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「ハスウィン、また、マリアンヌが、迷惑をかけたみたいだな。」
テルプルの若き国王、カーツ・ウィロードは、ハスウィンに尋ねた。
カーツは、18歳だが、父親が急死して、15歳で家督を継いだ。
「いえ、マリアンヌ様が、ご無事で何よりでした。ところで、一人、小物を召し抱えました。」
ハスウィンは、カーツに、ルーサーの事を報告した。
「マリアンヌを助けたという少年か?」
カーツは、尋ねた。
「はい。とにかく、よく働きますので、重宝しております。」
ハスウィンは、そう報告した。
「ほお…。」
カーツは、呟いた。
「で、もう一人の娘は?」
カーツは、厳しい視線をハスウィンに向けた。
「それが、マリアンヌ様が、随分と気に入られたとかで、学友として、宮殿内の女学校に通っているとか…。」
ハスウィンは、冷や汗をかきながら答えた。
「あいつが直に家臣を召し抱えるのは珍しい。よっぽど、気に入ったのか?」
カーツは、何か含みのある笑みを浮かべながら呟いた。
「その辺りは、何とも…。」
ハスウィンは、歯切れの悪い返事をした。
「分かった、下がっていい。」
カーツは、ハスウィンを退室させた。
「ケビン。」
カーツは、宿老の筆頭、ケビン・デアンを呼び出した。
「ミーヤを呼んでくれ。」
カーツは、ケビンに、そう命じた。
「畏まりました。」
ケビンは、早速、ミーヤに、城内のカーツの執務室まで来るように伝令を出した。
「面白い生徒が入ってきたそうじゃないか。」
カーツは、尋ねた。
「面白い?マイラの事でございますか?まあ、数年前のカーツ様に比べれば、赤子のような物ですが…。」
ミーヤは、皮肉っぽくカーツに言った。
「これは、手厳しい。」
カーツは、ニヤリと笑った。
カーツは、幼い頃から破天荒な性分だった。
城を抜け出し、ボサボサの髪に麻の服を着て、剣は、担ぐように持って、よく城を抜け出しては遊び歩いていた。
国王になってからも、しばらくは、その振る舞いは変わらなかったが、結婚を境に、国王らしい振る舞いになってきた。
その間には、反逆した弟を討ち、それに加担した母親を追放するなど、身内での争いが絶えなかった。
「マイラは、貴族の作法を身につけておりますし、高い教養を持っています。騎士としての能力も長けており、剣術では、私も叶いません。」
ミーヤは、ため息混じりでマイラを評した。
「ほお、ミーヤより強いとはな。くれぐれもジェニファーの耳に入らないようにな。騒ぎが起こるからな。」
ジェニファーは、カーツの妻である。
カーツとは同い年で結婚二年目になる。
「それは、カーツ様次第でしょう。放っておけば、自然にジェニファー様のお耳に入りましょう。」
ミーヤは、カーツに具申した。
「分かっているよ。それは、分かった上で言ってるんだよ。」
カーツは、苦笑いを浮かべた。
「ところで、マイラは、ビューラー家の生まれです。このまま、マリアンヌ様の手元に於いて置かれるのですか?」
ミーヤは、厳しい表情をして尋ねた。
「それは、マイラ次第だな。ただ、俺に楯突くなら、斬る。それだけは確かだ。」
カーツは、含みのある笑みを浮かべた。
数日して、早速、騒ぎが起こった。
「マイラという者はいるか?」
マイラ達が武道場で剣術の授業を受けていると、ジェニファーが、木の槍を持ってやって来た。
「ジェニファー様、女王様ともあろうお方が、このような場所に来てはなりません。」
ミーヤがジェニファーを窘めた。
「お義姉様、どうしたのですか?」
マリアンヌが驚いた顔で声をかけた。
マイラ始め、他の女子生徒達は、片膝を付いて頭を下げた。
「女王?」
マイラは、小声でエルネに尋ねた。
「マリアンヌ様のお兄様であるカーツ国王陛下の奥様。」
エルネは、小声で耳打ちした。
「何をヒソヒソ話している?お前がマイラか?」
ジェニファーは、槍先をマイラに向けて尋ねた。
「はい。マイラ・ビューラーでございます。」
マイラは、ジェニファーの前に出て片膝を付いて挨拶をした。
「ミーヤを打ち負かしたというのは、誠か?」
ジェニファーは、尋ねた。
「たまたまにございます。」
マイラは、謙遜して答えた。
「立ち合いが所望だ。」
ジェニファーは、マイラの言葉を無視して槍を構えた。
「女王陛下、槍と剣で戦うには、ここは狭すぎます。槍の方が不利になりましょう。湖畔に出てはいかがでしょう?」
マイラは、恭しく申し出た。
「ほお、私の方が不利と申すか?良かろう、外に出よう。」
ジェニファーは、再三、ミーヤとマリアンヌに窘められたが聞こうとせず、マイラと共に、テラスから湖畔に出た。
他の女子生徒達もテラスから見守っている。
「ミーヤ、合図を。」
ジェニファーが、槍を構えた。
マイラも中段の構えで対峙した。
「始め!」
ミーヤが合図すると同時にジェニファーの槍がマイラを襲った。
マイラは、後ろに下がりながら、ジェニファーが繰り出す槍を弾いた。
ジェニファーは、攻撃の手を緩めない。
マイラは、後ろに、じわじわ下がりながら、ジェニファーの槍を剣で弾く、それを繰り返しながら、徐々に水の中に入っていった。
「どうした?防戦一方ではないか?水に入った所で、私の槍は届くぞ。」
ジェニファー水際から槍を突いて来る。
マイラは、剣で槍先を弾きながら、更に、少しずつ後退りする。
マイラは、膝の辺りまで、水に浸かる位置まで来ると、左手で剣を持って、剣先を水面下に隠した。
「ミーヤに使った手か?真剣白刃取りは、私の槍には通用せんぞ。」
ジェニファーは、踏み込んで槍を突こうとしたが、じわじわと気づかれないように、マイラが後ろに下がっていた為に、足元が、少しぬかるみに入ってしまった。
少しバランスを崩して、一瞬、ジェニファーの動きが止まったのを逃さず、マイラは、剣を勢いよく水面から上に振り上げて、水しぶきをジェニファーに浴びせた。
「何!」
ジェニファーが、水しぶきに怯んだ瞬間、マイラは、両手で剣を持って、槍を避けながら、下段からジェニファーの喉元へ剣先を突きつけた。
「そこまで!」
ミーヤが合図で、マイラは、ジェニファーの喉元から剣を離した。
そして、水から上がると、剣を自分の背中に隠して、片膝を付いた。
「見事だ。気づかぬうちに、水際に誘われていた。かんぱいだ…。」
ジェニファーは、一言そう言って去っていった。
「マイラ、大丈夫?」
エルネが駆け寄った。
「大丈夫。ちょっと冷たかったけどね。」
マイラは微笑んだ。
「さあ、今日は、ここまでにしましょう。」
ミーヤは、皆に解散を指示した。
「マイラ、お風呂に入っていきなさい。」
マリアンヌが声をかけた。
「ありがとうございます。」
マイラは、素直に喜んだ。
「カーツ様、マリアンヌの学友に面白い娘がいたのです。」
その夜、ジェニファーは、宮殿の中にある王宮で興奮気味にカーツに話した。
ジェニファーとカーツのプライベートの居住空間は、王宮の奥に設けられていた。
「マイラの事か?」
カーツは、面倒くさそうな声で尋ねた。
「ご存知なのですか?」
ジェニファーは、キョトンとしていた。
「ミーヤから苦情が入ってるぞ。マイラと立ち合いをしたのだろ?」
カーツは、呆れ顔で尋ねた。
「そうなのです。マイラは、私の槍に防戦一方で下がっていったのです。そして、ついには、湖に膝が浸かるまで入って、動きも止まりました。でも、それは、罠だったのです。私は気づかぬうちに誘われていて、足先が、水際に近くなり過ぎていたのです。トドメを刺そうとした瞬間、ぬかるみに足を取られて、バランスを崩した瞬間、剣先で水しぶきを上げられて、そこで、怯んだ瞬間に、下段から首筋に剣先を突きつけられて万事休すです。」
ジェニファーは、捲し立てるように、カーツに話した。
「何だ?気に入らない事があると不機嫌なお前が、負けて嬉しそうだな。」
カーツは、少し皮肉っぽく、ジェニファーに言った。
「私は、わざと負ける者ばかりなのが気に入らなかったのです。」
ジェニファーは、拗ねたような顔をした。
「お前な、女王なんだから、周りも気を使うさ。」
カーツは、ため息をついた。
「それは、そうですけど、とにかく、マイラは、近衛騎士団に、もらい受けますわ。マリアンヌとお友達ごっこさせておくのは、もったいないわ。」
ジェニファーは、カーツに、そう訴えた。
「では、マイラに、うんと言わせてみろ。そうしたら、近衛騎士団に引っ張ってやる。」
カーツは、微笑みながらジェニファーに言った。
「分かったわ。」
ジェニファーは、不敵な笑みを浮かべた。
週末になった。
女学校は、日曜は休みで、マイラは、早くから滝を斬る修行をして、昼で切り上げた。
当たり前なのだが、滝は斬れない。
テントに戻ったマイラは、着替えると、取り敢えず、ゴロゴロしていた。
彼女は、相変わらず、森の中にある小さな泉の脇でテント生活をしている。
しかし、故郷の森と比べれば、環境は格段とこちらの方が良かった。
馬もある、近くには、風呂もあれば食料もある。
何よりも獣がいない。
穏やかなものだった。
しばらくテントの中でゴロゴロしていると、誰か近づいて来る気配を感じて目を覚ました。
「マイラ、薪を持ってきたぞ。」
ルーサーが薪を持って、森にやって来た。
「ルーサー、どうして?」
マイラがテントから出てきた。
「まあ、色々とやってんだ。ちょうど、城内に薪を配達していたんだ。これからは、定期的に持ってくるからな。」
ルーサーは、そう言うと、忙しなく去っていった。
「頑張れよ!」
マイラが声をかけると、軽く手を上げて、足早に去った。
「ルーサー、頑張ってるな。それに比べて私は…。」
マイラは、ただ、なんと無く流されて生きているだけの自分自身を卑下した。
しばらくして、マイラは、焚き火の準備をして、陽が暮れる頃から、夕食の準備を始めた。
そして、サラダを作り、パンと肉を焼くと、夕食を食べ始めた。
すると、遠くから馬が駆けてくる気配を感じた。
城内だから、危険は無いだろうが、懐の短剣をチェックした。
「マイラ、私だ。」
遠くから大きな声がする。
あれは、ジェニファーだとすぐに分かった。
そして、近くまで馬でやって来ると、颯爽と下馬した。
「本当にテント生活をしているのだな。」
ジェニファーは、マイラに歩み寄ってきた。
そして、ちょうど座れそうな形の岩を見つけて腰掛けた。
マイラが挨拶しようとすると、堅苦しい挨拶は抜きだと、それを制した。
「どうかされましたか?女王様。」
マイラは、素っ気なく尋ねた。
「単刀直入に言う。近衛騎士団に入れ。」
ジェニファーは、直球でそう言った。
「そう言われましても、私は、マリアンヌ様にお仕えしておりますから、それは、無理と言うものですね。」
マイラは、食べますか?と串に刺した肉を勧めた。
「いただくわ。」
ジェニファーは、肉を手に取ると、かぶりついた。
「豪快ですね。」
マイラは、微笑んだ。
「ハハハ。」
ジェニファーは、大声で笑うと、語り始めた。
「私は、テルプルの北隣の国、ミナルから嫁いできた。お前の祖国、サリバーが滅んで、ルーガンの脅威は日に日に迫っていた。父ダウザは、長年、争っていたテルプルと同盟を結ぶ事で、パワーバランスを保とうと考えた。その思惑が一致して、私とカーツ様は、結婚し、両国は、同盟国になった。でも、カーツ様は、近隣では、有名なバカ王子と噂されていたし、私は私で、有名なジャジャ馬姫と噂されていたから、周りの目は冷ややかだった。でも、カーツ様は、私をありのままで良いと言ってくれた。でも、自分は変わると、私を守る為に変わるとも言ってくれた。前国王が亡くなって、国王になったカーツ様の国作りの手腕は、本物よ。でも、容赦はない。だからこそ、物を言える家臣が必要なの。マイラは、きっと、それができる。何故なら、私と本気で戦い、しかも、私を傷つける事無く勝ったのだから。それに、例え髪を切っても、お前は、サリバーの王女である事から逃れる事はできない。カーツ様についていけば、きっと、国も再興出来よう。もし、カーツ様が仕えるに値しないと思ったら、私諸共、討っても良い。私を信じてみないか?」
ジェニファーは、しっかりとマイラの目を見据えて話した。
「分かりました。その時が来たら、ジェニファー様の下へ、馳せ参じましょう。仰るような大層なお題目の前に、私は、マリアンヌ様を守らねばなりません。」
マイラは、ジェニファーをじっと見つめた。
「よかろう。これ以上、言った所で、後には引くまい。もう1本もらうぞ。」
ジェニファーは、肉の刺さった串を手に取った。
「どんどん食べてください。」
マイラは、微笑んだ。
数日して、ジェニファーは、城内のカーツの執務室のある区画に、アポも取らずに、ズカズカと入ってきた。
「女王様、国王陛下は、執務中です。お控えください。」
ドアの外でケビンが、必死にジェニファーを止めている。
「お黙り!何日も朝帰りするわ、戻ってきたかと思えば、今度は、何日も戻ってこないわ、いつ話しをしろって言うの?どきなさい!」
ジェニファーが外で喚いている。
「ケビン、構わん、通せ。」
カーツは、中から声をかけた。
すると、ドアが勢いよく開いて、ジェニファーが、怒涛の如く中に入ってきた。
「ジェニファー、今日は何の騒ぎだ?」
カーツは、ペンを置いて、阿呆杖をついて尋ねた。
「カーツ様、朝帰りのみならず、何日も帰っても来ないというのは、どういう事ですの?」
ジェニファーは、両手で机をバンと叩くと身を乗り出して尋ねた。
「ハスウィン達と飲み歩いていた。すまん、すまん。」
この国では、結婚に年齢制限はないが、法的には18歳から大人と見なされる。
「説明になってませんわ。理由を聞いているのです。」
ジェニファーは、捲し立てるように文句を並べた。
「まあ、もう少ししたら分かる。ひょっとしたら、愛人の一人、二人できているかもな。」
カーツが、笑うと、ジェニファーは、ヘナヘナと腰を抜かした。
「ひどい、ひどすぎます…。」
ジェニファーは、泣きそうになった。
「からかい過ぎたな。そういう事じゃないから、心配するな。今は言えない、ただ、そういう事だ。」
カーツは、微笑んだ。
「分かりました。これ以上、申しません。」
ジェニファーは、カーツに支えられて立ち上がると、そう鼻声で言った。
「うん。それでいい。で、マイラの件はどうなった?」
カーツは、尋ねた。
「その時が来たら、馳せ参じると。マリアンヌを守るのが務めだからと。」
ジェニファーは、ありのまま答えた。
「ほお。」
それ以上、カーツは、何も言わなかったが、含みのある表情だとジェニファーは感じた。
「国王陛下、ルーガンから使者が来ております。」
ケビンが、痴話喧嘩が一段落ついたのを見て、部屋に入ってきた。
「ジェニファー、すまんか、外してくれるか?」
カーツに言われて、ジェニファーも事態を察して、頷いて退室した。
「来賓室にご案内しろ。」
カーツは、ケビンに命じた。
カーツは、正装に身を包み、足早に来賓室に向かった。
そして、ケビンが使者に案内した後で、部屋に入った。
使者は、立ったまま、カーツを待っていた。
「お待たせした。テルプル国王、カーツ・ウィロードだ。」
カーツは、使者に握手を求めた。
「ルーガン国王、ギーゲン・ナウより命じられて参りました。セッサ・ダインでございます。」
その名を聞いた瞬間、カーツに緊張感が走った。
その白髭の老人は、カーツの握手に応じた。
「ケビン、構わないから外してくれ。後は、私がお相手する。」
カーツの表情を察して、ケビンは、一礼して静かに退室した。
「ルーガンの宰相自ら、突然のお出ましとは何事かな?」
カーツは、自ら紅茶を入れてセッサをもてなした。
「国王陛下自ら申し訳ない事です。」
温和な表情で、セッサはカップの紅茶を口にした。
「さすが、セッサ殿、毒味も無しで…。」
カーツは、先に紅茶を飲んだセッサを称賛した。
「もう、この老いぼれに怖いものもありますまい。」
セッサは、そう言って微笑んだ。
「さて、本題に入りますかな。」
セッサの目が獲物を狙うような鋭い目つきになった。
カーツもその迫力に負けないように、それを受け止めた。
「降伏していただきたい。」
セッサは、唐突に一言、カーツに申し出た。
「降伏?何故、我々が降伏しなければならないのです?」
カーツは、冷や汗を気取られないように平静を装った。
「ルーガンは、来年の春には西に侵攻を開始しますのでな。大帝がいらっしゃるキヨナへ上洛するのが目的です。当然、貴国を、我軍は通らねばなりませんが、通してください、はい、分かりましたとは、なりますまい。必ず、小競り合いから始まって、戦争になります。しかしながら、戦争は、無益です。国力から考えて、ルーガンに属していただくのが、双方にとって一番、良い選択肢なのではと思うのです。もちろん、テルプル領は、引き続き、カーツ国王に治めていただきます。」
セッサは、ギーゲンからの親書を手渡した。
「なるほど。一応、筋を通しに来たという事かな?」
カーツは、わざとソファに、ふんぞり返って尋ねた。
「いいえ。隣国の友人として、お願いに上がったのみにございます。」
セッサは、涼しい顔で紅茶を飲み干した。
「友人ねえ…。」
カーツは、それ以上、言葉を続けなかった。
「お返事は、我軍が、貴国に到達するまでにいただければ結構。」
セッサは、そう言葉を結んだ。
「承知した。」
カーツは、何とか平静を保ち続けて答えた。
「これで、固い話は終わるとして、こちらにサリバーの姫君が居候していませんかな。」
セッサは、カーツに尋ねた。
「引き渡せと仰せかな?」
カーツは、セッサに尋ね返した。
「死んだ事になっておる者を、どうこうしても仕方ありますまい。ただ、一度、会わせていただきたい、それだけです。」
セッサは、じっと、カーツを見つめた。
「妹に案内させよう。妻は、気性が激しいので、何かとご迷惑をお掛けする恐れがあるからな。」
カーツは、苦笑いを浮かべた。
「それは、それは、どこも夫婦とは、面倒な物ですな。」
セッサが笑うと、全くだと、カーツも笑った。
しばらくして、ケビンが使いに走ってマリアンヌがやって来た。
「マリアンヌ、授業は、終わった頃だな。」
カーツは、尋ねた。
「はい。何かありましたか?お兄様。」
マリアンヌは、キョトンとしている。
「こちらの御老体をマイラに紹介してほしい。マイラは?」
カーツは、セッサをマリアンヌに紹介した。
「もう3時も過ぎましたし、テントに戻って夕飯の支度でもしていると思います。」
マリアンヌは、普通に答えるので、セッサは、クスクスと笑った。
「城内でテント生活とは、また風流ですな。」
セッサは、では、案内していただこう、そうマリアンヌに頼んだ。
「マリアンヌ、頼んだぞ。我が国にとって大事なお方だ。失礼のないようにな。」
カーツは、マリアンヌに命じた。
「はい。では、着替えて参ります。しばし、お待ち下さい。」
マリアンヌは、野掛け用の服装に着替えて、セッサを森に案内した。
馬車を勧めたが、馬でいいとセッサが言うので、二人は、馬で森の中に入っていった。
「しかし、森の中に、こんなに自然豊かな場所をお作りとは、カーツ様も、なかなかのお方。」
セッサは、微笑んだ。
「ありがとうございます。兄は、世間の評判よりは、繊細で優しいのです。ただ、繊細な分、矛盾や裏切りに対する怒りが激しいのです。」
マリアンヌは、少し、悲しそうに話した。
二人が、森の中の泉の方へ向かって行くと、調理の良い匂いが漂ってきた。
「この先ですわ。」
マリアンヌが指さした。
「妹君、ここからは私、一人で参りましょう。今夜は、こちらに泊めていただきたいと、兄上にお伝え下さい。」
セッサは、そうマリアンヌに言うと、一人、泉の方へ向かっていった。
「承知しました。お気をつけて。」
マリアンヌは、セッサの言うとおり、そこで引き換えして宮殿に戻った。
「何やら、良い匂いに誘われましてな。一休みさせていただいてよろしいかな。」
セッサは、馬上から調理しているマイラに話しかけた。
大抵、馬に乗った人物が接近してきたら、気配に気づくはずのに、マイラは、話しかけられるまで、セッサの存在に気づかなかった。
最悪の場合、自分は討たれていた。
この老人は、只者ではない、マイラは、そう思った。
しかし、そんな人間に懐近くに入られてしまっては、腹を括るしかなかった。
「構いませんよ。どうぞ。」
マイラは、セッサが降りやすいように手を貸した。
「よいしょ、年を取るという事は、情けない事ですな。」
セッサは、馬を降りると、切り株に座って焚き火に当たった。
「これは、シチューですかな?」
セッサは尋ねた。
「ええ。食材は、全て、宮殿から良い物が支給されていますから、美味しいですよ。」
マイラは、微笑んだ。
「しかしまあ、一国の王女が、あえてテント生活とは、酔狂な事ですな。」
セッサは、サラッとそうマイラに投げかけた。
「ルーガンの方ですか?」
マイラの顔つきが少し、厳しくなった。
「まあまあ、そんな怖い顔をされますな。私は、ルーガンで宰相をしております、セッサ・ダインでございます。」
セッサは、片膝をつこうとしたが、マイラに止められた。
「さあ、どうぞ。温まりますよ。夕暮れにもなると、冷えてきます。」
マイラは、シチューをよそった。
「いただきます。」
セッサは、微笑んだ。
「これは、美味しい。確かに良い食材を使っているが、これは、あなたの調理が上手いからでしょう。」
セッサは、しばらく、黙々とシチューの味を楽しんだ。
次第に夜も更けて、空は一面の星空になった。
「これは、また風情があってよい。」
セッサは、星空を見上げて、しばらく眺めていた。
その様子を、しばらくマイラは静観していたが、頃合いを見て口を開いた。
「それで?何か私に御用ですか?」
マイラは、尋ねた。
「おお、そうじゃった。シチューにかまけて、肝心な事を忘れる所だった。」
セッサは、苦笑いすると、荷物の中から、布で何重にも包んだ棒状の物を取り出した。
「これはな、お前さんの慰霊碑に埋葬されるはずだったのを、わしが勝手に保管していた物じゃ。」
セッサは、開けてみるようにマイラに言った。
マイラは、頷いて、布を順に解いていった。
「これは…。」
それは、マイラがジーマに持たせた自分の剣だった。
「まあ、名目上、お前さんは死んだ事になっておるからな。旧サリバー領には、慰霊碑が建っておる。」
セッサは、笑いながらそう言った。
「よろしいのですか?」
マイラは、尋ねた。
「まあ、ギーゲン様も見て見ぬフリをされておるのだろう。もう、わしも長くない。それを、分かっておられるのよ。それは、ともかく、今日はな、生きているうちに、お前さんと会っておきたくてな、こうして、宣戦布告するついでに立ち寄ったのよ。」
セッサは、さらに大きな声で笑った。
「ご病気なのですか?」
マイラは、尋ねた。
「まあ、年を取れば、どこかしら悪くなる。」
セッサは、今度は、小さく微笑んだ。
「お大事にしてください。」
マイラは、そういう言葉しか思いつかなかった。
「祖国を滅ぼした国の宰相に慈愛の言葉をいただき、痛み入ります。さて、それは、そうと、何故、テント生活を?」
セッサは素朴な疑問をマイラに投げかけた。
「師匠の、最後の課題の答えを見つけたいのです。」
マイラは、そう答えた。
「師匠?リチャード・マインの事かな?」
セッサが尋ねると、マイラは、小さく頷いた。
「若い頃は、テルプルとルーガンの会談ともなれば、よく顔を合わせたものだったが、して、彼は、どんな課題を?」
セッサは、更に尋ねた。
「滝を斬れと…。」
マイラは、一言、答えた。
「ほお、滝を斬れと…。」
セッサは、ニコニコしながら、困っているマイラの顔を、しばらく見つめていた。
「色々、やってはみましたが、滝の水を斬るなど、到底できるはずもありません。」
マイラは、首を横に振りながら俯いた。
「まあ、そう考え込む必要はない。そのうち斬れるようになるでしょう。気長にやりなされ。」
セッサは、上機嫌で笑った。
「本当に斬れるのでしょうか?」
マイラは、釈然としない表情を浮かべている。
「斬れる。そして、滝が斬れた時、姫君にとって、大切な答えを教えてくれるでしょう。でも、それも、生きていればこそできる事。死んではなりませんぞ。」
セッサは、そう言うと、立ち上がった。
「はい。」
マイラは、真剣な目つきで返事をした。
「あの、さっき宣戦布告と仰ってましたけど、戦争になるのですか?」
マイラは、尋ねた。
「テルプルが降伏しなければな。」
セッサは、静かに答えた。
「そうですか…。」
マイラは、それ以上、何も聞かなかった。
「さて、年を取ると、眠くなるのも早い。休ませてもらうとするかな。」
セッサは、荷物から寝袋を取り出した。
「セッサ様、テントにどうぞ。私は外でも大丈夫です。」
マイラは、セッサにテントを使うように勧めた。
「では、お言葉に甘えようかな。」
セッサは、寝袋をテントに放り込むと、ゴソゴソと中に入っていった。
どのくらい経ったのか、
マイラは、焚き火の番をしながら、うつらうつらしていた。
次第に周りが明るくなってきて、夜明けも近くなってきているのが分かった。
マイラは、一瞬、猛烈な眠気に襲われて、完全に寝てしまっていた。
ハッとしてマイラは、目を覚ますと、セッサの馬がない事に気づいた。
「セッサ様…。」
マイラは、テントを覗いてみたが、もうセッサの姿はなかった。
マイラは、全く、気配に気づかなかった。
「?」
テントの中に一枚の紙切れが落ちていた。
それは、セッサの置き手紙だった。
「私は、直に、この世を去るが、生きて、この世の中の、行く末を見届けて欲しい。」
手紙には、一言、そう書いてあった。
「はい…。」
マイラは、ルーガンのある西の方向へ、深々とお辞儀した。