9-23
その日の夜、エルネは、ルーサーに付き添って看病をしていた。
ルーサーは、穏やかな顔で眠り続けていた。
「エルネ様、少し、お休みください。私が付き添っておりますから。」
ティアが、いつになく優しい言葉をかけた。
「ティア。ありがとう。それでは、お言葉に甘えて、少し休ませてもらうわ。」
エルネは、憔悴した顔で、部屋を出ていった。
それを見届けると、ティアは、ルーサーの耳元で、囁き始めた。
「ふふふ。散々、夢の中でティアを弄んだのだから、もう、この世に未練はないでしょう。ルーサー、分かりますか?私は、マリアンヌです。よくお聞きなさい。カーツ様も、お待ちです。さ、地獄においでなさい。己の欲の為に、今まで多くの人を殺し、多くの女を犯し、お前のようなものは、人ではない。猿と言うのよ。お前にも良心のカケラがあると言うのなら、この一晩のうちに、お逝きなさい。地獄に落ちて、猿にも生まれ変われず、炎で焼かれてしまいなさい。天国から、お前が地獄で焼かれるのを見届けてあげる。」
ティアは、ルーサーを、冷たい目で見据えた。
「マリアンヌ様…。お許しください。お許しください。私は、国を治めねばなりませぬ。カーツ様、お待ち下さい。お待ち下さい。うあぁぁぁ…。」
ルーサーは、苦しみだした。
「カーツである。許さぬ。お前の役目は終わったのだ。所詮、お前は、王の器ではない。さあ、地獄へ来い。地獄で、俺に仕えよ。焼かれるまで、灰になるまで、俺に仕えよ。」
ティアは、更に、そう囁いた。
「お許しを!お許しをぉ!」
ルーサーは、叫び始めた。
「誰か!大宰相様のご様子が!医者を!医者を!」
ティアは、慌てて見せて、大声で助けを呼んだ。
ミルリとエルネ、そして、医者が部屋に駆け込んできた。
しばらく医者が、ルーサーを処置して、薬を飲ませて、ひとまず眠らせた。
しかし、ルーサーは、脂汗を流しながら、苦しそうに寝息を立てた。
その夜、ルーサーは、うめき声を上げて、のた打ち回りながら、生死の境を彷徨ったが、翌朝を迎える事ができた。
エルネは、一晩中、ルーサーに付き添って、そのまま、眠ってしまっていた。
「エルネぇ。ここは…どこだぁ?」
翌朝の日が昇った頃、ルーサーの声に、エルネは、飛び起きた。
「ルーサー様!ここは、ダイザッカの宮殿ですよ。良かった。あなたは、ずっと眠っていたのですよ。」
エルネは、ルーサーの手を取って喜んだ。
「そうかぁ。ヒーゴニアから運ばれたんかぁ?」
ルーサーは、そう言うと、必死に起きようとした。
「無理をしないで。マイラが、ヒーゴニアから付き添ってくれたのよ。」
エルネは、ルーサーを止めた。
「そうかぁ。あいつには、世話になりっぱなしだなぁ。」
ルーサーは、力なく笑った。
「ミルリを呼んでくれ。」
ルーサーは、エルネに頼んだ。
エルネは、すぐに、ミルリを呼び出した。
「ええか。俺の言う事を書き留めよ。」
ルーサーは、ミルリに命じた。
「畏まりました。」
ミルリは、そう答えて、ペンを取った。
「俺の跡継ぎは、ティアとする。宮廷に、宰相就任の要請をせよ。国内の政治は、ティアの下に、マイラ、クレヴァンを大老としておいて、ミルリとカーンが補佐せよ。大陸出兵の指揮権は、マイラに一任する。」
ルーサーは、そう言うと、震える手で、ベッドから手を出して、書面にサインした。
「エルネ、判を押してくれ。」
ルーサーは、エルネに、そう頼んだ。
「畏まりました。後ほど、判を持ってきますわ。」
エルネは、そう返事をしたが、その場で判を押さなかった。
「エルネぇ。寂しい思いばかりさせて、すまんかったなあ。今思えば、マイラがテントで寝取った頃が、一番、楽しかったわぁ。」
ルーサーは、そう、うわ言のように話した。
「そうね。あの頃は、楽しかったわね。」
エルネは、涙を流した。
「エルネぇ…。早く…。早く判を…。」
突然、ルーサーの呼吸が止まった。
「ミルリ!医者を!」
エルネは、叫んだ。
「はい!」
ミルリが、慌てて医者を呼びに戻った。
医者は、脈を測り、あらゆる処置を試みた。
しかし、ルーサーの息は、戻らなかった。
「御臨終です。」
医者は、エルネに頭を下げると、部屋を、静かに去っていった。
エルネは、しばらく、ルーサーの手を取って泣きじゃくっていた。
この事は、秘密にする為に、エルネは、ミルリ、マイラ、カーン、ティアを呼び出して、今後の事を協議した。
「まずは、ご遺体を内密に運び、弔いを行います。大宰相様の死は、3年間秘密にして、その間に、大陸政府と和睦し、半島から兵を引き揚げさせます。私が、ヒーゴニアで指揮を執りますから、クレヴァン様に、ダイザッカに戻っていただきます。」
ミルリが、そう進言した。
「そうね。マイラ、どう思う?」
エルネは、マイラに尋ねた。
「それで良いと思います。」
マイラは、そう答えた。
「それから、遺言状を完成させる前に、ルーサー様は、亡くなってしまった。この遺言状には、判がない。なので、公的な効力はありません。ただ、これに沿って、国を治めてもらうことを、私は希望します。」
エルネは、そう話した。
「白々しい。判を押さなかったのは、エルネ様のご意思でしょう?」
ティアが、エルネに言った。
「いいえ。判を押そうとする前に、ルーサー様は亡くなってしまったのです。それは、ミルリが証人です。」
エルネは、言った。
「はい。その通りでございます。」
ミルリは、頭を下げた。
「ふん!」
ティアは、そっぽを向いた。
「それよりも、まだ、夏も盛りだ。ご遺体が腐敗すれば、秘密が漏れる恐れがある。早くご遺体をカーリアに移して弔いをする必要がある。ミルリ、早速、手配を。」
マイラは、ミルリに命じた。
「早速、宰相気取りですのね。」
ティアが嫌味を言うと、マイラは、静かに話した。
「そんな小さな了見では、あなた自身も宰相になどなれないわ。控えなさい。」
マイラが言うと、ティアは、返す言葉を失って、素直に従った。
ルーサーは、棺に納められると、魚を運ぶ荷車に載せられ、勝手口から外に繋がる裏門から秘密裏にカーリアに運ばれた。
そして、クレアが、手を回して、内密に葬られた。
数日して、ミルリと入れ替わるようにクレヴァンが帰ってきた。
そして、エルネに挨拶を済ませると、マイラと秘密裏に会談を行った。
「クレヴァン、すまなかった。こんなに早く病状が悪化するとは思わなかった。私も、臨終には立ち会えなかった。」
マイラは、クレヴァンに詫びた。
「いや、それは、気にするな。それよりも。半島の戦況は、芳しくないが、何とか和睦できそうだ。表向き、ミルリが、交渉に入れば、和睦でまとまるように、裏交渉は、できている。このまま冬に入れば、キーヨの軍は、餓死して全滅だ。早く兵を引きたい。」
クレヴァンは、苦渋に満ちた顔で話した。
「そうね。もう一つ、心配なのは、ミルリよ。あの子は、真面目過ぎる。引き揚げてきた諸将と対立しなければ良いのだけど。」
マイラは、そう心配した。
「それは、避けられない。国内を安定させる為には、俺とお前が、共にいる必要がある。そうなれば、ヒーゴニアには、ミルリが行くしかない。カーンは、何かと野心があると勘繰られているしな。キーヨとミルリは、犬猿の仲だ。ミルリが、どこまで大人になれるか。そこにかかっている。」
クレヴァンは、そう話した。
「それに、ティアも心配だわ。遺言状が無効になった事で、エルネ様と対立を深めている。このままでは、私とクレヴァンで、国を二分した戦争になる。」
マイラは、珍しくため息をついた。
「そうだな。」
クレヴァンは、それ以上、何も言わなかった。