10/特別な最強
まただ。また悪い夢を見ていた気がする。
最近は悪夢をみることが増えているな。
この精神が擦り切れるような感覚はどうにも慣れない。
悪夢に慣れたくなんてないけどな。俺に呼び掛ける声が聞こえる。
「おはよう。目覚めた?私が見えてる?声聞こえてるかな?」
寝起きで曖昧な感覚を振り払い、今置かれた状況を把握するように努める。
俺がたった今迄体を預けていたのは俺の机の上に乗った俺の鞄であり、俺に向けて語りかけているのはまごうことなき安西奏だった。
「ん・・・。ああ・・・聞こえてる聞こえてる」
「良かったー。目が覚めたら私のこと忘れてるんじゃないかって心配してたんだ」
「なんだそれ」
クラスの人間が半分以上減っている今はどうやら放課後らしい。
記憶は午後の授業の途中から途切れていた。眠い。
「やっと起きた」
神田が俺の隣である淡野がいた席に座って俺の顔を覗きこんでいた。
どうやら待たせてしまったらしい。律儀に待つこいつらもこいつらだが。
俺のことなんて放っておいて二人で帰ればいいのに。
「ねえねえ。これから淡野さんの剣道部見に行かない?暇じゃんあたし達」
「なんで?」
「だから今言ったでしょ。暇だから」
「なんで暇だからって淡野が竹刀をバンバン打ち込むのを見に行かなきゃならねえんだよ?あれ軽くトラウマなんだぞ」
あいつが竹刀を振る度に屈辱が蘇る。
大衆の面前で無様な目にあったことを思い出すことになる。
「えー。でも淡野さん悪い人じゃないよ。もしそんな人だったら剣道部部長なんて任されないと思うな」
「分かってるよ」
多少言動に難はあるが確かにあいつはそれでも真っ直ぐだ。
良い意味でも悪い意味でも。たまに素直じゃないときもあるけど。
それも全部含めて淡野観月という一人の人間だ。
その一人の人間を俺はそれ程嫌いになれはしないのだった。
きっと俺なんかよりも上等な人間なのだ。俺は何かを言えるような立場にはいない。
人のことを言える程自分の中身に自信なんてない。
「それじゃあ行こっか?」
「本当に行くのかよ・・・」
正直言って遠慮したい。
あっちが真剣にやっている所に俺達なんかがいったら邪魔しにきたと思われてもおかしくない。
特にあいつ。次は気絶させるとか言ってたし。
「じゃあ少しだけだぞ。本当に少しだけだ。分かったか?あいつに気付かれる前に帰るんだ」
「えー。そんなのつまんないー。淡野さんとお話ししたいー」
「したきゃ勝手にしてろ。俺は帰る」
「はいはい分かったよう。冷たいんだね。君は。クールだもんね。分かったよ」
「ならさっさと行こうか。体育館でやってるのか?」
「そうだよ。さっき聞いたから。もう始まってる筈」
いつの間に。最初からその気というわけか。
それにしてもどうしてそこまでして意地張るんだろう?
剣道部入部希望とか?
そんなわけないか。本人は運動音痴だと言っていたし。
急に剣の道に目覚めたとかいうわけでもあるまい。
こいつは淡野とも仲良くなりたいだけだと思う。
俺達はまだ僅かに生徒の残る教室を後にし、別の棟に位置する我が校の体育館を目指す。
その途中に神田が口を開いた。
「うちの剣道部って強いんだよね。有名なんでしょ?インターハイ行ったって・・・」
「そうだな」
「じゃあみんな真剣にやってるんじゃ・・・」
「そうだね」
「私達迷惑なんじゃ・・・」
「・・・」
「二人共何で黙るの・・・?」
いや。やっぱりそうだろ。
安西が何もかも無理矢理進めようとするから忘れていたが俺達は完全に部外者だ。
いきなり押し掛けていって大丈夫だろうか?
「うーん。大丈夫なんじゃない?部長の知り合いですっとか言えばさ」
いや。あいつと俺達はついさっき初めて言葉を交わしたばかりだ。
それをあろうことか知り合いだなんて虫が良すぎる。勝手なこと言ってんじゃねえよ。
淡野からみれば俺達はただのクラスメートでしかない。
「本当に大丈夫かよ?追い返されたりしても文句は言えないだろ」
「なんとかなるって」
「大丈夫かなあ・・・」
神田が心配そうな顔をしている。先行き不安な感じだ。
そんな会話をしている内にもう既に体育館の前。
着いた。さて誰が先陣をきるのか。嫌な予感がする。
「ねえ。開けてよ。そして先に行って様子を見てきて」
「何で俺が?お前が言い出したことだろ?お前が行けよ」
「だって怖いもん。さっきからなんか声が聞こえるし。凄い音してるし。ここは男子が行くべきじゃない?」
部員達の掛け声が鳴り響く館内から外迄熱気が伝わってくる。
バシーンバシーンとは竹刀と竹刀がぶつかり合う音だろうか。
ハア。溜め息。行くしかないか。この扉を開けなきゃ話は進みそうにない。
「じゃあ行ってくる・・・」
「頑張ってー」
人の気も知らないでこいつは・・・。
重い扉を開けて中へ踏み出す。そこは殺気の真っ只中だった。
闘いの緊張感の中へ丸腰で取り残された俺の元へ数多くの視線が集まる。
そこは畳の敷かれた広い空間で、男女が別れてそれぞれ実戦形式の練習を行っているようだった。
皆面で顔が隠れているが突然の来訪者にほぼ全員が注目しているのが分かる。
一斉に掛け声と竹刀の音が薄れ沈黙が辺りを包んだのだが、そんな中で空気の違う場所があった。
その体格からして女子なのにも関わらず背の高い男子を相手にしている。
動きがまるで尋常ではないのが誰の目から見ても明らか。
男子の方が圧倒されていた。
彼女の一撃一撃についていくのが精一杯のようだ。
彼女は攻撃の手を緩めることはなく、彼の面を的確に狙って追撃。追撃。
無駄の無く鋭い振り抜きで呆気にとられる程素早く斬り込まれる竹刀。
辛うじて竹刀で受ける彼はあっという間に後ろへ追い詰められてゆく。
一旦竹刀を引き、状態を整えたと思えばすぐさまその両腕から振るわれる斬撃。
その攻撃からは容赦等微塵も感じられない。
ただ相手を打ち倒すのみ。単純にして明快。攻撃こそ最大の防御。彼の反撃は許されない。
そんな隙を与える気等無い。
フェイントで状態を崩された彼は彼女の執拗な連続攻撃に耐えられずに竹刀を弾かれる。そこへ逃さず一閃。
「ハアッ」
切り裂くように走り抜け、防ぐ術を持たない彼の面に一撃を重く放つ。
「メェーンッ」
勝負は着いた。
凄い。
単純な腕力だけなら男の方に分がある筈だ。なのに彼女はそれを物ともしない。
というか感じさせることの無い闘い方をする。とても女子高生のやることとは思えない。
凡人を遥かに超越している。そこにあるのは戦闘者の姿だった。
彼女の動きが速すぎて目が追いつかなかったが、今ははっきりと見える。
彼女のしている垂れに「淡野」と書いてあった。彼女はしていた面を外す。
すかさずそこへ一年生の女子が受け取りにいく。部長の貫禄が窺えた。威厳も十分。
その身に纏うオーラからして彼女の特別を感じさせるのだった。
眼鏡を彼女は外していた。どうやら練習中にはかけていないようだ。
やばい。格好良い。
最初に見たときとは違う顔をしていた。汗をかいて濡れた髪すら凛々しく思える。
神田や安西とは違う意味で彼女も魅力的な女子だった。格好良過ぎるだろ。
やがて周りの異変に気付き始める彼女。
自分達以外の物音が聞こえなくなっていたことに気付き、皆の注目の対象に目を向ける。
俺の姿を見つけると少し驚いた顔をして、そして少し考えるように俯き、そして呆れたようになって言われた。
「なんであんたがここにいるの?」
「見学だよ。邪魔はしないから少し練習を見ていて構わないか?」
結局こいつに見付かってしまった。予定には無かったがまあいい。
「ふーん・・・」
何かジロジロ見られているような。
「まあ良いけど・・・」
一応の許可は部長から出た。ならばあとの二人をここへ・・・。
「あんたさあ・・・何してたの?」
「・・・?」
「昔何かしていたでしょ?
「何かって・・・」
「何か格闘技をやってたでしょ」
「まあ・・・」
そこ迄見抜くか。戦闘者の直感だろうか?
同じ闘う者に対して自分と似た何かを感じ取れるとでも?
「さっきだってそう。私そんなに手を抜いたつもりじゃなかったのに、あんた防いだ。まともに食らえば暫くは立ち上がれない位の一撃だった筈。なのにあんたすぐに復活した。素人なわけない。隠しても無駄」
別に隠してたわけじゃない。話す理由が無かっただけだ。
「何をやっていたの?」
「前に空手をやっていたことがある。もうやめたよ」
「あらそう。何だ残念。空手と剣道じゃ勝負がつかないわね。あなたのこと打ち負かしてみたかったのに。でも何でやめたの?勿体無い。きっとあんた才能あるのに。闘う才能の持ち主ってゆうのはそうはいないわ。生まれたときに決まってしまうものだから」
「それはどうも」
途中からどうでもよくなったからだ。
俺に勝てる奴がいないことが、どこかで愉悦から退屈に変わった。
俺はいつまでこんな無意味なことを繰り返すつもりなのかって。
相手を叩きのめして迄得るものが見つからなくなってから俺は道場には行かなくなった。それを止める奴もいなかった。
当たり前だ。道場仲間等所詮はライバル。
調子乗った奴がいなくなって清々したことだろう。
「じゃあさ。剣道の達人と空手の達人が闘ったらどっちが強いのかしら?」
「さあ?武器持ってる方が有利なんじゃないか?」
「弱気ね。あんたプライドとかないの?俺の方が強いって思えないの?つまんないな」
「俺はもう闘わないって。誰かを殴るのはもう嫌だ。飽きたんだよ下らない」
「あっそう。じゃあもういいわよ。・・・でも少し見直した。さっきは何も考えずにぶっ飛ばしてごめんなさい。あたしが悪かった」
やっぱ悪い奴じゃない。淡野観月は格好良い女子高生だった。
「分かればいい。俺はもう帰る。これ以上いても仕方ないからな。ここにいる意味が無くなる前にいなくなるとしよう」
「あらそう。じゃあバイバイ。また明日会いましょ」
「ああ。また明日」
もう面倒になってしまった。
後ろからこちらを窺っている二人のことを忘れていたが、何かもうどうでもよくなってしまった。
「あれ?もう帰るの?」
安西奏を振り切って扉から外に出た。
「先に帰る」
それを彼女は止めない。神田も立ち尽くすのみ。
二人の少女を置き去りにして俺は、一人帰路につくのだった。
寒空の下を一人歩きだす。