6-4
ハービスは、静かに、マイラを見つめていた。
「しかし、あなたは、生き残った。それは、国王として、最も大事な事なのですよ。」
ハービスは、そう語りかけた。
「はい…。所で、お手紙の件ですが…。」
マイラは、話を切り出した。
「もう、私の命は、あと僅かだ。あれは、私の遺言です。」
ハービスは、少し、咳き込みながら言った。
「遺言だなんて…。でも、私には、分かりません。誰もが満足する平等な国。私には、到底、作れません。」
マイラは、自信なさげに、そう言った。
「意地の悪い遺言でしたね。マイラ様のお顔を見たら、気が変わりました。では、申し上げましょう。」
ハービスは、微笑んだ。
「誰もが満足する国など、作ることなどできません。」
ハービスは、そう言い切った。
「では、どうしたら国は、治まるのですか?」
マイラは、尋ねた。
「国には、大きく分けて、治める側と治められる側の人間がいます。それは、分かりますね。」
ハービスは、そう話し始めた。
「はい。大きく言うと、そうなると思います。」
マイラは、答えた。
「全ての人間が平等な権利を持つ国があったとしても、法が無ければ、力のみ世界になってしまう。だから、どうしても、治める人間と治められる人間は、できてしまうのです。」
ハービスは、そう付け加えた。
「はい。それは…、そうだと思います。」
マイラが、そう答えた所で、リーが、お茶を入れて、二人に、振る舞った。
「私は、外の風に当たっております。」
リーは、そう言って、ベランダに出て、イスに腰掛けた。
「さあ、いただきましょう。」
ハービスは、ゆっくりと、茶を飲んだ。
「うん、リー殿の茶も、これで、最後かもしれませんね。」
ハービスは、一口、一口、ゆっくりと味わっていた。
「そんな、寂しい事を言わないでください。」
マイラも、美味しい、そう声を漏らしながら、茶を飲んだ。
「そうですね…。さあ、続けましょう。治められる側を代表して、農民を挙げましょう。治める側の代表として、領主を、挙げましょう。農民には、領主に対して、直訴する権利を与えます。但し、直訴した者は、死罪。この意味が分かりますか?」
ハービスは、そうマイラに問いかけた。
「直訴を認めると、数の上では、圧倒的に多い農民が、領主に対して直訴ばかりすると、収拾がつかなくなり、暴動になるからという事でしょうか?」
マイラは、少し、首を捻りながら答えた。
「その通り。だから、死罪なのです。そうすることで、治められるという事を、農民に受け入れさせるのです。但し、直訴された領主は、市政を治める才覚がないという事で、解任され、次の領主が、その直訴の内容を把握し、治めていくのです。」
ハービスは、さらに、咳込みながら続けた。
「国というものは、豊作の時もあれば、凶作の時もあります。災害も起これば、他国から攻められる事もあります。国を治める者は、臨機応変に、税を取り、時には、民に、施しを与えていかなくてはなりません。逆に言えば、豊かな時に、財を蓄えたり、街を整備したり、新しい産業に投資したりと、いざと言う時の為に、多岐に渡って、準備をしていかなくてはなりません。直訴は死罪とは、治める者に対する戒め。そういう意味なのです。」
ハービスは、息を切らせながら、マイラに語りかけた。
「肝に命じます…。」
マイラは、感服した様子で、ハービスの話を聞いていた。
「この問答は、カーツ様にも、ルーサー様にも、申し上げておりません。何故だか、分かりますか?」
ハービスは、マイラに、微笑みかけた。
「どうしてでしょうか?」
マイラは、尋ねた。
「カーツ様は、豊かになる為には、手段を選びません。時として、何万人でも殺戮することも厭いません。ルーサー様は、慈悲深く、直接的な戦闘を好みません。ですが、人を陥れてでも、貧しさから脱し、自分が、一番、豊かになりたいという欲が、自身の根底にあります。だが、あなたは、苦しさに耐える力をお持ちだ。あなたなら、どんな苦しい場面でも、耐え抜く事ができるでしょう。そして、最後の最後まで耐え抜いた時、この戦乱の世は、終わりを告げるのです。あなたの命題で言えば、滝を斬る事ができるのですよ。」
ハービスは、そう言って、話を締めた。
「人の事は、よく分かりませんし、そこまで、イメージできませんが、私は、生き抜いてみせます。」
マイラは、そう言って、ハービスを見つめた。
「それを聞いて、安堵しました。喋り過ぎたついでに、もう一つ。これは、私の独り言としてお聞きください。」
ハービスは、微笑んだ。
「はい。」
マイラも、微笑みを返した。
「良いですか?もし、力ある者に難題を持ちかけられて、困ったら、東へ、東へと、お逃げなさい。決して、正面から、ぶつかってはなりません。ただ、雌雄を決しなければならない時が、必ず、訪れます。良いですね。本当に戦わねばならない時を、間違えてはなりません。」
ハービスは、そう言って、マイラに、言い聞かせるように諭した。
「はい。お言葉、胸に刻みます。」
マイラは、真摯に、その言葉を受け止めた。
「少し、疲れたようです。肩を貸していただけますか?」
ハービスは、よろよろと立ち上がろうとしてので、マイラは、ハービスを、支えて、ベッドまで付き添った。
痩せ細り、子供のような軽さのハービスを感じて、マイラは、胸が締め付けられる思いになった。
ハービスが、ベッドに横たわると、マイラは、毛布を掛けてやった。
「このような無礼をお許しください。」
ハービスは、そう侘びた。
「お気になさらず…。ゆっくりと、お休みください。」
マイラは、枕元で、ハービスに声をかけた。
「さあ、陽が落ちる前に、お発ち下さい。今日の事は、生涯、忘れません。どうぞ。お元気で、お健やかに。」
ハービスは、力なく挨拶した。
「はい。」
マイラは、リーに合図した。
リーも枕元で、ハービスに最後の挨拶をした。
「また、参ります。」
マイラが言うと、ハービスは、何度か頷いた。
マイラとリーが、帰っていくと、ハービスは、涙を流した。
「マイラ様、これで、お別れでございます。何としても、生き抜いて、天下泰平の世を、築いてくださいませ。」
ハービスは、涙を流しながら、呟いた。
これが、マイラと、ハービスの、最後の会話になった。
マイラは、その日の夜は、プリマーロの港近くの、リーの屋敷に泊まる事になった。
夜から雨が降り出し、海が荒れ出した為に、数日は、出港が遅れるという話だった。
部屋で休むマイラは、どこへともなく声をかけた。
「グレイ、いるのか?」
マイラは、尋ねた。
「おります。」
グレイが、姿を現した。
「私は、明日、リー殿の船で、ルーガニアに帰る。お前は、先にルーガニアに戻り、ハンに知らせよ。それから、フレッドも来ているのか?」
マイラは、尋ねた。
「はい。ハリー連邦の情勢を探らせております。」
グレイは、答えた。
「分かった。フレッドは、残して、情報を探らせろ。」
マイラは、そう命じた。
「畏まりました。しかし、航海の間が、心配ですが…。」
グレイは、呟いた。
「殺られているなら、行きの段階で殺られている。さあ、急げ。」
マイラは、そう命じた。
「畏まりました。」
グレイは、姿を消した。
そして、早速、大雨の中を、ルーガニアに戻って行った。
一人になったマイラは、ぼんやり、雨の港町を見つめていた。
すると、リーが、茶を振る舞ってくれた。
「すみません。」
マイラは、そう言って、茶を飲んだ。
「マイラ様…。ハービス様が、先ほど、息を引き取られたそうです。ルーサー殿の陣より、使者が伝えて参りました。私は、弔いに行って参ります。」
リーは、沈痛な顔で、そう報告した。
「そうですか。私は、行けぬ身ですので、ここで、冥福をお祈りいたします。」
マイラは、俯いた。
「はい。それでは、失礼致します。」
リーは、そう言って、部屋を出ていった。
「ハービス様…。」
マイラは、その夜、一人、涙に暮れた。