Naked Sealed Gate
アダルティックな表現を含むかもしれないと思われます。
「アタシの名前はセタ」
つい先刻まで拳を合わせていた者同士がそこでは肩を並べていた。
獣人の少女はセタと名乗る。
雲の晴れた夜空の下、三人の若者が互いを知り合う。
「セタ、か。姓は?」
「知らねぇや」
「知らねぇって……」
少女はあっけらかんと言い捨てた。
自身のアイデンティティでもある姓を知らぬと。
「しょーがねーじゃん。自分で小便済ませられるようになった頃には既に一人だったんだからよぉ」
「…………」
察しは大いについていた。
着古した服はあちこちがほつれ、破けている。整ってさえいれば恐らく美しいのであろう銀髪も目に見えて傷んでいた。
彼女が今までどれだけの苦労をしてきたのか。
想像こそすれど、巨人の理解は至らない。至れない。
「では、何故セタという名前は知っている?」
「ん? ああ、ほら、コレ見てみな」
そう言って彼女が見せたのは、自身の首飾りだった。
ドッグタグ風のネックレスを服の下から取り出し、二人に見せる。
顔を近付けて月明かりを頼りに装飾を確認する。
「ほう」
名が刻まれていた。
保存状態はかなり劣悪で、傷や磨耗が激しい。
ただ、『セタ』という名が彫られていることは分かる。
(あれ?)
そこで、ふと巨人は違和感を覚える。
一滴の雫が波紋を呼ぶ。
「それは誰から貰ったのだ?」
「知らね」
そんな彼をさて置いて問答は続く。
とは言っても建設的な内容はほとんど含まれていないが。
「それよりさ、ニイちゃんの名前は?」
自らの出自よりも、少女は自身を打ち負かした男に興味津々のようだ。
獣人特有の特徴的な耳をピンと立たせている。
「俺か。俺はアトラス・ヘレニウスだ」
「アトラス……アトラス……」
名を耳にした途端、考え込むセタ。
視線を地面に向け、頭の中から何かを探っている様子だ。
「聞いたことあるぞ」
「そうか」
「うーん、でも思い出せねえや」
頭を抱え込んで何とか記憶を捻り出そうとする。
しかし、どう足掻いても該当するお目当ての記憶はヒットしなかったようだ。
「ちなみに、そっちはナオト。ロクハラ・ナオトという」
こっちはこっちで違和感の正体を探るべく考え込んでいた巨人の紹介を、アトラスが代理して行った。
名前を出されたところで巨人の意識は内面から注意が逸れた。
「ふーん。興味無ぇや」
「いや、何で?」
だが、悲しいかな。少女は巨人の方を一瞥しただけで、特に彼に対して興味をそそることは無かった。
その目はまるで、名も知れぬ草木を眺めているかのような。
興味を示されなかった巨人の口からはシンプルな問いが反射的に溢れる。
「だってよー、アンタ弱いだろ? アタシより弱いヤツに興味なんて湧かねえよ」
シンプルな問いのアンサーは、これまたシンプルなものだった。
彼女未満の強さの者は彼女の眼中に無い。
子供らしい非常に単純な論理だ。
「まあそう言ってやるな、セタよ」
「えー?」
「確かにナオトは才能の欠片も無いが、これでも私の一番弟子なのだ」
アトラスもまあまあ酷かった。
成り行きとはいえ勝手に弟子にした挙げ句、凡才呼ばわりだ。
巨人の胸中やいかに。
「いいか、セタ」
言葉を溜める。
諭すようななだらかな口調。
まるで教師が生徒に物を教えているかのような図に見えなくもない。
そして、アトラスは三度、口を開く。
「ナオトは君の兄弟子なのだぞ」
その一言が巨人の脳天に雷を落とした。
この言葉の意味しているところが、彼にとって衝撃だったから。
「待てよアトラス! ホントにその子、弟子にする気なのか!?」
言及するまでも無いが、兄弟子とは師匠を同じくする複数の弟子の中でも、先に師の下で修練に励んでいた者を指す言葉だ。
弟弟子なくして兄弟子は存在し得ない。
それ即ち、アトラスがセタの入門を許したということだ。
「コイツがアタシの兄弟子ィ?」
セタは怪訝な顔をして、もう一度巨人の方を振り向く。
最早、全身はアトラスの方を向いており、巨人への興味が微塵も無いことが容易に窺える。
「そうだ。同門として今日からは仲良くするのだぞ」
ニッコリと微笑んだアトラス。
優しい、優しい笑みだ。
二人が手を取り合い、友情を育むことを信じて疑っていないような。
しかし、それは同時に残酷な提案でもあった。
それは教師が、「それじゃあ自由に二人一組のペア作ってねー」と言わんばかりの。
「ブホッ! ガボッ! お、溺れッ、るッ!」
朝日が水面を照りつける。
小鳥の囀り、風に揺れる草木の囁き、清流のせせらぎ。
それら全てを台無しにするとある少年の苦悶と水飛沫を上げる三つの影があった。
「やっぱシショー速ぇな!」
「セタも中々のものだぞ!」
川の流れと逆行し、上方へと尋常ではないスピードで泳ぐアトラスとセタ。
『ニイちゃん』改め『シショー』の背を猛烈なスピードで追いかける。だが、アトラスの速度はそれ以上だ。
そして遥か後方では、穏やかな水流の勢いにすら負けて必死に手足をバタつかせる巨人の姿があった。
「ほっ」
「クソッ! 負けたぁ!」
川の中ほどにでんと鎮座する小岩にタッチして泳ぎを止めたアトラス。セタはアトラスより三秒遅れてその小岩に触れた。
「チクショー! 泳ぎでも負けちまったかー」
「やはり筋が良いな、君は」
「ヘヘッ、そうだろ?」
小岩を掴み、互いを称え合う二人。
しかし、その後方では、
「まッ、待ってくれぇ!」
巨人が牛歩の如く鈍いペースで二人へ近付こうと必死に泳いでいた。
スピードの割に合わない激しい水飛沫を上げながら。
「ったく、遅いぞナオト」
「ぶぇックション!」
全裸になって肩から浴布を羽織る巨人。
大きなくしゃみで全身を震わせる。
三人は川辺に上がり、水気を拭っていた。
「それにしても流石だな。獣人というのは」
「だろー?」
恥ずかしがって二人に背を向けている巨人とは裏腹に、アトラスとセタは全く隠す気もない様子。
いつもの調子で談笑していた。
勿論、全裸である。
「お前ら恥ずかしくないのかよ……?」
頬を赤らめ、三角座りのまま二人の方を振り向く巨人。
視線は二人から外したまま。
「何を恥じる必要がある? 人様に見せられないような情けない体に鍛えたつもりはないぞ」
「貧民街じゃ恥と良心を捨てたヤツだけが生き残れるんだぜ」
片や的外れな、片や割りと重めな返答である。
無論、巨人は納得できるはずもない。
知性ありし人間として、間違っていないのは巨人の方なのだから。
「そんな割り切れねえよ」
若い男女が全裸で屯しているこの状況。
いくらセタが自分より年下であるとはいっても、年頃の男子には少々キツイ。
そして裸の男と女が三人、何も起こらないはずが無く……。
「よし、修行を続けるぞ」
「よっしゃ! 何でも来い!」
「え? 今から?」
何も、いや、この状況ならばナニをと言うべきか。腰に手を当てて泰然と再開を宣言したアトラス。
セタは待ってましたとばかりにはしゃぎ、巨人は全く予想もしていなかったスケジューリングに目を白黒させる。
「いや、でもさ、今のオレらの格好見てみろよ」
「ぬ?」
「だから、マッパじゃん」
衣服を纏う。
文明人として至極当然の状態。
自己のアイデンティティを表現する手法としても衣服は活躍し、むしろ衣服という発明が確立してから幾時代も経てばそちらが主だった目的となる。
源流を辿れば、衣服とは外界に溢れる脅威から身体を守護する役目を持っていた。
日射或いは吹雪、毒草に毒虫等々。
つまり衣服を着用していない状態は、肉体的に無防備な状況とも言える。ましてや衣服を纏っている状態こそが常である文明人としては、裸は心理的にも無防備な状態であると無意識にインプットされている。
要約すると、「全裸で修行とか頭おかしいの?」と巨人は言いたいわけだ。
しかし、それはアトラスも百も承知だ。
「そうだな」
「いやさぁ、そうだな、じゃなくて……」
姿勢を全く動かさないアトラス。
巨木が如く芯をぶらさない。
下ネタではなく。
「巨人よ、君は『丸裸では戦えない』とでも言うつもりか?」
「え、だって、普通そうじゃない……?」
全裸ではある。全裸ではあるが、アトラスの面持ちは至って真剣そのものだ。
正直、ギャグか何かだと思っていた巨人はその雰囲気に気圧される。
アトラスは鼻から短く息を吐き、一拍置いて彼を諭し始めた。
「師より聴いた話だが、巨人のいたニホンという国にはミヤモト・ムサシという剣豪がいたそうだな?」
「え、おう……」
日本人なら知らぬ者はいない剣豪中の剣豪、宮本武蔵。
本来なら知らないはずのアトラスの口からその名前が出たことにより、巨人は少し戸惑いを見せる。
「彼は『常在戦場之心得』を肝に銘じており、常に油断が生まれる状況を嫌い、避けていたそうだ」
「お、おう」
「特に風呂嫌いとして有名だそうでな、裸でいる状況に油断が生じることを理解していたのだろう」
「あー、聞いたことあるな」
不敗の剣豪とも知られる宮本武蔵は、無類の風呂嫌いとしても有名である。
無論、当時の不完全なインフラ整備の中、毎日入浴している人民はそう多くなかったらしいが、その時代背景を考慮しても武蔵の水回り事情はずば抜けて酷かったそうだ。
鼻汁は袖口で拭い、垢に塗れた衣服を平気で着用する。
常人には理解できない衛生観念。
幾度もの死線を潜り抜けてきた武人だからこそ足を踏み入れられる狂気の領域。
アトラスはそこに着目したのだ。
「つまり、全裸でも油断が生じない修練を積めばいい」
「さすがシショー!」
「分からん」
間違いでは無いかもしれない。
しかし、突飛過ぎた。
「ええい! 頭ではなく体で理解しろ!」
「ほげッ!」
バコッ
案外、短気だったアトラスが痺れを切らす。
言い終わるが早いか、巨人の胸元目掛けて一直線に掌底突きを繰り出した。
そして直撃。
完全に油断していた巨人は三回、四回、五回、無様な格好で後方に飛ばされ転がされた。
ドM御用達の体勢で尻を晒す。
胸部を鈍く響かせる津波のような衝撃と、肛門が外気に触れるインモラルな解放感が同時に襲いかかる。
「ジッセンレンシュー、ってヤツだなッ!?」
「理解が早くて助かる」
早々にアトラスの意図を汲んだセタは、嬉々として爪を剥き出しに跳びかかる。
突き出した左腕を直ぐ様引き、隠し切れない満面の笑顔でアトラスはセタと相対する。
根っからの戦闘狂なのだろう。
二人の性器は涎を垂らして悦んでいた。
ひっくり返った全裸の少年が一人、準備万端(意味深)な戦闘狂の全裸少年少女が二人。
特殊乱取り稽古(状態:全裸)の開始であった。
「ああ、何か…………」
全裸でいても空は青い。
少し離れたところで戦闘を行う二人の後方で、ちんぐり返しの姿勢のまま、巨人は自身の股の間から蒼天を眺める。
そして見つけてしまった。
「目覚めそう……」
深奥にて封じられていた禁固なる門扉を。
風が肛門と会陰部を撫でる擽ったい感覚に身を委ねながら。