げて、向かい合えない人達なのかも、しれないのだけど。
それは私も同じようなものなのだし、自分のことを棚に上げて勝手なことは言えないか。
「ふあ~。眠いや。毎日早起きするようになっても、私そんなに朝強くないんだよね」
「へ~。そういえば××君もそんなこと言ってたかな? アズみんは朝弱そうだって。そんなこと言ってたような……」
ふうん。なんでかな? 私そんなふうに見られている? いや実際そうだけどさ。
「でもカナデは違うよね。布団から出たときと学校で私達と話してるときのテンション同じでしょ?」
「あ~アズみんひどい。そんなことないよー。私だって朝起きたら可愛くあくびしたりするよ。くあ~って」
アハハ。アハハ。アハハ。
そんな他愛もない朝の会話をしていた。
そんな些細なことがこんなにも、楽しい、嬉しい、充実していた。
こんな平和な日々が、こんな夢みたいな日々が、いつまでも続けばいいな。
きっとそうなるよ。きっとそうなる筈。きっときっと大丈夫。
そんな未来が私を待っているのだと、私は私に言い聞かせる。
そうすれば、きっと本当にそうなると思って。
「もう××君いるかな? 淡野さんはいるかな?」
「淡野さんは分からないけど、××君は来てるかもね。」
「そうだといいな~」
「そうだといいね~」
そんなことを話しながら、私達は学校を目指して歩いている。
もう見えてきた。早く行かなくちゃ。彼や彼女が待っているかもしれないから。
彼や彼女を待たせてはいけない。
独りぼっちでいることがどれだけ寂しいことか、どれだけ悲しいことか、どれだけ苦しいことか、私はしっているから。
だからこそ、私は皆に優しくできるのだと思う。
その辛さを知っているからこそ、その苦しみを知っているからこそ、本当に追い詰められている人に手を差し伸べてあげられるって、私は信じているから。
それを気付かせてくれた彼女の隣を今日も歩くんだ。
私はこれから彼女にいっぱい感謝しなければいけないな、と思う。
彼女がもし本当にどうしようもなく追い詰められているときに、私が側にいて彼女を救ってあげられればいい。
……でもその役目はもしかしたら、私ではないのかもしれないけれど。
「う~寒いよ~。も~いつになったら春が来るのかな? もう四月も終わる頃なのに、今年の新入生が可哀想だったな。とうとう桜、見れなかったよ」
「そうだね。可哀想。春も酷いことするよ。」
ようやく私達は校門に到達。
早朝からご苦労様だ。警備員のおじさんに挨拶をした。
おはようこざいま~すって。
そのまま私達は、馴染み深い教室の存在する校舎を目指し、到達。
下駄箱に通じるドアを開き、まだ人気の無い校舎に足を踏み入れる。
「早く教室いこ~。ストーブきいてるかな~」
「そうだといいね」
何気なく、自然に、彼女は、安西奏は自らの上履きが入っているだろうロッカーに手をかける。
そして開けた。
開けて、そして……
どさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさ。
私は一体何が起きたのかと目を疑った。
私は一瞬、彼女がロッカーを開けたのにも関わらず、そこにあるべき空間が見えないことに驚いた。
え?……なん、で?
それは錯覚だった。なんというか見間違いだったのだ。
だって、そんな異様な状態にロッカーがなっていることなんて私は、見たことがなかったのだから、それも責められることではない。
どさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさどさ。
一瞬の驚愕が収まり、ようやく冷静さを取り戻した私が、ようやくそこにあるものを理解した。
それは、大量の手紙だった。
ロッカーを、飽和状態に追いやる程の大量の手紙と呼ぶべき封筒らしきものが、そこにあるべき空間を埋め尽くしていた。
少しの隙間も残さすに、ロッカーを埋め尽くしていたのだった。
彼女はそこに立ち尽くすだけだった。
茫然自失。時が止まったみたいに表情を凍らせて、そこに立ち尽くすだけだった。
「……カナ、デ。……それ、何?」
私にはそうきくことしか、できなかった。だって、他にどうすればいいの?
「……あ~あ。油断したよ」
「……え?」
「まさか今日に限って、アズみんと偶然会って、その後だなんて、は~あ。もうやんなっちゃう」
「……」
私はどうしていいか分からなくて、それでも私はその手紙の中から一つを取り上げて開封。
彼女の顔を伺ったけれど、別段嫌がるような素振りを見せなかったので、少し安心して中身を確認。
すると。中には、最悪しか無かった。
「うっ……」
私の中でそれが何なのかを理解して、私は手紙を取り落とす。
指から逃げるように重量に逆らわない紙片。
それは彼女への、安西奏への紛れもない敵意で攻撃だった。
「お前の全てを呪ってやる。お前の運命を呪ってやる。お前の人生を呪ってやる。お前の未来を呪ってやる。お前の過去を呪ってやる。お前の家族を呪ってやる。お前の友達を呪ってやる。お前の恋人を呪ってやる。……を呪ってやる……を呪ってやる。…を呪ってやる。…………」
それはどこまでも続く、それこそ呪いのような地獄の言葉だった。
終わることのない、永遠のような絶望を感じる文字の連なりだった。
そこには何も無い。ただ最悪があるだけだった。
最低しかなかった。最低の最悪があるだけだった。
「これは……」
きっと、他の手紙にもこれと似たような、全く別の敵意が刻まれているのだろう。
同じ人間の、全く別の形での敵意が刻まれているのだろう。
そう思うと私は吐き気がした。誰がこんなことを……。
……絶対に許せない。
驚愕は一瞬で、簡単に敵意に変わった。
私は彼女を苦しめているであろう存在に、今も彼女が苦しんでいる事実を嘲笑っているかもしれない存在に、容赦の無い敵意を向ける。
「……まあ、そういうことなんだよね~」
「そういうことって……」
彼女はそれでも笑っていた。本当に笑える程、可笑しいわけないのに。
本当は苦しくて、泣いてしまいそうな筈なのに。
……それでも笑っていた。
「……ダメだよアズみん」
「……え?」
彼女の突然の言葉に、私は面食らった。ダメってなに?
「これは私が自分で解決しなければならないことだから、アズみんは巻き込めないよ……」
「……でも」
私は気付いた。私は誤解していた。
彼女の笑みは、決して嘘なんかじゃなかった。
彼女は心の底から、笑っていた。
それは勝利を確信しているような、自分を一切疑うことのない目だった。
「でも……先生とかに助けてもらうとか……」
「それもだめ。これは私の問題だから、私が自分でやらなきゃいけないことなの。……お願いだよアズみん。少しでいいから、待っててくれないかな? 私の為に待っててくれないかな?」
彼女の真剣さに、私はこれ以上追及することの無意味を理解した。そして、仕方なく。……
「……うん。カナデがそう言うなら、……少し、だけだよ」
私にはそう言うことしか、今の私ではそれしか彼女への言葉を持たなかった。
本当に悔しいけれど。
「ありがとうアズみん。ありがとね」
彼女は私に感謝する……。今の私に、そんな資格なんか無いのに。
「……その代わり、何かあったら絶対私に言ってね。約束、だからね」
そういうことしか、できなかった。自分は本当に弱い。
「分かってるよ。友達じゃん。そんなの当たり前だよ」
「そっか……ならいい」
その場は仕方なく、それ以上話すことは無くなってしまったので、私達でロッカーから溢れてしまった手紙を集めて破ってゴミ箱に捨てた。
その作業をしているときでも、彼女はその表情を崩さない。
彼女が頭の中で何を考えているのか分からなくて、少し怖かった。
その後で私達はようやく教室へ向かう。
そうだ。私は、この後彼や彼女にどんな顔をして会えばいいのだろう。
彼女は当然のように、何があったのか私が二人に打ち明けることを許さないだろう。
私は、二人を騙してこれからいかなくてはならないの?
そんなことを想像するだけで、この身が消えてしまいそうで怖かった。
でも、それでも、これは彼女の為なんだ。
彼女を助ける為なんだ。
彼女を助ける為ならば、私は嘘も吐こう。
彼女がそれを望むのなら、私は嘘吐きにもなろう。
彼女の為なら、どんなことでも怖くない。
よし私は頑張れる。彼女の助けに、やっとなれるんだ。