王宮の夜23
庭が見える廊下を、静かに進んでいく。
水浸しになっていた第四王子は、正装ではなくいつもの黒いローブに着替えていた。後ろについて歩きながら観察すると、さっきの黒いローブたちと比べて生地が高級そうだ。じゃらじゃらと付けている宝石類が音を立てている。
「殿下! どうかされたのですか!」
走り寄ってきたのは、別の魔術師たちだ。同じく黒いローブを着ている彼らも3人組だった。後ろにいる私を睨むと見るとの間くらいの視線で見てから、お供させてくださいと申し出ている。
「今日はいい」
「しかし、フィリアが総夜会で問題があったと」
「構うな。各自仕事や休養に戻るように」
魔術師たちは私を見てまだ何か言いたそうだったけれど、第四王子が歩き出したので頭を下げて見送った。来た道を戻り、途中で左折する。行き先を変えたらしい。
振り返りながら窓の外を覗いて、さっきまでは黒い塔へと行こうとしていたのだと気が付いた。王宮に寄り添うように立っているそれは魔術師が勤めている塔で、宿舎もあるらしい。殿下が普段仕事をしているのもその塔なのだそうだ。流石に公務もあるので殿下は王宮と塔を行ったり来たりしているけれど、魔術師の中にはずっと塔に篭りきりの人もいるとかいないとかローナン先輩が言っていた。
そんなところに連れていかれてお説教も嫌だけれど、変更された行き先もなかなか楽しくなさそうだ。
「王子殿下」
区画を区切るドアの両側に、白い服を着た騎士が立っている。体格が良く、目つきが鋭い。ちゃんと仕事をしているほうの近衛騎士だ。
第四王子を見て丁寧に頭を下げた2人の騎士が、後ろにいる私を視線で検めた。
「そちらは」
「私の近衛だ」
「殿下の……ですか」
第四王子が近衛騎士を使っていないことは有名だ。魔術師として有名な人ということもあって、代わりに魔術師がどこへでも付き添っているらしい。他の近衛隊にはコネ組と実務組があるけれど、第四部隊はコネ一択である。そんな殿下が白い騎士服を着ている私を連れているのだから、さぞ珍しい光景なのだろう。
不審なものを見る目付きに晒されながら、私は目だけを動かして2人の騎士を見た。もし最初の朝食の席にこの2人がいたら、投げ飛ばすだけにはならなかっただろう。
「問題はない。話が終われば戻す。奥へ近付けるつもりはない」
「了解いたしました」
騎士たちは同じ角度で頭を下げ、ドアが開けられる。歩いている方向で薄々分かってはいたけれど、ドアの装飾やその向こうの豪華さが段違いだ。やっぱり普通の人間が足を踏み入れてはいけない区域に入ったらしい。
深夜でもすれ違う騎士や使用人が服装を完璧に整えているし、殿下に対して教本通りの丁寧な礼を見せている。
「少し使う。人払いを」
「かしこまりました」
殿下は特に態度を変えるでもなく、手近な部屋を開けながら近くにいた女性に声を掛けた。女性は私が入るまで丁寧に頭を下げ、ドアを閉める。
部屋の中は誰もいないのに明かりが煌々と点けられていた。もったいない。
部屋の中は、ローナン先輩たちが使っている休憩室と設備はそう変わらなかった。壁に掛けられた絵に分厚いカーテン、花瓶が置かれている棚、そして中央に置かれたテーブルとイスのセット。ただ全体的にこっちの方が装飾や家具の形状がより複雑かつ高そうに感じる。
「楽にしろ」
そう言われて反射的に休めの体勢を取ったら、イスに座ろうとしていた第四王子が眉を顰めた。
「楽にしろと言ったが」
「休めの姿勢であります」
「……ここに掛けろ」
殿下はイスに座れと言いたかったらしい。上司と部下だし相手は王族なので、休めをした私は間違っていなかったはずだ。いきなりイスに座ったらローナン先輩が泣きながらしがみついてきただろう。
王族と同席。いいのかなと思って、それからもう酒の席で一緒になったことがあったと思い出した。今更だ。
背もたれに金の装飾がされているイスを引いて座ると、殿下が少し黙ってから口を開いた。
「魔術師が腑抜けに見えるか」
「はい」
「そうか」
いつものように嫌味を交えた言葉ではなく、殿下は軽く頷いただけだった。
「ビフェスタの状況について良く知っているようだな」
「教育隊にも情報は入ってくるであります」
「それにしては、前線の話が具体的だ。竜乗りの魔術師と戦った知り合いでもいるのか」
「はい」
私が頷くともうひとつ質問を続けてくると思ったけれど、殿下はほんの少しの間、静かに私を見つめただけだった。
「先程、魔術師がいないから前線で騎士が死ぬと言ったな」
「はい」
「それが正しいと思うか」
「はい」
事実そうだ。前線の話でも、教育隊での話でも皆口を揃えて言っていた。魔術師がついていけば、相棒を失うグリフはもっと少なくて済む。愛情深いグリフは、背中に乗せた人間を失うとひどく悲しむ。もし騎士が命だけでも助かれば、腕や足が片方なくなろうとグリフと共に生きていける。だけど、手当が満足に行えないからそうやって生き残る騎士は少ない。腕の立つ医者や魔術師がいる王都から前線へは、あまりにも遠すぎる。
前線に出たグリフ乗りは死ぬか無傷で生き残るかのどちらかだ。
殿下は目を瞑って息を吐いた。
「生憎だが、魔術師が前線に出たとて死人は減らん」
「減るんであります。グリフに乗らなくてもいい。前線から半日の距離に滞在して治療してくれたら、騎士は減らないんであります」
「たとえ万全の装備を整えていたとしても、必ず死人が出る。それが戦争というものだ」
「そんなんわかってるんであります。さっさと戦争を終わらせるためにも、戦力の補強が必要なんであります!!」
「わからないのか」
殿下は私の勢いを制すように、少し声を大きくした。
「アデル。お前の言う戦争の終わらせ方は、死人の山を作るという意味だ。戦争では必ず死人が出る。我が国の強さが圧倒的になったとしても、勝てばビフェスタの騎士が死ぬ。同じだ。こちらが勝てばあちらの死者が増える。あちらが強ければこちらの死者が増える。そういうものだ」
「だからなんじゃ!! 国を守るのが騎士の仕事じゃ!! 殿下はロンディバルの人間が死んだっていいんか!!」
私が立ち上がって叫ぶと、殿下も静かに立ち上がった。黒い目が、怒りに燃えている。
「……勘違いするな。私は民の命を軽く思ったことは一度もない」
「どう思ってたって、前線に行けば戦わないとダメなんであります。誰かが死んでも食い止めないと、侵略されたらもっと人が死ぬんであります。どっちかが死なないといけないなら、ビフェスタの騎士を殺して勝つんであります。誰かがそれをしないといけないなら、我々騎士が行くんであります」
「そこだ、アデル。私が変えたいのはそこなんだ!!」
殿下が声を荒げたので、私はちょっとびっくりして思わず黙った。
しばらく沈黙。
「…………どこでありますか?」
私が訊くと、殿下の顔がいつものものに変わった。深いため息の後で言葉が続く。
「戦争をする限り、死者は出て国は疲弊する。私は、勝敗が決する前に戦争を止めるつもりだ」




