閑話~凡庸な空虚と独白~
特に好きなものは無い。
勉強は苦手だし、スポーツだって得意じゃない。漫画とかゲームは好きだけど、それは大体みんなそうだろう。
将来の夢とかも無い。
ただ何となく働いて、それなりに稼いで、できてたら結婚して子供育てて、って感じのそれっぽい未来を想像したことはある。でも、こうなりたいとかあれがしたいとか、そんな具体的なイメージは思いつかない。
信念とか信条とかそういうのも無い。あれだ、目玉焼きは醤油派っていうことぐらい。ソース派許すまじ。
生きてる意味とかも分かんない。でも、死にたいわけじゃない。痛いのはイヤだし。
オレって空っぽなのかな?
それでちょっと悩んだこともあった。
でも、そんなフワッとした抽象的な悩みを相談したところで、それっぽい答えをそれっぽい顔で返されるだけだろうな。
友達がいないわけじゃないけど、親友と呼べるような特別仲の良い友達がいるわけでもない。
だから、この気持ちを誰かにぶつけることもできなかった。
モヤモヤしてて、捉えどころの無い感覚が妙に気持ち悪かった。
そんな悩み事を抱えていた頃、担任の先生がホームルームでこう言った。
「君たちくらいの年齢なら、やりたいことが無くったて当たり前さ。君たちには未来があるんだから、これから探していけばいいよ」
って。
救われたなぁ。
オレが抱えてるこの気持ちも、みんな味わってるんだって思うと、なんだか体が軽くなったように感じた。
そうだよ。みんな空っぽなんだよ。
別に空っぽが悪いわけじゃない。
オレはこれから何者かになっていくんだ。
「ごめんなさい……」
「え……?」
断られるなんて想定してなかった。
中学三年間、そして高校二年生の現在まで合計五年間同じクラスに配置されるという奇妙な縁で結ばれた女の子。
というか運命じゃね?
くらいには思ってた。
バスケ部マネージャーの河井さんは、そんなオレの痛くて痒い妄想を粉砕した。
「そ、そっか……」
正直、泣きそうだった。っていうか、家帰ったら泣く。決めた。
運命とか謂う安っぽいロマンスに背中を押され、根拠の無い自信を持って挑んだ一世一代の告白は完敗だったんだ。
いや、違うな。オレは運命っていう非日常が自分にもあるって信じたかったのかもしれない。
「ごめんね、六原くんイイ人なんだけど……」
『イイ人』か。
好きな人に誉められているはずなのに、全然嬉しくない。
イイ人ってさ、『(どうでも)イイ人』なんだろ。テレビで言ってた。
じゃあ誉められてないじゃん。
「河井さんはさ、か、彼氏とか……いるの?」
漂う非常に気まずい沈黙に耐えかねて、つい訊いてしまった。
そして気付く。
それが自分をさらに傷つける疑問だと。
「うん……」
ほらほら、ほらね。
うん、知ってた。
知ってたけどムリ。耐えられんわ、コレ。
「三年の先輩なんだけど、男らしくて、スゴく頼りになる人なの……」
待って待って、ホントしんどい。
そこまで訊いてないから。
好きな女の子の口から惚気話聞くとか、それ何て拷問だよ。
ズッタズタに引き裂かれた恋心が、他ならぬ想い人によってさらなる死体蹴りを受ける。
やめて。オーバーキルだから。
「大人っぽいんだけど、バスケしてる時は子供みたいに楽しそうで、そのギャップが可愛いっていうか……」
今日ほど死にたいと思った日は無い。
マジで人生最悪の日。
何だよコレ、ドッキリかよ。むしろドッキリであれ。
NTRで興奮できる人種が、これほど縁遠い存在だと感じたことないぞ。いや、この場合はBSSなんだっけ。どっちでもいいわ。
「だからね、六原くんとは付き合えないの……」
河井さんは改まってオレの告白を拒絶した。
今なら、恋に破れたウェルテルに心から賛同できる。きっと彼ほど深刻な悩みでもないんだろうけれども。
ウェルテルのように、彼女の目の前で一生のトラウマになるような死に方をすれば、恋人にはなれなくても彼女の中で生き続けることができる。きっと河井さんは優しいから、オレが死んだら泣いてくれるよ。
舌を噛み切ろうか。飛び降りようか。首を吊ってやろうか。腹でも切ってやろうか。
彼女がオレを忘れないでいてくれるなら……。
まあ、そんな勇気はもちろん無いんだけどね。
オレはただ、河井さんにフラれたっていう悲しい記憶を抑え込むことしか選べない根性ナシだ。それを誰かに、何かにぶつけることすら躊躇ってしまう臆病者なんだ。
オレは誰かの特別にはなれない。
オレは何の面白味もない、極めて平凡な人間だったんだ。
「そう、なんだ……」
唇が震える。
つまらない相槌で彼女に応えた。これ以上喋れば、声で感情を悟られそうだから。
身体感覚がバグを起こしているのか、今、自分が立っている足下が崩壊していくような錯覚に襲われる。昏い暗いところに落ちていく感覚。
心臓が拍動している音が聞こえるけど、寒風に晒されているみたいに冷えきっている。
まるで悪夢でも見ているようだった。
「あ、ごめんね六原くん……部活の時間だから行かなくちゃ」
河井さんはそう言って、オレたち二人っきりの教室から出ていった。
彼女が教室の扉を閉める時、最後に目が合う。
すごく気まずそうな、バツの悪そうな表情。罪悪感に満ちた瞳の色。
視線が交わったことに気付いた彼女は、長い髪を乱して咄嗟に顔を背けた。
オレから逃げたいのか。
もう、やめてくれ。
これ以上、オレを傷つけないでくれ。
頼むから憐れまないでくれ。
次の日から河井さんと接する機会は極端に減った。少なくとも、彼女の方から話しかけてくることは完全に無くなった。明らかにオレと接することを避けている。そりゃそうか。
オレはオレで、河井さんと関わるのが怖くなった。
話すことはもちろん、彼女を目で追うこと、彼女の席の近くを通ることにも若干の躊躇が生まれるようになった。
そのくせ彼女への想いは、心のじめじめしたところで未だしぶとく巣食っている。少し気を許せば、またソイツに心を占拠されそうになる。全然、懲りていないんだ。もし、コイツに実体があったならコテンパンに殴り殺したい気分だ。
でも、やっぱり考えてしまう。
もっと早くに想いを告げていれば、結果は変わったんじゃないかとか、もし今の彼氏と別れたらオレにもチャンスがあるじゃないかとかさ。
結論から言って、そんな考えは勘違いも甚だしかった。
オレが告白してから三ヶ月後くらい、河井さんが例の先輩と別れたという噂が流れた。
チャンスだと思った。
でも、前例がある。オレのピュアハートがズッタズタのボッコボコにされた前例が。
もし、断られたら。もし、噂がガセだったら。もし、恋人の有無に関わらず、オレを男として見られないんだとしたら。
怖かった。たった一歩が踏み出せなかった。
そして、女々しくも枕に顔を埋めて暫くうじうじしていたところ、河井さんはあっという間に違う男とくっついた。
これはむしろ運命なのかもしれないな。
どれだけ首を伸ばしても、杯になみなみ注がれた水には届かないカラス座と同じ運命。
罪状は『凡庸』並びに『空虚』。
結局、オレの中身が空っぽで、面白くも何ともないヤツだからというところに全ては帰結する。
熱中できないということこそが凡庸の証だ、という言葉を耳にしたことがあるが、本当にその通りだよ。クソが。
凡庸だから熱中もできなくて、熱中もできないから空虚なつまんねぇ人間なんだよ。
親父みたいなオタクじみた生き方がダサいと思ってた。家族に迷惑かけてまで貫く信念なんてクソ食らえ、って。
でも、今は親父が心底羨ましい。人生を、血を分けた家族を天秤にかけても勝るモノが親父にはあるから。
そういうヤツは空虚なんかとは縁遠い。
勉学、スポーツ、マンガ、アニメ、ゲーム、アイドル等、何だってそうだ。命を捧げるくらいの狂った覚悟を持ったヤツは、凡庸も空虚も寄り付かない。周りから見ればとち狂ってるとしか言い様の無い生き様だって、本人にとっては最適解なんだ。
そういう生き方をできるヤツが羨ましい。妬ましい。
オレも見つけてみたいよ。
だからさ、もし、もしも自分を変えられるのなら、今度はとびっきりイカれた男になりたい。
「あれ……?」
気がつくと横になっていた。
空が赤い。夕暮れだからか。
ちょっとボーッとする。
ああ、そうだ。投げ飛ばされたんだったな、アトラスに。
体を大地に預けたまんま呆けていると、隣から声をかけられる。
「やっと起きたか」
セタだ。
「遅ぇよ」
視界がぼやけていて、彼女の輪郭が曖昧に映る。
まだ寝惚けていて頭は回らないけど、沈黙か気まずくて何か喋らないといけないような気持ちになる。
すると思いの外、会話は弾んだ。
仲良くなれるか不安だったけど、年相応の彼女の笑顔を不明瞭ながらも目にして少し安心した。
「アンタのこと、ちょっとは認めてやる」
「そりゃまたいきなりだな」
そんでもって唐突な認めてやる宣言。
いきなり言われて驚いた。
でも、悪くない気分だ。
普通で平凡で人並みで空っぽなはずのオレを、この少女は認めてくれた。明らかに格下なのに。
そして、続け様に繋がれた彼女の言葉に、オレは衝撃を受けた。
「戦士だ」
「え?」
「つまんねぇフツーのニオイが戦士のニオイに変わった」
気付かなかった。
オレはもう既に、オレの知っているオレじゃなくなっていたらしい。
オレとは対極にあると思っていた『戦士』という人種。戦いこそが、戦いのみが己のアイデンティティを表現できる唯一の場。それが戦士、だと思っていた。これといったアイデンティティを一つも持たないオレと、たった一つでも自分を確立できる強烈なアイデンティティを有した戦士。違いは明白なはずだった。
しかし、もうオレはそっち側だったんだ。
「そうか、そうか、そうか……。オレはもう、そっち側だったんだ」
じんわりと四肢を巡る歓び。
つい口に出してしまうほどの歓喜が、興奮が抑えられない。
そうだ。オレはもう空っぽなんかじゃないんだ。
妙に背徳的な扉を開いた気もするが、それが合図だったんだな。
よし、よしよし……。
人生を賭しても究めたい道、オレは見つけられたよ、親父。
それが親父と一緒だったってのは癪だが、そんなことは些事だ。
空っぽだったオレの胸の内が甘い清水で充ちていく感覚が心地好い。乾いてひび割れた大地に雨水が染みていくような。
「よぉし、もっと強くなってやるぜ!」
新たな決意を胸に、新たなる道を歩む。
夕暮れってのも良いロケーションじゃないか。ぴったりだ。
いずれはセタよりも、アトラスよりも強くなってやる。
そんで親父をイッパツ、ぶん殴ってやるんだ。
オレの戦いはこれからだ!