序章は御前にて
「よくぞ使命を果たしてくれた、アトラス」
「勿体無きお言葉でございます」
繊細な技巧光る玉座に腰掛ける老人が、跪いて頭を垂れる一人の若者に労いの言葉をかけた。
対するアトラスと呼ばれた青年は、その表情を全く崩すことなく言を返す。傷一つ無い軽装の鎧のみを身に着ける彼の容姿は、一見するとどこにでもいそうな目立った特徴の無い青年だ。しかし、何処か異様な雰囲気を纏っている。野性に満ちた獣のような、或いは泰然と佇む大樹のような。
王座まで続く錦糸のカーペットを平行に挟むようにして整列した鎧兜の衛兵達も、身じろぎ一つせずに彼らの様子を監視する。
壁にも、床にも、窓にも、天井にも、委細に至るまで施された巧緻な装飾の数々が、この場の主が絶対的な権力を有していることを示唆していた。
紛うこと無く、王の間である。
「お主には褒美を授けよう。何でも申してみよ」
肘掛けに上体を預け、頬杖を突く老人、もとい王。大量にたくわえられた髭は白く、細波のようにうねった曲線が特徴的だった。
思考の読めない冷徹な眼を向ける王。相変わらず頭を垂れ、眼差しを床に落としたままのアトラスは、「褒美」という言葉に反応し、ほんの一瞬、肩がピクリと震えた。
「よろしいのですか……?」
視線を王へ合わせること無く、アトラスが問う。
「構わん。望むのであれば何でも与えてやろう」
「例えば、何をでしょう……?」
若干、アトラスの視線が動く。
視界の上端の方に、玉座に悠々と腰掛ける王の脚が映った。全く動くことも無く、僅かに露出した足首が晒されているだけだ。餓鬼のように細く、白い足首が。
問いを受けた王は、目蓋を閉じる。それもほんの少しの間だった。直ぐに目蓋を開いた王は、またも変化の無い面持ちで彼の望む答えを言い放つ。
「金も、地位も、名誉も、領土も、女も、我が与えられるものなら何でもだ」
「それはそれは、ありがたき幸せにございます」
あらゆる欲望の限りを叶えられる二度とは無い好機。
アトラスの肚の内でいつしか芽吹き、深く根を張った渦のような願いが、解き放たれる時を今か今かと待ちわびていた。
それこそが今だ。
「さあ、願え。勇者、アトラス・ヘレニウスよ」
濃密な無音が空気を引き締める。
そして、圧を切り裂くようにアトラスが口を開く。
「私は、今日を以て勇者を引退します」