都と銀獣
「ほへー、ここが都かぁ」
巨人が視界のほとんどを占領する街並みを仰ぎ見る。田舎者らしく辺りを忙しなく見渡しながら。
「あまりキョロキョロするな。怪しまれるだろう」
二人は外套を羽織り、顔を隠しながら街を歩く。外套を頭から被っている時点で怪しさは隠し切れていないだろうと巨人は思うが、それ以上の善後策も思いつかなかったので取り敢えずアトラスに従い、視線を落ち着かせた。
「で、なんて名前だったけ? ノシ、ノシ……?」
「ノシキだ。獣人の国、ディコィ・カムイ専制公国の中央都市、ノシキだ」
「あ、それそれ」
アトラスが旅を始めておよそ二十日。二人が出会い、巨人が修行を始めてから十五日。旅の合間に修行、と言うよりも修行の合間に旅という風なスケジュールのせいで、アトラスの予定よりも大分と到着が遅れてしまったそうだ。
僅かではあるが、巨人の体つきにも変化が見て取れる。無駄な肉が削がれ、筋肉が少しだけ増えた。ほんの少しだけ。
「でも何でここに? もしかして親父がいるのか?」
「知らん」
「いや、知らんって……」
アトラスは巨人の方すら向かずに答える。
期待の籠った疑問は、簡素な否定であえなく散っていった。
「人の多いところなら聞き込みも捗るだろう」
「あー、地道に探していくのね……」
「すまないが、それしか考えつかん」
聞き込みという単語を耳にして、巨人の頭の中で刑事モノのドラマのワンシーンが思い浮かぶ。ああいったものは往々にして、事件解決の鍵となる情報がすぐに手に入る。無論、放送時間やストーリーのリズムを考慮しての構成故である。現実はそう甘くない。巨人は警察官でも何でもない一市民、一学生だったが、それくらいの判別はついている。
「そこの御仁、少しいいか?」
「おう? 何だ?」
終わりの見えない未来を憂いて落胆する巨人をよそに、アトラスは早速、すぐ近くに店を構える獣人に声を掛けた。
ベージュっぽい髪色と犬耳が特徴的な壮年の男だった。人の良さそうな顔をしている。店先の商品からして、青果店を営んでいるのだろう。
彼の抱える木箱には、溢れそうなほどリンゴが詰め込まれていた。真っ赤な表皮が食欲をそそる。
「実は人探しをしていてな。ロクハラ・ナギトという男を知らないか?」
「あー、ソイツは何種だい?」
「ヒト種だ」
男は木箱を抱えたまま、その場に突っ立って記憶を遡っていく。
だが、芳しい答えは得られなかった。
「ワリィが聞いたことねぇや」
「そうか、こちらこそ時間を取らせて悪かったな」
本当に申し訳なさそうな面持ちで謝る男の姿は、巨人の記憶にある獰猛な獣人の姿とはかけ離れていた。果たしてどちらが本当の姿なのか。今の巨人には判別出来ず、一人頭を悩ます。
そんな巨人をよそに、二人の会話は続く。
「それにしても美味そうなリンゴだな」
「ああ、採れたて新鮮リンゴだ。味は保証するぜ!」
「そうか、ならば二つ戴こう」
「毎度ありッ!」
元気な商売人の声が響き、巨人が少し怯んだ。腹の底から出た良い声だ。
アトラスは重い音のする巾着袋を懐から取り出す。
そして、袋から銀貨を取り出した瞬間、男の目が変わった。巨人の記憶にも新しい。あの時の獣人達と同じ目。
「アンタ、これ……ヒト王んトコの銀貨じゃねぇか」
銀貨をつまむ獣人の指では、ヒトには無い鋭く硬化した爪が光っている。
あまりの変貌っぷりに、巨人の心臓が突然跳ね上がる。鼓動が激しくなり、血液が四肢に集まるのを感じる。拳を固く握り締める。
アトラスはその状況にいて、全く動かずにいた。緊張しているのか、焦っているのかも分からない。何を考えているのかも。
「それに、さっきからヒトの臭いがプンプンしてやがるんだよなぁ……」
(バレてるぅ!?)
わざとらしくスンッと鼻を鳴らし、顔をアトラスに近付けて威嚇する男。確信を持っているのだろうか。
気が気でないのは巨人の方だ。以前は運良く戦闘を制止されたが、今回も同様とは限らない。
昼前の露店通り。人の数はあの時と比べ物にならないほど多い。
どうやって逃げるか。どうやって生き延びるか。巨人の脳内では、その思考ばかりが渦巻いていた。
やがて、事態は動く。
「実はな──」
アトラスが口を開いた。
巨人も店の獣人も、彼の言葉に耳を傾ける。
鬼が出るか蛇が出るか。
「俺達は普段、行商人をしているんだ。先日はカワード王国に赴いていてな」
真っ赤な嘘。
フードの下からは、全く焦りを見せない瞳と作為的な笑みが覗いている。
大した役者だと巨人は思う。肝が据わっている。
だが、騙し通せるかは別だ。
「ヒトの臭いがするのも、その時に移ったせいだろう」
「ふーん……」
口をついて出てくる虚構。
獣人の男は相変わらず探るような目つきでアトラスを睨んでいる。
両者共に動かない。
幾ばくかの沈黙が流れる。
実際には数秒程度のものだったろう。
しかし、巨人にとっては何十分、何時間とも思えるような長い永い静寂だった。
引き延ばされた時間の中で、ただただ荒い呼吸を抑えることで必死だ。
そして、沈黙は破られる。
「そうか! アンタらも苦労してんだな!」
破顔一笑。
訝しげな表情は一転、男はカラッとした笑顔に様変わりした。疑念に満ちていた瞳の色はもう見えない。
何とかやり過ごせた。巨人は人知れず安堵の溜め息を漏らす。
「それじゃあコレ、お釣りの銅貨二枚ね」
「ああ、ありがとう」
「また来てくれよ!」
気の良い笑顔で客を見送る獣人の青果屋。
二人は渡された釣り銭とリンゴを手に、その場を後にする。
焦燥や動揺の色を全く表出しないアトラスとは対照的に、巨人は直前まで強張っていた面の皮を思い切り弛緩させていた。それも致し方無しか。
「焦ったぁ……」
「想定内だ。ほら」
「え、このまま食えと?」
胸を撫で下ろして心から安堵する巨人に、リンゴがそのまま渡される。
シャクリと小気味良い音を立て、リンゴを丸噛りするアトラスの表情はまだ諦めを知らない。
「次、行くぞ」
「マジかー……」
足早に露店通りを歩き往くアトラス。
巨人はただただその後を小走りで着いていくしかなかった。
「すまない、ロクハラ・ナギトというヒト種の男を知らないか?」
「聞き覚えの無い名前だねぇ」
「そうか、ご協力感謝する」
「ロクハラ・ナギトという男を知らないか?」
「いやぁ、知らないなぁ」
「そうか、ありがとう」
「ロクハラ・ナギトを知らないか?」
「うーん、ごめんなさいねぇ」
「そうか」
「ロクハラ・ナギトという……」
「知らなーい」
「ぬぅ……」
「ロクハラ……」
「ニャーン」
「…………」
そして、何の手がかりも得られぬまま夜を迎えた。
「疲れたー!」
疲労感に任せてベッドに勢い良く倒れ込み、煩わしい外套も脱ぎ捨てて横になる巨人。
結局、数十人ほどの住民に声をかけてみたものの、誰一人として彼らの望む答えを持つ者はいなかった。
夜の帳が広がり人気も少なくなった街では、これ以上の収穫は見込めないと踏んだ彼らは宿を取ることにしたのだった。
「これも想定内ってか?」
「ああ……すまないな」
「いや、別に責めてるわけじゃないよ……」
一日中歩き回った挙げ句、何一つ望ましい収穫を得られなかった失望と疲労からか、二人の間には形容し難い薄暗い空気が澱んでいた。
予期せずとは言え、皮肉めいた発言を恥じて、一人気まずくなる巨人。
アトラスはベッドに腰掛け、動かないでいた。
巨人からはその背中しか見えない。
「その……ゴメン……」
寝転んだまま謝罪を口にする。
さらに体が重くなるのを感じた。
「構わん。ナオトが思うことも尤もだ」
静かな慰めだった。彼本人もこの状況には納得していないのだろう。
巨人の目には相変わらず彼の背中しか映っていない。大きく、それでいて頼り甲斐のある彼の背中も、今は暗く沈んで見えた。
「…………」
「…………」
重苦しい沈黙が流れる。
口を開きたいが、疲労に支配された頭では何を口にするべきかも判断できない。
巨人は取り敢えず思ってみたことを口に出してみた。
「明日はさ、明日は何か掴めるよ! ……多分」
手垢にまみれた励ましだ。陳腐なうえに、自信の無さから余計な一言を付け足してしまう。
下手くそな言励だ。
だが、今はそれくらいで丁度良いのかもしれない。
「フフッ」
あまりの下手さ加減に、アトラスはつい失笑してしまった。
動かなかった背中が少し震えた。
そして、弾みをつけて立ち上がる。
「そうだな。今は明日に備えて休むだけだ」
「お、おう!」
重苦しい空気はいくらか雲散した。
振り返って巨人と視線を合わせ、微笑んだその顔は影ひとつ無く晴れやかだった。
「その前に、だ」
「ん?」
視線を巨人から外し、扉へと移す。
腰掛けていたベッドから立ち上がったアトラスは、その足で部屋の出口まで歩み寄る。
そして、迎え入れるように扉を開くと同時に、そこにいた第三の人物へと声をかけた。
「それで、御眼鏡には適ったかな?」
「ゲ……」
扉の向こうには、聞き耳を立てて戸へ張りついていたのだろう獣人の少女がいた。
気配を隠していたのだろうが、アトラスにその存在を察知され、さらには姿を晒された。彼女の面持ちからは焦りの混じった驚愕が見て取れる。
銀の長髪が特徴的な幼い獣人。灯りに照らされた髪は鋭い白光を放つ。だが、綺麗なばかりではない。傷んだ髪と薄汚れた身なりが彼女の身の上を語っていた。
「バレてた……?」
「ああ、ずっとな」
「えっ、何!? 何!? この子誰なの!?」
まさに三者三様のリアクション。
少女は驚き、その目を丸々とさせてはいるものの、口調は静かなものだ。アトラスは全く動じていない。親しい隣人と言葉を交わす程度の平常具合である。最も取り乱しているのは巨人だ。疲れも忘れて飛び起き、心に浮かんだ疑問をそのまま叫ぶ。
「マジかー、ニイちゃん鋭いな」
「お褒めに与り光栄だ」
何も無かったかのように会話を交わす二人。アトラスは兎も角、少女も心から驚いた表情はすっかり消えていた。
巨人だけが置いてけぼりだ。
「何!? ホントに何なの!?」
突然な予想外の来客に狼狽え、状況を飲み込めずにいる巨人。頭の片隅では「ドッキリのターゲットってこんな感じなのかなー」などと、全く関係の無い感想が顔を出す。
「それで、何の御用かな?」
「へへっ、ちょーっとニイちゃんたちに相談があるんだ」
「相談とな?」
不敵に笑う少女。真っ赤な眼と縦長の瞳が、獲物を狩らんとする獣の目と重なる。
自分の胸元に届くか否かという程度の背丈しかない彼女に対し、アトラスは客人を迎える微笑を湛えたまま言葉を待つ。
「金目のモン、全部置いてってくんねぇかな?」
少女の雰囲気が変わる。
「ほう……」
「ヒッ……!」
獣の圧。
脅威が肌を突き刺す。
未だ嘗て無い巨獣のプレッシャーが二人を食らわんとする。
「痛いのはイヤだろ? 大人しく言うことを聞いてくれたら何もしないからさ」
太く鋭く生え揃った手の爪をわざとらしく見せつける。
そんな物を目にすれば、想像を掻き立てられずにはいられない。引っ掻くなどという生温い表現では到底物足りないだろう。
裂く。千切る。貫く。破る。断つ。
巨人の脳内では、陰惨なイメージが本人の意思と裏腹に次々と湧いて出る。
こんな怪物と闘って無事に済む筈がない。
それが唯一、言葉にできる全てだった。
「ふむ、断ると言ったら?」
「悪いけど痛い思いをしてもらうことになる」
悪いなどとは口にしているが、その顔貌に罪悪感の色など一片も見当たらない。一方的に痛めつける行為に一切の躊躇いも感じられない。
猛者の風格、と言ったところだろうか。
対するアトラスは未だ微笑を絶やさず。凶獣を眼前にして、微塵の恐怖心も抱いていない。構えという構えもせず、直立不動を崩さない。
強者の貫禄、と言ったところか。
「ナオト」
「えっ!? は、はい!」
突然の呼びかけに驚き、巨人は声を上擦らせて応答する。
アトラスは飽くまで相対する少女から視線を外すことはしない。
「今日の修行は見取り稽古だ」
「へ?」
その言葉の意味を図りかねる巨人は、間抜けな声を出すだけ。
彼が注視するアトラスの後ろ姿が徐々に沈んでいく。
『構え』だ。
「師の背中から学べ」
足腰は巨木の根張りが如く広く低く。
上体は枝垂れ柳のように軽く柔く。
それが意味するところとは一つ。
「ヤる気満々かよ」
闘争だ。