勇者下剋上計画
唐突な質問だが、『勇者』という者についてどのような印象を持っているだろうか?
かっこいい?イケメン?最強?正義感が強そう?まあ、恐らく、頭の中に出てくる言葉はどれも良い言葉なんだろうね。
え?何が言いたいかって?それはね、
勇者っていうのは必ずしもそうとは限らないってこと。
とある世界を紹介しよう。
そんなに重要じゃないから世界の名前は省いて、その世界がどんな世界なのかを簡単に説明すると、
剣と魔法のファンタジーの世界!!
どうだい?憧れるだろう?わくわくするだろう?
自分の力が全て。極論、力さえあればなんだってできちゃう。そう、力さえあればね。
まあ、それはさておき・・・その世界は今、非常に不安定な状態になっているんだ。
人間族と魔族が争いをしているからだね。君らの世界であった冷戦のような感じではあるけど、一触即発とはまさにこのこと。しかも人間族は人間族同士で睨み合いをする始末・・・まったく嫌になってしまうよ。
彼らは何かきっかけがあれば、容赦なく殺し合いを始めてしまいそうで、毎日ヒヤヒヤしているんだよ。
それで、まあ一応人間族と魔人族以外にも種族はいるんだけど、主にバチバチしているのはそこの二つの種族で、他の種族は巻きこまれている感じだね。かわいそうに。何もしていないことはないんだけど・・・。
とりあえず、ここまで説明したんだ。大体はわかるんじゃないかな?
君たちにはこの世界に今から行ってほしいんだよ!君たちがこの世界に降り立って、この世界を変えてくるんだよ!
どうだい?ドキドキしないかい?え?しない?ははは!嘘はよくないね!<神>である僕にはちゃぁんと見えているよ。君たちの興奮が抑えられない!っていう表情が。もしかしたらがっかりさせちゃうかもしれないけど、君たちは<勇者>じゃない。
あ?そっちじゃなくて良かった?それは安心したよ。勇者じゃないと異世界にいかない!なんて駄々こねられたら困ってたしね。
まあ、兎にも角にも、
いってらっしゃい!君たちの新しい人生の始まりだ!
眠気でとても重い瞼を開けると、そこに映るのは木製の知らない天井だった。正確には見たことがあるが、認識するのは初めて、ということだ。
規則正しく縦に伸びている、少し濃い茶色の木材だ。昔祖父母の家に行ったときに見たような天井に見える。それらの木材には着色の類は一切見当たらないが、綺麗な木目がついている。
手元には温かいふわふわとした柔らかいものがある。すぐに布団だと分かった。厚みは薄いが気候が温かいおかげか、寒いと感じることはない。これは自分がいるのはベットの上だ。
自分とは?
「えっと・・・?」
気が付けばそんなとても幼い声が近くから聞こえてきた。一瞬びっくりしたが、それは自分のものだと認識する。無邪気な声変りが始まっていない子供の声。
「僕はカルバス。フィル・カルバスだ」
確かめるように、これは自分のものだと守るようにその名を口にした。物音一つしない静寂に包まれた部屋に幼き少年の声が響き、その音が消えると共にもう一度自分一人の部屋に静けさが襲ってきた。
しかし、さっき自分が言った名前に少しだけ違和感があった。何かちょっと違うのではないか?という疑問。そして、間もなくその違和感の正体は、前世の名前が引っ掛かっているものだという結論に達するのに大した時間はかからなかった。
ざわざわと浮かれた声が小さな物体の中にさざめく。時に大きな笑い声や、手をたたく音などが棘を刺すように耳に入ってきて、少し憂鬱な気分になった。
そんな嫌な思いを抱いている自分の気分なんかくみ取らず、自分が乗っている鉄の物体は素早く舗装された道路を進み、がたがたと不愉快な振動を体全体に伝達してくる。
こちらの世界で言う『バス』というやつだ。
誰もが楽しそうな表情をしているのは、これまでの特別感のない、何の変哲もない毎日を繰り返すだけの日常から解放され、これから始まる高校で一度しかない大イベント、修学旅行に期待を膨らませているからである。
事故にあって、全員異世界に飛ばされてしまうなんて知らずに。
俺の前世の名前は鈴木陽一郎だった。地方の普通校に通うどこにでもいるような冴えない男子高校生だ。勉強、運動、顔の良さ、性格どれも中か中の下。友達も多くなく、もちろん女性とのお付き合いなんてものは、俺からしてみればおとぎ話だ。
その日はまだ日が昇り始めた朝早くに学校を出発し、特にだれかと会話をするわけでもなく、窓から一定の速度で変わる景色を、窓の縁についた右ひじから伸びる掌に頬を乗せて、眠たげな目で眺めていた。高速道路に入り、窓に映る景色もあまり変わり映えのないつまらないものになっていたが、周りは変わらず楽しそうに談笑をしている。俺もだれかと話したいなー、なんて呑気なことを思っていたら、ドゴンという、明らかに異常な音と、今まで体験したこともない凄まじい衝撃を感じた。女子の甲高い悲鳴や男子の恐怖に染まった震えた声が鼓膜を震わせ、ふと窓の方へ視線を送ると、今までバスが進んでいた高速道路がバスの天井よりも高い位置に見えた。そこから先の記憶はない。
何が起きたかその時は理解なんかできなかった。だが、今ならはっきりと分かる。
落ちた。
死んだのか死んでいないのかは分からない。人生に何の悩みもなさそうな陽気な声が頭の中に直接流れ込んできて、剣と魔法のファンタジーの世界がうんたらかんたらと、神とやらが喋っていたが、本当に異世界に転生させられるとは思ってもいなかった。
何はともあれ、こうして新たな生を授かったわけだし、前世のような怠惰な日々を過ごしたくはない。
そうならないためにも、しなければいけないと思いつつもするだけの根性が、勇気がなかった前世の俺を越えてやる。徐々に沈みゆく意識の中でそう決意したカルであった。
そうしてフィル・カルバスとしての自我が生まれて数年が経った。
カルは十四歳になり、それまでの間、毎日鍛錬を欠かさず、筋肉をつけ、剣技を磨き、魔法も使えるように必死に努力した。前世の記憶にあった筋トレから、この世界に来てから見たトレーニング方法など、ありとあらゆる手段を用いて。暇さえあれば自己鍛錬。そんな子供ながらにストイックなカルに異常さを感じたのか、母はカルと少し距離を取っていた。会話も必要最低限しか交わさなかった。
その代わりに2歳年上の姉、フィル・ウェンディーには可愛がられた。母親譲りのルビーのような赤い髪を腰まで伸ばし、おっとりとした雰囲気を醸し出す姉は魔法が上手で、それまで魔力の<ま>の字も感じ取れなかったカルだったが、ウェンディーに魔法の基礎について教えてもらったおかげで、今では魔法の発動なんかは朝飯前だ。逆に言えば、ウェンディーがいなければカルは今になっても魔法を使えなかった可能性があった。それほど姉の教え方が良かったのと、カルは魔力と身体の相性が悪かった。
魔法とはとてもデリケートな代物だ。体の中にある魔力を自分が望む魔法に置き換えて、体の外に顕現させる必要がある。魔法に慣れるまでにかなりの時間を要するし、慣れてからもある程度は魔法を使っていないと、すぐに腕が鈍って魔法が使えなくなってしまう。前の世界のスポーツと似たような性質を感じる。
魔法には種類があり、火、水、風、雷、氷、土、生命(治癒)、闇、光、無の全部で10つの属性がある。それぞれの属性の魔法が必要とする魔力は違うと、カルが最初に読んだ教本には書いてあったが、ウェンディーはどれも似たようなものだと言っていた。未だにここはよくわかっていない。魔力なんて魔法が使えれば何でもいいんじゃないか、と今は割り切って考えることができるようになった。
話が逸れてしまったが、とにかくカルは魔力制御が悲しいほどに下手だった。それはもう絶望的に。
まず魔力というものは、年を重ねるにつれて、特に10歳になるまでに次第に感じ取れるようになるらしいが、カルの場合は10歳になっても全くと言ってもいいほど感じ取ることができなかった。実はそれで挫折しかけて大泣きしてしまったのは内緒だ。子供だから一度の涙くらい許してほしい。
そんなカルを見ていたのか見ていなかったのかはわからないが、ウェンディーは積極的に魔法について教えてくれるようになり、カルの血がにじむような努力もあってか、苦手だった魔力制御はなんとか克服することができた。
そんな魔法とは違い、剣術のほうは自分でも驚くほど才能があった。前世では運動は特に得意ではなかったのだが、転生して体と脳がこちらの世界の、運動神経高水準に適応した感じだろうか。もともとカルの持つ能力に引っ張られた形だろう。
初めて剣を握ったときに、全身を電撃が駆け巡ったような衝撃を受けた。それ以来、カルが住む集落周辺の木の中で一番固いと言われている固糸固糸という黒い木を削って作った木刀を常に帯刀している。武器としての脅威はないにしても、素振りなどの練習に使う分には申し分ない完成度になっている。ちなみに鞘も手作りだ。これらは前世のDIYのスキルが活きた結果だろう。
「父さんはかなり剣の扱いがうまかったってお母さんが言ってたね~」と姉から聞いたが、その父を一度も目にしたことはない。実に残念だ。ぜひその剣術を教えてほしいものだ。カルが持つ漆黒の黒髪と剣術の巧みさは父親譲りということなのだろう。ちなみに、瞳の色は母親の遺伝を受け継いだエメラルド色だ。
今でも十分剣は振れるし、全体的な戦闘力も高いと自負している。これが慢心なのか自信なのかは謎だが、最近、カルの魔法を見たときにウェンディーが目に浄化魔法(目をきれいにする。この場合は目のゴミなどを取り払い、視界を見えやすくする魔法)を三回も掛けるほど、魔法に慣れたと思っている。
つまり、自分、フィル・カルバスは今まで己より強い人に出会っていないのだ。この国は徴兵制度が存在しており、15歳になったときに、兵役として近くの都市に招集される。そのためこの集落にいる人は同年代の友人、年齢がカルよりも一回りも二回りも高い村人たちがほとんどだ。それらの人よりも、自分は勝っているという確固たる自信があった。カルたちが住んでいる集落が、人間種の都市や、発展した場所とは遠く離れているので、さほど強い人がいない上に、一握りの強い人は継続して兵役に就いているため、国の兵隊として各地に派遣されているのだ。カルの父もその一人だという。
そのため、カルには目指すべき目標といったものや、自分のモチベーションを保つような明確な何かがないわけで、近頃、どこかの都市に行こうか迷っていたりする。兵役に就いて自由を奪われるのはまっぴらごめんだ。
もっと強くなるためにこの集落を出ていきたいのは山々なのだが、カルが集落を出ていくとなると、問題もいくつか生じてくる。まずは旅の資金をどうするか。当然、旅をするなら食料がいる。寝床がいる。自給自足の旅も悪くはないのだが、それではこの世界に蔓延る『魔物』なる害獣に蹂躙される可能性が非常に高くなる。
魔物は人間種と同様に、集落を形成していたり、群れで行動していたりと、前世でやっていたゲームの雑魚敵のように、一匹でうろついているところにエンカウントして、一対一で勝負が始まる、なんて簡単なようにはいかない。
さらに、魔物は本能的な知恵も持っていて、基本的には人が多いところには寄り付かない。自分が殺されてしまうと直感的にわかるからだそうだ。そして、人間が一人でいる場合は、狡猾な獣から獰猛な獣に早変わり。すぐに牙をむいて襲ってくる。そのため、こちらの世界では一人で町の外にいるというのは危険極まりないことで、自殺行為なのだ。そんな危険な状況ではろくに睡眠もとれないし、採った食材が腹に当たってしまい、魔物から逃げられずに倒されてしまいました、では目も当てられない。
もちろん、敵は何も魔物だけではない。人間も時には牙をむいてくるだろう。『人間が一番怖い』。前世で幽霊なんかと比較されるときに使われていた言葉だ。この世界でも健在らしい。
次に、自分が出ていくとなると、家族の、主に姉、ウェンディーの負担が増えてしまう。
フィル一家は現状、女子三、男子一になっていて、男子のカルがいなくなれば、今まで任せていた力仕事を女性がやらなくてはいけなくなる。しかし、魔法を使えば身体強化ができて、筋力が増えて重いものも軽々運べるようになったりするが、母は体が弱いため、力仕事ができず、姉と妹のどちらかがやることになるが、この仕事は必然的に姉が請け負うことになるだろう。
なぜなら、妹のフィル・サークレッドは超が三回付くほどのワガママな性格で、それでいて魔力の才能がずば抜けて高いときた。母や姉とお揃いの真紅の髪をポニーテールに結び、華奢でいて、出ているところは出て、引っ込むところは引っ込んでいると、グラビアアイドル顔負けのスタイルに、宝石のような可憐なエメラルド色の瞳はキッと鋭い。そんな高嶺の花と呼べるような存在を雑に扱おうとは、集落のみんなも微塵にも思わないわけで、村長からワガママは極力受け入れるようにと、フィル一家は強く言われている。いずれは人間種最大の都市である王都に上京させて、そこで花が咲くのを待ち、自分たちの集落を精一杯宣伝してもらうつもりなのだろう。
素晴らしい才能をお持ちな妹、サークレッド様はワガママで、そのワガママは集落の暗黙の了解により、寛大な心で認めなければならない。そのワガママ、不満が今までは兄であるカルに飛んでいたのだが、カルがいなくなることにより、標的がいなくなったお嬢様の矛先が姉のウェンディーを標的としてしまうかもしれない。
カルはウェンディーのことをもう一人の母だと思っているほど大切に思っている。そんな姉をほったらかしにして、自分一人だけ勝手にどこかに行くのは、少し人間としてどうなのかと、お咎めを受けてもおかしくないレベルである。
上記の二点はまだ、問題がはっきりしていてわかりやすいのだが、最後の問題はもはや、その問題に直面しているカルですら、理解不能な厄介なもので、同じ集落に住む幼馴染のマハネヤ・サラこと、春本音が常にカルの近くにいることだ。
それだけ聞くと、何も問題がないように思えるかもしれないが、傍にいる時間がはっきり言ってしまえば異常なのだ。お風呂や、夜寝るとき以外はほぼ一緒にいると言っても過言ではない。今では、たまに「お風呂一緒に入らない?」と誘ってくるほど仲がいい。あっちの世界の春本はそんな雰囲気は微塵もなく、清楚でとてもまじめ人だと思っていた。しかし、こうしてこちらの世界で多くの時間を過ごすようになり、彼女の性格のふたを開けてみると、こんなに懐っこい性格だったなんて、元の記憶からは全く想像できなかった。
サラはカルにこれでもかと言うほどに依存しており、カルを心の拠り所としているのだ。
カルが出ていけば、サラがどうなるかなんて全知全能の神でもどうなるか分かったものじゃない。泣きじゃくるだけならまだ良いほうかもしれない。どうすればこの幼馴染を説得できるか、この難問の答えは前世で解いてきた、どの数式よりも難解なものだ。
カルとサラの再会?出会いは以外にもかなり早かった。
年一回行われる、集落の五穀豊穣を祈る祭りで、初めてサラと出会ったときは、なぜか自分の視界に映る、肩にかかるくらいに綺麗に揃えられたピンク色の髪をなびかせる、とても小さな女の子が春本音だとすぐわかった。カルは驚きのあまり目を見開くことしかできなかったが、サラはとても心細かったらしく、カルに泣きながら飛びついてきた。今まで異性に抱き着かれるなんて経験は一回もなかったカルはもちろん狼狽したが、サラの小さな体から発せられるとても大きな泣き声に、謎の使命感に駆られて、サラを強く抱きしめたのは、自分の人生の中でも一二を争う勇気ある行動だと自負している。
あの時のことを、後で母に「長年会えなかった恋人にやっと会えたみたいだったよ」と言われたときはものすごく赤面したが、その母の顔は何かを失ってしまったかのような、どこか哀愁を漂わせていたのを感じて、どう返答するべきか困ったのは強い印象を残してカルの頭の中にある。その時はうまく返せなかったが、必死に何かを伝えようとしているカルの姿を見て、ふっと笑ってありがとうと言って頭を撫でてくれた。この経験がなければ、以前サラと大喧嘩をしたときに仲直りできなかったかもしれない。母の力は偉大なんだろう。
閑話休題。
そんな問題を解決する策を講じるのに頭を悩ませていたのだが、なんと、この世界の秩序を保っている『勇者』がこの集落に今日訪れるらしい。辺境の地であるこの集落に来る勇者は、勇者の中で一番若い『薔薇の勇者』だそうだ。彼は今年勇者に選ばれ、勇者に選ばれた数日後に魔人種を二人討伐したことで、人々から魔王の討伐の期待を受けている。
ちなみに、勇者は今この世に四人いる。勇者の中で最年長で、今この世界に存在している勇者の中で唯一、魔王と戦ったことがある『戦の勇者』に、現在行方不明だが、非常に強いらしい『雷の勇者』と、大陸の南部に位置する都市から全く出てこない、引きこもり体質の『鍵の勇者』、そして、最年少、本日のお客様である『薔薇の勇者』の四人だ。勇者って一人じゃないんだ、と自分の固定観念は強引に変えられてしまった。
勇者が活動の拠点としている王都で生活していても、中々会うことは難しいとされている勇者に会えるということで、今日は集落中とても騒がしい。カルもこの世界のヒーローに会えるということで、ワクワクはしているが、転生するときに神が言った言葉が、カルに一抹の不安を抱かせている。
勇者っていうのは必ずしもそうとは限らないってこと。
この言葉は明らかに悪い意味を差していたいたはずだ。
そんな明らかに不自然な不安が、小さいながらもカルの心臓を鷲掴みにして決して放さない。
このままでいいのか?安心していて大丈夫か?神の言葉をもっと深く考えるべきではないか?と。
そうして、いてもたってもいられなくなったカルは、今まであまり触らなかった父の置き土産である、漆黒の剣をおもむろに取り、誰にも何も伝えずにいつも鍛えている近くの森に入った。
今、カルが握りしめている黒剣は、黒をベースとした刀身に、不気味な紫色の光がとても細い線で刀身に無造作に走っている。柄も鞘も似たような彩色で、不思議と剣が放つ闇のオーラに吸い込まれるような感覚に襲われた。
この剣は父がお守りのように持っていたもので、母もいつ手に入れたかも、どうやって手に入れたかも一切わからないらしく、父が「カルが大きくなって、しっかりしてきたら、この剣をカルにあげてくれ」とだけ言われたらしい。なんでも、父がこの剣を抜刀した姿を家族は誰も見ていないらしい。といっても、母以外、父との記憶は全くない。サークレッドを産むために母にはあっているはずだが、ウェンディーもカルも父を見たことはない。
そんな謎に包まれた剣だが、カルの十歳の誕生日に母から渡されたのだが、カルはすぐにその場で剣を抜き、その刀身を眺め、カルだけが黒い剣の美しさに感嘆していたが、カル以外の三人はえも言われぬ恐怖に見舞われたそうだ。父は何かしらこの剣に魅力を感じてずっと持っていたのかもしれないが、その日から、この剣はカルの部屋から出てくることはなかった。何でも家族はあまり良い印象を抱かなかったようだ。妹のサークレッドに至っては「絶対にあの剣持ってこないで!」なんて怒鳴られたこともある。
集落のそばにある固糸の木が並び立つ、鬱蒼としている森の奥に行き、カルが小さい時から修行として木刀で切り続け、至ることろの皮がはがれ、傷だらけの木のそばに座り、剣を鞘から抜いた。
久しぶりの外の感覚に喜んでいるのか、心なしか蠢く紫の光が活発に動いている気がした。そして、一瞬周りの空気が暗く、重石が降ってきたかのような圧迫感が浸透した。もっとこの剣を見よ、と訴えるように。
「勇者様が来られたぞー!!」
ふと、そんな野太い喜びに満ちた村長の声が聞こえて我に返った。何もやましいことはないのだが、先ほど感じた重圧感からか、すぐに剣を納刀し、足の筋肉だけを使って腰を上げ、ズボンに着いた土を右手で払い落とす。
一層騒がしくなっている集落に戻ることを考えたら億劫になったが、行かなければ勇者至上主義の妹のサークレッドと、何かと勇者にあこがれているサラに怒られそうなので、重い腰を上げて、とぼとぼと数分前に歩いた道を反対方向から歩いた。
行く前に感じていた不安はますます大きくなり、カルの全身を駆け巡っていた。
時を同じにして、いかにも高級そうな装飾で飾られた馬車に乗ってきた勇者一行だが、こんな外れにある対して人口も多くない村に来た理由は、当然勇者たち本人しか知りえないわけで、村人たちは喜び六、疑問四の顔で勇者たちを見つめていた。
勇者たちを乗せていた馬車の御者が重そうな扉を開け、村人たちのその視線に応えるように、ミスリルで出来たような水色のアーマを全身に着ている、いかにも勇者らしき、翡翠色のふんわりとしたウェーブのかかった髪と、整った顔を惜しみなく見せびらかしている青年が、馬車から降りてきて声を張り上げ、村人たちに呼び掛けた。
「突然、この村を訪れてしまってすまない。実は今、私のパーティーに入ってくれる人を探している。この村に来た理由は、私と共に戦ってくれる仲間を見つけるためだ。」
薔薇の勇者パーティーへの参加募集。それも勇者様御本人からの勧誘。その事実に村人たちは大きく驚愕した。こんな辺境の地の集落から勇者パーティーへ加入する者が現れば、この集落は大きく繁栄するに違いない!誰かが勇者パーティーに入ったら定期的に勇者様を見れるのでは!?などと、村人たちは大いに盛り上がった。
そして、村人たちの視線は必然的にある人物へ集まった。
フィル・サークレッドだ。
幼少期からずば抜けた魔力量を持ち、魔力制御のセンスも抜群の上、炎属性との異常なまでの適性の高さ。更には、ポニーテールに結んだ、薔薇のように美しい紅の髪に、十三歳とは思えないような色っぽさがあるスラっと長い体つきと、勇者パーティーに入るには完璧すぎるステータスに、勇者たちですら驚きの声を上げた。勇者が金属の鎧を揺らしながら、ゆっくりと歩み寄り、サークレッドの目の前で片膝をつき、右手をおもむろに差し出した。
「私のパーティに入ってほしい。」
そうして、フィル・サークレッドの薔薇の勇者パーティーへの加入が決定した。
今、なぜ自分がこのような状況に陥っているのか、数時間前の状態からは全く予想ができない。
カルを襲う浮遊感と、目の前に広がる荒く削り出された岩肌。一度入ってしまえば決して抜け出すことはできないだろうと、容易に想像できる荒れ狂った川の流れ。こちらの世界に来る直前に体験した絶望感。
「死んでたまるものか・・・!」