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宮殿内に、異変を知らせる笛の音が鳴り響いていた。
マリアンヌの朝食が終わって、炊事場では、昼食の準備に入るまでの僅かな休憩時間に入った時だった。
アーチャや、エルネら、マリアンヌの直属の付き人達も、休憩に入った所だった。
エルネ達は、休憩が終わると、マリアンヌと共に、女学校へ移動する準備が待っていた。
そんな日常の中で起こった、突然の異変に、宮殿の中は、緊張感に包まれた。
テラスで、お茶を飲みながら、そろそろ女学校へ行く準備をと思っていたマリアンヌも、笛の音を聞いて、アーチャを呼んだ。
「マリアンヌ様、お部屋にお戻りください。」
アーチャも、すでにマリアンヌの元へ向かっている所で、息を切らしてやって来た。
「マリアンヌ様!」
エルネも、急いでドレスから戦闘用の服に着替えて、部屋に駆け込んで来た。
「何事です?」
マリアンヌは、尋ねた。
「勝手口の門で異変が起こった模様です。」
エルネは、マリアンヌに報告すると、また、慌てて部屋を出ていった。
「万一に備えて、お着替えを。」
アーチャがマリアンヌに申し出た。
「分かりました。私も武装しましょう。」
マリアンヌが答えると、アーチャの指示で、メイド達が集まってきて、戦闘用の衣服に着替えを始めた。
エルネは、何人かのメイドを引き連れて、炊事場に駆けていった。
いつもは、さほど感じない距離が、やたらと長く感じた。
「マチュア!何事?」
エルネ達が炊事場に着いた時には、どうやら事態は、収拾していたようで、炊事場は、空だった。
「誰もいない…。」
エルネ達は、勝手口から門の方へ出た。
門の周りは、野次馬が集まっていて、ごった返していた。
エルネは、他のメイド達を待機させて、人混みを掻き分けていった。
「エルネ…。」
人混みを抜けると、マチュアとミリーも立っていた。
「マチュア、何があったの?」
エルネは、尋ねた。
「マイラが…。」
マチュアが唇を震わせながら、視線を移した。
そこには、マイラとハスウィンが立っていた。
「マイラ!」
エルネは、思わず、マイラの名を叫んだ。
「大丈夫。」
マイラは、一言だけ言って、ハスウィンの後ろを歩いていった。
「マチュア、何があったの?」
エルネは、尋ねた。
「詳しい事は分からないの。でも、ジウをマイラが斬ったらしいの。」
マチュアが、泣きそうな顔で答えた。
「え?マイラが?どうしてそんな…。」
エルネは、言葉を詰まらせた。
「マイラさんが、そんな事をするはずない。何かの間違いです。」
ミリーが割って入った。
そうしていると、他の警備兵が、持ち場に戻るように、指示をして回りだした。
「マチュア、ミリー、私は、マリアンヌ様に報告してくる。持ち場に戻って。」
エルネが、そう言うと、マチュアとミリーは頷いた。
それを確認すると、エルネは、メイド達を連れて、マリアンヌの元へ、戻る事にした。
「マリアンヌ様、もう大丈夫です。」
エルネは、事の次第を、マリアンヌに報告した。
「それで、マイラは?」
マリアンヌは、エルネに尋ねた。
「剣をハスウィンに渡して、投降しました。」
エルネは、俯いた。
「城内の刃傷沙汰は、重罪よ。マイラは他国の王族だから、死罪は無いと思うけど、お兄様に減刑をお願いしに行ってきます。アーチャ、正装に着替えるわよ。」
マリアンヌがアーチャに言うと、また、メイド達が集まってきて、着替えを始めた。
エルネも、その輪に入ってマリアンヌの着替えを完了した。
マリアンヌは、城内のカーツの執務室にアポ無しで乗り込んだ。
警備兵達やメイド、ケビンに制されたが、有無を言わさず突破した。
「お兄様、無礼をお許しください。お話があって参りました。」
マリアンヌは、捲し立てるようにカーツに話しかけた。
「マリアンヌ、どうした?血相を変えて…。」
カーツは、涼しい顔でデスクに両肘を付けて、手を組んでいる。
「マイラの事です。マイラをお助けください。」
マリアンヌは、本題をカーツにぶつけた。
「なるほど、その件だと思ったよ。マイラは、誰かを庇っている。恐らく、ジウを斬ったのはクレヴァンだろう。」
カーツは、ソファに移動すると、マリアンヌに座れと勧めた。
「え?どういう事ですの?」
マリアンヌは、失礼します、そう言って、ソファに腰掛けた。
「マイラは、ハスウィンにクレヴァンの剣と自分の剣を渡して投降した。血痕が付いていたのは、クレヴァンの剣の方だけだった。ジウは、クレヴァンとは犬猿の仲だ。二人の間で、何かあったのだろう。」
カーツは、静かに話した。
「そこまでお分かりなら、もっとお調べください。」
マリアンヌは、カーツに懇願した。
「マリアンヌ、もし、それで、クレヴァンが黒と出たら、とうする?クレヴァンは、下級の騎士だ。死罪は免れない。そうなれば、婚約者のマチュアも悲しみに暮れるだろう。だが、マイラは、ある意味、国賓だ。死罪という訳にはいかない。それが、マイラには分かっているから、自分が身代わりになったんだ。」
カーツは、マリアンヌを諭すように言った。
「そんな…。」
マリアンヌは、何も言い返せなくなった。
「マイラは、国外追放か軟禁という事になる。」
カーツは、そう説明した。
「では、私がマイラを預かります。元々、マイラを軍に加えるのには反対でした。私が、責任を持って、マイラを預かります。更に高い教養を身につければ、あの子は、これからも、この世界で生きていけます。」
マリアンヌは、カーツを睨みながら話した。
すると、ジェニファーが、執務室に、入ってきた。
「ダメよ。」
ジェニファーは、カーツの隣に座ると、マリアンヌを一喝した。
「何故です?」
マリアンヌは、ジェニファーに、食ってかかった。
「何度も言うようですが、あなたは、いずれは、他の国に嫁ぐのです。ずっと、この国にもいられないし、ずっと、マイラと一緒にはいられないのです。それが分からない、あなたではないでしょ?」
ジェニファーは、マイラを見つめた。
「それは…。」
マイラは、口籠った。
「カーツ様、あなたもマリアンヌに甘いのです。はっきり言うという事も、時には、優しさなのです。」
ジェニファーは、今度は、カーツに厳しい言葉を投げかけた。
「時には、私も、君に優しくしてもらいたいものだな。」
カーツは、ジェニファーに微笑みかけた。
ジェニファーは、頰を、紅くして俯いた後で、気を取り直すように、スッと顔を上げた。
「コホン、いい?マリアンヌ、それに、ルーガンの侵攻が迫っています。このままでは、テルプルは滅びてしまう。マイラが、クレヴァンを庇い、同時に、テルプルを救う手立てを考える為に国外追放を望んでいる、そうではなくて?カーツ様。」
ジェニファーは、カーツに尋ねた。
「ジェニファー、お前には敵わないね。恐らく、マイラは、ルーガンに潜り込んで、何かしようと企んでいるのかもね。」
カーツは、そう答えた。
「そんな、もし、マイラの身に何かあったら、どうするのです?」
マリアンヌは、表情を曇らせた。
「マリアンヌ、ジェニファー、いいか?マイラは、滅びたとは言え、一国の女王だ。逃げるも自由、ルーガンと和睦するのも、戦うのも自由だ。」
カーツは、そう言うと、執務室を出ていった。
「マイラは、逃げたりしないし、私達を裏切るようなこと、絶対にしないわ。お兄様は、分かってない!」
マイラは、怒りを露わにした。
「カーツ様も分かって言っているのよ。きっと、テルプルを守る鍵は、マイラが握っていると思っているのよ。」
ジェニファーは、マリアンヌを抱き寄せると、そう呟いた。
その夜、クレヴァンは、自宅で一人でいた。
「何で、あそこで、俺がやったと言えなかったんだ。情けない。マチュアにも会わせる顔がねえよ。」
クレヴァンは、テーブルを拳で叩いた。
「鍵もかけねえで、無用心だな。」
下級騎士の身なりのカーツが部屋に入ってきた。
「これは、カーツ様。」
クレヴァンは、膝まづいて胸に手を当てた。
「ルーサーの奴は、どうした?」
カーツは、尋ねた。
「また、ルーガンに忍び込むとかで、出かけていきました。」
クレヴァンは、答えた。
「そうか…。さて、てめえ、馬鹿な真似しやがって、ほれ!」
カーツは、クレヴァンに剣を返してやった。
「あの、マイラは?ジウの事は…。」
クレヴァンが言いかけると、カーツは、クレヴァンの頰を、拳で、思い切り殴った。
クレヴァンは、ふっ飛ばされて床に転げた。
「それ以上、言うんじゃねえ。マイラの好意を、無にする事になる。」
カーツは、クレヴァンを睨みつけた。
「でも、それじゃあ、マイラが、あまりにも…。」
クレヴァンが顔を上げて言うと、カーツは、両手でクレヴァンの襟元を掴んで、立ち上げると、もう一度、クレヴァンを殴り飛ばした。
「いいか!これ以上は、何も言うな。マチュアにも、よく言い聞かせろ。マイラは、お前とマチュアを守ったんだ。マイラは、国外追放になった。今夜、ひっそり、出ていくつもりだろう。マチュアと一緒に、これを持っていってやれ。それから、エルネには伝えるな。マリアンヌには知られないようにな。」
カーツは、マイラの剣をクレヴァンに手渡した。
「はっ!畏まりました。」
カーツの圧に押されて、クレヴァンは、ひれ伏した。
クレヴァンは、宮殿の炊事場に向かった。
そして、門番に頼んで、夕食の支度を指揮しているマチュアを呼んでもらった。
「クレヴァン、どうしたの?今日は、大変だったのよ。」
マチュアは、突然のクレヴァンの出現に、驚いたようだった。
「すまない、少し、出られないか?」
クレヴァンは、小声で頼んだ。
「夕食の支度が終わったら、少しなら、大丈夫。」
マチュアは、そう答えた。
クレヴァンは、終わったら来てくれと頼んで、その場は別れた。
マチュアは、夕食が終わり、一段落すると、クレヴァンの待つ門の外へ急いだ。
「ごめんね。遅くなって。」
マチュアがクレヴァンの元へ駆け寄ると、門番の目も憚らず、クレヴァンは、マチュアを強く抱き締めた。
「もう、クレヴァン、ダメよ。門番の人が見てる。」
マチュアは、嫌がる訳でもなく、やんわりクレヴァンから離れた。
「今日、この門での騒動は、聞いてる?」
クレヴァンは、尋ねた。
「うん。マイラがジウを斬ったって。エルネは、そんなはずは無いって、マリアンヌ様の所に行ったけど、それからの事は分からないの。」
マチュアは、心配そうに話した。
「マチュア、こっちに。」
クレヴァンは、門から離れて物陰に隠れるようにした。
「ちょっと、こんな所で…。」
マチュアが顔を赤らめると、クレヴァンは、突然、泣き出した。
「クレヴァン、突然、どうしたの?」
マチュアは、ハンカチでクレヴァンの涙を優しく拭った。
「これは、カーツ様の命令だ。ここで聞いた事は、二人だけの秘密だ。口が裂けても言っちゃダメだ。いいな。」
鼻を垂らしながら、クレヴァンは、マチュアの両肩に手をやって言い聞かせた。
マチュアは、これは、大変な事が起こっていると思って、ただ、頷いた。
「実は、ジウを斬ったのは、俺なんだ。」
クレヴァンは、涙を拭ってマチュアを見つめた。
「ええ!?どうして?」
マチュアは、顔面蒼白になって腰から崩れ落ちそうになった。
それを、クレヴァンは、抱き止めた。
「お前にもらった懐中時計が失くなって、さらに、それを酷く壊された。その時計は、ジウが持っていた。あいつが持ち去り、破壊したのは明らかだった。しかし、証拠が無いのをいい事に、ジウは、ルーサーに疑いをかけ、更には、お前やマイラを侮辱するような言葉を吐き続けた。気がついた時には、剣を抜いていた。」
クレヴァンは、拳を握り締めた。
「そんな…。そんな事で、人の命を…。何ていう事を…。」
マチュアは、沈痛な表情を浮かべた。
「すまない、どうしても許せなくて…。我慢しようとはしたんだ。でも、頭に血が登って。」
クレヴァンは、俯いた。
「私も償う。二人でハスウィン様の所へ出頭しよ。ね。」
マチュアは、涙を流しながら、クレヴァンに訴えた。
「それが、奴を斬ってしまって、頭に血が登って、何か訳が分からなくなっているうちに、マイラが、自分が斬ったと出頭してしまったんだ。」
クレヴァンは、くちびるを噛み締めて、拳を壁に叩きつけた。
「ええ!?それなら尚更、早く行かなきゃ。マイラに罪を被せるなんてできない!」
マチュアは、少し、声を荒らげた。
「だから、俺は、カーツ様の所に談判しに行ったさ。でも、カーツ様は、斬ったのは自分だとは、言わせてくれなかった。言えば、俺は死罪だ。お前も悲しむ。だけど、マイラは王族、死罪と言う訳にはいかないから追放にすると。マイラの心意気を無駄にするなと。」
クレヴァンは、言葉を絞り出すように話した。
「追放!?そんな…。」
マチュアは、両手で顔を覆った。
「カーツ様は、仰った。事件は、偶発的に起こったのかも知れない。でも、マイラは、皆を救う何かを考えて、この行動に出たんだと…。あいつは、この夜のうちに旅立つ。だから、この剣を、二人で渡して来いと。それから、この事は、二人の胸に刻み、例え、マリアンヌ様にも口を開いてはならないと。」
クレヴァンは、そう言って、マイラの剣を包んだ布を開けた。
「分かった…。」
マチュアは、力なく、無理矢理に納得して、二人は、再び、門を通って、裏から宮殿の森の方へ歩いていった。
「さて、世話になったな。」
マイラは、与えられた馬の手綱を放すと、馬小屋へ行きなさい、そう言って、無人で、馬を走らせた。
この馬は、賢いから、間違いなく、馬小屋まで走っていくだろう、マイラは、馬を見送った。
マイラは、テントや荷物をまとめて背負うと、歩き始めた。
「待って!」
後ろから、呼び止められた。
マチュアの声だ。
「マイラ、すまねえ。俺の為に、こんな事になっちまって」
続けて、クレヴァンが、駆け寄ってきて、声をかけた。
「気にするな。じゃあ、クレヴァン、マチュア、幸せに。」
マイラは、一言だけ、声をかけた。
「マイラ、ごめんなさい、それから、ありがとう。」
マチュアは、マイラの手を取って、涙を流した。
「マイラ、カーツ様が、お前に渡してくれって。」
クレヴァンは、マイラの剣を返した。
「そうか。わざわざ、ありがとう。じゃあ。」
マイラは、剣を受け取ると、そう微笑んだ。
「俺たちの結婚式には、必ず来てくれるよな。」
クレヴァンは、尋ねた。
「ああ。」
マイラは、一言、答えた。
「マイラ、約束。きっとよ。」
マチュアは、そう言ってマイラに抱きついた。
「うん。」
マイラは、そう頷くと、城下町に繋がる門の方へ歩いていった。
クレヴァンとマチュアは、マイラの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。
マイラは、門の側までやって来た。
すると、エルネが待っていた。
「何も言わずに出ていく気なの?」
エルネは、少し怒ったような顔をした。
「エルネ、すまない。国外追放になった。罪人がマリアンヌ様に目通りする訳にはいかないから。」
マイラは、俯いた。
「何を考えているのか、私には、分からないけど、きっと、マイラの事だから、何か考えあっての事なんでしょ?でも、マイラ、きっとまた会えるよね。」
エルネは、笑顔でマイラに問いかけた。
「うん。ありがとう。マリアンヌ様始め、皆さんには、本当に良くしてもらって。」
マイラは、頭を下げた。
「バカねえ。何でもかんでも、背負い込んで。これ、ミリーが作ったのよ。途中で食べて。それから、これは、マリアンヌ様から。これを見せれば、テルプルの領内だったら、王族の銀行から金貨を引き出せるから。」
エルネは、ミリーの作った弁当と、マリアンヌの印が掘ってあるペンダントを渡した。
「ありがとう。これは、ありがたく、いただくよ。」
マイラは、素直に、好意を受け取った。
「気をつけて。」
エルネは、マイラの手を取って、泣くのを必死で我慢して笑顔を浮かべた。
「じゃあ。」
マイラは、軽く手を上げて、門を出ていった。
夜も更けていたが、門番には、ハスウィンから連絡が入っていたので、マイラは、通用口から、出ていった。
「行ったか?」
どこに隠れていたのか、ハスウィンが物陰から出てきた。
「はい。出ていらっしゃれば良かったのに。」
エルネは、ハスウィンに声をかけた。
「いや、俺は、知らない事にしておいた方がいいだろう。それよりも、マリアンヌ様は、お悲しみになるだろうから、支えて差し上げてくれ。」
ハスウィンは、エルネに頼んだ。
「それは、もちろんですけど、ハスウィン様も、マリアンヌ様に、もっとお声をかけられたらどうですか?」
エルネは、ちらりとハスウィンを見上げた。
「何を言うか!恐れ多い事を言うな。とにかく、お前達、お付きのメイドが、しっかりお支えしろ。」
ハスウィンは、少し、狼狽えながら言うと、去っていった。
「バレバレなのよね。どう見たって、ハスウィン様は、マリアンヌ様に気があるでしょうに。」
エルネは、ブツブツ言いながら、宮殿に戻った。
翌朝、マリアンヌは、朝食を摂っていた。
しかし、あまり食が進まず、ボーッと外を見ていた。
「マリアンヌ様、ボーッとなさって…。お食事中ですよ。」
アーチャが、お行儀が悪いですよ、そう窘めた。
「そうね。」
マリアンヌは、呟いた。
「マリアンヌ様、お茶です。」
エルネが、紅茶を持ってきた。
「エルネ、マイラは、行きましたか?」
マリアンヌは、ポツリと尋ねた。
「ご存知だったのですか?」
エルネは、尋ね返した。
「お兄様にしても、マイラにしても、変に気を回し過ぎなのです。私は、気づかぬ振りをしていれば良いのです。」
マリアンヌは、少し、拗ねた顔で言った。
「マリアンヌ様、マリアンヌ様にお元気がないと、皆の指揮に関わります。マリアンヌ様は、ご自分のお立場をわきまえてください。」
エルネは、マリアンヌに諫言した。
「そうね。ルーガンの侵攻に備えて、私達も鍛錬と準備を始めないといけないわね。」
マリアンヌは、背筋を伸ばした。
「はい。」
エルネは、少し安堵の表情を浮かべてマリアンヌを見つめた。
マイラは、そんな皆の思いを背に、城下町から、城下に出て、街道を進んでいった。
「ルーサーは、ルーガンに入っているのかしら?」
マイラは、そんな事を考えていた。
闇雲に動いても、どうにもならない。
でも、ルーガンが、アンゼスを抜ける前にケリをつけたい。
その為の線を繋げたい。
そうなると、頼りになるのは、ルーサーしかいない。
マイラは、ルーサーを見つけよう、そう決めて、東に足を進めた。
アンゼスに入って、マイラは、金貨を銀行で受け取ると、ひとまず、宿を取る事にした。
荷物を下ろして、一息ついていた。
「お客様、ルーサー・パンというお知り合いの方が見えてるんですが、どうされますか?」
宿の人間が声をかけてきた。
「ルーサーが?あ、呼んで下さい。」
マイラは、何ていいタイミング、そう思った。
しばらくすると、ドタドタと走る音が部屋に近づいてくると、勢い良く、ドアが開いた。
「マイラ、おめえも人がいいなあ。死罪になってたかもしれねえんだぞ。」
ルーサーは、屈託のない笑顔でやって来た。
「まあ、追放で済んで助かったかな。なあ、ルーサー、お前だったら、クレヴァンを突き出していたのか?」
マイラは、尋ねた。
「俺だったら、うまいことクレヴァンとマチュアを逃がすか、斬らなくても、ジウの奴を、死ぬよりもっと恐ろしい目に合わせてやるさ。」
ルーサーは、笑顔を崩さない。
しかし、やはり、ルーサーの事は、心からは信頼できない。
マイラは、そう感じると共に、薄気味悪さを感じてならなかった。
「そうか、お前を敵には回したくないものだな。しかし、どうやって私が追放になったと知ったんだ?私が牢に入っている間に、お前は、すでにテルプルを出ていた筈だ。」
マイラは、冷めた言葉を返した。
「そりゃ、おめえ、いざとなったら、ルーガンにつく事も考えなきゃならねえからな。色々、情報屋を雇ってんだよ。今は、単発で雇うだけだがよ、そのうち、家来を抱えて、成り上がるって寸法さ。」
ルーサーは、平気な顔で、そんな事を話した。
「なるほど。せいぜいカーツ様にバレないようにする事だな。」
マイラは、忠告した。
「ハハハ、カーツ様は、お見通しさ。それは、それでいいと思っておられるのさ。」
ルーサーは、ケラケラと笑った。
「まあ、あまり調子に乗らないことだな。それはそれとして、お前は、ルーガンに行くんじゃないのか?」
マイラは、もういいと思って、本題に入った。
「おお、そうそう。おめえがアンゼスに入ったって、聞いてよ、駆けつけたって訳だ。」
ルーサーは、へへへと自慢げに笑った。
「それは、どうも。」
マイラは、呆れ顔で言った。
「ほれ。」
ルーサーは、何かを書いた紙を渡した。
「これは?」
マイラは、キョトンとしていた。
「こいつには、ゲリラのボスやら、旧サリバーの軍人で、ルーガン軍にいる奴の名簿だ。闇雲に行ったって、どうにもならねえ。持ってきな。」
ルーサーは、得意気な顔をしている。
「お前の事だ。私を、彼らに接触させて、利用しようと思ってるんだろ?」
マイラは、そう言いながらも、ルーサーの好意を受け取った。
「まあ、それは、良いじゃねえか。だがな、ルーガンには通行手形がなきゃ入れねえ。それだけは、自分で何とかしなきゃならねえからな。じゃあ、先を急ぐんでな。あばよ。」
ルーサーは、有無を言わさず、部屋を出ていった。
「おい!全く、大した奴だよ。」
マイラは、苦笑いした。
「ダン・ロット。ゲリラの頭領か…。」
マイラは、リストに目を通していた。
「しかし、どうやってルーガンに入る?」
関所の無いテルプルの出入りは、自由だが、ルーガンの出入国は、ルーガン発行の通行手形が無ければ不可能だ。
夕食を済ませて風呂に入ると、マイラは、ボーッと考えていた。
「ルーサーも、どうせなら、ルーガンに入れる手立てを教えてくれなきゃ。」
マイラは、湯船に浸かりながら考えていた。
「とりあえず、明日、森に行ってみようかな…。」
マイラは、昔、自分が住んでいた森の事を思い起こしていた。
そして、風呂から出ると、マイラは、ブツブツ言いながら、寝転がっていたが、いつの間にか、眠ってしまっていた。
翌朝、眼を覚ましたマイラは、早い時間にマイラは、宿を出て、森に向かって歩き始めた。
森を出たのが夏の終り頃で、今は、冬の初め。
わずか数ヶ月しか経っていないのだが、随分と時が経ったような気持ちになった。
森に繋がる街道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「もし、旅のお方。私は、薬屋でございます。」
振り向くと、薬屋が、丁寧に、お辞儀をしている。
「グレイ…か?」
マイラは、呟いたが、即座に他人の振りをした。
「薬屋、旅の疲れか熱っぽい。薬を分けてくれないか?」
マイラは、他人行儀に話しかけた。
「それはそれは。それでは、この薬が良いと思われます。」
グレイも他人行儀に応対した。
「そうか。それじゃあ、それをもらおう。」
マイラは、代金をグレイに手渡した。
「ありがとうございます。お大事に。」
グレイは、丁寧にお辞儀をすると、人混みに消えていった。
マイラは、少し歩いて木の陰に隠れると、薬の袋に入っている包を取り出した。
「これは、通行手形。よくできてる。ルーシー・ポウか。ルーガン、ハン・ゾウン指揮下の下級騎士。任務 国境警備か。グレイ、ありがとう。でも、グレイが動いているという事は、私の存在が知られているって事かしら?」
マイラは、包を広げると、手形を懐にしまった。
そして、森の中に入っていった。
幼い頃から住んていた小屋は、焼け落ちたまま、そのまま放置されている状態だった。
「おじいちゃん、ごめんね。必ず、きちんとしたお墓を建てるからね。」
マイラは、その場で黙祷すると、奥にある泉の方へ歩いていった。
「この冷たさでは、泉には入れない。」
マイラは、水に手をやると、そう呟いた。
「テント張ろうかな。」
マイラは、テントを設営した。
「さて、まずは、ゲリラから会うか。まずは、ダン・ロットだな。」
マイラは、呟いた。
そして、ルーサーがくれた名簿の一覧を眺めていた。
すると、森の木々を通って、ひんやりした風が吹き抜けていった。
明らかに、季節は冬に入っていた。
動物達も、冬を越す為に、どこかで身を潜め始めている。
心なしか、森の中が静かだ。
「冬か…。この感じだ。自然の森のだ…。」
マイラは、深呼吸した。
そして、夜になると、町で買った食材を使って、夕食を作って食べた。
「懐かしい…。ホッとする。」
本当の自然、本当の星空、マイラは、そう呟いた。
「本当に、滝が斬れるようになるのかしら?」
マイラは、滝を見つめた。
「そう言えば、セッサ様は、お元気かしら?お体が悪いと仰っていたけど。ルーガンに入ったら、会えないかな?」
マイラは、寝転がると、星空を眺めた。
とにかく、ルーガンに行ってみよう、考えるのは、それからでいい。
マイラは、今、どうこう考えても仕方がないと腹をくくって、火の始末をしてテントに潜り込んだ。
「やはり…冷え方が違う。」
懐かしい半分、苦痛を感じる。
同じテント生活でも、テルプルでの生活が、いかに恵まれていたのかを痛感する。
自分は、弱くなっているのか?
マイラは、自問自答した。
マイラは、毛布にくるまって、眠る事にした。