14
マイラは、エリーザと共に、砦に近い場所で、なるべく店の多い町を選んでやって来た。
マイラは、いつもの警備の軍服に革のトランクケースを持っている。
さすがにルーガン軍の出陣の噂が広まっていて、町を逃げ出す者、大丈夫だと残る者、様々な人の思惑が交差して、町は混乱していた。
「ルーシーが町に出るなんて珍しいわね。それにしても、混乱してるわね。ルーシーと一緒でなければ、怖くて来れなかった。でも、戦争になるなんて、気が滅入るわ。従軍するとなると、危険だしね。」
エリーザは、ため息をついた。
「うん。でも、出来うる限り、私達が守るから、協力して。それから、今日は、すまない。いつも基本、自給自足の生活だから、買い物となると慣れてないんだ。」
マイラは、恥ずかしそうに答えた。
「いいのよ。それで?何を買いたいの?」
エリーザは、尋ねた。
「カツラ。」
マイラは、微笑んだ。
「え?カツラ?」
エリーザは、驚いた顔をした。
「うん。私もエリーザ達と一緒に従軍するでしょ。こんな頭じゃ、ルーガン軍の本隊の方に失礼だし、一応、私も女だから。」
マイラは、心にもない言葉を並べて、そう言った。
「ルーシー!そうよね。私、少し、安心したわ。ルーシーは、オシャレとか全然、気にしない子だと思ってた。そうよ、ルーシーは、すっごいかわいいんだから、行きましょ、行きましょ。」
エリーザは、想像以上に喜んで、マイラの手を引いて歩き始めた。
「うん。」
マイラは、予想外のエリーザのテンションの高さに戸惑いながら、先を急いだ。
エリーザがやって来たのは、婦人服の専門の店のようだった。
女性用の下着から普段着、ドレスまで、幅広く取り扱っていた。
「隣の部屋は、貴族階級ぐらいしか入れなさそうだな。」
マイラは、そう言うと、エリーザと一緒に、一般客のエリアに歩いていった。
結婚式や式典の為に、カツラを利用する女性は、少なくなかった。
それは、長いストレートの髪が女性の美しさであり、フォーマルな装いとされているからだった。
「ルーシー、どれがいい?」
エリーザは、金色、銀色、黒色、長い中にも様々な長さのカツラが、きれいに整然と陳列してあった。
「そうだな…。」
マイラは、しばらく考え込んでいると、店主を呼んだ。
「何か御用でしょうか?」
お世辞にも身なりが良いとは言えないマイラに、店主は、少し、訝しげな目でマイラを見ながら、やって来た。
「すまないが、このドレスに合うカツラをみつくろってくれないか?」
マイラは、トランクケースを無造作に床に置くと、ケースを開いた。
ケースの中には、マリアンヌにもらった赤いドレスが入っていた。
「ルーシー、これ、最高級のシルクじゃないの!?どうしたの?」
エリーザは、驚いてケースの中を覗き込んだ。
そんなエリーザを押しのけるように、店主が割って入ってきて、ドレスをやたらと賛辞して、色々とカツラを勧めてきた。
「このドレスですと、うちでも最上級の物で合わせた方がよろしいかと思いますので、こちらは、いかがでしょうか?それから、ドレスに合う靴もご用意いたしましょう。」
店主は、美しい黒髪で、マイラの腰の辺りまで伸びているカツラと美しい赤いハイヒールをを勧めてきた。
「これにしよう。」
マイラは、靴を履いてみて、カツラは、手にとって見て、即決した。
「ルーシー、カツラ、試着しないの?」
エリーザは、驚いて、思わず声をかけた。
「被れればいい。それで、結局、いくらだ?」
マイラは、特に感情もなく、答えた。
「そうですな…。」
店主は、何かぼったくろうというような目をしていた。
マイラは、まあ、商人とは、そんなものだろうと、特に気にしなかった。
「ルーシー、これ、きっと高いわよ。大丈夫?」
エリーザが心配そうにマイラを見た。
「エリーザ、大丈夫。心配ない。店主、このドレスも明日までに手入れしてもらいたい。」
マイラは、そう言うと、金貨が満杯に入った袋をドンと勘定場に置いた。
店主は、自分が言おうとしていた金額の遥かに多い金貨を出されて、目が点になっていた。
エリーザも、驚いて、固まっていた。
「これで足りるか?」
マイラは、無表情で店主に尋ねた。
「もちろんでございます。お手入れも、即座にさせていただきます。」
店主は、態度をコロリと変えて、平身低頭で頭を下げた。
「では、明日までに必ず砦に届けてくれ。ルーシーの物だと言ってくれれば分かるようにしておく。これは、重要な仕事だ。明日の日暮れまでに間に合わなければ、命は無いと思え。」
マイラは、冷たい目で店主を見据えた。
「畏まりました。必ず、お届けいたします。」
店主は、冷や汗をかきながら仕事を受けた。
「無事、届ける事ができたら、もう一袋、金貨を渡す。確実に仕上げてくれ。」
マイラは、言うだけ言うと、エリーザに行こう、そう言って店を出た。
「待って、ルーシー。」
エリーザも慌てて、店を出てきた。
「どうも、居心地が悪くて、面倒くさくなった。」
マイラは、苦笑いした。
「面倒くさいって。あんなに金貨を払ってしまって、大丈夫?それに、あのドレス、どこで手に入れたの?あんな凄いドレス、普通は手に入らないわよ。」
エリーザは、訳が分からなくなって、捲し立てた。
「あれは、ある高貴なお方を、たまたま助けた時があってね。そのお礼みたいな物。あの金貨も、その方にもらったものなの。それを使う為に金貨を使ったんだから、問題ないでしょ。それに、あの強欲そうな店主の上を行きたかったの。面白かったでしょ?」
マイラは、微笑んだ。
エリーザは、はぁ、と、ポカーンとしていた。
「でもルーシー、ギーゲン様をもてなす機会があったとして、あれは、やり過ぎじゃないの?」
エリーザは、マイラに尋ねた。
「どうかな?目立つのに、越したことはないんじゃない。」
マイラは、珍しく声を上げて笑っていた。
翌日、ちょうどマイラのドレスとカツラ、そして靴が届いた後、ルーガン軍の本隊が砦に到着し、分かれて駐留する事になった。
ギーゲンは、砦の来賓を迎える部屋に入り、砦もほぼ、本隊に明け渡す形になった。
食事も砦の食堂では、対応できないので、砦の来賓を招く広間ではギーゲンの側近クラスの将校をルーガンから連れてきた侍女達が受け持ち、士官クラスは、食堂を使う事になっていた。
一般の兵卒は、ルーガン本隊の衛生兵が炊き出しを行い、配給していた。
その夜、ギーゲンは、ハンを部屋に呼び、夕食を共にしていた。
「先陣の準備はできているのかね?」
ギーゲンは、尋ねた。
「大丈夫です。明日の早朝、出発し、夜討ちをかけます。翌々日の朝には、アンゼスを制圧できるでしょう。ゲリラが絡んできても、物の数ではないでしょう。」
ハンは、そう説明をした。
「さすがだね。問題は、その後だ。」
ギーゲンは、横目でハンを見つめた。
「何かご懸念でも?」
ハンは、尋ねた。
「砦からアンゼスまでの街道は、大軍が進むには狭い一本道だ。アンゼスまで全軍が到着するまでが、隊列が縦一列になり、一番、守りが手薄になる。」
ギーゲンは、そう話した。
「ルーガンの領内でテルプルが奇襲を企てるのは不可能でしょう。ゲリラにしても、我々が駆逐して先行します。むしろ、心配なのは、アンゼスに駐留した後でしょう。各隊は、分散して駐留します。テルプルは、アンゼスが落ちる事は、覚悟しているはずです。その上で、奇襲となれば、そこでしょう。」
ハンは、そう分析した。
「君は、奇襲は、アンゼスに入ってからと言うのかね?」
ギーゲンは、意外そうな顔をした。
「あまりにも籠城の準備が、あからさまのような気がします。テルプルの領内は、相変わらず、関所も無く出入り自由です。本隊が入った後、間者がクリーゼに情報を送り、テルプルの部隊が、ギーゲン様のいる宿舎をピンポイントで奇襲して来たら、万が一という事もあります。」
ハンは、そう答えた。
「君の言う事も一理あるね。」
ギーゲンは、少しの間、考えているようだった。
「やはり、退路を塞がれるのが、一番、厄介ではないかと…。」
ハンは、そう申し出た。
「策はあるのかね?」
ギーゲンは、そう尋ねた。
「アンゼスに入った後ですが、まず砦に繫がる街道に近い位置にギーゲン様の陣を置き、そこを中心に扇型に兵を配置します。私の軍は、アンゼスの城や宮殿の周りを固めます。
そうすれば、テルプルやゲリラ、そして、内部の裏切り、全てを見通す事ができるでしょう。万が一、奇襲を受けた場合、一旦、ギーゲン様は、近衛兵団と共に、砦に向かってください。砦には、門番くらいしかおりませんから、もし、砦の兵が裏切っていたとしても、近衛兵団のみで落とせましょう。」
ハンは、そう策を唱えた。
「私は、君が裏切るとは思っていないよ。」
ギーゲンは、少し、笑みを浮かべた。
「私の知らない所で、動いている者がいるかもしれません。用心に越したことはありません。」
ハンは、そう進言した。
「城なり、宮殿なりに陣を構えるのは、かえって危険と言うのだね。」
ギーゲンは、また、少し、考えているようだった。
「まあ、言い出せば、キリがないと言ってしまえば、それまでですが…。」
ハンは、考え込むギーゲンに、そう言葉をかけた。
「そうだね。どこかで私自身が決断しなくてはね。まず、君の軍は、明日、出陣し、アンゼスを攻略してもらいたい。制圧した後、我々、本隊は、アンゼスに入り、君の言うように兵を配置し、屋外に陣を構えよう。奇襲に備えつつ、兵達に休息を与え、補給が済んだら、クリーゼに侵攻する。」
ギーゲンは、そうハンに命じた。
「畏まりました。出陣の準備にかかります。」
ハンは、胸に手を当てると、部屋から出ていった。
出陣の朝が、ハンは、ジーマの本隊を先頭に、一番後方にエリーザの指揮する衛生兵達の馬車を配置し、ケイの小隊に護衛を命じた。
マイラは、衛生兵達と共に、エリーザの乗る馬車に同乗する事になった。
マイラは、男装をして馬車に乗り込み、ドレスやカツラなど、フォーマルな物をトランクに入れて、エリーザに託した。
「ルーシー、ルーシーだけが頼りよ。よろしくね。」
エリーザは、不安そうにマイラに声をかけた。
「大丈夫。何があっても、大きな声をあげたりしないで。いいわね。」
マイラは、何台かの馬車に分かれてに乗り込むエリーザ達、衛生兵に、声をかけた。
「さあ、早く、それぞれ荷物を持って、馬車に乗って。」
エリーザも皆に指示した。
「エリーザ、姐さんだけでなく、俺達も付いてる。心配ない。」
ケイも、そう声をかけて、馬に跨った。
「ありがとう、ケイ。」
エリーザは、そう言って、馬車に乗り込んだ。
「ケイ、頼んだぞ。」
マイラは、そう言うと、馬車に乗り込んだ。
そして、出発の合図が先頭から出て、ハンの軍は、街道を進み始めた。
「ジーマ、中間地点で、ゲリラが仕掛けてくる。ダンとは示し合わせてあるが、本気で捕えろ。それで、ゲリラとの戦いは終わる手はずになっている。分かっているな?」
ハンは、ジーマに確認をした。
「はい。承知しています。ただ、ルーガンの目をごまかす為に、ゲリラは、本気で仕掛けてくるはずです。なるべく早く、ダンを捕えます。」
ジーマは、そう答えた。
ハンの軍は、アンゼスまでの一本道の街道を進軍していった。
「ここからは、ゲリラの勢力範囲だ。気をつけろ。」
ハンは、全軍に伝令をした。
「みんな、大丈夫だから、何があっても落ち着いて。静かに。いいわね。」
マイラは、そう言うと、耳を研ぎ澄ました。
「来る。」
マイラは、馬車の窓から馬で並走するケイに伝えた。
「ケイ、何か潜んでいる。馬車の隊を囲むように隊列を整えろ。こっちからは、仕掛けるな。守り抜け!」
マイラは、ケイに命じた。
「分かりました。姐さん。」
ケイは、指示通り、守りを固めて進んだ。
しばらくの間、急に静かになった。
「静か過ぎる。」
横目にマイラが暮らしていた森が見えている。
「来るぞ!」
マイラがケイに叫ぶと、森に潜んでいたゲリラの集団が前方の側面から襲って来た。
「足を止めるな。ひたすら進め!いいな!」
ハンからの伝令が走っていく。
前方で戦闘が始まり、隊列の足が止まってしまった。
「姐さん、あの兵力なら、俺達も加われば、あっという間だ。応援に行かせてくれ。」
ケイが窓越しに言ってきた。
「油断するな。まだいる。」
マイラは、大丈夫、そうエリーザ達に声をかけて、馬車を降りた。
後方の側面から、少数のゲリラ達が襲って来た。
「後ろだ!馬車を守れ!」
マイラは、剣を抜いた。
「誰か腕の立つ者はいないか?俺は、ダン・ロット。一騎打ちを所望する。」
ダンは、前方での戦闘を避け、あえて、少数で後ろから攻めてきた。
「あの野郎、ひねくれた事を!」
ジーマは、戦いながら呟いた。
ゲリラ達は、まだ、互角に戦っている。
「気を抜くな!ジーマ!」
ハンも戦いながら叫んだ。
ダンは、ゲリラ達が持ちこたえているうちに、捕まろうと考えていた。
「私が受けよう。」
マイラが前に出た。
「姐さん、俺が行きます。」
ケイが馬から降りて言うが、大丈夫、一言、そう言って前に出ていった。
無言の迫力に圧されて、足を止めた。
「ほお、受けるか?お前ら、手を出すんじゃねえぞ。」
ダンも後方の部下に指示した。
ダンが引き連れているのは、まだ若い兵たちだった。
「そうか、助けたいのだな。」
マイラは、小声で呟いた。
「私は、ルーシー・ポウ。お相手する。」
マイラは、剣を構えた。
「本気で来ないとケガをするぞ。」
ダンが警告して上段から斬りかかって来る。
マイラは、すり足で後ろに下がって、それを避けた。ダンは、前につんのめったが、そこから剣を返して下からマイラに斬りかかった。
ダンは、手加減をしていない。
完全にマイラを斬るタイミングだった。
しかし、気づけば、ダンは、剣を下に弾き飛ばされていた。
ダンの剣が土の上で跳ねて、転がった。
マイラが、瞬時に上から、物凄い速さで剣を振り下ろして、その力に負けて、柄の部分から手が離れてしまったのである。
「何?見えなかった…。しかも、俺が力負けしただと!」
ダンは、振り下ろされた剣筋が全く見えなかった事にショックを受けて、しびれた手を押さえて片膝を付いた。
「ケイ!捕らえて!」
ポカンとしているケイに、マイラは、叫んだ。
「は、はい!」
ケイは、慌てて、往生して地面に胡座をかいているダンを捕えた。
「お前達、退きなさい!素直に退けば、この男の命は助ける。退きなさい!」
マイラが叫ぶと、若い兵達は、逃げていった。
「ケイ、この男を前方に連れて行って。兵を退かせるのよ。」
マイラは、ケイに指示した。
「へい。姐さん。」
ケイは、ダンを連れて戦闘状態の前方に向かった。
「お前らの仲間を捕えた。戦闘を中止しろ。」
ケイが叫んだ。
「ケイ、やったか。お前は、ダンだな。リーダーは、すでに捕えた。退け。退けば、リーダーの命は、助けてやる。退け!」
ハンが、叫んだ。
すると、次第に、ゲリラ達の動きが止まって戦闘が鎮まっていった。
「おのれ、卑怯な。退け!」
どこからともなく声がして、ゲリラ達は、森の中に散り散りに引き上げていった。
「すまんが、しばらく付き合ってもらうぞ。」
ハンは、ダンに声をかけた。
「ふん。分かってるよ。」
ダンは、そっぽを向いた。
そして、捕縛されたダンは、ケイの馬の後ろに両手を後ろに縛られたまま乗せられた。
「あんた、いい腕だが、姐さんには、敵わねえさ。」
ケイは、ダンに話しかけた。
「ふん、剣を弾き飛ばされるなんざ、生まれてこの方、初めてだ。とんでもないない奴に、一騎打ちを挑んだもんだ。」
ダンは、吐き捨てるように言った。
「でも、あんたのおかげで、同士討ちせずに済んだんだぜ。結果オーライだな。」
ケイは、笑っていた。
捕まるのは予定通りで、初めから負けるつもりだったが、実戦だったら、斬られて死んでいただろう。
ダンは、素直に負けを認めていた。
アンゼスでは、領主のリン・ミチカと指揮官に任命されたルーサーが、クレヴァンや側近達と執務室で会議をしていた。
そこへ、ハンの軍が国境に迫っていると報告が入ってきた。
「さて、今、迫っている軍は、ルーガンの先方隊です。それでも、アンゼスの守備隊より遥かに巨大な軍です。我々は、降伏します。これは、リン様もご承知の事。よろしいですね。」
ルーサーは、側近達を見渡した。
「不本意だろうが、従ってくれ。」
リンも一言だけ口添えをした。
「まずは、降伏の使者を立てます。私がクリーゼから連れてきました、このクレヴァンを遣わします。皆さんは、各部署に開城の準備に入ってください。ギーゲン公が入城された際に、さすが、テルプルと言われるように、城内を徹底的に清掃して、全ての武器は、武器庫に、整頓して保管してください。兵達の剣も全て没収して、自宅に待機させてください。住民は、逃げる者は逃げるように通達が出ていますから、すでに残る者しかいないはず。彼らも、自宅待機させてください。可哀想ですが、これに従わない者は、斬り捨ててください。」
ルーサーは、予め書いてきた書面を元に、皆に説明した。
「カーツ様のおられるクリーゼの籠城の準備が整うまで、戦って時間を稼ぐのではなく、迎え入れて時間を稼ぐ。そういう事だ。」
リンは、補足して、そう皆に説明をした。
「さすがは、リン様だ。その通り。まずは、国境の宿を接収して、ギーゲン公の仮の宿舎としましょう。向こうも警戒しておられるでしょうから、まずは、そこで、謁見をお願いしましょう。」
ルーサーは、ニコニコとリンを褒めた。
「分かりました。国境の上級騎士御用達の宿を接収しましょう。ルーガニアの宿の質より、こちらの方が、数段上のはず。手配いたします。」
側近の一人が発言した。
「それは、それは、ありがたい。では、あなたにお願いしましょう。カーツ様に機転の効く方がいらっしゃると、お伝えしましょう。カーツ様は、私のような下賤の者も取り立ててくださるお方。この難局を乗り切れば、きっと登用してくださるでしょう。」
ルーサーは、ニコニコと、その側近の手を握った。
「私は、ひいきにしております商人がおります。できうる限りの上質な寝具や家具を宿に用意させましょう。」
側近達は、先程までのルーサーを蔑んだ目で見たのを掌返しで、協力を申し出て、ルーガン軍をもてなす準備を急ピッチで始めた。
会議の後、リンは、尋ねた。
「私が、ギーゲン公をお迎えしよう。形にとしては、それが無難だろう。」
リンが、ルーサーに協力を申し出た。
「ありがたい事です。領主自ら、ギーゲン公をお迎えすれば、きっと、お喜びになるでしょう。」
ルーサーは、腰低く、頭を下げた。
「これで、テルプルは、助かるのか?」
リンは、呟いた。
「カーツ様を信じましょう。きっと何か策をお持ちのはずです。」
ルーサーは、ニコニコとリンに話した。
「分かった。では、それぞれ、手配にかかってくれ。クレヴァン殿、使者の方、よろしく頼む。」
リンは、そうクレヴァンに軽く頭を下げた。
「畏まりました。必ず、役目を果たします。」
クレヴァンは、そう言って、執務室を出た。
すると、ルーサーも追いかけて出て来た。
「降伏する事は、向こうは知らねえ。できれば、マイラに先に会えるといいんだが、できなければ、マイラに協力する意思を伝えてくれ。」
ルーサーは、クレヴァンに念書を渡した。
「分かった。」
クレヴァンは、直ぐに、馬に跨がり、城を出ていった。
「ハスウィン、籠城の準備は、どうなってる?」
クリーゼでは、カーツがハスウィンを呼んで話をしていた。
「食料の買い占めや、住民の誘導は、順調に進んでおります。」
ハスウィンは、そう報告した。
「よし、そろそろ、よかろう。50人ほど腕のある奴を選抜しろ。人選は、任せる。」
カーツは、そう耳打ちした。
「畏まりました。しかし、50人というのは…?」
ハスウィンは、首を傾げた。
「中途半端に奇襲しても、返り討ちに遭うだけだ。いいか、相手の懐に入り込むのよ。」
カーツは、ほくそ笑んだ。
「選抜したら、それぞれ、バラバラにクリーゼを出て、アンゼスに入る。ハスウィン、お前は、俺と一緒に、クリーゼを出る。影武者でジェニファーでも座らせておけ。」
カーツは、ハスウィンに命じた。
「分かりました。先に使いをアンゼスに走らせ、宿など、手配させます。」
ハスウィンは、そう引きつりながら答えた。
「いいだろう。任せる。だが、気取られるなよ。ルーサー達にも、ルーガンの連中にもな。」
カーツは、鋭い目で、そう言った。
「畏まりました。早速、手配いたします。」
ハスウィンは、早足で、執務室を出ていった。
「随分と楽しそうですわね。」
ジェニファーが控室から出てきた。
「聞いていたのか?」
カーツは、呟いた。
「私を影武者にしておけとは、男装でもさせるおつもりですか?」
ジェニファーは、嫌味っぽく話しかけた。
「冗談だよ。俺は、出陣するが、対外的には籠城だ。指揮を頼む。いかにも、俺は、やる気のないように見せかけてくれ。」
カーツは、真顔でジェニファーに頼んだ。
「分かりました。いずれにせよ、まともに戦っては、ルーガンの大軍には敵いませんからね。思うようにやってください。ただ、結果が良くても、悪くても、必ず、私の元へ戻って来てください。それは、約束してください。」
ジェニファーは、カーツを見つめて懇願した。
「分かった。約束する。」
カーツは、そう言って、ジェニファーにキスをすると、執務室を出ていった。
カーツが動き出した頃、クレヴァンは、馬上で、白旗を片手に持って振り、ハンの軍の先頭が見える位置に来ていた。
「私は、テルプルの騎士。クレヴァン・ドック。指揮官とお話ししたい。」
クレヴァンは、大声で隊列に向かって呼びかけた。
すると、合図が、かかって隊列は止まった。
そして、馬に跨がった騎士が近づいて来た。
「私は、ルーガン先行軍の指揮官、ハン・ゾウンだ。」
ハンは、馬上から、クレヴァンに相対した。
クレヴァンは、馬から降りると片膝を付いて、白旗を置いた。
「アンゼス領主、リン・ミチカの念書を持って参りました。」
クレヴァンは、念書を懐から出して、両手に持って、差し出した。
「ご苦労。」
ハンも、馬から降りると、念書を受け取った。
ハンは、念書を開いて、その場で読み始めた。
「なるほど、無条件降伏の申し出か?」
ハンは、クレヴァンに尋ねた。
「私は、念書をお渡しせよと命じられただけでございます。」
クレヴァンは、そう答えた。
「承知した。では、アンゼスへの先導を頼む。」
ハンは、クレヴァンを盾にしてアンゼスに進む事にした。
「すまんな。罠の可能性もあるからな。」
ハンは、後ろからクレヴァンに話しかけた。
「分かってます。ところで、マイラは、どうしてます?いるんでしょ?」
前を向いたまま、クレヴァンは、ハンに尋ねた。
「ジーマ、ルーシーを連れて来い。」
ハンは、馬で並走するジーマに声をかけた。
「分かりました。」
ジーマは、少し、渋い表情をして、後方に馬を走らせた。
「ルーシー。」
ジーマは、馬上から馬車の窓をノックした。
「はい。」
マイラが窓を開けて顔を出した。
「ハン様が、前に来いと言っている。」
ジーマは、そう言って、先に前に走って行った。
「乗せてってくれればいいのに。ケイ、代わって。」
マイラは、ケイに声をかけて馬を借りると、馬車の警備を頼んで、前方に走っていった。
「ハン様、何でしょう?」
マイラは、ハンに追いついて、尋ねた。
「お前に客だ。」
ハンは、前を走るクレヴァンを指さした。
「客?」
マイラは、馬を更に前へと走らせた。
「クレヴァン!」
マイラは、驚いて声をあげた。
「よお、久し振りだな。あん時は、悪かったな。」
クレヴァンが並走しながら言った。
「いや、それより、マチュアは、元気か?」
マイラは、尋ねた。
「ああ、俺達、結婚したんだ。」
クレヴァンは、照れながら話した。
「そうか、おめでとう。」
マイラは、微笑みかけた。
「ああ。」
クレヴァンも微笑んだ。
「それで、どうして、ルーガン軍の先頭を走ってるんだ?」
マイラは、尋ねた。
「降伏の使者だ。アンゼスは、ルーガンに降伏する。だが、俺達が降伏するのは、偽装だ。考えがあるなら協力する。」
クレヴァンは、少し、マイラに寄ってきて、耳打ちした。
「カーツ様の命令か?」
マイラもクレヴァンに耳打ちした。
「ああ。」
クレヴァンは、頷いた。
「ルーサーも来ているのか?」
マイラは、尋ねた。
「アンゼスの降伏の指揮を取ってる。」
クレヴァンは、簡単な言葉で答えた。
「分かった。アンゼスに着いたら、極秘に会えるように手配してくれ。」
マイラは、クレヴァンに頼んだ。
クレヴァンは、黙って頷いた。
マイラは、馬を減速させて、ハンとジーマと並走した。
「アンゼスに入ったら、ルーサーと会いましょう。」
マイラは、それだけ言って、後方に下がった。
「ケイ、ありがとう。」
代わろう、そう窓から言おうとすると、ケイとエリーザが、笑顔で話しているのを見て、そのまま、何も言わず馬に乗って、馬車と並走した。
ハンの軍は、アンゼスへと入った。
そして、クレヴァンに先導されて、アンゼスの城に入城した。
そして、ルーサーらに出迎えられて、ハンとジーマが、リンと会見する為に、来賓室に案内された。
ハンの軍は、城を固めるように警備についた。
マイラ達、衛生兵の馬車も城に入り、炊事場を確認した。
こうして、アンゼスは、無血開城という形で、ルーガンに降伏した。
この知らせは、それぞれの伝令によって、ルーガン軍本隊とクリーゼのカーツに伝えられた。
そして、ルーガン軍本隊は、大軍だけに隊列をしっかり組んで、ゆっくりとしたペースでアンゼスへと向かっていった。