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Re:クエスト~武闘家志望の元・勇者~  作者: 銀河系銀仁朗
7/10

志望

 『人を殺す犬』。

 嘗ての文筆家、小林多喜二の小説だ。

 詳細こそ割愛するが、作内では題名通りに犬が人間を殺す描写が展開されている。

 犬が人を殺すなど実際に有り得るのだろうか。


 結論から言えば有り得る。

 その可能性は十分に。


 愛玩動物として確固たる地位を築く犬。

 しかし、奴らは時として人間に牙を剥く。

 事実、犬が人を襲い、深い傷を負った事件は世界中に点在する。

 犬が家畜化されておよそ二万年から四万年と云われているが、決して牙をもがれた訳ではないのだ。


 犬の祖たる狼ならば危険度はさらに上昇する。


 牙、爪、身体能力、そして野性。

 生物としての格は人間の遥か上。


 手加減というものを奴らは知らない。

 容赦というものを奴らは知らない。


 命が惜しくば、絶対に闘ってはいけない。

 闘ってはいけない……はずなのだが…………。






「うおォッッシャァッ!!」


 ビュンッッ


 命を根元から刈り取るような鋭い爪撃が走る。

 間一髪、アトラスは上体を反らし、退くことでそれを(かわ)す。

 文字通り空を切る音が、離れている巨人(なおと)の耳にも聞こえた。


「ッらァァッ!」


 間髪入れずに次弾が放たれた。

 横一文字をなぞる爪撃。


「ぬッ」


 胴体めがけて放たれた一閃を、腰を引くことで避ける。

 巧い。

 しかし、ギリギリだ。

 爪に触れた衣服が切り裂かれる。


「どりャァッッ!!」


 横に薙いだ勢いをそのままに一回転。

 回転力を活かしながら、上段飛び廻し蹴り。所謂、アクセルキックの型。


「チッ」


 バヂィンッ!


 回避が間に合わないと判断したアトラスは両腕で右側頭部をブロックした。

 脚部が腕を叩く音が響く。

 全体重の乗った蹴りを受けた腕に乾いた痺れが明滅する。


 瞬く間の三連撃。

 巨人はその知覚すら間に合わなかった。

 テレビで放送していたような格闘技とはまるで質が違う。

 しかも攻撃を行った人物というのは、目の前の年端もいかぬ少女。


 そんな場合でないのは分かっている。

 しかし、巨人は思わざるを得なかった。


(ああ、やっぱり異世界なんだ……)


 と。


「しィッ!」


 小さい、しかしそれだけに高密度の力が圧縮された拳が飛来する。

 体当たりでもするかのような勢いで踏み込んだ。まるで弾丸だ。


 だが、当たらない。


「よッ」


 ペちッ


 暖簾をかき分けるように、窓の汚れを落とすようにとても自然な挙動で少女の右拳を受け流す。

 全体重を乗せていたがために、少女はそのままアトラスの後方まで体を泳がせる。


「たァッ!」


 振り向き様の爪撃。

 真っ二つに切り裂かんとした敵意丸出しの一撃。

 しかし、アトラスは既に間合いの外。冷静に少女を見つめる。


「当たれッッ!!」


 跳んだ。いや、翔んだ。

 渾身のドロップキック。

 魅せ技の筈の飛び蹴りが、まるで隙無し。


 ドガッ


 直撃。


「アトラス!」


 ガードも無しに喰らってしまった。

 顎がかち上げられる。

 反射的に巨人が叫ぶ。

 さしもの彼とて斯様な一撃をもらってしまえば、ただでは済むまい。

 巨人は一瞬にして体温が下がる感覚に襲われた。


 だが────


「へっ?」


 フワッ


「ふう、危なかった」


 心配など要らなかったようだ。

 枝葉が風に揺られるように、彼は自らを襲った衝撃に迎合したのだ。

 力の流れに乗り、落葉の如き軽身の後方宙返り。

 ダメージは見当たらない。


「素晴らしいな。獣人でもここまでのレベルの者は中々お目にかかれないぞ」


 音も無く着地を決めたアトラス。

 防戦を決め込んでおきながら、自らを害する少女を称賛する余裕。

 顎を摩りながら目を細める。

 抑え切れない歓喜が表情に現れていた。


「ニイちゃんの方こそ、やるじゃん。ヒト種のクセに」


 対して少女の方も嬉々とした表情を堪えきれずにいた。

 牙を剥き出して喜色満面の笑みを溢す。その目は猛獣のままで。


「おや、バレていたか」

「当たり前だろ? 耳も尻尾も爪も牙も、そんで臭いも獣人とは全く違う。昼間はヘタクソな言い訳してたけど、アタシの鼻はごまかせないぜ!」

(昼間からつけ狙われてたのかよ!?)


 フンッと鼻を鳴らし、胸を張ってふんぞり返る少女。

 確かに今は二人ともが外套を着てもいない。

 ヒト種とバレるのは必然と言えるだろう。

 だが、巨人が食いついたのはヒト種とバレていたことではなく、かなり前から尾行されていたことだったようだ。

 己の勘の鈍さを恨めしく思う。


「ま、そろそろ本気でやっちゃうか」

「それは楽しみだ」

(あれで本気じゃなかったのか!?)


 グルグル肩を回して準備万端といった風情の少女。

 呼応してアトラスも口角を歪める。


「その前に、な?」


 少女がゆっくりと歩み寄った。

 そして、右手を差し出す。

 不敵な笑みは嘘のように鳴りを潜め、柔和な笑顔で握手を求めた。


「ニイちゃんみたいな強いヤツ、アタシ大好きだ」

「フフッ、面白い少女だ」


 無防備に握手に応じたアトラス。

 お互いの掌が重なり合う。


(あれ? これどういうこと?)


 一転、一転、また一転。

 目まぐるしく変化する状況を飲み込めず、呆然と二人の挙動を見守る巨人。

 言うまでもなく、握手とは友好の証。

 これにて一件落着なのか否なのかと、縒り合った思考の糸がこんがらがる。

 無論、これで終わる筈も無く。


「ニイちゃんさぁ、ホントお人好しなのな」

「む?」


 苦笑か嘲笑か。

 少女は言われるがままに手を差し出したアトラスを憐れむような目を向け、鼻で笑った。

 そして、爆発的な圧力が彼の右手を襲う。


「むッ……!」


 握られている。そう、握られているだけだ。

 だが、少女の容姿からは想像できない強烈な握力がアトラスの手を潰しにかかってきた。

 破壊の意志が彼女の指を介して伝わってくる。


「ハッハッハッ! このままブッ壊してやるぜェ!」

「き、きったねェ!」

「油断してる方が悪いんだよ!」


 不意打ちと言えば不意打ちかもしれない。

 しかし、ここはリングの上ではない。どちらかが必殺必倒の意志を抱いた時点で闘いは始まる。インターバルも無い。

 そう、それはアトラスも了承していることだった。


「『柔()く剛を制す』、だったか」

「アトラス?」


 ぽつりと呟く。

 その瞬間、アトラスは少女の手を急激に引くと共に、彼女の背後へ自らの背を合わせた。

 合わさった手は肩越しに構えて。


「へ?」


 手はしっかりと握られたまま。

 自分よりも背の高いアトラスに背負われたような形になった少女は爪先立ちで体勢を維持するだけ。何が起こっているのか見当がついていない様子だった。

 少女の右手首に左手を添える。

 整った。


「フッ!」


 ズガァンッッ!


 四方投げ。

 合気道にて伝わる投げ技の一種である。

 腕を捕って無防備にも崩れた相手を、刀剣を振り下ろすような烈鋼の勢いで投げ落とす恐ろしい技。

 最も危惧すべきは受身が取れないこと。

 腕を捕られ、ろくな準備も出来ないままに地面に落とされる。

 熟練者でも四方投げがモロに決まれば、恐らくただでは済むまい。

 無論、少女も例外ではなく。


「ぐ、ハッ……!」


 後頭部から床に激突した少女。

 投げ技の恐るべき点は、重力分の負荷が肉体を襲うことだ。

 覚悟をする暇さえ与えられずに地に叩きつけられた彼女のダメージは計り知れない。


「このように力で勝てない相手には技を以て返す。基本中の基本だ」

「えぇっと……」


 鮮烈なKOシーンに似つかわしくない極めて平静な声。

 まるでこの展開が来ることを予め知っていたかのよう。


「ハッ、ハッ、ぐゥうッ……!」


 迫り上がった横隔膜が肺を潰す。

 肉体が、脳が酸素を欲するも、まともな呼吸など今の彼女に出来得るはずもない。

 視界は霧がかかったように酷くぼやけている。

 戦闘を続行するどころか、立ち上がることも出来ない様子。

 火を見るよりも明らかな敗者の図であった。


「とにかく今はここを出よう」

「えっ?」


 少女の腕を握っていた手を離し、テキパキと出立の準備を始めたアトラス。

 外套と荷袋を肩に掛け、窓の方へと歩み寄った。


「少しばかり騒ぎすぎた。これを発見される前に逃げる」

「えぇっ?」


 窓枠に足を掛ける。

 巨人は全く話に着いていけていない。


「悪いが今日も野宿だ」

「えぇぇっ?」


 三階建て最上階の部屋。

 アトラスは夜の闇に塗り潰された窓の外へと飛んだ。


「えぇ……」


 ダメージから身動き一つ取れない少女と、驚きから身動き一つ取れない巨人。

 各々の理由で動けない二人の若人の姿がそこにはあった。






「ハァ……たまにはベッドで寝てぇよぉォ……」


 星空の下、二人の青少年が湿った土に背を預けて寝転がっていた。

 若干の冷気を含んだ土の濡れた臭いが彼らの鼻腔をくすぐる。


「慣れれば野宿もそう悪くないぞ」


 仰向けに星天を眺めるアトラスと口惜しさに背を丸めて横になる巨人。

 二人はあれから少女をそのまま放置し、街外れの林道に影を潜めることにしたのだった。

 辺りに人通りは無く、灯りはぽっかりと浮かぶ月の光のみ。

 しかし、それもまた時々雲に遮られは下界への光が断たれる。

 風に揺れる草木の夜の声だけが、二人の鼓膜を僅かに震わせる。


「そうは言ってもさぁ……」


 未練タラタラな様子の巨人。

 少々、恨みがましい目つきをしてみせる。


「まあ、何だ。明日のために早く眠ろうじゃないか」


 特に気にすることも無く、アトラスはそのまま就寝しようとする。

 巨人も納得はしていないが、ここまで来てしまったことにはもう仕方がない。

 疲労を土の湿り気に預け、目蓋を閉じる。


「ハァ、散々だよ……」


 瞳を閉ざせば視界の闇が一層濃くなる。安らかな闇が。

 強張った肉体がほどけていく。気怠い重量感が溶けていくようだった。

 水気を含んだ土が、火照った体を冷ましてくれる。

 案外、野宿も悪くないというアトラスの言葉も分からなくはないという気持ちを抱く。だからと言って肯定する気にもなれないが。

 取り留めの無い記憶や思考が、泡のように浮かんでは消えていく。泡は群れになって生まれは消えてを繰り返し、徐々に落ち着いていく。

 やがて水面の表層が凪ぐ。

 体が休息を受け入れた。

 意識も無いままに意識が遠のいていく。


 覚醒と入眠の境界線を越えようとしたその時だった。


 ペタ、ペタ、ペタ


 軽い足音がした。


 神経が急激に昂る。

 一度は入眠を受け入れた体が醒めていく。

 咄嗟に飛び起きた巨人は足音の方を凝視する。


(誰だ……?)


 ペタ、ペタ、ペタ


 足音は明らかにこちらへ近付いてきている。

 迷い無く。

 隣に顔を向けてみれば、アトラスは既に立ち上がって戦闘態勢を整えていた。


 ペタ、ペタ、ペタ


 伸ばした自身の手指さえ見えない闇の中、足音の主が歩み寄ってくる。

 唾を飲む音がやけに大きい。

 全感覚を総動員するも、相手の位置は捉えきれない。


 ペタ、ペタ、ペタ


 足音はついに目と鼻の先に。

 そして、ちょうど雲が晴れる。

 月明かりが地上を照らし、足音の主を明るみに引きずり出した。


 そこにいたのは、


「お前、さっきの……!?」


 アトラスに投げ落とされた獣人の少女だった。


「まだ、何か用でも?」


 寸分の隙も見せないままにアトラスが問いかける。

 脱力した両腕はだらんとぶら下がったままではあるが、それすらも構え。何時でも踏み込める。何時でも突き出せる。


「…………」


 緊迫した状況にあって少女は口を開かずにいた。

 草木の擦れる音が風に散る。

 意志の灯る眼差し、そして神妙な面構え。

 何を決意したのか。


「アタシは……いや、アタシを…………」


 姿勢が徐々に低くなる。

 上体を前傾に撓ませ、ゆっくり膝を折った。

 相対する二人の視線を一身に浴びる。


 蹴るか、突くか、裂くか、はたまた噛むか。


 多種多様のイメージが二人の脳裏をよぎる。

 緊張の糸が千切れんばかりに張りつめる。


 そして少女は、


「アタシを弟子にしてくれ!」


 土下座した。

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