わずかな変化5
バルコニーにむちむちに座り込んだミミが、退屈そうにこっちを覗き込んでいる。
「王宮第一種行進、はじめ」
磨き上げた靴を、隣と同じ調子で前に出す。右手を腹の前に固定しながら、位置を崩さないように部屋の奥まで歩き、それから回転して戻ってくる。回れ右も教育隊で習ったものより動きが小さくやりにくい。けれど騎士グルスと同じリズムできちんと戻ってきた。
そのまま第二種、第三種と行進を変えて往復を繰り返す。
「拝謁」
体をブレさせずにゆっくりと頭を下げる方法も、服を汚さぬように後ろの膝を浮かせる方法も、新しい鍛錬と思えば何ということはない。ミミに乗っていれば、不自然な体勢のまま長時間の飛行に耐えるなんて普通だ。王宮にはミミがいないから退屈だけど、鍛えておけばいつか前線に行ったときに役に立つだろう。
「直れ。2人とも大変よろしい。特に騎士アデル、あの状態からよく訓練した。昨夜はあまり眠れなかっただろう」
「一晩の徹夜など疲労のうちに入りません!!」
「相変わらずうるさいから声は小さくしておけ。騎士グルスは時々緊張が途切れる。王宮内ではどなたがいつご覧になるかわからん。指先足先までも意識を張り巡らせるように。アデルの鍛えた動きは見てて小気味よい。君も参考にするといい」
「……ご指導ありがとうございます」
フィフツカ指導隊長は、明日の指導予定を軽く説明するとそのまま退室した。今日は小言も追加の課題もなかった。ちょっとした達成感と物足りなさを感じていると、横から軽く押された。
「おい庶民、ちょっと褒められたくらいで調子に乗るんじゃないぞ!」
「乗ってないであります」
「貴様はどう足掻いても落ちこぼれの第四なんだからな! いくら第一に移動したくて頑張っても無駄だ」
「誰が落ちこぼれじゃボケそもそも第一なんかに移動したいなんて天地が横転してもありえないであります!!」
一瞬胸ぐらを掴みかけたものの、騎士グルスがヒッと顔色を悪くしたので私は思いとどまった。また面倒を起こすと説教が増える。昼前にミミと散歩に行こうと思ってるのに、こんなことで時間を潰されたら勿体無い。
「……だっ、第一部隊に逆らう気かっ?! お、お、お前なんか反逆罪にかけてやるからなっ! お、お、お前、お前なんか訓練に遅れて叱られ、前線に行って散ればいいっ!!」
「私もそれを望んでいるんであります」
私の返事が聞こえていなかったらしい騎士グルスは、脱兎の勢いでドアから出ると勢いよく閉め、そしてガチャリと音を立てたのちに走っていった。
歩いてドアまで近付きノブをひねると、突っかかる感覚がある。
どうやら、外からカギをかけられたらしい。
「……」
窓から出ればいいけど。
騎士グルス、掃除もせずに出ていったな。
仕方なくひとりで掃除しようと用具を探していると、カチッと再び鍵が鳴った。ゆっくりとドアが開く。
「ひっ!!」
「あ、ローナン先輩」
「き、騎士アデルさん……ごめん、急にいるから驚いて失礼なことを」
ローナン先輩は胸を押さえながら弱々しく微笑んだ。いつも通り、ワイズ先輩、ルーサー先輩、ウダン先輩も一緒にいる。周囲を気にしているようだったので道を開けると、4人は中に入ってきた。
「どうかしたんでありますか」
「い、いやあの、第一部隊に入った彼が鍵を閉めてるのを見て……もしかしたら中に騎士アデルさんがいるんじゃないかって」
「それで開けに来てくれたんでありますか」
「うん……そろそろお昼だし、人も通らない場所で閉じ込められたらつらいだろうし。あ、あの、僕たちが助けたっていうのはあまり触れ回らないでほしいんだけど……ほら、第一の人たちに目を付けられると騎士アデルさんも困るだろうし」
だから周囲を気にしていたのか、と納得した。揉め事を嫌いながらも、後輩が困っていると思って助けに来てくれたようだ。実際には全く困っていなかったけれど、それでも気にかけてもらえているのはありがたい。
「ありがとうございます」
「いや! そんな、頭下げてもらうほどのことじゃ! ほ、ほら、こうして無事だったことだし騎士アデルさんも彼に怒ったり……しないでいてくれるかな?」
「はい。可能な限り近衛での揉め事は避けるであります」
「そっか、よかった……なるべく王宮内で避けてほしいけど、うん、まあ、よかったよね」
4人は目くばせをしながら頷いていた。後輩が揉めると上がどやされるので、それを避けたい気持ちもあるのだろう。弱そうな先輩が叱られるのは可哀想なので、先輩のためにもなるべく大人しくしておこうと思う。
「先輩方は、何か用事でありますか? 雑用なら私が代わりに」
「いやそんな! あの、実はそろそろ礼儀指導が終わるんじゃないかと思って見に来たんだよ」
「私に用事でありましたか」
教育隊なら怒鳴って呼びつけるのが慣習だけれど、ここは怒鳴ると怒られる。大きくて入り組んだ建物をわざわざ探さないといけないのは大変だ。
「もう今日は訓練はないんだろう? お昼を一緒にどうかと思って……何か用事あった?」
「昼まではミミと遊ぼうと。狩りをしたそうなので」
「狩り……昼まであと少しなのに?」
「近くの森までならすぐであります」
「そ、そうか……それで、午後は演奏会があるから、もし騎士アデルさんが興味あるなら……」
「午後は訓練がありますし、もしかしたら第四王子が来るかもしれないんで待機してるであります」
「えっ?! 殿下が来る予定だった?」
ローナン先輩が慌て始めたので、私は軽く説明をした。
「殿下の体力がクソ弱くグリフどころか子馬すら嫌がりそうな状態にもかかわらず、殿下はミミに乗りたいとか寝言をおっしゃるので、鍛錬の方法をいくつか教えたんであります」
「く、クソ……騎士アデルさん、もう少し柔らかい言葉を使おうか」
「昨日の今日でどうせ小鹿みたいに震えて立てなくなってると思いますが、もし訓練をこなせてるようだったら夜用のものも教える予定であります」
「で、殿下を小鹿……いや……うん……お手柔らかに、お手柔らかにね」
ローナン先輩は顔をひきつらせながらも「そういうことならまたの機会に」と納得して頷いた。演奏会とやらがどういうのかはわからないけれど、筋肉を鍛えながら聞いたりしてはいけないようだ。
「先輩方は演奏会に行ってそのまま直帰でありますか?」
「え、うん……その、まあ……」
「了解であります。では、これから掃除をしてミミと遊びますので。助けて下さってありがとうございました」
「ああ……、あ、騎士アデルさん、ここは掃除しなくて大丈夫だからね。掃除は誰か別の人がやるから」
「雑巾がけしないんでありますか?」
「雑巾……? うん、よくわからないけど、やらなくて大丈夫だよ」
訓練に使った部屋をそのままにしていいだなんて、近衛隊は中々不思議だ。けれどミミと遊ぶ時間が増えたのは嬉しい。私は先輩方に挨拶をして、待ちかねているミミに飛び乗って王宮を後にした。




