3-5
翌朝、エルネは、旅支度を整えると、マチュアに留守を頼んで、馬に跨ってサリバニアに向かっていった。
とは言っても、ギャロップしかできないので、ゆっくりとしたペースで駆けていった。
「もお、ずっと家を空けっ放しにしてたと思ったら、今度は、マイラに手紙を届けろって、何なのよ!」
エルネは、ブツブツ言いながら、街道を進んでいった。
ゆっくりのペースではあったが、昼過ぎには、サリバニアの街に入ることができた。
街を進むにつけて、エルネは、その急速な復興ぶりに驚いた。
さすがに、お腹が空いてたので、エルネは、昼食を摂る事にした。
馬を繋いで、露店で蒸しパンと飲み物を買うと、一服して、街行く人々を見つめながら、蒸しパンを頬張った。
「でも困ったなあ。どうやったらマイラに会えるのかしら。」
お茶を飲みながら、エルネは、途方に暮れていた。
「旅のお方。薬屋でございます。」
エルネは、薬の行商人に声をかけられた。
「薬屋さん?」
エルネが薬屋の顔を見た。
「お忘れでしょうか?」
薬屋に言われて気がついた。
以前、間者として宮殿に入り込んで、マイラに捉えられた男、グレイであった。
「あなたは、いつぞやの?」
エルネは、驚いた顔でグレイを見た。
「私は、今、マイラ様の忍びとして働いております。信じられないとは思いますが、もし、何かお困りであれば、仰ってください。」
グレイは、エルネに尋ねた。
「実は、夫の書いたマイラ様宛の書状を預かっているのですが、どう渡したら良いものかと困っております。」
エルネは、俯き加減で事情を話した。
「なるほど、マイラ様に、その書状をお渡ししたいのですね?」
グレイは、そう尋ねた。
「はい。ですが、書状の中身も、用件も、全く分からないのです。相手は一国の王ですし、何とか書状だけでも渡せないかと…。」
エルネは、途方に暮れた様子で、グレイに話した。
「もし、私を信用していただけるのなら、私が、マイラ様にお渡ししますが。いかがですか?」
グレイは、そう持ちかけた。
「まあ、私に任せられる程度の手紙です。仮に盗まれても、誰に読まれても問題ないでしょう。どうせ、今のままでは、時間だけが過ぎるだけ。あなたにお願いするわ。」
エルネは、懐から書状を出すと、グレイに手渡した。
「よろしいのですか?私は、これを読んで、あなたの不利になるような事をするかもしれませんよ。」
グレイは、そう、エルネを試すように問いかけた。
「良いのです。あなたを信じたのではありません。あなたに、この書状を託すと決めた私自身を信じたのです。」
エルネは、そう言って微笑んだ。
「なるほど。これは、参りました。確かに、私が、責任を持ってお渡ししましょう。」
グレイは、そう言うと、書状を持って、人混みの中に消えていった。
「さて、帰ろうかな。マイラに会いたかったけどな。仕方ないよね。」
エルネは、再び、馬に乗って、クリーゼに帰って行った。
マイラは、カーリアから戻ってから、山積みに放置されていた案件を、一つ一つ片付けていた。
「グレイ、いるの?」
マイラは、執務室で書類に目を通しながら、グレイの気配を感じて声をかけた。
「さすがですな。」
いつの間にか、目の前で、グレイが、片膝を付いて胸に手を当てている。
「テルプルのエルネ様から書状を預かって参りました。」
グレイは、書状を両手で差し出した。
「エルネから?」
マイラが書状を受け取ると、グレイは、あっという間に姿を消した。
「もお、グレイったら、説明なしって…。」
マイラは、ブツブツ言いながら、書状を開いた。
(エルネと結婚した。一度、遊びに来てくれ。ルーサー)
書状には、ただそれだけ書いてあった。
「そうか、ルーサーは、エルネと結婚したのか。」
マイラは、そう呟くと、侍女の一人を呼んだ。
「お呼びでしょうか。」
侍女の一人、ターニャを呼んだ。ターニャは、マイラと同じ年で、背格好もよく似ていた。
「ターニャ、服をかえっこしましょう。」
マイラは、ターニャに微笑みかけた。
「え?それは、どういう事でしょうか?」
ターニャは、目を反らして尋ねた。
「意味なんてないわ。侍女の制服を着てみたいと思っただけよ。」
マイラは、ジッとターニャを見つめた。
「どうしてもですか?何か悪い事を考えておられませんか?」
ターニャは、恐る恐る尋ねた。
「命令です。」
マイラに、一言言われて、ターニャは、渋々、服を取り替えて、マイラの服を着た。
そして、マイラは、ターニャの服を着た。
「ターニャ、しばらく、ドアを背にして外を見ていて。」
マイラは、ターニャに命じた。
「あの、まさか、私は、影武者役なのでしょうか?」
ターニャは、大きな窓の前に立って、外を見た。
「じゃ、よろしくね。」
マイラは、剣を、長いスカートの中に隠して、いかにも用を済ませたかのような感じで、俯いて部屋を出て、通路を歩いて行った。
エリーザとすれ違う時は、頭を深く下げてお辞儀をしてやり過ごした。
そして、侍女の更衣室に入ると、天井裏に隠しておいた平民の男性用の衣服とリュックを取り出して、素早く着替えて剣を背負った。
そして、人が来ないか確かめて、勝手口から外に出た。
そして、ウィンディに跨って、クリーゼに向けて駆けていった。
「マイラ様、そろそろ、お食事に致しましょう。」
ノックをして、エリーザが入ってきた。
「マイラ様、いかがしました?」
エリーザが、ターニャの元へ近づいてきた。
「マイラ…様?」
観念して振り向いたターニャを見て、エリーザは、驚いて腰を抜かした。
「ターニャ、何をしてるの?」
エリーザが驚愕していると、ターニャは、土下座して謝罪した。
「申し訳ございません。マイラ様に命じられまして、その…。こういう事に。」
ターニャは、何度も謝罪した。
「なんですって!それで、マイラ様は?」
エリーザが、ターニャに飛びつくようにして、彼女の肩を強く掴んで揺すった。
「私の服を着て、部屋を出ていかれました。」
ターニャは、泣きながら答えた。
「ということは、あの時の侍女…。しまった!」
エリーザは、侍女達に、マイラを捕えるように命じたが、マイラは、すでに城を出た後だった。
エリーザは、このことを、ハンに報告に行った。
「ハン様、申し訳ございません。またしてもマイラ様に逃げられました。」
エリーザは、半泣きでハンにすがりついた。
「この所、精力的に政務に取り組んでおられたのに、突然、どうされたのか?」
ハンは、少しの間、考え込んでいた。
「恐らく、これではないかと…。」
エリーザは、マイラの机に置いてあった書状を、ハンに見せた。
「なるほど、忍びが持ち込んだか。カーリアから戻られてから、マイラ様は、内政問題に取り組まれてきたが、テルプルとミナルの問題もサリバーにとっては重要だ。ここは、静観するしかない。騒げば、かえってマイラ様の御身が危ない。」
ハンは、そう言ってエリーザを諭した。
「それにしても、たった一人で。」
エリーザは、ブツブツとぼやいていた。
マイラは、クリーゼに入ると、マリアンヌにもらった札を見せて、上級騎士の居住区に入って行った。
そして、人に尋ねながら、ルーサーの自宅へ向かった。
「こちらは、ルーサー殿のご自宅か?」
マイラは、玄関の前で、呼びかけた。
上級騎士の位になっても、まだ、女中を雇えるほどの余裕は無かったので、家の事は、エルネが一人で賄っていた。
「どちら様ですか?」
中から、エルネが出てきた。
「久しぶりだな。エルネ。結婚、おめでとう。城を抜け出すので精一杯で、祝いの品も無くてすまない。」
マイラは、エルネの顔を見ると笑顔で声をかけた。
「マ、マイラ様!?そんな、お気持ちだけで十分です。」
エルネは、慌ててスカートを両手で少しだけ上げると片膝を曲げてお辞儀した。
「そういうのはいいから…。とりあえず、中に入れてくれない?」
マイラは、そう言って微笑んだ。
「あ、うん。どうぞ。」
エルネは、マイラに家の中へ入ってもらった。
「エルネ、プライベートの時は、対等で。」
マイラは、エルネを見つめて、そう言った。
「うん。分かった。」
エルネは、そう言うと、コーヒーを入れた。
「ところで、書状には、ルーサーがエルネと結婚したから遊びに来てくれと書いてあったけど、肝心のルーサーは、どこ?」
マイラは、尋ねた。
「それがね…。」
エルネは、これまでの経緯を、切々と語った。