わずかな変化2
赤猫亭は、有名な大衆酒場だ。王宮からは離れた場所にあるけれど、安くて美味しいので騎士や訓練生には人気の酒場である。
ドアを開けると、いつものようにうるさいくらい混み合っていた。入り口に近い騎士が揃ってこっちを見る。訝しげな顔をされたので、私は思わず顔を擦った。ミミに泥でも付けられただろうか。
「ちょっとどいて」
ジロジロ見てくる集団を押し分けて中に進むと、途中で「近衛騎士がガサ入れにでも来たか」と聞こえてきて気が付いた。
この集団の中で、真っ白な騎士服を着ているのは私だけだ。訓練生の頃からここに来ていた私だって、ここで真っ白な騎士服なんて見たことなかった。
急に仲間外れになったような気分になって、私はボタンを外して上着を脱ぐ。なるべく小さく畳んで脇へ挟み、シャツの腕を捲るとようやく他の騎士らと同じになった気がする。
「アデルー!」
並んだ長机の真ん中あたり、一番壁際でリュネがカップを掲げた。そこに手を振り返すと、近くのむさ苦しい集団の中から赤い頭巾をした女の子が出てきた。私に気が付いて近付いてくる。
「あ、ミチル。注文いい?」
「いつもの? 黒酒のお湯ハーブ銀ハチミツミルク割?」
「そう。あと肉のつまみ適当に持ってきて。あそこにいるから」
小銭を受け取ったミチルは、こくりと頷いてまた人混みの中に飛び込んでいった。既に出来上がっている連中の間を通ってようやくリュネの元へ着く。向かい側の空席に座ろうとすると、隣が既に埋まっていることに気が付いた。その頭をぺしんとはたきながら席に座る。
「こらバカギル、オーフェンが小腹空かせてるのに自分だけ……あれ?」
テーブルに肘をつき、その手で顎を支えているギルは、この喧騒の中でグーグー居眠りしていた。反対の手はカップの持ち手を握っていて、中に入っているエールは半分も減っていない。
「寝てる」
「来たと思ったらすぐこれよ。猪の腸詰めが来ても起きなかったの」
「ギルの大好物なのに?!」
全部私が食べちゃった、とリュネが笑う。かなりの非常事態だ。泥だらけの3ヶ月演習が終わって来たときも、ギルは猪の腸詰めだけは寝そうになりながらかぶりついていたのに。
私の酒とつまみが届いても、ギルは微動だにせず眠ったままだった。
「全然起きない」
「訓練大変みたいよ。昨日の朝からついさっきまで、文字通り休憩なしでやってたみたい」
「ほぼ丸2日? だからオーフェンがお腹空かせてたんだ」
擦り傷のある頬をだらしなく緩めたギルは、口をわずかに開けて熟睡している。赤い上着は、新しいものだというのにもうくたびれ始めているように見えた。私の上着はまだ洗うほどにも汚れていない。置いていかれたような気持ちになって、私は上着をさらに丸めた。
「やっぱり槍獣第一部隊って訓練大変なんだ」
「そうみたいね。配置予定の前線もなんだか騒がしいみたいだし」
「なんかあったの?」
「相手側の援軍が増えて、交戦中の地域が増えたって」
隣国ビフェスタの国力はうちと拮抗しているし、それほど強い軍を擁しているわけではない。けれど、あちらには竜がいる。竜に対抗できるのはグリフしかおらず、地上騎士だけで立ち向かえばただ数が減るだけだ。グリフは小回りがきいて竜を負かすことだって難しくはないけれど、騎士が乗れるグリフの数よりも、ビフェスタの竜の方が僅かに多いとされている。
こちらが攻めに出ていなければ、あちらが攻めてくる。竜を分散させていなければ、形勢が逆転してこちらに攻め入ってくるかもしれない。
「ワズルド部隊長は、前線へ戻る予定を前倒しするつもりみたいね」
「……じゃあ、ギルも出るんだ」
「なんだかんだ強いもの」
「うん……」
悔しい。
戦いに出られるほどの実力を付けたのに、ミミだってそのための訓練を沢山積み重ねたのに、私は王宮にいることしかできない。前線に行けたとしても、後ろに人間なんか載せていたら竜とは戦えない。
もっとできることがあるはずなのに、と歯痒い気持ちが腹に溜まっていく気がした。
カツン、とリュネがカップを置いたので、顔を上げる。にっこりと笑ったリュネが首を傾げた。
「ま、そんなことよりアデルはどうなの? もう近衛騎士には慣れた?」
「全然慣れてない。でも同じ部隊の先輩とは仲良くなった」
「あらいいことじゃない。貴族はコネが第一だから、仲良くするに限るわよ」
私が先輩を含め近衛騎士を沢山ぶっ飛ばした話をすると、リュネは目尻に涙を浮かべて笑い転げた。笑いの間に野蛮だの大猿だのと言われたけど、リュネだって、あの場にいたら同じことをしたに違いないのに。
「第二部隊以外、みんな組手だってやったことがないような人ばっかりだよ。第四王子だって、腕立てすらろくにできないんだよ? 腕立てって、両手のやつですらできないんだよ?!」
「あんた王族に何やらせてんのよう。不敬罪で首落とすような王子じゃなくてよかったわねほんと」
「除隊させてくれた方が嬉しいんだけど」
「でも実際、給金はいいんでしょ? ミミにも乗れるようにしてもらったなら訓練できるし、いずれ前線にも行けるかもしれないなら悪くない条件だと思うけど」
「私は戦いに行きたいんじゃー!!」
「はいはい」
飲み干したコップでテーブルを叩くと、ギルがフガッと鼻を鳴らした。起きるかと思ったけれど、またぐーぐーいびきをかきはじめる。もう帰って寝たらいいのに。
「腕力は置いといて。第四王子ってどうなの?」
「どうって?」
リュネがにんまり笑う。




