新しい訓練8
「あの、騎士アデルさん……よかったらこっちのテーブルに座る?」
そっと話しかけてきたのは、ローナン先輩だった。頷いて席を立ち、椅子を運びながらテーブルに座っている4人に挨拶をする。4人はまた立ち上がって私を出迎えた。訓練隊で学んだ常識では、先輩は座ったまま挨拶を受けるものだけれど、ここでは違うようだ。
「おはようございます、先輩方。ご一緒させていただきます!」
「うん……もうちょっと声小さいほうがいいよ」
慌てて近寄ってきた白い背広の人に席を整えてもらい、座る。先輩の4人もまだ食べ始めてはいなかったようで、テーブルには何も載っていない皿と、やや琥珀色がかった透明の液体が入ったグラスしかなかった。
「騎士アデルさんも飲むかい?」
「それは酒でありますか?」
「え、あっ、うん、えーと……ほら僕たちは、今日は決まった仕事とかないから……」
ローナン先輩が慌てた。明るいうちから酒を飲むのはあんまり褒められたことじゃないのは、近衛騎士も同じらしい。ただ、他のテーブルも見る限り、上官から殴られるほどのことではないようだ。
「酒は遠慮します。グリフが匂いを嫌がるので」
「へえ、そうなんだ。グリフって鼻がいいんだね」
「はい。大鷲はあまり鼻を使いませんが、グリフは獅子や黒蛇が混じっているからか目も耳も鼻も良いんであります」
「すごいね。竜と並ぶほど強いんだもんなあ」
「あんなに大きい生き物、怖くないのかい?」
遠慮がちに話に加わってきたのは、ローナン先輩よりも背が高く、短髪でそばかすのある先輩騎士だった。聞くと、ワイズ先輩らしい。
「まったく怖くありません。グリフは賢いので、無闇に人を襲ったりしないんです。私のグリフのミミは、よく甘えてくるのでむしろかわいいばかりであります」
「甘えるんだ……」
「はい。よく甘噛みをしてくるんであります」
「甘噛み……? あんな大きなクチバシで……? 聞いたかルーサー」
信じられないよな、とワイズ先輩に話しかけられて頷いたのが、ルーサー先輩のようだ。髪は肩の上と少し長いのはローナン先輩と同じだけれど、ストンと真っ直ぐの髪であるローナン先輩とは違って、ルーサー先輩は銀の髪が緩く波打っていた。劇場の看板に描かれている吟遊詩人みたいな髪型だ。
ということは、一番背が高くて骨格が太い、黙って頷いている先輩がウダン先輩ということになる。私は特徴と名前を一致させようと心の中で確認しながら頷いた。
「グリフはとても可愛いんであります。麻紐をぐるぐる巻いてこれくらいの大きさにして転がすと、若いグリフは夢中になって遊ぶんであります。年取ったグリフは最初は冷めた目で見るだけなんですが、人の目がないところで麻紐を引っ張ってほぐして遊ぶんであります。そこをこっそり覗いて、バレたら怒ってくるのも可愛いんであります」
「へえ……大きさが違えば、猫とそっくりだね。うちの実家にも猫がいたから思い出すよ」
「うちも。あの長い毛を梳いてやりたいなあ」
ルーサー先輩とローナン先輩が、頷き合いながら猫の可愛さについて語っている。それぞれの部屋には、家族の肖像画のほかに猫の肖像画も置いてあるらしい。猫まで肖像画を作るあたり、貴族らしいと思った。
「それより騎士アデルさん」
「はい」
「先程第一部隊の面々と揉めていたようだが、大丈夫だったか?」
尋ねてきたのは、黙って話を聞いていたウダン先輩だった。ローナン先輩たちも私を見る。
気付かなかったけれど、帰ってきたときの出来事を見られていたらしい。
「揉めてはいません。でも名前を聞いたら走り去られました」
「そ、そうか」
「また投げられると思ったんだろうね……いや! 僕たちは思ってないけど!」
「ローナン先輩たちはもう投げません」
「だよね、ありがとう」
ローナン先輩はホッとした顔でスープを一口飲むと、ちらりと遠くのテーブルを見た。
「騎士アデルさんなら大丈夫だと思うけど、気を付けてね。その、第一部隊はほら、王と王太子殿下を守る部隊で血筋も良いし誇り高い人もいるから」
「陛下を守るなら、もっと鍛えないといけないのでは?」
「それはあのー……そうなんだけど、ほら、お家の関係とかで……ね。もちろん、四六時中陛下や王太子殿下の御身を守っている近衛騎士は、すごく腕の立つ優秀な騎士ばかりだから。本当に」
「あ、つまりあの人たちは第一部隊の中の落ちこぼれでありますか?」
「しぃー!!! 家は! 家はすごい方々だから!!」
ローナン先輩がものすごく必死な顔で声を小さくするように言ってきたので、私は黙って頷いた。
要するに、貴族の三男坊とか四男坊とかで、実力よりコネで入った騎士のうち、家格の高い者が第一部隊に配属されているらしい。でも流石にそういう騎士に王族を守らせるわけにはいかないから、本当の近衛騎士として働いているのはきちんと訓練した人なんだろう。
近衛隊が弱過ぎて大丈夫なのかと思ったけれど、コネと実務で二極化しているのかもしれない。
「力で言えば騎士アデルさんの方がもちろん強いけど、あっちは……というか、近衛隊には貴族でも力のある家の御子息が多いからね。色々気を付けて」
「色々……と言いますと?」
「例えば舞踏会だね。よくない薬が入ったお酒を……というのは、どのご婦人も気を付けないといけないけど、集中して狙われるかも」
「舞踏会、行ったことないであります」
「他には、ご実家が商家だったりすると、根回しで貴族のツテが切れるかも」
「うちは代々畑と獣で飯を食っているであります」
「……えーと、あとはほら、貴族の圧力で犯罪に加担とか、させられたり……」
「騎士として見逃せぬ犯罪は、即取り締まるべきであります」
ローナン先輩たちは、お互いに顔を見合わせてから私を見た。
「そっか、騎士アデルさんは庶民……あ、ごめん。僕らの社会とは少し離れてるから、権力で困ることはあんまりないのかもしれない」
「庶民でよかったであります」
「家の状況や人間関係を考えて行動しなくていいのは、ちょっと羨ましいことだね」
自分よりも強い上官や先輩に対して従うのは至極当然のことだ。騎士もある意味そういう階級社会だといえるかもしれない。けれど、自分よりも弱い相手が上の立場にいるなら、その人が理不尽なことを言うなら尊敬するのは難しいだろう。
とーさんかーさん、ばーちゃん、村のおおじい、小さい村の人間関係だって時々窮屈だけど、そんな単純な関係のなかで暮らせるのはいいことだったのかもしれない。
「ともかく、ほら、何かコネを使って探りを入れたいこととかあると大変だから、なるべく波風を立てないほうがいいかもね」
「コネ……」
言われてハッと気が付いた。
コネを使ってでも繋ぎを取りたいことがひとつある。