11/するべきこと
彼は私達を置いて去っていった。
私に一言だけ残して行ってしまった。どうしてだろう。
彼を止めることができない。何故だろう?
そのときは分からなかった。
「あれ?帰っちゃったけど。何かあったのかな?」
私の横から心配そうに彼女は言う。
彼が行ってしまった理由。それはもしかしたら彼女が知っているかもしれない。
ここからは何も聞こえなかったが一体何を話していたんだろう。
「淡野さんに聞いてみよっか」
私は彼が作り出した沈黙の中を通って、まだ一人佇む彼女のもとへ。
「淡野さん。また会ったね。安西です。名前覚えてくれたかな?」
私の一歩一歩を見つめて待っていた彼女はまるで分かっていたかのような表情でこう返す。
「アンザイカナデでしょ。格好良い名前だったから印象に残っていたわ」
どうやら闘いの集中力がまだ残っているらしく、さっき話したときとは口調というか声にこもる感情が違っている。何かやりずらいな。
「こんなことしてていいの?彼行っちゃったけど。ついていかなくていいの?友達なんでしょ?」
私と彼は友達なんて簡単な言葉で表せるような薄い関係じゃない。
私と彼のこと数回見比べただけで勝手なこと言わないで欲しい。
決めた。こいつは仲間に入れてやらない。
お前なんかに馴れ合いなんて必要無いだろう?
私は淡野観月という人間を拒否する。それは私の中で既に決定された。
「別にいいの。私達はお互いを下らないルールで縛ったりしない、フリーダムなグループだからさっ」
「そう。楽しそうね。じゃあ後ろのあの娘も、そのグループの一員なのかしら?」
少し離れた所に立つアズみんを指差して言った。私のアズみんを指で刺すな。
「そうだよ。かけがえのない仲間だよ。彼もアズみんも。他の誰にも負けない固い絆を持った仲間」
羨ましい?
羨ましいでしょ?
お前には一生をかけても手に入れられないものだ。私には分かる。
色々な人間の考えること、どうやれば心を開くか、どうやれば自分のことを好きになるか、ずっと見続けてきた私には分かる。お前には絶対に唯一無二は無い。
本当の意味で心を通わせることのできる存在はいないのだ。
それはこいつが闘うことでしか心を通わせることができない人間だからだ。
自分でもそれを不満だと思ってもいない。
それもその筈。だって自分自身が唯一無二だから。
「そうなの。・・・そうなんだ。凄いじゃない。素晴らしいことね。中々できないものよね。お互いに以心伝心ってゆうの?近付けば近付く程擦れ違ってしまうものよね。人間関係って」
分かったようなことを。知ったような口を。
・・・まあいい。そんなことより・・・。
「淡野さん。さっき何話してたの?淡野さんに何か言われて、彼の表情が変わったような気がしたんだけど」
「ちょっと待って・・・」
彼女は私達の周りで未だにそうしている沈黙に向かって良く響く声を出した。
「全員練習に戻って。これは見せ物じゃありません。いつ迄そうしているつもり?」
彼が現れたときから竹刀を止めこちらに注目していた剣道部部員達は部長の一喝に慌てて練習を再開させる。
再び先程迄の掛け声が響き熱気が立ち込めた。
「ごめんなさい。これでも部長なの。ここは邪魔だから向こうへ行きましょう」
私達三人は体育館、とは言ってもこの館は、学校にいくつかある内の剣道部に割り当てられた専用のものだったが。とにかく畳の敷かれた隅の方へ場所を移す。
「彼?私は大したことは言ってないけど。少し話して自分はもうここにいても仕方無いからって。じゃあまた明日って、だけなんだけど」
「そうなの・・・」
本当だろうか?少し待とう。
この人間はどうやら他の大多数のそれとは明らかに異なっている。
この私を前にしてまだ自分を見失わない所があの二人と似ている。
本当に勿体無い。もう後戻りはしないけど、私達には違う未来もあった。
「どうしちゃったのかな?私なんか悪いこと言ったのかな?」
「アズみんは関係無いと思うよ」
「・・・関係無いってゆうのもまた違う意味で傷つくな。私の知らない所で私の手の届かない場所で一人で何かを抱えていたかもしれないってことでしょ?」
それは私に対しても当てはまること。
私だって彼が全然知らない所で何か楽しいことをしていて、それを私に内緒にされたら面白くない。
誰だって除け者にされるのは嫌だろう。
そこでふと気付く。
大勢の喧騒の中に一人、こちらを見つめている男子生徒がいた。気のせいだろうか?
その視線は私一人にのみ向けられているように思えてならない。どうしてだろう?
私はそこに何か良くないものを感じる。
何か不吉のような、ネガティブの塊のような、マイナス感情を帯びた視線。
自分を脅かすかもしれないその眼差しに、私は身震う。
心の中を侵食していくよく分からない薄暗いもの。
今更になって私は思い出す。
あいつ。さっき彼女と闘っていた奴だ。彼女に竹刀を弾かれ、負かされた奴だ。
彼の顔は面が邪魔して知り得ないが、彼の着けた垂れを見て再び全身に前より強い戦慄が走る。なんで?どうして?
あいつがここに・・・。
その名前は今の私から平静を奪い取るには十分過ぎる程に絶望的であり、尚且つ愛しい迄に待ちわびた、救いの手でもあった。
神様が私に救いの手を差し伸べてくれたんだ。
伐つべき仇と私を引き合わせてくれたのだ。そうに違いない。
「ねえ淡野さん。あの人は?ほらあそこにいる、さっきの淡野さんの練習相手」
私と目が合ったことを感じたのか、彼は既に喧騒の中に紛れていった。
「近江君のこと?彼がどうかした?もしかしてタイプとか?我が部の期待のルーキーを誘惑してほしくはないんだけど?」
まさか。タイプじゃないから私の方から振ってやったんだから。
オウミシュン。
去年、私がまだ恋愛で遊んでいた時期に告白された数多くの男子生徒の内の一人だった。
あれはいつだったか。今と同じ寒い冬の日だったような気がする。
私が教室で友人と談笑していたときのこと。
一人の一年生の男子、つまり後輩が二年生の私のクラス迄やってきた。
彼は声の届く範囲にいた生徒に「安西先輩を呼んでください。」と尋ねたらしい。
私はクラスメートの男子に呼ばれ、「安西。一年生が来てる。」その後輩男子に「相談したいことがある。」といわれ、剣道部の体育館迄ついていった。
教室を出る途中に友人の女子に冷やかされたが、まさかこんな見ず知らずの子に限ってそんなことはないだろうと思った。
果たしてその想像は間違っていた。
彼は。オウミシュンは、二人きりになると私に告白してきた。当然愛の告白。
入学してから初めての一年生と二年生の対面式で大勢の友人に囲まれた私を見つけたこと。
その後も私のことを覚えていて意識して私の姿を探したことが何度もあるということ。
そして時間だけが過ぎ、今になって自分の気持ちをやっと理解できたこと。
勇気を振り絞って今ここにこうして立っていること。
彼は強い決意の窺える表情で私に打ち明けた。
それに対して私はどうしたか、というと。正直どうでもいいと思った。
私に密かに想いを寄せていたといわれても私は知らない。
私はそんなにロマンチックな人間じゃない。
そのオウミシュンとゆう一年生は恵まれた容姿と運動神経で女子の間では人気のある方だったが、だからこそ私は気に入らなかった。
自分ならあの安西奏と付き合えるとでも思ったのだろうか?
私がそんな上っ面だけなぞったような相手になびくとでも思ったのなら、それは間違っている。
私が見つめているのはその人間の中身だ。
外見だけを着飾って満足している奴が私は嫌いだ。
彼の告白を受けての私の第一声は。
「ごめんなさい。私はあなたとは付き合えません。もっとあなたに合っている人がいると思うよ。私なんかよりもっと良い人が・・・」
私はいつも決まってそう言うのだった。興味の無い相手には。
そうすれば大抵の場合は相手から引く。
勿論中には悪くない者もいたりする。その時は少し遊んでみようかなってゆう風にね。
試してみるわけ。
私って性格悪い。
私の拒絶を受けた彼は、見苦しい抵抗をするわけでもなく潔く諦めたらしく、私の前から去っていった。
そうまるで先程の彼のように。
ああ。場所も丁度おんなじだ。
彼等の後ろ姿が重なって見えた。去っていく背中が。寂しそうな背中が。
「いやそんなんじゃなくて、なんとなく」
「安心した。あなたからの誘いを断れる男子なんていないもの。我が部の戦力低下を招くところだった」
「褒めても何にもないよ」
「謙遜は逆に嫌味よ。まあ、あなたには関係無い話か」
何か調子狂うなあ。
もしかして今迄のは全部私の思い込みで、彼女とは仲良くなれるかもしれない。
女同士は一度ぶつかり合った方が距離が縮まるのかも。
まあそれはともかくやることは決まったのだ。
反撃しようにも今迄はどうしようもなかったけれど。
目の前に道が現れた。進むべき道が。
神様のくれた宝の地図。
大切に大切に私の心の引き出しの中にしまっておこう。待っていて。
もうすぐ思い知らせてやるから。待ってて神様。私のこと見ててね。
「じゃあミズキっ。私達も帰るね。練習の邪魔してごめんね。アズみん行くよ」
「待ってカナデ・・・」
その場を後にする私達。別れ際にミズキが戸惑いながら言ってた。
「ミズキって何?。・・・あたしか」
もしかしたら天然さんなのかもね。