15/俺の部屋にて
「うわーひろーい。それにキレイ。君の家お金持ちだったんだ? びっくりだよ。オドロキだあ」
「そうか? そんなに楽しくねえよ。こんな牢獄みたいな家に一人だけだ。住めばわかるさ。俺の気持ちが」
分かって欲しいとは……思わないけど。
理解して貰おうなんて、思っていないけど。
「ん? 一人? お母さんとか、お父さんとかは?」
「あ……いや……」
しまった。口を滑らせた。
できれば秘密にしておきたいことだった。
「それは……」
「……そっか。分かったよ」
「……?」
「もういいよってこと。今はまだ話さなくていいってこと、だよ」
ああ、そうか。
これは彼女の、安西奏の優しさ、か。
ここは追及するよりも、知らないでいることを選んだ。
知らないでいてくれるだけで、こんな俺がどれだけ救われることか……分かってくれている。
「……悪い。その……ありが、とう」
彼女のそんな優しさに、俺はまた素直になれた。
俺はまた一つ自分を好きになってみた。
「ん? なんのことかな? よく分からないけどなあ。あはっ」
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
お前と出逢えて本当に良かった。
こんな小さな俺なんかを、見捨てないで救ってくれてありがとう。
「……まあいい。廊下で立ち話も難だろう。こっちだ」
「はーい」
場所は自宅。時間は夕方。人数は二人。俺、安西。
なんということはない。映画館を後にした俺達は、駅前のデパート街で適当に時間を潰していたのだが、
「××君の家に行きたいっ。ねえねえねえー。いいでしょいいでしょ? 行こうよ行こうよっ」
俺は彼女に振り回されてばかりだ。彼女の言うことをきいてばかりだ。
けれど、今はそれが普通になっていた。
今はそれが嫌じゃない。
まあいい。
……こうして彼女を我が家に招き入れたわけだ。
いや最初に招待するときはあいつらも、神田とか淡野とかが一緒だと思っていたから。
二人きりになるとは思っていなかったから……。
少なからず、少ないながらも、少なくとも意識してしまうんだって。
仕方ないだろ。だって俺は、こいつのことが好きなんだから。
どうしようもなく、惹かれているのだから。
「あれー? ここは何の部屋かな?」
俺が目を離した隙に廊下から繋がる扉を見つけて手をかける彼女。
……俺の部屋。っておい。
ガチャリ……
止める間もなく部屋内に侵入する彼女。あーあ。
「んー? あっもしかしてもしかすると?」
俺の方に向き直る彼女。
もしかしなくても紛れもなく俺の部屋だよ。
「勝手に入るな人の部屋に」
嫌な予感が猛烈に込み上げてくるのは恐らく気のせいなんかじゃないだろう。
パチッ
部屋の電気のスイッチを入れた音がする。
「突入ー! ゆけゆけーカナデ探険隊っ まだ見ぬ秘境をめざしてっ!」
「……お、おい」
探険隊ってお前一人だろっ。
……じゃなくて。
勢いよく部屋内を物色し始めた彼女を追って俺も既に開けられたドアをくぐる。
「やめろっ! お前は空き巣かっ! プライバシーだプライバシーを考えろっ」
彼女の肩を抱くようにして暴走を止めようと……した迄は良かったのだが、なんというか、場所が悪かった。
場所が……。
ベッドの真横じゃなければ、ただのふざけ合いでしかなかっただろう。
冗談で済まされていたに違いない。
「……」「……」
彼女も己が今置かれている状況を理解したらしく、普段はそうは見られない赤面になっていた。
そんな彼女の表情は変に魅惑的で誘惑的で、俺を迷わせた。
狂ってしまいそうだ。これ以上見つめていたら。
俺も彼女と出逢って間もない頃には勘違いしていたのだが、彼女はガードがゆるいように見えて実はそうでもない。
むしろ鉄壁だ。難攻不落。
だから、彼女のそんな表情はめちゃくちゃレアなんだ。
「……悪い」「……ごめん」
お互いに謝り合う二人。
「……ああ」「……うん」
お互いに許し合う二人。お互いに許し合って、お互いに分かり合う。
二人の他に誰もいない部屋の中でそんなことをしていた。
少し落ち着いた後、二人は身体を離す。
つまり暫くの間二人は抱き合う形になっていたわけだ。
そのときの俺はどんな顔をしていたんだろう?
どんな顔を彼女に見られていたんだろう?
訊いてみたい気もするし、訊かないほうがいいような気もする。
ちなみに彼女はほのかに赤みがかかった顔だった。
間近でずっと見つめていたい衝動に駆られるような、儚くてそれでいて可憐な色をしていた。
今にも崩れてしまいそうな、そんな色を。
していた。
彼女は急に、唐突に話し始める。
「あのさ、一つだけ訊きたいことがあるよ」
「……なにが?」
「君が私に初めてかけた言葉。君と私が初めて出逢ったときのこと……」
俺と安西が初めて出逢った……とき。
「こう言った、よね。どうして無理してまで人気者でいたがる振りしてるの?って」
ああ。言った。覚えてるさ。昨日のことのように。はっきりと。
「あれってどうして? 何で私が無理してるって思ったのかなって……」
……それは。
「いや、別に深い意味とか確かな理屈とかがあるわけじゃ、なくて。俺には理解できなかっただけ……なんだよな」
「……どうゆうこと?」
「ほらさ、お前なら分かると思うけど俺って他人と関わり合うのが苦手なんだよ。他の奴らがどうやってお互いに分かり合えるのかが分からないんだ。」
それは生まれながらにして俺には無かったもの。
俺とその他大勢との違い。差別。区別。
欠落した思考。見解の相違。
どうすれば、自分のことを理解してくれるのか、相手のことを理解できるのか。
どうすれば相手のことを好きになれるのか、自分のことを好きになってもらえるのか。
そういったことの捉え方、感じ方、考え方が人とは違うのだ。
自分はそう思っている。
自分が人の輪に要領よく入っていけないのは、だからそういうことだと。
自分はそう納得して全部諦めてきた。
いつしか自分は色々なことを諦めて生きていくことを覚えた。
そうしないと前に進めないから。
分からない数字をXに置き換えて、計算を続けていく方程式みたいに。
それで何かに気付けたり、何かが変わるかもしれないと思ったから。
でもそれは大きな間違いだった。
だって、俺は、そうだろう。
前になんか進んでないじゃないか。
何も分かってなんかいないし、何も変わってなんかいない。
お前はまだスタート地点でうずくまっているだけじゃないか。
「……だから、なんの違和感もなく無造作に自然に、他人と分かり合える安西を初めて見たとき、俺は逆に違和感を感じたんだよ。……そんなことが有り得るのか?って」
目の前で繰り広げられている現実に疑問を抱いた。
人と人がそんなに簡単に、容易に、簡潔に分かり合えるなんて。
そんな馬鹿なことが……ある筈がない、と。
「……」
彼女は真剣だった。俺の真剣な言葉にただ耳を傾けてくれていた。
「だから俺は、お前が無理してそうしてるんじゃないかって思った。……少し違うな。そうせざるを得ない理由があるんじゃないか? そう感じた」
彼女はようやく、その口を開く。
「……そっか」
「そんな知った様なことをって無視してくれていい。気にしなくていい。どうせ的外れな俺の思い違いだ。だから……」
「ううん。そんなことない。当たってるよ。君はちゃんと本当のことが見えてる」
「……?」
俺が毎日寝起きしているベッドに腰かけて、彼女はそう言った。
改めて思うが、女とベッドっていう組み合わせは何か……妖艶な感じだ。
「当たってるって?」
「……いや何でもないよっ。気にしないで。今のはお互いに忘れよ。お願い……」
「……? ああ……。そこ迄いうなら、別に俺は……」
なにか気まずい空気になってしまった。
俺が悪かったのだろうか……?
彼女は何かを隠している……?
……もしそうでも、俺は彼女を責めることはできないか。
だって彼女は、俺に何も訊かないでいてくれたじゃないか。
そうだな。ここは、彼女がそう言うなら何も訊くまい。
何も訊かないことが、ここでは最上級の優しさ、だ。
「……よし。もうこんな時間だ。晩飯にしないか? 俺が何かつくるから、さ」
「ええー! ホントっ? 食べたいっ。××君の手料理だー。やったー」
俺のそんな一言で、彼女は花畑のような満面の笑顔をやっと取り戻した。
良かった。その方がやっぱりお前らしいよ。
「ああ。本当だ。何なら好きな物を言ってくれ。お前が今迄食べた中のどれよりも美味しいのを食わせてやるよ」
「わーい! やったー! じゃあね、じゃあね……ええと、ええと……。」
彼女は暫く思考を重ね、決まった!という風に両手をパチンとした。
「卵焼き! もう一回食べたいよ!」
「卵焼き? それだけか? そんなの味気なくないか? 卵焼き一品だけの夕食なんて……」
「いいのっ。この前はアズみんとか淡野さんにもあげてたじゃん。君。だからさっ、だからさっ……」
彼女は一瞬、大人っぽい空気を纏わせて続ける。
「……今度は私の為だけにつくって」
……はっ、なんだ。そんなことか。そうゆうことなら……。
「分かった。今日はお前だけの為につくる。安西に食べて貰う為に、つくろう。卵焼きで……いいんだな」
「うんいいよ。早く早くっ」
「分かったから、少し待ってろ」
本当に、俺は彼女の言うこときいてばかりだなあ。
そんなことを思いながら、キッチンの冷蔵庫に向かう。
卵、まだあっただろうか?