王宮の夜14
朝靄の中を下降して王宮の裏庭に降りる。
「おはよう騎士アデルさん。今日も飛びに行ってたんだね。おかえりなさい」
「おはようございますローナン先輩。今日はかなり高いとこまで飛んできたんであります。ミミは最近運動不足でムシャクシャしてるので」
「そ、そうなんだね。いっぱい運動させてあげるのはいいことだよね、王宮で暴れたりしないようにね」
毎朝の走り込みを終えた4人は疲れた顔をしていたものの、訓練を始めた頃に比べると元気だ。もう既に着替えたようで、これから朝食に向かうところらしい。
「はい、騎士アデルさん。これどうぞ」
ワイズ先輩は、果物や干し肉が入っている籠を渡してきた。果物の間に挟まっている手紙は、ワイズ先輩のお母さんからだ。読まなくてもわかるのはこれが初めてじゃないからである。ワイズ先輩から差し入れをもらうのは4日に1回だけど、他の3日はローナン先輩かルーサー先輩かウダン先輩が持ってくるので消費するのが大変だった。
「ワイズ先輩、あと他の先輩も、何度も言ってますけど毎日食べ物持ってこないで大丈夫であります」
「でも騎士アデルさん、体動かして食って寝りゃすぐに治るって自分で言ってたし……ほら、騎士アデルさんが好きなハムも入ってるから食べて。母上さまも心配してたしさ」
「普通に食ってりゃいいんであります。こんなやたら高いもんを食べたからって流石に治癒力が上がったりはしないんであります」
「いいじゃないか、騎士アデルさん。君のグリフは僕らの差し入れを気に入ったみたいだよ」
貴族の果物は甘味が強過ぎて大量には食べられない。捨てるのは嫌なのでミミにあげると、ミミは先輩たちのくれる果物がお気に入りになったようだ。普段は先輩の存在すら気にしていないのに、朝だけは私にくっついて4人を待つようになってしまった。ミミが喜んでいるのは私も嬉しいけど、これに慣れてしまうと将来的にお給料が果物に消えてしまう。
気持ちはありがたいけどと断っている今も、ミミは籠にクチバシを突っ込んでおやつを選んでいた。ハムや干し肉は私が食べるのでクチバシを阻止すると、ピャーッと怒って私の頭をカパッと咥えた。この光景も見慣れたのか、先輩は離れた場所ではははと笑いながら待っている。
果物を全部丸呑みしたミミは、ピャッと鳴いてから屋根へと飛んでいった。日向ぼっこをするのに向いている大きくて綺麗な屋根が多いのは、王宮のいいところだ。
「そろそろ僕らも食堂へ行こう。今日は香草パンが出るらしいよ」
「ああ、どこかの夜会で流行ったっていう? 美味しいのかい?」
「前に食べたけどそうでもないよ。少し薬草っぽい香りがするかな。あれは香草を干して香りを減らした方がいいと思うね」
どこそこ産の香草がいいとか小麦粉はあっちのほうが美味しいとか喋っている先輩の後ろを歩いていると、ウダン先輩が速度を落として私に並んだ。
「騎士アデルさん、すまない。やはり父は折れないようだ」
「いえ……こっちこそすみません。本来は私が直々に行って拳でも交えるのが筋なのに」
「それはやめておいてほしい。父もまだ湿布をしているようだ」
総夜会のための正装が配給されると知ってから数日。第四王子は、言っていた通りパルダシス侯爵へは断りの連絡を入れてくれたらしい。しかし侯爵は「もうこちらで用意を始めているから気にしないでいい」と返事をしたらしく、うちの部下だからうちで用意をするという第四王子と、約束したのだからこっちで用意すると主張する侯爵とで意見が分かれているようだ。
ぶっちゃけどっちが用意しようが着れればいいとは思うけど、なにせモノがモノだ。一着だけで何リブレもするようなものなので、無駄になってしまうことだけは避けたい。
私も手紙を書いて「余ってたら借りたかっただけで作るなら遠慮します」を100倍丁寧にした言葉を送ったものの、侯爵は「遠慮する必要はない」をそのまんま書いた手紙を返してきただけだった。先輩たちの貴族的添削で内容が伝わらなかったのかと思ったくらいだ。
「こうなったら侯爵にお願いした方がいいんじゃないかと僕は思うけれど。ほら、パルダシス侯爵の顔を潰してしまうことになりかねないし」
「でもタダだからと思って借りたのに、お金を使われるのは心苦しいんであります」
「侯爵が騎士の正装一着で気になさるとは思えないんだけどねえ。それより、間に合うかどうかのほうが心配だけど」
「噂で聞いたけど、侯爵には騎士服の仕立て屋が特別に出入りしてるらしい。だから急な依頼でも大丈夫だったんじゃないかな。殿下が頼もうとしていたのも同じところだろうし、結果に変わりはないよ騎士アデルさん」
「安く済むならどこでもいいんであります……」
早く肋骨を治して出かけられるならなんでもいい。
「おい見ろ、金出しゃ殴らせてくれる女が歩いてるぞ」
「安く済ませてくれるってよ」
すれ違いざまに、他の隊らしい近衛騎士集団からヤジを飛ばされた。笑いながら去っていった集団を見送ってから、先輩たちが振り向いて私を見る。
「ひどい奴らだね。騎士アデルさん、気にしたらダメだよ」
「実際に金出してくれるなら殴られてもいいんでありますけどね。あいつら弱そうだし」
「だ、ダメだよ……」
「落ち着いて騎士アデルさん。ほら干し肉を食べて」
粗野な人間が少ないせいで、腫れて傷のある顔は近衛騎士のなかで話題になったようだ。3日は食事の席につくたびにあからさまにジロジロ見られたし、揉め事を起こして除隊になるのかと聞いてきたのもいた。包帯を巻いた拳を見せたら無言で逃げていくので、無害といえば無害だ。ちょっと面倒だけど。
いつものテーブルにつくと、しばらくして前菜を出された。私のだけ3倍くらい多いけれど、食事の速さは先輩と同じくらいだ。
「みんな騎士アデルさんに負けた奴らが、ここぞとばかりにからかってるんだ。ほうっておけばいいのに」
「でも、ああいう輩は昨日あたりから減りましたね。見てわかる傷が減ったからでありますか」
「それもあるだろうけど、噂が回ったんだと思うよ」
「噂?」
ルーサー先輩が口角を上げて少し肩をすくめる。
「陛下の護衛をなさっているお方が、どうもなかなかの怪我をして出仕なさっているらしい。激しい演習の予定もなかったはずだし、ご本人に聞いても理由は言わない。そういえば、近衛のおちこぼれ部隊にいる騎士も同じような怪我をしているのだとか。聞いてみると同じ日に怪我をしたようだ。もしかして……と、そんな感じかな」
「侯爵についての話は上から降りてくるわけだから、コネが強い騎士ほど静かになってるよね。今頃からかったことが侯爵に知れたら、と不安になってるかも」
「そう。だから騎士アデルさん、もう少ししたら静かになるよ。僕らも噂話に乗っかっておいたからさ」
強いやつと戦ったら一目置かれるというのは、近衛でも通じたようだ。
自分が近衛で浮いていて嫌われているのはわかっているし、先輩たちが心配する必要がないほどに傷付いたり落ち込んだりはしない。けど、わざわざ絡んでくるやつはいない方がやっぱり嬉しい。
「ありがとうございます。総夜会でも何か言われたら面倒なので、静かになりそうでよかったであります」
「まあ、ああいう奴らはどうせ出ないだろうさ。僕らが出る方が例外なんだからね」
「そうそう。俺が総夜会に出るって母上さまに言ったらまた倒れてたよ。おかげで毎晩礼儀作法のおさらいで寝不足になってる」
「うちも同じだ。父が青くなってたな。今は騎士服の飾り物の手入れで忙しいよ」
「正装なんて随分着てないからねえ」
わいわい話している先輩たちに、私は一応念を押しておいた。
「あの、訓練をもっと増やしたほうがいいんでは? 護衛だし、付け焼き刃でも格闘をやっといた方が」
4人の視線はすっと逸された。
「そこはほら……騎士アデルさんがいれば一騎当千だから」
「僕らは騎士アデルさんの付き添いみたいなものだから……」
そんなんだからへなちょこなんじゃ。
とちょっと思ったので、私は今夜から腕立て伏せを追加するように言っておいた。




