セカンドキャリアは武闘家で
「命が惜しけりゃ、金目のモン全部置いていきな!」
「別に殺してやったって構わねぇんだぜ!」
小鳥囀ずる昼下がりの山中、百姓の牽く荷馬車を襲う山賊の姿があった。数にして、およそ二十そこら。明らかに手入れの疎かな刀剣や弓矢をこれ見よがしに誇示していた。
前方を封鎖され、制止させられた百姓の老夫は、歯を鳴らして恐怖する。手綱を握る手は分かりやすく震えていた。
「たっ、頼む! い、命だけは助けてくれぇ!」
蒼白な面持ちで命乞いをする農夫。声は上ずり、その必死さが痛いくらいに窺える。
しかし、無情にも彼らの心を動かすほどではなかったようだ。
「頭ぁ、メンドクセェし、もう殺っちゃいましょうよ!」
「ハッ、殺す前に奪うのも殺してから奪うのも同じことか。殺っちまえ!」
「そ、そんな!」
面倒臭いと訴えた山賊の男が、自前の鉈を振りかぶり、農夫に斬りかかろうとする。
殺しを厭わず、むしろ楽しそうに笑うその面は、農夫にとって厄災そのものでしかなかった。
「恨むんなら、自分の運の悪さを恨むんだなぁ!」
「ヒイイィッ!」
頭を抱え、本能的な防御姿勢をとる農夫。しかし、到底迫り来る刃から逃れられる訳も無い。
そして、鉈は農夫の脳天目掛けて振り下ろされ──
「ボゲッ!」
──なかった。
「えっ?」
「御仁、すまなかった。少し眠気と戦っていてな」
己を害するはずだった刃などは無く、むしろ鉈を振り下ろしたはずの山賊が伸されていたのだ。
代わりに、フードを目深に被った青年の姿がそこにあった。彼は農夫の隣に立ち、現在置かれている危機的状況にも全く動じた様子も見せない。それどころか、事態に気付かず睡魔と格闘していたという豪胆ぶり。
「おいテメェ! 何モンだコラ!?」
「この御仁のご厚意で荷馬車に乗せてもらっていた同行人だ」
山賊の威圧にも顔色一つ変えない。フードで顔の委細までは見えないが。
「テメェ、死にてぇのか!?」
「死にたくはないな」
「なら、今すぐ金目のモン置いてとっとと失せろ!」
「それは出来ん」
「何だとぉッ!」
まるで堂々とした受け答え。数の利、武器のハンデにも全く恐怖を感じていない。
山賊達としては、それが面白くない。普段から忌み嫌われ、恐れられている彼らとしては、たった一人の若造に嘗められていることが気に食わなかった。
しびれを切らした山賊達は、誰が合図をするともなく、標的をたった一人の青年に変更した。
「殺っちまえ!」
「「「おう!!」」」
一斉に凶刃が襲い掛かる。
「死ねぇ!」
「軽々しく『死』を口にするな」
グチュッ
「フゴッ!」
棍棒を振りかざして無防備になった男の鼻っ面に、青年の裏拳がめり込む。あまりの衝撃に男は、目に涙を溜めてその場に踞った。
だが、臆する様子無く続けざまに他の山賊が一気に青年を殺しに掛かる。
「オラァッ!」
「甘い」
グシャッ
「グアァッ!」
横薙ぎに振るった刃は空を切る。
身を屈ませて斬撃を躱した青年。男の懐に潜り込み、ついでとばかりに突き出した肘が男の肋骨を砕く。
男はあまりの痛みに武器を手放し、脇腹を押さえ、藻掻き苦しむ。
「この野郎!」
「粗い」
ズブゥッ
「グエェッ!」
手斧を縦一文字に振り下ろすべく、予備動作に入る男。しかし、目の前の青年を相手取るには大きすぎる隙だった。
青年は、斧を振りかぶり一直線に駆け込む男の腹部を蹴り込む。一切の無駄の無い見事な前蹴り。
自らが踏み込む力と青年が蹴り込んだ力が合わさり、男の体内では未曾有のダメージが氾濫する。
「これならッ!」
後方より矢が射られた。
ギチリと張られた弦に弾かれた矢は一直線に青年へ飛び掛かる。
「殺気が駄々漏れだ」
ブスッ
「痛ッてぇェエェェェェ!」
「んなっ!?」
しかし、青年にとってはどうということも無かったようだ。
鼻っ面を押さえて踞る男の首根っこをむんずと掴み、そのまま片手で引き上げて自らの盾としたのだ。盾にされた男の背に矢が深々と突き刺さった。
「ナメんなァ!」
尚も襲い掛かる山賊。
キリの無い展開に少々苛立つ青年。
「しつこい」
ベシッ
「はっ?」
走り込んで来る男にタイミング良く足払いを合わせた。走行動という周期的な体重移動の最中にあった足を掬ったのだ。
綺麗に足払いを喰らった男の体はフワリと宙に舞う。
全身が丁度半回転ほどした頃、高度は最高点に達し、再び重力が戻る。
ゴスンッ
「痛ッ~~!」
そして、男は頭から着地した。
「まだ、戦るのか?」
気怠そうに続行の意を問う青年。山賊達も未だ闘志に満ちた眼をしている。まだ退く気配は無い。
その時、一陣の風が吹き、不意に青年のフードが取られた。
その顔が日の下に晒される。
「か、頭ぁ! こ、こいつは!」
「あ、何だ?」
青年の顔を見た途端、一人の男が急に狼狽え出した。
「あっ、しまった」
もう一度フードを被り直す青年だったが、時すでに遅し。
知られたくないことはいつだって呆気なくバレてしまうものなのだ。
「こいつ、勇者です! 勇者、アトラス・ヘレニウスです!」
一瞬の静寂が辺りを支配する。
そして、沈黙は破られる。
「「「ハアァァアァ!?」」」
「いやぁ、助かりました。勇者様」
「勇者はよしてくれ、御仁」
青年が勇者と発覚した直後、山賊は一目散に山奥へと逃げていった。怪我を負った者も例外無く。
「俺は勇者を辞めたのだ」
「ええ、新聞で拝見いたしました。もしよければ、理由をお訊きしてもよろしいですかな?」
「ふむ、まあこれも馬車代か」
荷馬車にこんもりと載せられた野菜と共に揺られる青年、もとい元勇者のアトラス。
目深に被っていたフードも取り去り、陽に顔を晒す。そして、過去に想いを巡らせ、目蓋を閉じた。
「戦争に疲れたのだ。魔人種だの龍人種だの獣人種だのと、同じ人類なのに何故争わねばならんのか俺には理解出来ない」
心底うんざりしたような表情で語るアトラス。声音には憤りの念も多分に交ざっているようだ。
「そう言えば、勇者は必ず前線で戦役に就かなければならないんでしたね」
「ああ、強制だ」
「ですが、アトラス様のお陰で獣人種の侵略を食い止められたそうじゃありませんか」
「一応な」
カラカラ回る車輪、パカパカ地面を踏み鳴らす荷馬車、チュンチュン囀ずる小鳥。そして、慈母が如く注がれる柔らかい陽射し。
そんな心地好い環境に在って、アトラスの表情は今一つ晴れない。
「敵は三万を超えるディコィ・カムイ専制公国の獣人軍。魔術には疎いものの、我々ヒト種を軽く超越した身体能力と肉体の頑強さを誇る白兵戦最強の人類種。向かうは我らがカワード王国のヒト種軍。魔術には一日の長はあるものの、肉体的戦力差は圧倒的格下。さらに、軍勢たったの五千!」
「よく知っているな、御仁……」
「いえいえ、これくらい国民全員が諳じられると思いますよ」
突然語り出した農夫に若干、引き気味なアトラス。対して農夫は興奮した口調で、頼んでも無いのにべらべらと喋り続ける。
「絶望的な局面、迫り来る滅亡の時。戦う気力を削がれた兵士達が死を覚悟する中にあって一人、希望を捨てない者がいた。それが勇者、アトラス・ヘレニウスだった」
「中々ドラマチックな語り口じゃないか」
「お褒めに与り光栄です。そして、勝ちを確信する獣人軍がヒト軍の野営地に攻め入る。しかし、勇者アトラスは死力を尽くして極大殲滅魔術を幾度と無く放ち、獣人軍の戦力を削いだ。深手を負った獣人軍は撤退を余儀無くされ、勇者アトラス率いるヒト軍は見事に勝利した。いやはや、なんとも天晴れな戦果でございます」
一通り語り終えた農夫の顔を、満ち足りた色が占める。気持ち良さそうな恍惚の笑みと共に。
対するアトラスは苦笑を浮かべていた。
「にしても、武術の心得まであったとは。冥土の土産に良いものを見させてもらいました」
「ハハハ、むしろコッチの方が本領なのだがな」
「ほう、そうなのですか?」
「むしろ、魔術は苦手だ。さっきの話もかなり歪曲して伝わっているようだ」
「おやおや、そうだったのですか?」
驚いたようで、農夫は振り向いてアトラスの方を見やる。アトラスは尚も目蓋を閉じ、過去に想いを馳せていた。
「魔術など生まれてこの方使った記憶が無い」
「では、どのようにして獣人の軍勢を退かせたのでしょうか?」
「この拳脚で退けた。それだけさ」
その当時の風景が目蓋の裏に蘇る。
生来、とことん魔力量に恵まれたアトラスだったが、その運用は下手だった。下手クソだった。
故に己の拳脚でのみ戦い、数で圧倒していた獣人軍を敗走させたのだ。
まさに一騎当千。
肉体で獣人を上回るヒトなど前代未聞だ。それも数の利を押し退けて。老人も真に受けてはいない。
「ハハハ、ご冗談を」
「…………」
目蓋を開く。目を閉じる前と何ら変わらない景色が映った。
底の見えない青い空、泳いで散って膨らんでを繰り返す不定形な雲、刺々しくも柔和な光をもたらす太陽。
不思議なものだとアトラスは思う。今日のようにのんびりと荷馬車に揺られている時も、神経脈打つ感覚さえ掴めるほど鋭敏にならざるを得ない戦時中でも空は変わらない。その表情を崩すことは決して有り得ない。朝になれば日が昇り、日が沈んで夜になったら月が昇る。万物の法則、道理は人間の都合など知ったことではない。
「まあ、何でもいいさ。もう俺が戦地に赴くことも無い」
「救国の英雄様が隠退されるとなると、カワード王国としてはかなりの痛手でしょうな」
「ならばそれまでの国だったということよ」
「ハハハ、これは手厳しい」
青く茂る草原を進む荷馬車は、非常にゆったりとした牧歌的な時間を刻む。
心地好い沈黙流れる時の中、やがてポツンと佇む一軒の家の前に止まった。
「ム、着いたか」
「ええ、はい。本当に目的地までお送りしなくてよろしかったのですか?」
「大丈夫だ。特に急ぎの用ではないのだから、歩いて向かうさ」
旅をするというには少々心許ない荷袋を担ぎ、荷馬車を降りる。
青い匂いが風に乗ってアトラスの鼻腔をくすぐった。
「うむ、旅におあつらえ向きの善き日だ」
「ちなみに、どちらへ向かわれるのですか?」
薫風の中にありて、アトラスは事も無げに言い放った。
「ディコィ・カムイ専制公国だ」