14/幸せの定義
「幸せって何かな。何だと思う××君?」
「幸せ?」
これはまたえらく哲学的で不確かで答の出なさそうな、それでいて物凄く重い質問だな。
幸せはなにって、それが分かれば誰も苦労しないだろう。
誰も苦しみはしないだろう。
まあこいつが俺に訊いたのはこの世の心理みたいなものじゃなく、
要するに俺の意見を、俺がどう思っているか知りたいのだろう。
俺にとっての幸せがどんな形をしているか、知りたいのだろう。
「そう幸せ。でも幸せって言っても色々あるよね。人の数だけ幸せはあるよね。それは人によって幸せという概念の捉え方が違うから。十人いれば十の幸せが、百人いれば百の幸せがある。
まあこんなものに歴とした答なんてないけど、ないからこそ皆欲しがるんだよね。やっぱり」
核心をついているような、いないような。
「幸せ、か。じゃあ訊くけどお前は今幸せか?」
「うーんどうだろ。幸せ、かな。結構幸せ。なんじゃないかな」
「結構ってどの位?」
「どの位っていわれても、結構としか言えないよ」
「その時点でもう面倒になってきたな。やっぱ数学みたいに確かな解答がないってゆうのはさ、実態のない自らの影を追ってるようなもんだろ。どっちかってゆうとそれは国語って感じだ」
意味がないとは言わないけど。
意味があるとも言えはしない。
「そんなことは分かってるんだけどね。じゃあ訂正します。私は幸せです!
幸福です!
私は私なりに幸せなんです!
どうだまいったか?」
いや参ったって、言われてもなあ。
「参らん。誰が参るか。参る要素が今の会話のどこにあった。……まあでもそれでいいんじゃねえの?
自分が幸せだと思えば幸せ。そうじゃなければ不幸。大事なのはそいつがどう思うかであって、そいつが幸せか不幸かじゃないんだよ。
ああでもこれじゃまるでパラドックスだ。幸せを自覚できなければ不幸で、だがしかしそれは紛れもなく幸せではある。けどそいつにとっては不幸。幸せは不幸で、不幸は幸せ。きりがなくて終わりもない。救いもない」
俺はじゃあどっちだ?
自覚のある幸せか、自覚のある不幸か、自覚のない幸せか、自覚のない不幸か。
それが分からないのは、俺は自分のことに対して鈍感であり続けてきたからだろうか。
自分に無関心で居続けてきたからだろうか。
「救いがないなんて、ことはないよ。」
安西奏はニッコリと笑顔。眩しいスマイル飛んできた。一瞬見とれる。恥ずかしながら。
「今君が言ったじゃん。幸せをそうだと信じる者は幸せなんでしょ。じゃあそれでいいよ。私達は幸せだよっ。信じられればそれは本当になるんだよっ。じゃあ幸せじゃんやっぱりあたしたちっ」
無慈悲で残酷で絶望的に救いのない現実を、少しだけ忘れさせてくれる彼女だった。今はそういうことにしておけばいいかって、思わせてくれる彼女だった。
「全くお前は……安西は全く……。もう」
最高に幸せな奴だよな。お前は世界一、宇宙一幸せが似合ってるよ。そんなお前だからこそ……俺はさあ……まあなんだ……。
「好きだ安西」
「知ってまーす」
「うるさい。もっと教えてやる。お前の知らないことはまだあるんだよ」
「ふーん。別にいいけど、あっそろそろ時間だ。始まっちゃうよチケットチケット」
彼女は腕時計を見て焦り始める。本当だ。上映時間が迫りつつある。急いでジーンズのポケットから二人分のチケットを取りだし、一つを彼女に渡す。今話題の恋愛物のタイトルが刻まれたチケット。
まあそんなわけで、休日に俺達二人は新作映画を鑑賞する為に映画館に訪れていた。
きっかけは彼女。からの一通のメール。
「ひーまーだー。あーそーびーにーいーこーおー」
誰もいない自宅マンションで暇をもてあましていた俺にとっては願ってもない提案。断る理由は無かった。
ならばと日時場所を指定したメールを返信。一つ気になることを最後に付け足して。
「あいつらも来るのか?」
返信の返信を待つ。すぐにバイブレータが起こり、メール着信を知らせた。
「今日は二人で」
だそうだ。不覚にも笑みがこぼれた。
じゃあなにか……今日は……二人っきり、か。
彼女の時間を独占できると思うと、何か邪悪な優越感が込み上げてきた。
実際はそうであってもメールの中では平静を保つよう心掛ける。
「どこへ行く?」
「ええとね、ええとね。んーとね。」
メール一通丸々考える時間に充てていた。アホか。
「じゃあ映画見に行く」
「……分かった」
別に異議もない。彼女の提案に乗ったわけだ。
そうして今俺達はここにいる。
抜け駆けで彼女を独り占めだ。学校中の、世界中の彼女を知る者が死ぬ程羨ましがる偉業を達成した俺だった。
休日の彼女は当然私服姿。
今時の女子高生とゆう感じのカッコカワイイみたいに決めていた。
俺にはよく分からないが、どうやら髪型も少し手を加えているようだった。
ショートカットの印象が強い彼女だが最近は髪が伸びてきており、滅茶苦茶女性っぽさに拍車をかけていたのだ。
髪の毛は……長い方が……イイな……。
何はともあれシアターへの通路を目指す俺達。
途中係員にチケットの半券をもぎられて更に進む。進む。
シアターの向かって左側からの入場だ。
まだぎりぎり上映前らしく、あたりは明るく見渡せる。
良かった。始まってからだと暗くて危険だからな。
だがのんびりしてはいられない。今すぐにでもそうなるかもしれない。
俺達は連番で丁度シアターの中心に位置する席にたどり着き、ようやく腰をおろす。
「うわーおっきい。スクリーン大迫力だっ。楽しみ楽しみ」
言ってさっきから抱えている、売店で購入したキャラメルポップコーンに手を伸ばす彼女。
「映画なんて久し振りだ。」
「ふーん。私もだよ。最後はいつだったか覚えてないや」
ふーんそうなのか。
今になって気付くことがある。
彼女の顔が近い。彼女の吐息が時々触れる。彼女の髪の毛からシャンプーの匂いがしてきた。
こんなに幸せでいいんだろうか。こんなにも幸福で……いいのだろうか。
そんな些細な思考を働かせていると、フッと場内の明かりが落ちる。
瞬間、左右のスピーカーから場内全体が振動するかのような大音響。
一瞬だけ身がすくみ、もう一瞬ですぐに慣れた。
新作映画の予告映像が流れる。
観客を盛り上げるこのムード作り。全く、誰が考えているんだろうな。
予告だけの短い映像だが、興味をそそるように計算し尽くされている。
現に俺の横で既にテンション上がりまくりの安西奏だった。
一つ目はコミックスが大ヒットし、ドラマ化もされ、そして堂々映画化という一般受けが良さそうなスポ根物だった。
物語の起承転結を小出しに、絶妙に演出された映像はやはり見ていて気持ち良い。
次はハリウッドの有名な映画監督がつくったというサスペンスアクション物。
海外で有名な俳優が多数出演しているとのことだが、俺には誰一人として分からなかった。
他にもいくつかの作品の予告映像が流され、ようやく本編が始まる。
映画制作会社のマークが現れ、そして消える。
「始まるよー」
「そうだな」
最初に映し出されたシーンは海が見える浜辺のシーン。
小学校低学年位の幼い男女が二人でいる所を見ると、どうやらこれは時系列的に過去の回想らしかった。
そこで二人は誓う。
これからの未来をお互いに約束する。
二人の未来を。
幼いなりに、未熟なりに背伸びして。
それを微笑ましげに、安西は見ていた。
もう既に完全に感情を移入してしまっている。話し掛けても、もう無駄なんだろうなあ。
仕方なく、俺も彼女に倣うことにした。
回想が終わり作品のタイトルが現れ、ようやく始まるというところで俺は物語に全身でのめり込む準備をするのだった。
今はそういう気分なんだ。
これが終わった後で彼女と感想を言い合えるように。
それを楽しみにする気持ちを自分の中の片隅に置きながらも、
物語は始まりを告げた。
それはまるでこれからの俺達のように。