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滝を斬る  作者: ninjin19
6/225

6

 セッサが去って、数週間が経った。

暦では9月に入り、秋も深まってきた。

日中は、爽やかな陽気だが、少しずつ、風も冷たさを感じるようになって来た。

セッサの死は、国策として伏せられ、病気療養中と発表されていた。

その日、授業が終わると、マイラは、マリアンヌを呼び止めた。

「あら、珍しいわね。マイラから私を呼び止めるなんて。」

マリアンヌは、嬉しそうに微笑んだ。

「お話しがあります。」

マイラは、マリアンヌを見つめた。

「改まってどうしたの?」

マリアンヌは、自分の部屋にマイラを連れて行って、誰も近づかないように命じた。

「さあ、ここなら誰も来ないわ。」

マリアンヌは、マイラに、ソファに座るよう促した。

「ありがとうございます。」

マイラは、ソファに腰掛けた。

マリアンヌは、紅茶を入れると、寝室は、見せられないのよ、と、そう言って、自分もソファに座った。

マリアンヌの部屋は、部屋と言うより、もはや家と言った方が良かった。

マイラは、少し落ち着かない様子で、部屋を見渡すと、紅茶を飲んだ。

「それで、お話しって、なーに?」

マリアンヌは、カップを片手にマイラに尋ねた。

「マリアンヌ様、私は、あなたを守りたいのです。」

マイラは、唐突に言った。

「え?何を今更…。いつも守ってもらってるじゃない?マイラのおかげで、どこに行くのも安全よ。」

マリアンヌは、微笑んだ。

「テルプル軍に加わる事をお許しください。」

マイラは、マリアンヌの言葉を制して言った。

「何を言ってるの?あなたは私の学友です。勝手な事は許しません。あなたに軍服は、似合わない。その赤いドレスの方が、お似合いよ。」

マリアンヌは、マイラの願いを一蹴した。

「マリアンヌ様には、本当に感謝しております。どこの馬の骨とも知れない私を、学友として、何不自由無い生活をさせていただいております。だからこそ、恩返しがしたいのです。」

マイラは、真剣な眼差しで、マリアンヌを見つめた。

「恩返しがしたいと言うのなら、生涯の学友として、ずっと私に仕えなさい。そのうちに私が素敵な王子様を紹介するわ。そして、結婚して、幸せになるの。それ以外は、認めないわ。」

マリアンヌは、珍しく語気を強くして言った。

「いずれ、そう遠くないうちに、ルーガンが攻めてきます。私は、サリバーを、どうこうとは思っていないのです。私は、ルーガンと戦い、マリアンヌ様を守りたいのです。」

マイラは、そうマリアンヌに、再度、訴えた。

「分かりました。では、この宮殿で、私の側近くで、私の護衛を命じます。いいですね。」

マリアンヌは、それ以上、一切、マイラの言葉に耳を傾けなかった。

「失礼します。」

マイラは、これ以上、話しても埒が明かないと判断して、ひとまず、テントに帰ることにした。

マイラが、風呂に入り、更衣室で着替えていると、エルネ・アーノが血相を変えて入ってきた。

「マイラ、軍に加わるって本当なの?」

エルネは、テーブルを両手で、バンッと叩いて、マイラに尋ねた。

「マリアンヌ様は、お許しにならなかった。」

マイラは、呟いた。

「当たり前でしょ。マリアンヌ様は、マイラを心から信頼してるのよ。それに、私も、マイラがいなくなったら寂しいわ。」

エルネは、半泣きでマイラに言った。

「ありがとう。エルネ。」

マイラは、そう言うと、馬小屋に歩いていった。

「マイラ…。」

エルネは、マイラの後ろ姿が見えなくなるまで、見つめていた。


マリアンヌは、マイラが部屋を出た後も、怒りが収まらない様子だった。

「どうして、マイラは、私の気持ちが分からないの?軍に加わるなんて、絶対に許さないわ。」

マリアンヌは、部屋の中をウロウロ歩き回っては、ブツブツ言っていた。

「そういえば、お義姉様が、マイラのテントを訪ねたって噂を聞いた…。」

マリアンヌは、思い立ったように、ジェニファーの部屋へ向かった。

「きっと、お義姉様が、何かマイラに言ったんだわ。」

珍しく、ズカズカとマリアンヌは、宮殿の中を突き進んだ。

「お義姉様!」

マリアンヌは、ジェニファーの部屋のドアをドンドンと叩いた。

しばらくすると、ドアの向こうから、いいわ、入って、そう声がした。

マリアンヌは、ドアを勢いよく開けて、ジェニファーの部屋に足を踏み入れた。

「騒々しいわね。カーツ様なら、どこに行ったか分からないわよ。ケビンが探し回っていたわ。」

ジェニファーは、人払いをすると、自分でお茶を入れると、ソファに腰掛けた。

「とにかく、座ったら。」

ジェニファーは、ソファを指さして、マリアンヌに座るように促した。

「はい…。」

マリアンヌも、少し、息を整えて、ソファに座った。

「マイラの事?」

ジェニファーは、じっとマリアンヌを見つめた。

「そうです。マイラが軍に加わると私に言って来ました。」

マリアンヌは、ジェニファーを睨んだ。

「そお…。もちろん、マリアンヌは承知でしょうね。」

ジェニファーは、マリアンヌを睨み返した。

「承知のはずはないでしょう。マイラは、私の学友です。私の手元から離しません。」

マリアンヌは、やはり、ジェニファーが原因かと思い、怒りが込み上げてきた。

「マリアンヌ、あなた、もう17歳でしょ。一国の姫なら、もう来年あたりには、どこかの国に嫁ぐのよ。そうなれば、マイラは連れてはいけない。マイラは、あなたの家臣にはなれない。彼女は、身分としては女王です。あなたが、縛っておけるようなお方ではないの。」

ジェニファーは、少し、声のトーンを下げてマリアンヌを諭した。

「分かっています。だからこそ、相応の国に嫁いで、幸せになって欲しいのです。」

マリアンヌは、俯きながら答えた。

「それこそ、マイラに失礼よ。マイラには、辛い宿命だけれども、テルプルの近衛騎士団の騎士としてというのは、建前であって、サリバーの女王として出陣して、ルーガンと戦い、サリバーを解放する義務がある。そして、結果的にテルプルを救う事で、カーツ様と対等となるのよ。そうなって初めて、サリバーは、復活して、独立するのよ。」

ジェニファーは、いつになく、静かな口調でマリアンヌを諭した。

「もうサリバーは、良いではありませんか…。テルプルとルーガンの戦争に、もう無くなった国を、もう一度、巻き込むのは、私としては、受け入れ難い物があります。」

マリアンヌは、首を横に振りながら呟いた。

「ルーガンでは、旧サリバーの家臣達が、ゲリラに身を落としながらも、ルーガンと戦っています。マイラは、赤の他人である、あなたを救ったように、サリバーのゲリラ達から目を逸らす事はないでしょう。」

ジェニファーは、そう結論付けた。

「それは、そうですけど…。それでも、私は受け入れられません。」

マリアンヌは、立ち上がると、ジェニファーの部屋を出ていった。

「マリアンヌは、ご立腹のようだな。」

ジェニファーの部屋の隣は、カーツの部屋になっている。

壁を隔てて、ドアで出入りが出来るようになっていた。

「お帰りでしたのね。ズルいお方ですね。いつも私一人を悪者にして。ご自分は、良い兄でいるおつもりですか?」

ジェニファーは、チクリとカーツに嫌味を言った。

「まあ、最後は、俺が恨まれる事になるのだから、しばらくは、良い兄でいさせて欲しいものだな。」

カーツは、さっきまでマリアンヌの座っていた場所に腰を下ろした。

ジェニファーは、新たに紅茶を入れると、どうぞと、カーツに勧めた。

「それで、マイラの方は?」

カーツは、尋ねた。

「ご自分で声を、おかけになれば良いではありませんか?」

ジェニファーは、カーツを見つめた。

「テルプル軍への参加は、あくまで、マイラの意志でなければならない。対等というのは、気を使うものなんだよ。」

カーツは、呟くように答えた。

「カーツ様は、そんなに大人でいらしたの?早く、マイラに会いたくて仕方がないのかと思っていましたわ。」

ジェニファーは、カーツをからかうようにクスッと笑った。

「ふん、言いたい事を言いやがって…。」

カーツは、そう言いつつも、ジェニファーとの会話を楽しんでいるようだった。

その日の夕食は、ここで食べると言って、夜更けまで、夫婦水入らずで談笑していたようだった。


そんな二人を知ってか知らずか、マイラは、一人、焚き火をしながら夕食を摂っていた。

「マリアンヌ様を傷つけてしまった…。」

マイラは、ポツリと呟いた。

「サリバー云々より、この窮地からテルプルを守る方法を考えなければ…。」

マイラは、必死に打開策を考えた。

「ルーガン軍は大軍、街道を進むしかない。隊列は、必然的に縦長になる。囲まれる事はないけど、物量で突破される可能性が高い。どうする…。」

マイラは、夕食を食べ終わった後も、焚き火の炎を見つめながら、ブツブツと呟いていた。

「あれ?」

マイラは、ポツリと水滴が、おでこに当たったのを感じて、空を見上げた。

「雨?」

そう思った瞬間、土砂降りの雨が落ちてきた。

「最悪!」

マイラは、テントの中に潜り込んだ。

すると、今度は、雷が鳴り出して、轟音と共に落雷が始まった。

「雷か…、テントは、危ないな。まだ遠い、間に合うな。」

マイラは、咄嗟の判断で馬に跨がると、土砂降りの中、宮殿まで駆けていった。

そして、馬小屋に馬を繋ぐと、建物の中に逃げ込む事にした。

まだ、幸いにも、消灯前の時間で、施錠されていなかった事もあり、マイラは、建物の中に入る事ができた。

物音に気づいて、侍女を取り仕切るアーチャが槍を持って現れたが、ずぶ濡れのマイラを見て、しばらくポカンとしていた。

「すみません。雷が近づいて来たので、避難してきました。」

マイラは、冴えない顔で頭を下げた。

「マイラ様…。そんなずぶ濡れでは、お風邪を引きます。まずは、お風呂に。」

アーチャは、マイラに風呂に入るように勧めた。

マイラも、お言葉に甘えてと言って、風呂に入った。

「雨、雷…か。テルプルとルーガンの国境地帯は、森と山が広がっている。天候の変化も激しい。」

マイラは、湯船に浸かりながら、ブツブツと考え事をしていた。

「マイラ、入るわよ。」

マリアンヌが風呂場に入ってきた。

「マリアンヌ様、お一人でお風呂に来てはなりません。」

マイラは、裸で身動きが取れず、広い湯船の隅っこに後ずさりした。

「よいのです。たまには、のんびり湯船に浸かりたいのです。マイラと一緒なら安全でしょと言ったら、アーチャ達は、納得したわ。」

マリアンヌは、クスッと笑った。

「はあ…。」

マイラは、どう答えたらいいか分からなくなって、黙ってしまった。

そうしているうちに、マリアンヌも湯船に浸かった。

「マイラ、大変だったでしょう。外は、ひどい雷雨よ。今日は、私の部屋に泊まりなさい。」

マリアンヌは、笑顔でマイラに話しかけた。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。雷が止んだら、テントに戻ります。」

マイラが言うと、マリアンヌは、ムッとして言い返した。

「いいから。素直に言う事を聞いて。」

マリアンヌは、そう言って、マイラの胸を、ジッと見た。

「羨ましいわ。マイラは、スタイルもいいし、胸は豊かでキレイだし。私のは貧弱で、悲しいわ。」

マリアンヌは、自分の胸を見て嘆いた。

「はぁ。私は、マリアンヌ様くらいの大きさの方が、動きやすくて良いのですが…。」

マイラは、恥ずかしそうに胸を両手で隠した。


二人は、湯船に浸かりながら談笑すると、パジャマに着替えて部屋に戻った。

「マイラ様のベッドもご用意してあります。」

マリアンヌの寝室も、これでもかというくらいに広かった。

どこから持ってきたのか、マリアンヌのベッドの隣に、同じレベルのベッドが並んでいた。

一体、何人がかりで運んで来たのだろう。

「ありがとう、アーチャ。もういいわ。おやすみなさい。」

マリアンヌは、特に普通な様子で、アーチャに言った。

「あの…。アーチャさん、すみません。」

マイラは、申し訳無さそうに頭を下げた。

「いいえ。おやすみなさいませ。」

アーチャも、特に変わりなく、部屋を出ていった。

「それにしても、凄い雷雨ね。どちらにしても、今夜はテントに戻るのは無理よ。観念しなさい。」

マリアンヌは、そう言って、自分のベッドに座った。

「マリアンヌ様…。」

マイラが、言いかけた瞬間、マリアンヌは、座って、そう言って、マイラのベッドに座らせた。

「マイラと最初に会った時、何て強くて、凛々しい男性かと思ったの。でも、よく見ると女の子で、びっくりしたわ。しかも、サリバーのお姫様って聞いて、更にびっくりしたのよ。私と同じ年の女の子が、髪を短く切っていた理由が、何となく分かった。この子は、何か私には想像も点かない重い物を背負っているってね。マイラ、さっきは、ひどい事を言って、ごめんなさいね。マイラの心は、マイラだけの物だから、私が、束縛するのは、間違ってるって気づいたの。マイラが信じる道を、進めばいい。」

マリアンヌは、マイラの手を握って、そう、涙ぐみながら微笑んだ。

「マリアンヌ様、ありがとうございます。必ず、マリアンヌ様をお守りします。」

マイラと涙を流しながら、そう答えた。

「但し、私の学友の身分は、外しませんからね。」

マリアンヌは、おでこをマイラのおでこに付けると、そう言った。

「はい。」

マイラは、涙を拭うと、そう答えた。

「さ、もう遅いわ。寝ましょう。おやすみなさい、マイラ。」

マリアンヌは、そう言って、ベッドの布団に潜り込んだ。

「おやすみなさい。マリアンヌ様。」

マイラも、ベッドの布団に入った。

その夜、雷が収まった後も、ずっと雨は降り続いた。

よく朝、雨は止んだようで、朝陽が窓から射し込んでいた。

マリアンヌは、その眩しさで目を覚ました。

「おはよう。マイラ。」

マリアンヌは、体を起こして、マイラに声をかけた。

「え?」

しかし、ベッドには、もうマイラの姿はなかった。

布団は、きれいに畳んであり、一枚の手紙が残されていた。

「おはようございます。行ってまいります。」

マリアンヌは、手紙を読むと、それを胸に抱きしめた。


マイラは、ハスウィン指揮下の近衛騎士団に入隊した。

マイラの希望で、身分を隠して、一般の兵としての扱いだった。

ハスウィンは、クレヴァンの小隊に、マイラを預ける事にした。クレヴァンの小隊には、ルーサーも配属されていた。

「何だ?お前の小隊は、掃除係に女までいるのか?」

同じく、ハスウィンの指揮下のジウ・アミンが、クレヴァンに絡んできた。ジウは、クレヴァンと同期だが、自分より身分の低いクレヴァンと同じ小隊長なのが、面白くなくて、事ある毎に、クレヴァンに絡んで来た。

「余計なお世話だ。」

クレヴァンは、ジウのお尻を蹴り飛ばした。

「おのれ…。」

ジウは、クレヴァンの足元に、唾を吐いて去っていった。

「ルーサー、マイラ、気にするな。」

クレヴァンは、二人に声をかけた。

「クレヴァン、すまねえ。マイラ、よろしくな。」

ルーサーは、マイラに握手を求めた。

「こちらこそ。」

マイラも握手に応じた。

「クレヴァン様、よろしくお願いします。」

マイラは、クレヴァンにお辞儀した。

「堅苦しい挨拶は抜きだ。お前が何者か、俺は知っている。タメ口で構わんが、ただの部下として扱うからな。覚悟しとけ。」

クレヴァンは、笑い飛ばして、去っていった。

「分かった。女言葉は、疲れるから、助かる。しかし、あいつは、何なんだ?」

マイラは、露骨にジウに対して、嫌悪感を露わにした。

「ジウの家柄は、代々、王の側近くに仕える宿老の家柄だ。しかし、カーツ様は、実力主義だからな。ジウは、俺達と同じ位からスタートになって、面白くないのさ。何かあったら俺に言って来い。とりあえず、お前の役割は、宮殿の門の警備だ。しばらくは、退屈だろうが、我慢してくれ。」

クレヴァンは、そう言うと、部下たちに、あれこれ指示をして回った。

「クレヴァンは、腕も立つし、頼りになるぜ。それに、人を、差別しない。いいヤツだ。それにしても、わざわざ、兵隊に入るなんて、マイラも酔狂なヤツだな。」

ルーサーは、ニコニコしながら言った。

「マリアンヌ様には、申し訳ないが、宮殿で、ドレスは、性に合わない。ただ、あの方を守って差し上げたい。それだけ。」

マイラは、少し、悲しそうな顔で答えた。

「あんまり、深く考えない方がいいぜ。マイラが姫様だろうが、近衛兵だろうと、俺にとっては、マイラは、マイラだ。とにかく、無茶して死ぬんじゃねえぞ。」

ルーサーなりにマイラを励ましてくれているのだろうか?

マイラが、分かった、そう答えると、ルーサーは、いつものように、城内の通路を、せっせと掃除を始めた。

城内には、いくつか、夜になると閉める門があり、各門に門番と見回りの警備兵が配置されている。そして、宮殿は、王族が住んでいる事もあって、門番と見回りの警備兵を、更に多く配置していた。マイラの担当は、出入りの業者の為にある勝手口に繋がる門だった。

マイラは、ルーサーと別れて宮殿の勝手口への門に向かうと、先に門番として立っていた兵に説明を聞いて、交代した。


しばらくすると、出入りの商人達が、商いにやってきては、門をくぐり、そして、帰っていった。

マイラは、彼らを出迎え、許可証を確認して見送る、それだけの時間を過ごしていた。

「私は、薬の行商をしております、グレイ・バモンでございます。これが許可証です。」

グレイは、痩せた体型の中年の男で、薬の入った木箱を背負っていた。

マイラは、グレイが差し出した許可証を確認すると、彼に尋ねた。

「私は、今日、初めて門番に立つから、勝手が分からないのだが、あなたは、いつも、出入りしている行商人か?」

マイラは、尋ねた。

「はい、いつも、御ひいきにさせていただいております。」

グレイは、腰低くお辞儀した。

「そうか、これからも顔を合わす事になるだろうから、よろしく頼む。」

マイラは、笑顔で挨拶した。

「これは、ご丁寧に。こちらこそ。」

グレイは、何度もお辞儀をして門をくぐっていった。

グレイが勝手口の扉を開けて入ると、マイラは、気づかれないように、扉から、中を覗いた。

すると、グレイは、頼まれた薬を侍女の一人に渡すと、紙に包んだ代金を受け取っていた。

マイラは、代金を渡した侍女の顔を確認すると、気づかれないように門に戻った。

しばらくすると、グレイが扉を開けて出てきて、門の方にやって来た。

腰を低くしながら、お辞儀をして、門に差し掛かった瞬間、マイラは、剣を抜いてグレイの首先に刃を寸止めにして、後ろに回り込んで、空いている手で口を塞いだ。

「騒ぐな。」

マイラは、そう耳元で囁いた。

グレイは、引きつった顔で頷いた。

「両手を頭に乗せて、そのまま、両膝を地面に付けろ。」

グレイは、マイラに言われた通り、両手を頭の上に乗せて、正座の姿勢を取った。

「お前、ルーガンの間者だな。」

マイラは、剣先をグレイの首筋に寸止めにしたまま、尋ねた。

「何をおっしゃいます?私は、確かにルーガンから参りましたが、ただの薬の行商人でございます。」

グレイは、震えながら、マイラに答えた。

「代金は、懐だな。」

マイラは、空いた手で、グレイの懐から巾着袋を取り出した。

そして、口で巾着の紐を解くと、中身を地面に振り落とした。

ジャラジャラと地面に硬貨が跳ねた。

そして、その中に、紙に包まれた代金だけが、地面にポトリと落ちた。

マイラは、巾着も手から離すと、その瞬間、手刀をグレイの首筋に打ち付けて、失神させた。

グレイは、気を失って、うつ伏せに、ボトリと倒れた。

マイラは、剣を鞘に納めると、紙包みを拾って拡げた。

「なるほど、城内の情報を、侍女から受け取っていたのか。」

マイラは、他の門番を呼んで、中の人間に分からないように、静かにグレイを連行してもらった。

「頼む。」

マイラは、そう言うと、勝手口から中に入った。

勝手口は、炊事場と繋がっていて、炊事場で働く侍女達が、大勢、せっせと働いていた。

「すまない、さっき薬の行商人が代金を落としていった。今度、来たら、また渡してやってくれないか?」

マイラが声をかけると、グレイに代金を渡した侍女が、血相を変えて飛んできた。

「これは、これは。薬屋さんも、そそっかしい事ですね。」

侍女は、そう愛想よく声をかけてきた。

「やめておけ。懐の短剣を出す前に、お前は斬られる。」

マイラは、そう小声で言った。

そう言われた瞬間に、その侍女は、全てを察知して懐から、ゆっくり短剣を出して、マイラに渡した。

「舌を噛み切って自害しようとか考えても無駄だ。気配を感じたら、手刀で失神させるだけだ。女の子に手荒な真似はしたくない。」

マイラに先読みされて、侍女は、観念した。

「ここの責任者は、誰か?」

マイラは、大きな声で尋ねた。

「あの、私は、炊事場を取り仕切るマチュア・フィルドと申します。」

奥から、マイラと同じくらいの年齢の侍女が小走りでやって来た。

「ミリーが何か?」

マチュアが、何事かという顔で尋ねた。

「私は、勝手口の門番を務めます、マイラ・ビューラーです。この侍女は、ルーガンの間者だ。可愛そうだが、手ぬぐいで口を塞いで、連れて行ってください。」

マイラは、マチュアに、ミリーを引き渡した。

「そんな、ミリーは、この炊事場でも、一番の働き者です。何かの間違いでは?」

マチュアは、信じられないといった表情を浮かべながらミリーを見つめた。

「これが証拠です。恐らく、これまでも、城内の様子を薬屋に伝えていたと思われます。」

マイラは、代金の入った紙包みをマチュアに手渡した。

「近衛騎士団隊長、ハスウィンによると、テルプルは、籠城の用意に入る模様。食料の調達が進んでいる。」

マチュアは、それを読むと、納得したようだった。

「ミリー、残念ね。」

マチュアは、他の侍女にミリーを拘束させると、奥に連行した。

「ありがとうございます。あなたの噂は、マリアンヌ様やエルネから、良く、聞いてます。本当に凛としてらっしゃるのね。でも、まさか、あんな良い子が間者だったなんて…。」

マチュアは、残念そうな顔をして俯いた。

「敬語は、やめてください。私の方が格下です。」

マイラは、頭を下げた。

「では、お互いに敬語は、やめましょ。堅苦しいわ。」

マチュアは、微笑んだ。

「分かった。これからもよろしくね。」

マイラも微笑んだ。

「でも、どうして、薬屋さんとミリーが間者って分かったの?」

マチュアは、不思議そうな顔で尋ねた。

「薬屋の手がね、薬草を扱う手じゃ無かった。武器を持つ手だったから。それで、中を覗いてたの。」

マイラは、そう種明かしをした。

「へぇ。マリアンヌ様の仰る通り、とんでもないお姫様ね。マイラは…。」

マチュアは、半分、呆れながらも感心していた。

二人が話していると、クレヴァンが、勢いよく炊事場に入ってきた。

「マチュア、大丈夫か?」

クレヴァンは、マイラなど目に入らない様子でマチュアに声をかけた。

そして、マチュアの無事な姿を見ると、いきなり抱きしめた。

周りの侍女達は、またかと言った感じで、クスクスと笑うだけで、特に、驚いてもいなかったが、マイラだけが、驚いていた。

「クレヴァン様、私は、大丈夫。それよりも、マイラを心配してあげて…。」

マチュアが頰を赤くして言うと、クレヴァンは、ようやくマイラの存在に気付いた。

「おお、マイラ。大丈夫か?」

クレヴァンは、マチュアの腰に手を回したまま、マイラに尋ねた。

「ハイハイ。それよりも、間者は、どうなったの?」

マイラは、クレヴァンに尋ねた。

「おお、そうだ、そうだ。ハスウィン様が、カーツ様に報告したんだがな。それがまた、マイラ、お前に任せると命じられたそうだ。そういう事だから、後は頼んだぞ。間者は、とりあえず、牢屋に入れておいたから。あ、それから、門番は、代わりをよこすから、心配するな。」

クレヴァンは、そう言うと、マチュアにキスをして、さっさと行ってしまった。

「おい!そういう問題じゃないだろ!」

マイラは、ムッとするが、すでにクレヴァンの姿は無かった。

そして、マチュアは、マチュアで、見えなくなっても、ずっとクレヴァンの姿を見つめている始末だった。

「ねえ、マイラ、クレヴァン様って、どうして、あんなに素敵なのかしら。」

マチュアは、真顔でマイラに尋ねた。

「はい、はい。ごちそうさま。」

マイラは、呆れて炊事場を後にしようとした。

「マイラ!待って!」

マチュアが呼び止めようとしたが、マイラは、またね、そう言って、勝手口から出ていった。

マイラは、門をくぐって、牢屋に行く為に、城の建物本体に向かった。

城本体は、宮殿と隣接しているが、王族以外は、宮殿と城本体を繋ぐ通路を渡る事はできなかった。

当然、マイラも例外では無く、城内の外の通路を遠回りして行かなくてはならなかった。

「それにしても、任せるって、何なのよ?もお、ホント!何なのよ、ここの国王!」

マイラは、ブツブツと呟いた。

「ああ、もお!」

マイラは、一瞬、立ち止まって、ため息をついた。

そして、両手で、パンパンと頰を叩くと、気合を入れ直して、城本体の中に入っていった。

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