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滝を斬る  作者: ninjin19
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2

 ルーガン王国の刺客として、一団を率いてきたジーマ・ウィロボーンは、舌打ちをした。

「火を放ったか!」

ジーマは、メリッサが、火を放つ事で、自分たちが上ってきた坂の反対側へマイラを逃したのだと、すぐに悟った。

「メリッサ・マイン、我が身を盾にして姫君を逃したか。」

ジーマは、火の勢いから見て、反対側に行くのは危険だと判断して、引き上げの合図を出した。

火は、丘全体に拡がり、建物も森も巻き込んで、周囲は火の海になった。

町の消防隊が消火に当たったが、明け方になるまで、建物は、ずっと燃え続けていた。

「これでは、騒ぎが大きくなり過ぎる。それも狙いか?メリッサよ。」

ジーマは、そう呟きながら、部下を引き連れて東の方向へ撤退した。

それとは反対に、マイラは、足を引きずりながら、丘の西側に抜けると、雑木林を掻き分けながら、町から離れようと西へ繋がる街道を目指していた。

しかし、空腹と疲労で、なかなか前へ進めなかった。

「マイラ、大丈夫か?」

声をかけられ、振り向くと、ルーサーが立っていた。

「お前、私を売ったな!」

マイラは、ずっと握ったままの剣をルーサーの首筋に当てると、殺気立った目で彼を睨んだ。

「待ってくれよ。俺は、そんな事しねえよ。ただ、町中の人に、お前の捜してた人の事を聞いて回ってただけだ。こんな事になるなんて、思いもしなかったよ。だから、こうして捜しに来たんだ。本当だよ。信じてくれよ。」

ルーサーは、必死に弁解した。

「もういい。私に関わるな。失せろ!」

マイラは、剣を鞘に納めると、ルーサーを突き飛ばすようにして前に進むと、そう警告した。

「待ってくれよ。誤解されたままじゃ、俺も引けねえよ。」

ルーサーが必死に訴えた。

「うるさい!」

マイラは、そう怒鳴った所で、疲労がピークに達して、そのまま倒れて意識を失った。

「おい、しっかりしな。おい。」

ルーサーがマイラを揺するが、マイラは、ピクリとも動かなかった。


人の叫び声が響く。

何人もの兵士を斬り殺しながら前に進むマイラの姿があった。

「誰だ?この殺人鬼は?誰?私…なの?」

殺気に満ち溢れた形相の自分の姿が見えていた。

マイラの後ろには、斬られた人達の骸が、迫る炎に飲み込まれていく。

炎は、やがて、自分に迫ってくる。

「人殺し、人殺し」

炎の中から声が聞こえる。

「返せ、命を返せ」

炎が迫る。

必死に炎から逃げる自分が見える。

「斬らなければ、自分が斬られていた。仕方がなかったんだ!」

そう叫ぶ自分がいる。

それに答える声は無い。

「何故だ、何故、何も言わない。許してくれ。許してくれ!」

炎が自分を飲み込む。

マイラは、自分が焼かれていく姿を見て、叫び声を上げた。

「わぁぁぁぁ」」

マイラは、炎の中に沈んでいった。

「は!」

マイラは、うなされながら目を覚ました。

ぼんやりと、天井が見えてきた。

どうやら、夢を見ていたようだ。

「ここは?」

マイラが目を覚ますと、そこは、粗末なベッドの上だった。

「目が覚めたかい?」

ドアが開くと、ルーサーが入ってきた。

「お前!」

マイラは、枕元に置いてある剣を手に取ろうとしたが、体中が痛くて力が入らなかった。

「あの炎の中から逃げて来たんだ。煙も吸ってるし、あちらこちらケガもしてる。しばらくジッとしてな。いくら、倒れていても、お前みたいに腕の立つ奴の体に悪さしたりしないし、お前さん自身を売る気なら、とっくにどうにかしてるさ。結果的に俺のせいで、こんな事になっちまったのは謝る。だから、せめて、罪滅ぼしをさせてくれ。」

ルーサーは、土下座して謝った。

「ここは?」

マイラは、気を鎮めて、剣を枕元に置いた。

「ここは、俺の住まいで、お前が寝ているのは、死んだ母さんの部屋だ。ボロ屋ですまないが、ゆっくりしてくれ。」

ルーサーは、水をマイラに渡した。

「そうか…。」

マイラは、剣を枕元に置くと、素直に水を飲み干した。

「お前は三日も、うなされてた。とりあえず目が覚めて良かったな。」

ルーサーは、ニコニコと人懐っこい笑顔を見せた。

「三日も…。」

マイラは、呟いた。

「マイラ、まあ、しばらく、ここで養生しな。」

ルーサーは、そう言うと、部屋を出ていった。


さらに数日経つと、マイラは、少しずつ動けるようになっていた。

あの時のまま寝かされていたから、いい加減、服も変えたいし、風呂にも入りたい。

そんな欲も出てきた。

ルーサーは、馬番の下働きの仕事に、朝早く出かけて、日が暮れる頃に帰ってきた。

ルーサーが仕事に行っている間、マイラは、一人、ベッドの上からアンゼスの町を眺めていた。

「雨か…。」

マイラは立ち上がると、剣を持って、外に出た。

ルーサーの家の向かいは、戦争で焼けてしまったのか、空き地になっていた。

周りを見渡すと、所々、歯抜けになっている。

マイラは、空き地に歩いていった。

マイラは、鞘を地面に刺すと、剣を抜いた。

「滝をイメージして…。」

まだ、体に力が入らず、弱々しいが、降りしきる雨を斬ってみる。

「斬れるはずもないか。」

マイラは、呟いた。

何度かやってみるが、雨粒を弾くだけで、斬った感触は無かった。

そんな事をやっているうちに、ルーサーが帰って来た。

「雨の中、そんな体で何やってんだよ。さあ、部屋に戻るんだ。」

ルーサーは、マイラを支えて、家に戻った。

「何か、着替えを貸してくれないか。男物でいい。下着は、サラシでいい。それから、体を拭きたい。」

マイラは、ルーサーに弱々しい声で頼んだ。

「そうだな。あの時の成りじゃ、気色悪いよな。」

ルーサーは、自分の着替えを漁ってみたが、マイラより背が低く、合いそうもないので、近所の住人から、背格好の合う男物の麻の服を譲ってもらった。

そして、近所の主婦に、下着の代わりのサラシになる布を買ってきてもらった。

そして、湯を沸かして、桶に入れて、着替えと粗末なタオルを持ってきた。

「じゃあ、終わったら呼んでくれ。覗いたとか因縁つけられたら、堪らねえからな。」

ルーサーは、冗談めかして言うと、部屋を出ていった。

「ありがとう。」

マイラは、素直に礼を言うと、久し振りに体を拭いて、髪を洗った。

そして、ルーサーが用意してくれた衣類に着替えて、ようやく、生き返った気がした。

「着替えたから、もういいぞ。」

マイラは、部屋の外で待機するルーサーに声をかけた。

「着替えは、自分で洗え。女物なんか洗えないからな。でも、本当に男の格好でいいのか?お前は胸がでかいから、すぐに女だとバレるぜ。」

ルーサーが悪気なく失礼な事を言うので、マイラとしては、腹も立たなかった。

「いいんだ。世話になったな。もう少し、体が動くようになったら、私は、クリーゼに行こうと思ってる。いつまでも、お前に迷惑もかけれないからな。」

マイラは、冷めた笑みを浮かべながら言った。

「そうか。なあ、マイラ。テルプルの法律では、実力のある者は、身分に関わらず出世できるはずなんだが、ここの領主は、保守的だ。俺も、出世する為には、首都のクリーゼに行くしかねえかなって思ってる。訳は聞かねえが、あんたも追われる身なんだろ。俺も一緒にクリーゼに連れて行ってくれねえか?」

ルーサーは、粗末な飯を置くと、マイラに尋ねた。

「どうせ、私を用心棒にとでも思ってるんだろう?」

マイラは、笑顔を見せると、呆れた表情でルーサーを見た。

「ハハハ。お見通しか。」

ルーサーは、笑ってごまかした。

「やはりそうか。まあいい。分かった。一緒に行こう。でも、完全に信じた訳じゃない。いざとなれば、斬る。」

マイラは、殺気に満ちた目でルーサーを睨んだ。

「まあまあ、あんた、本当に女にしとくには、もったいねえな。俺は、クリーゼまで無事に行きたいだけだ。」

ルーサーは、そう言ってマイラに用心棒になってくれるように頼んだ。

「もういい。少し、疲れた。休ませてくれ。」

マイラは、そう言うと、服を脱いで、そのままベッドに転がって、眠った。


ジーマ・ウィロボーンは、森を抜けてルーガンの領地に戻って来た。

国境の砦を陣にしていたのである。

「ハン・ゾウン様、ケガの方はよろしいので?」

砦には、病院に入ったはずのハン・ゾウンの姿があった。

「大丈夫だ。兵たちを休ませろ。私の部屋で話そうか。」

ハンは、ジーマと自分の執務室に入った。

「姫君は、なかなかの手練だな。貴様でも討つことができなかったか?」

ハンは、笑いながら話した。

「メリッサ・マインにしてやられました。身を呈して姫君を守り通しました。」

ジーマは、露骨に悔しそうな顔をした。

「そうか、命がけで姫君を救ったか。」

ハンは、沈痛な面持ちで呟いた。

「ジーマ、姫君に刺された脇腹な。見事に急所を外していた。偶然ではあるまい。俺を殺さずに、引かせる為の咄嗟の判断をしたのだろう。リチャードの奴、とんでもない姫君に育ててくれたものだ。」

ハンは、脇腹を押さえながら言った。

「考え過ぎでは?咄嗟に、急所を外して刺すなど、至難の技でしょう。」

ジーマは、訝しげな顔をした。

「まあ、どちらでもいい。おかげで、こうして生きているのだからな。」

ハンは、自分で自分を見下すように言った。

「しかし、マイラ様が生きているとはね。ご存知だったのですか?」

ジーマは、尋ねた。

マイラがリチャードに連れられて城を脱出した頃、ジーマは、まだ、20才そこそこの新米だった。

その頃の上官からは、王族は、全員死亡したと聞かされていた。

当時、サリバーは、ルーガンに付くか、テルプルに付くかで派閥が分かれていた。

当時のミハエル王は、テルプルと同盟を結ぶ方向で動いていた。

しかし、ミハエル王の兄、ラファエルは、長男であったが、妾の子であるが故に、後継者になれなかった事を恨み、謀反を起こして、義理の落とうとであるミハエルを討ち、新たな王になろうと考えていた。

ラファエルの家臣だったハンとその部下のジーマたちは、ルーガンによる統治を望んでいた。

そこで、ラファエルを利用して、軍を動かし、サリバーを占領した。

当初、王族は、亡命させるつもりでいたが、ラファエルが裏から手を回して、ミハエル王と王妃ら一族を滅ぼした。

それを知ったハン達は、ルーガンの軍を招き入れ、今度は、ラファエル始め、その一族を滅ぼしたのである。

結果、サリバーは、事実上、消滅し、ルーガンの統治を受ける事になったのである。

ハン達は、統治軍の一員となったが、反ルーガンの一派は、テルプルに援軍を求め、テルプルの軍と統治軍は、ぶつかる事になり、戦いの結果、アンゼスの東を境に、領土を二分する事になったのである。

それが、サリバー侵攻の一部始終だった。

ハン・ゾウン達は、ルーガンの統治軍と共に、反乱軍と戦いに明け暮れた。

そんな中で、ルーガンに、マイラの生存の報告が入ってきた。

ハン・ゾウン達は、ルーガン本国からの命令を受けて、マイラ暗殺に動いていたのである。

「なあ、ジーマよ。最近、ルーガンに反抗するゲリラの連中の気持ちが分かる時がある。マイラ様を、このまま見逃してもいいとさえ思う自分がいる。」

ハンは、呟いた。

「強国に挟まれ、貧しい民を救う為に、我らは、ルーガンに組みしたのです、ミハエル王は、人徳のあるお方でしたが、どうしても、テルプルと手を組むと譲らなかった。我らは、涙を飲んで決起したのです。結果的に、王族のお血筋は、マイラ様のみ。ここに至っては、火種は取り除かねばなりますまい。弱気は、禁物というものです。」

ジーマは、沈痛な面持ちでハン・ゾウンを諌めた。

「すまんな、少し、リチャードやメリッサが羨ましくなったのよ。我らにとっても、姫君は、大切なお方である事に代わりはないからな。」

ハンは、そう言葉を漏らすと、それ以上、何も言わなかった。

「お頭、ギーゲン王の使いが来ております。」

部下が、そう伝えてきた。

「分かった。ジーマ、兵たちに食事を摂らせて、今日は早めに休むように伝えろ。」

ハン・ゾウンは、そうジーマに命じると使いの者を執務室に通した。

「邪魔するよ。」

執務室に入った男には、いつも来る伝令の兵ではなかった。

黒いフード付きのコートを脱ぐと、ハン・ゾウンよりも年配の白髪頭に白髭の男がソファに腰掛けた。

「これは、セッサ・ダイン様。いかがされました?」

ハンは、驚いた顔をして、直立不動になった。

セッサ・ダインは、ルーガン王国の宿老の長を務めている。

「ハンよ。マイラ様の事だが、暗殺の方針を変更する。」

セッサは、そう切り出した。

「と、申しますと。」

ハンは、少しセッサの言うことに対して測りかねていた。

「本国での連中の大半は、マイラ様の暗殺が第一になっている。しかし、仮に、マイラ様のお命を頂戴する事ができても、ゲリラ共は、仇討ちと称して抵抗するだろう、それは、得策ではないと、評定が決した。お前たちの中から精鋭を選抜して、少人数でマイラ様を拉致するのだ。人質となれば、ゲリラ共も、多少の反抗はするだろうが、少しは、大人しくなるだろう。旧サリバー領の反乱にギーゲン様も頭を痛めておられる。一刻も早く、反乱を鎮めて、テルプルに侵攻せねばならん。この世は、乱れておる。一国も早く全ての民が安心して暮らせる世を作らねばならん。」

セッサは、ハンに、そう命じた。

「なるほど、そういう事でしたか。承知しました。」

ハンは、答えた。

「頼んだぞ。正直に言えば、ようやく、私の案を通す事ができたのだ。暗殺より、人質の方が、ゲリラを抑えやすかろく。だからな、ハンよ、頼んだぞ。」

セッサは、ハンの手を取って、頭を下げた。

「もったいない事です。必ず、やり遂げてみせます。」

ハンは、感激して頭を下げた。


「マイラ、どうだい。体の方は?」

ルーサーは、ベッドに座って、窓の外を見つめるマイラに声をかけた。

「もう、大丈夫だ。新しいリュックや旅の道具は、お前が用意してくれたからな。後は、お前の予定次第だ。」

マイラは、そう答えた。

「そうかい。それは、上々だ。じゃあ。俺は買い物してくるからな。マイラも旅支度をしておいてくれよ。」

ルーサーは、笑顔で言うと、張り切った様子で出ていった。

アンゼスの町は、テルプルの領地になってから、町の出入りも、商売をするのも自由という法律ができて、以前に比べて活気を取り戻していた。

ただ、誰でも町に入って来れるという事は、リスクも生じた。

ハン・ゾウンとジーマは、行商人に変装して、二人だけでアンゼスに入り込んていた。

「あの少年です。」

ジーマは、露店で買い物をしているルーサーを指さした。

「メリッサの事を聞き回っていました。おかげで姫君の動きが読めました。」

ジーマは、そう小声でハンに耳打ちした。

「なるほど。」

ハンは、ジーマで目で合図すると、姿を消して、ジーマは、ルーサーの元へ歩いていく。

「そこのお方。」

ジーマは、腰低くルーサーに近づいた。

「何だい?薬ならいらねえよ。」

ルーサーが答えると、ジーマは、小声で囁いた。

「騒ぐな。」

脇腹に何か突きつけられている。

明らかに刃物である。

「お前と同じ年格好の少女を匿っているだろう。」

ジーマは、ニコニコした表情のまま、ルーサーの耳元で迫った。

「知らねえよ。人違いじゃねえのかい?」

ルーサーは、うわずった声で答えた。

「よく聞け。お前が黙っていた所で、いずれは少女は見つかる。今、お前が、殺され、少女が殺される。無益だ。そこを理解しろ。」

ジーマは、相変わらずニコニコしながら、ルーサーに刃物を突きつけた。

「わ、分かったよ。」

ルーサーは、ジーマと共に、自宅に戻る事にした。


「まだ、所々、体が痛むな。」

マイラは、身支度を整えると、ルーサーの帰りを待っていた。

「ん?」

ルーサーの足音だ。

ルーサーは、ドタバタと落ち着きのない勢いで帰ってくる。

だが、今日は、やけに落ち着いた足音だ。

それに、気配を消しているが、もう一人、一緒にいるようだ。

「もう一人いる・・・。」

マイラは、剣を持ってベッドの下に隠れた。

「マイラ、入るよ。」

ルーサーが部屋に入ってくる。

後ろに薬の行商人が立っている。

正面からは、見えないが、恐らく、男は、ルーサーの背中に刃物を突き立てている。

「私は、ルーガン王国の騎士、ジーマ・ウィロボーン大尉であります。姫君、お出ましください。この少年の命は保証いたします。」

ジーマは、ルーサーの後ろから呼びかけた。

「姫君?」

ルーサーは、驚いた顔をしている。

マイラは、しばらく無言で潜んでいたが、ベッドの下から、ゴソゴソと出てきた。

「すまねえ。マイラ。面目ない。」

ルーサーは、バツの悪い顔で侘びた。

「ルーサー、もういい。所で、ジーマとやら、お前は、ハン・ゾウンの手のものか?教会を襲ったのも、お前たちか?」

マイラは、剣を片手に持ち、短剣を懐に忍ばせている。

「如何にも。」

ジーマは、一言だけ答えた。

「そうか、ところで、ハンは、無事か?」

マイラは、尋ねた。

「はい。存命しております。」

ジーマは、意外な問いに戸惑いながら答えた。

「そうか。命令とは言え、教会を襲撃するのは、本意ではなかったろう。それに、身を守る為とは言え、ハンを刺し、お前の仲間達の命も奪った。許せ。」

マイラは、ジーマを見据えた。

そのオーラに、一瞬、ジーマの心に隙ができた。

そこを見逃さずに、マイラは、懐から短剣を素早く取り出して、背の低いルーサーの顔に当たるか当たらないかの位置で、しかも、ルーサーより背の高いジーマに当たる位置に投げつけた。

「!」

ジーマは、咄嗟に避けるしかなかった。

そして、後ろに、仰け反り、短剣は、壁に突き刺さった。

更に、その瞬間を狙って、マイラは、ルーサーの手を掴んで、自分の方へ、力強く下の方に引っ張った。

ルーサーが、うつ伏せの状態で前に倒れ込んだので、一瞬、視界が開けた。

マイラは、剣を抜いて、ジーマが態勢を立て直す前に、懐に飛び込んで、彼の持つ刃物を斜め下から救うように弾いた。

そして、ジーマの首筋に剣の刃を当てて、動きを封じた。

刃物は、ジーマの手から離れて、クルクルと回転しながら弾き飛ばされて、床に突き刺さった。

「動くな!私が命じる!自決は許さない。」

マイラは、一喝して、舌を噛む気配を見せたジーマを、床に座らせた。

「ルーサー、リュックを取り上げて、服の中を探って。」

マイラは、剣をジーマの首筋に当てたまま、ルーサーに指示した。

うつ伏せに転んでいたルーサーは、慌てて起き上がって、リュックを取り上げてから、ジーマの服の中を探って、武器を押収した。

「よくもまあ、こんなに隠し持てるな。」

マイラは、呆れた顔をして、ジーマに声をかけた。

「少し、油断したようですな。」

ジーマは、ゆっくり息を吐くと、力を抜いて胡座をかいた。

「お前、サリバーの者だな。訛りで分かる。話してくれないか?お前達の事を。」

マイラは、剣をジーマの首筋に当てたまま尋ねた。

「はい。」

ジーマは、これまでの経緯を、マイラに話した。

「そうか、分かった。」

マイラは、全てを聞き遂げると、剣をジーマの首筋から離した。

「私も騎士の端くれ。姫君に討たれるのなら本望です。」

ジーマは、観念した様子だった。

マイラは、黙ったまま長い黒髪を止めている髪留めを解いた。

ルーサーもジーマも、マイラの行動に戸惑っている。

マイラは、背中まである黒髪の先を左手で握ると、右手で持っている剣で、肩の辺りからバッサリ切り落した。

「何ということを!」

ジーマは、恐れ多くなって、床に手を付いて平伏した。

「マイラ、何やってんだ。」

ルーサーも、オロオロしている。

この世界では、15才以上の女子は、髪を伸ばし続ける。

背中の中程まで伸びると、後は、先を整える位しか切らない。

しかし、死に際や、出家する際は、髪を肩から切るのが習わしになっていた。

「ジーマ、これを持っていきなさい。そして、私は、人質になるのを良しとせず、自決して果てたと報告しなさい。」

マイラは、切り落とした髪を紙に巻いて紐で縛ると、ジーマに渡した。

ジーマは、両手で、恭しくマイラの髪を受け取った。

「恐れ多い事です。」

急にジーマは、恐縮してしまって、ガチガチになっていた。

「それと、これは証拠です。持っていきなさい。」

マイラは、自分の剣をジーマに託した。

「しかし、これは…。」

ジーマは、冷や汗をかきながら、躊躇った。

「さあ!」

マイラは、半分、無理矢理に剣をジーマに手渡すと、立つように促した。

「はは!」

ジーマは、立ち上がると、大事にマイラの髪を懐に仕舞い、剣を背負った。

「ルーサー、全部、返してあげて。」

マイラは、ルーサーに、そう指示した。

最初は、渋っていたルーサーだったが、マイラの言うとおり、ジーマに全ての荷物や武器を返してやった。

「恐れ入ります。それで、姫様は、これからどちらに。」

ジーマは、片膝を付いて尋ねた。

「お前は知らなくても良い。去りなさい!」

マイラは、ジーマに命じた。

「は!」

ジーマは、風のように姿を消した。

ルーサーは、マイラが、どこかの姫君と分かって、片膝をついて胸に手を当てた。

「ルーサー、頼むから、今まで通りにして。」

マイラは、ルーサーに立つように促した。

「でも…。」

ルーサーが躊躇していると、マイラは、いいからとルーサーを説得した。

「分かった。でもなぁ。おめえ、何て事するんだ。髪を切っちまうなんて。」

ルーサーが声をかけた。

「髪なんて、また伸びるんだから。さあ、クリーゼに行こう。」

マイラは、自分のリュックを背負った。

「おめえには、かなわねえよ。」

ルーサーもリュックを背負った。

二人は、クリーゼに向かって旅立った。


ハン・ゾウンは、アンゼスの東の端にある宿で待機していた。

「失礼します。」

夜も更けて、酒を飲んている所に、ジーマが帰ってきた。

「ジーマか?何か問題でも起こったか?」

ハンは、一人で戻ってきたジーマに尋ねた。

ジーマの顔色は、青ざめていた。

「申し訳ありません。」

ジーマは、ガックリ項垂れて、床に崩れ落ちるように座り込んだ。

「まあ、飲め。」

ハンは、空いているグラスに酒を注ぐと、ジーマに手渡した。

「いただきます。」

ジーマは、ぐっと、一気にグラスの酒を飲み干すと、フーっと大きく息を吐いた。

「大佐、こちらを。」

ジーマは、マイラの剣と髪の束をテーブルの上に置くと、片膝を付いた。

「これは…?まさか!」

ハンも顔色を変えて剣の紋章を確認した。

「マイラ様の剣と、下ろした髪の束です。姫君は、自害したと報告せよと…。」

ジーマは、肩を震わせながら、説明した。

「何というお方だ…。」

ハンも片膝を付いて、一礼した。

「そして、こうも仰せでした。ハン・ゾウンは、無事か?そして、身を守る為とは言え、お前の部下の命を奪ってすまなかったと…。」

ジーマは、涙ぐみながら声を震わせた。

「姫様…。」

ハンも声を震わせた。

「それで、姫様は?」

二人は、イスに座り直すと、酒を酌み交わした。

「知らなくて良いと…。」

ジーマは、呟いた。

「そうか。セッサ様には、ごまかしは通用せん。ありのままを報告するとしよう。いずれにせよ、我ら、マイラ様のお役に立たねばなるまい。」

ハンは、グラスを握りしめた。

ハンにしても、ジーマにしても、ルーガンの統治軍の一員ではあったが、常に裏切り者というレッテルを貼られ、日陰の身であった。

しかも、ゲリラ狩りと称して、同じサリバーの人間と争いを繰り広げている。

そんな自分達の為に、マイラは、自身の髪と剣を与えてくれた。

同士討ちに嫌気が刺していた二人は、マイラの家臣として生きたいという気持ちが沸々と湧き上がって来ていた。


ハン達は、ルーガンの首都、ルーガニアに少数の警護の兵を連れて帰還した。

そして、ハン・ゾウンは、ジーマ達部下を宿舎に待たせて、セッサの館を訪問し、面会を申し出た。

しばらく客間で待っていると、セッサが、ゆっくりとした足取りでやって来た。

「セッサ様、申し訳ありません。まずは、こちらをご覧ください。」

ハンは、マイラの剣と下ろした髪の束を、テーブルの上に置いた。

「これは?」

セッサは、一言、尋ねた。

ハンは、ありのままの事実を、順を追って報告した。

「なるほど…。分かった。ギーゲン様には、マイラ様は、自決したと報告するが、まあ、ごまかしは効かないだろうがな。安否不明と発表するとしても、ゲリラ達は、弔い合戦と称して反抗してくるな。いずれにしても、どのような状況になっても、サリバーの治安は、お前達が守るのだ。それが、見逃す条件だ。」

セッサは、厳しい視線をハンに送った。

「分かっております。」

ハンは、真摯に答えた。

「もう一つ、マイラ様が兵を起こし、このルーガンと事を構えるような事になったら、お前達は、どうする?」

セッサは、尋ねた。

「それは、その時の事。いずれにしても、我らは、二つに割れましょう。」

ハンは、苦しそうに答えた。

「私が聞いているのは、お前とジーマは、その時、どうするのかと聴いているのだ。」

セッサは、尋ねた。

「それは…。」

ハンは、セッサを見据えながら押し黙った。

「まあ、よかろう。そんな頃には、私は、もう、この世にはいないだろうから、それで良い。それにしても、破天荒な姫君に、一度、お会いしたいものだな。」

セッサは、微笑んだ。

「よろしいのですか?」

ハンは、驚いた顔でセッサに尋ねた。

「私は、ルーガンのみが栄えて欲しい訳ではない。ルーガンが栄える事によって、世の中全体が栄えて欲しいのだ。さあ、ハンよ、もう戻ってよい。後は、私が、上手く収めよう。」

セッサは、そう言うと、部屋を出た。

そして、その足で、城に登城することにした。


セッサは、ルーガンの王、ギーゲン・ナウに謁見していた。

ギーゲンは、まもなく40歳になろうとする今が、地盤もでき、勢力拡大する時と意気盛んだった。

特に、近年では、冷静な判断と大胆な戦略で、領土拡大を続けていた。

セッサは、ギーゲンの守役でもあり、信頼されていた。

多忙なギーゲンであったが、セッサの謁見の申し出だったので、それに応じた。

謁見は、城の中にあるギーゲンの執務室で行われ、互いに向かい合ってソファに座っている。

「ほお、マイラ様は、自決された?」

ギーゲンは、髪の束と剣を眺めながら呟いた。

「配下の者が、そう報告して参りました。」

セッサは、胸に手を当てて頭を下げた。

「セッサよ、情に負けて、マイラ様を見逃してやったのか?首でも持って来ない限り、信じるには足るまい。しかし、髪を切るとは、肝の座った姫君だね。」

ギーゲンは、皮肉っぽい苦笑いを浮かべた。

「ギーゲン様が、お命じになれば、真実を明らかにいたします。」

セッサは、ギーゲンを試すかのような答えを放った。

「もともと、セッサは、暗殺には反対なのだろ?」

ギーゲンは、紅茶を飲みながら呟いた。

「テルプル侵攻の妨げになっているのが、サリバーのゲリラですが、まあ、よくよく考えてみると、人質にした所で、結局、彼らは、反抗してきます。」

セッサは、静かに語る。

「頭が痛いね。」

ギーゲンは、ため息混じりで呟いた。

「まずは、この髪の束は、秘密裏に保管するとして、剣はマイラ様にお返ししましょう。その上で、マイラ様の安否は、不明のまま、という事にしましょう。その上で、マイラ様帰還の際には、サリバーを自治国として認め、テルプルが支配している旧サリバー領の奪還に尽力するとゲリラの各リーダーと交渉しながら、彼らの繋がりを切り崩していきましょう。」

セッサは、淡々と話した。

「まあ、テルプル侵攻は、急ぎたい。10年も小競り合いを繰り返して来たのだ。もう、良かろう。ゲリラ達の結束を分断して、早々に軍を進めたい」

ギーゲンは、セッサに問いかけた。

「この10年、ゲリラのおかげで、西への侵攻が進んでいませんが、いい機会になるかもしれません。彼らも疲弊してきていますからね。ゲリラ達の中には、こちらに靡く者も出てくるでしょう。」

セッサは、それとなく話の中身をすり替えていった。

「ふん…。分かった。マイラとゲリラの件は任せる。だが、来年、春の出陣の日程は、変えない。それでいいか。」

ギーゲンは、セッサに厳しい視線を送った。

「承知しました。」

セッサは、ギーゲンに、挨拶をすると、執務室を去った。

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