悪夢の転属5
寝坊をした。
「やばっ」
着古した訓練服に着替えて、廊下を走る。柵を越え、壁を越え、坂を走りに走って、てっぺんの大きな小屋へと飛び込む。掃除をしていた髭面の老人が、私を見てガハハと笑った。
「アデル、寝坊か。気が緩んでるな!」
「グリフの声全然聞こえなかった!!」
王都に小高く築かれた「グリフの山」は、人工的に作られたグリフたちの住処であり、そして国の中央部にありながら重要な軍事拠点でもある。国内で登録されているグリフのうちの6割がここに部屋を持ち、訓練生にイタズラをしたり、文句を言ったり、騎士に甘えたり、戦いに赴いたりしているのだ。
もうがらんとしている小屋の中でピャーッ!! と文句を言ったのはミミだ。羽根を膨らませ、木の柵を前脚で握ってギシギシと音を立てている。
「ごめんミミ!! もうすぐ夜が明けちゃう!!」
太い木の柵を抜いて小部屋に入ると、黄色い大きなクチバシがアグッと私の頭を咥え込んだ。
「だーごめんって!!」
ミミは賢いから手加減をしていて、全然痛くない。痛くないけど、ベチャベチャになる。クチバシに見合った大きい舌が、圧を持って私の頬を押し付けている。真っ暗で湿っぽい世界のまま、私が壁にかけてあったベルトを取って羽毛の首に掛けると、ミミはようやく怒りを鎮めたようだった。私の頭を解放すると、ペッとクチバシを震わせた。汚いもんを食べたと言わんばかりの反応をするなら、最初からしなきゃいいのに。ベチャベチャの顔を拭いながら睨むと、ミミはしれっと鳴いて私を急かす。
ベルトを付け、鞍を乗せるともうミミは飛び立ちたくてウズウズしていた。焦げ茶の頭が奥の壁に頭突きをすると、その壁の下側が軋みながら持ち上がり、大きな庇へと変わる。木の棒でそれを固定すると、ミミはおすわりをして私を見た。黒い鱗の尻尾が左右に揺れている。
「いってきます!」
「待てアデル、朝飯持ってけ!」
「親父さんありがとー!!」
ゆっくりと急斜面を降り出したミミの背で、親父さんが投げてくれた袋を受け取った。グリフの小屋番をしている親父さんは、昔はものすごく強い飛獣騎士だったらしい。グリフの世話に手を抜く騎士には鬼のように厳しいけれど、たまに寝坊をした騎士のためにこうして朝食を分けてくれる。飛獣騎士とグリフみんなの親父みたいな存在だ。
巾着袋を握り込んでから、私はミミの背に沿って体を伏せた。斜面を駆るミミの前脚がまず浮き上がり、頑強な獣の後脚が斜面を蹴ってグッと体を空へと押し上げる。大きな翼が広げられて力強く羽ばたいた。
進む方向から加わる強い力と、その後にふわりと浮くような感覚。見下ろすとミミの体の間から見える、ぼんやりと明け始めた街の景色。
ミミの背に乗って飛行するのは、何百回やっても楽しい。体を起こしながらミミの首元を叩くと、ピャーと返事が返ってきた。
王都を抜けて街道の上を通り過ぎ、大きな森へ差し掛かる。しばらく高い位置で風に乗っていたミミは、何も言わずに私を振り返ったかと思うと急旋回した。合図に従ってミミにしがみつくと、大きな翼がほとんど折り畳まれる。猛スピードで森へと突っ込んだかと思うと、翼を広げると同時に下から野獣の鳴き声が響いた。
鹿だ。鞍から転がり落ちるようにして地面に立つと、ミミは翼をバタつかせながら後脚で立ち上がった。大鷲と同じ前脚は、立派な牡鹿の首と腹を掴んで鉤爪が食い込むほどに力を込めている。
「ミミ! ここ!」
呼ぶと、ミミは私が指した木の幹に鹿を押し付けた。ミミの脚を傷付けないように気を付けながらナイフで鹿の首を切る。仕留めた鹿を、ミミが嬉しそうに食べ始めた。時々顔を上げてピャッと鳴くのは、機嫌がいいときのミミのくせだ。
「川に近いとこで探してたの? ミミは賢いねえ」
曲がったクチバシで朝食にがっつくミミを撫でてから、私は川で顔と頭を洗う。
グリフは体が大きい分、食べる量も多い。仕事のない朝一番に大きな獣を仕留められなければ、1日に何度も小屋へと走って食べ物を補充する羽目になる。訓練生ならどやしつけられながらも時間を作れるけれど、正式な騎士となった今そんなことをすると怒られるだろう。
今日から勤務が始まる。新しい生活に、私もミミも慣れないといけない。
「……」
少なくとも、転属届が受理されるまでは。
昨日のことを思い出してムカムカしながら、私も朝食を食べることにした。麻布の巾着を広げて手を突っ込む。
掴んだのは、穀物がいっぱい入った乾燥泥団子みたいなものだった。
「……これグリフの朝飯じゃねーかクソ親父ぃーっ!!!」
私の叫び声に小鳥が飛び立ち、ミミが嬉しそうにピャーッと鳴いた。
親父さんがゲラゲラ笑う声が聞こえた気がした。