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今日は何を言い出すのだろう?
マイラ・マインは、森の中を、ため息をつきながら、祖父のリチャード・マインの後ろを歩いて行く。
真夏の日差しも、森の木々の緑が遮ってくれて、涼しげな風が時折、吹き抜けて行く度に、ザワザワと木々が騒いだ。
「ここは・・・。」
マイラは、周りを見渡した。
そこは、森の北の端にある小さな泉に小さな滝が落ちていた。
泉の水面には、強烈な日差しが乱反射して、光輝いていた。
「こんな所が森にあるなんて。」
物心ついた頃から16才になるまで、この森の中で過ごして来たが、こんな所があるなんて知らなかった。
「俺も、最近、見つけたのだ。さて、マイラ、今日からの特訓だが、この滝を切れ。小さな滝だ。ちょうどいい幅だろう。」
リチャードは、滝を指さして言った。
「はぁ?できる訳ないでしょ!じいちゃん、見本を見せてよ。」
マイラは、喰ってかかった。
「そんなもん、わしができる訳なかろう。もう季節も夏だ。風も引かんだろう。」
リチャードは、高らかに笑った。
「何、言ってるのよ。夏って言ったって、森の北側は、すぐに夏は終わってしまうんだから!どうせ、切るまで戻ってくるなとか言うんでしょ。」
マイラは、ブツブツとぼやいた。
森の北方には、山脈が連なっている。
森の北側と南側では、大きく気候に差があった。
「分かっておるなら聞くな。さっさと支度をせんと、日が暮れるぞ。」
リチャードは、そう言い残すと、さっさと帰って行ってしまった。
「あー!もお!」
マイラは、地団駄を踏んだ。
マイラは、幼い頃から、何かと言うと、特訓と称して、リチャードに森に連れ出された。
最初は、蛙を捕まえろから始まって、魚、野鳥、猪、そして、猛獣、年々、エスカレートしていく始末だった。
やむなく殺生したものは、食料にしたり、工芸品にしたりして生活の足しにしてきた。
当然、動物だけでなく、植物の採集も行ってきた。
やれ、森の奥の洞穴だの、崖っぷちに咲く花だの、とにかく危険な場所の植物や木ノ実を取りに行かされた。
食べられるもの、そうでないもの、薬になるもの、ならないもの、多種多様の植物を採集してきた。
それでなくても、何度も死にそうな目に遭ってきて、今度は何かと思えば、滝を切れ、まあ、命の危険が無いだけマシかもしれない、そう思いながら、マイラは、荷物を下ろした。
「とりあえず、テントか。」
マイラは、古びたテントを設営すると、中に荷物を置いて、着替える事にした。
そして、最近、更に大きくなった胸をサラシで強く巻くと、膝までの短いズボンに履き替えて、剣を背負って、再び外に出た。
マイラは、足の指先で水温を確かめると、そっと泉に足を踏み入れた。
心地よい冷たさだ。
深さも膝より少し下の辺りまでしかない。
深さを確かめながら小さな滝の下までやって来た。
「どうするのよ、これ?」
マイラは、刀を抜くと、滝の幅はちょうどマイラの肩幅くらい、横一文字に切ってみる。
「切れる訳ないでしょ、実際。」
しかし、リチャードのことだ。
切れなければ、ずっとここで生きていかなければならない。
もしくは、何かの暗示を解くか、いずれにしても、何か答えを出さなければならない。
幼い頃、逃げようとして、本当に殺されかけた事がある。
課題に対しては、何事も容赦がない。
とにかく、何とかしなければならない。
気合で、何とかならないか。
マイラは、闘う姿勢で剣を構えると、闘志を剥き出しにして、上段の構えから、斜めに滝を切ってみた。
手応えは全く無い。
ただ、滝は、涼しげに、サラサラと落ちていくだけだ。
マイラは、何度も滝に立ち向かう。
上から、横から、下から、どう切っても、滝が切れるはずがない。
「ん?」
鳥の鳴き声が止んだ。
マイラは、滝を背にして五感を研ぎ澄ました。
「来る・・・。」
茂みから足音が聞こえる。
「気づかれた・・・。」
マイラは、剣を右手で構えながら最短距離で陸に移動する。
水の中では、動きが鈍る。
急に足音が聞こえなくなった。
茂みの中から、獲物を狙っているのだろう。
もちろん、今回の獲物は、マイラ自身だ。
「ダメだ。間に合わない。ここで、動いたら、殺られる。」
僅かだが、陸地に届かない。
できれば、地に足をつけて闘いたかったが、ここで対峙するしかない。
マイラは、剣を両手で構えながら、姿勢を低くした。
「近くにいる。」
マイラが、そう感じた瞬間、マイラの側面の茂みから、ヒョウが飛びかかって来た。
しかし、ヒョウは、マイラに到達することなく、そのまま水際に落ちた。
マイラが振り向きざまに、下段から、ヒョウの喉を斬り裂いたのである。
あまりに鋭い太刀さばきに、ヒョウが落ちて、しばらくするまで、流血しなかった。
「許せ。」
マイラは、水から上がると、茂みの大きな葉で血のついた剣の刃を拭くと、ヒョウの死骸を茂みに引きずっていくと、携帯ナイフで食べる事のできる部分の肉をさばくと、木の枝に刺して、焼くことにした。
夏の暑い時期だから、一食分の肉しか確保できない。
残りは、キツネやコヨーテの食料になるだろう。
とりあえず、泉の水を汚さなくて良かった。
マイラは、薪を集めると、火を起こして、肉を焼いた。
リュックに入れてきた缶詰は、非常食なので、とりあえず、食料を一食分の食料を確保できたのは大きい。
残酷に思えるかもしれないが、これがせめてもの償いだった。こういった食物連鎖の命のやり取りを学ぶ事も、リチャードの狙いだった。
「陽も傾いてきたなぁ。夜風も少し、冷えるようになってきた。」
マイラは、焼けた肉を食いちぎりながら、焚き火を眺めた。
次第に、夜が更けていく。
やがて、頭上には、満天の星空が広がって来ていた。
夜の森で、火は生命線だ。
テントで眠って夜明けまで、火は欠かさないようにするのが鉄則だ。
「それにしても、滝を切るって。」
マイラは、ぼやいた。
食事を済ませてゴミ捨て用に掘った穴に残飯を捨てると、茂みで用を足して眠る事にした。
用を足す時は、最も危険だ。
火の近くで、しかも気配を消せる茂みが必要である。
恥ずかしいとか、そんな事は言ってはいられない。
そして、野外での特訓中で、一番、最悪なのが、風呂に入れない事だった。
当然、風呂なんて気の利いた物はないから、泉で水浴びをするしかない。
これも、明るい時でなければ危険だ。
用を足す時と同様、裸を見られるのではないかとか、恥ずかしいとか、言ってはいられないのである。
ただ。基本的には、獣の方が人間を恐れている。
あからさまに存在感を出しておけば、襲われる事は少ない。
逆に、獣自身が危険を感じると襲ってくる。
昼のヒョウも身を守るために襲って来たのだろう。
マイラは、粗末な寝袋に身を包むと、瞬殺で眠ってしまった。
起きては滝を斬る為に対峙し、食料を確保しなから、生活する。
そんな毎日を二週間、そろそろ、夏も終わりかけてきた頃だった。
「雨・・・。」
明け方、マイラは、雨の音で目を覚ました。
焚き火の火は、雨に打たれて消えてしまい、煙が、燻っていた。
雨か降る日は、肉食動物は、雨を避けて、どこかに潜んでいる。
草食動物たちが、のんびりと草を食べたり、泉などに、水を飲みにやってくる。
ただ、ゲリラ豪雨がやってくると、森は静まり返る。
何もかもが、どこかに身を潜めて、豪雨が去るのを待っているのである。
「ちょうどいい。」
ほどよい雨だ。
マイラは、外に出ると、全裸になって水浴びをした。
「おかしい・・・。豪雨でもないのに草食動物たちが気配を消している。」
マイラは、慌ててテントに潜って、着替えを急いだ。
そして、剣を、背負うとテントの入口から外を覗いた。
「何かが西に移動している。馬の群れ?」
マイラは、馬が走っていく方向を耳で感じていた。
「家の方だ。」
マイラは、テントを飛び出すと、家の方へ走り出した。
「ここからは歩いていくぞ。ここなら奴も気配に気づくまい。」
ハン・ゾウンは、精鋭の5人の部下たちに命じた。
「もう少し近づいてからでも良いのではありませんか?お頭。」
部下の一人が進言した。
「いや、雨が降っていなければ、ここからでも気づかれる。油断するな。」
まだ、人の足では30分はかかる距離であるが、ハン・ゾウンは、かなり警戒している様子だった。
彼は、厳しい口調で、気配を消せと命じて、リチャードがいるマイラの家へ向う事にした。
ハン・ゾウンの一団は、木に馬を繋ぐと、散開して、気配を消しながら、ゆっくりと西へ進んでいく。
少し進むと、いつの間にか、部下の姿が一人消えていた。
「いるぞ、気をつけろ。」
ハン・ゾウンが合図した時には、残りの4人も瞬殺されて、草むらに姿を消していった。
「小細工は通用しないという事か?」
ハン・ゾウンは、呟いた。
「俺は、ここだ。リチャード・マイン。」
ハン・ゾウンは、気配をあからさまに出して周りを見渡した。
「久し振りだな。」
リチャードは、スッと草陰から姿を現した。
「白髪混じりになっても腕は健在だな。リチャード・マイン。精鋭とは言え、まだ若造だぞ、容赦なしか?」
ハン・ゾウンは、剣を鞘に納めた。
「あれから10年も経ったのだ。俺も年を取った。白髪の一つも生えるし、手加減していては、こちらが殺られるというものだ。」
リチャードも剣を鞘にに納めた。
「まあ、それは、俺も同じだがな。しかし、よくもまあ、こんな森の中で10年も隠れていたものだ。探すのに苦労したよ。」
ハン・ゾウンは、そう小さく笑った。
「もう、サリバーは、滅んだ。もう、よかろう。このまま、死んだ事にしておいてくれんか。なあ、ハンよ。」
リチャードは、頭を下げた。
「すまんが、そういう訳にはいかんさ。まあ、それができれば、これから再会を祝して、二人で酒でも酌み交わしているというもの。」
ハン・ゾウンは、再び剣を抜いた。
「だな。」
リチャードも剣を抜いた。
二人は、同時に中段から斬りかかった。
互いに手応えはあった。
「く!」
ハン・ゾウンは、右の脇腹を押さえている。
衣服が切れ、軽く血が滲んでいる。
リチャードも右の脇腹を押さえているが、こちらは深手だ。
片膝を地につけて、痛みに顔を歪めている。
「お前が去った後も、俺は、戦場で戦い続けてきた。だが、お前は、隠遁してからこれまで、常に守りに備えているだけだった。その差が出たのだ。」
ハン・ゾウンは、リチャードを見下すように見据えると、そう告げた。
「そうではないぞ。」
リチャードは、痛みに耐えながら、ハン・ゾウンを見上げ、そして、睨んだ。
「何?」
ハン・ゾウンは、怪訝な顔をした。
「俺は、お前を斬れなかった。ただ、それだけだ。」
リチャードは、そう呟くように言った。
「負け惜しみを!」
ハン・ゾウンは、刀を振り下ろした。
リチャードは、抵抗することなく、肩口から斬られて、その場に倒れ込んだ。
マイラは、馬の蹄の跡を追って、雨の中を全速力で駆けた。
「これは・・・。」
大きな木の幹に、馬が六頭、繋いである。
人の足跡が、家の方へ向かっている。
この足跡は、軍が使っている靴の跡だ。
「どうして、軍が…?」
マイラは、一番相性が良さそうな馬に跨ると、家に向かって、再び、駆け出した。
しばらく走り続けると、マイラは、馬を止めた。
「斬られている。」
マイラは、馬を降りて、辺りを調べた。
そこには、ハン・ゾウンの5人の部下たちの骸が、あちらこちらに横たわっていた。
「5人も斬られている。しかも、一太刀で…。この太刀筋は、じいちゃんの…。闘ってる?あと一人と?」
マイラは、死体の数を数えると、また馬に跨って、家に向かって駆けた。
「残りの一人、足跡もない。何なの?」
マイラは、色々な思いを巡らせる。
「そんな奴だったら、気配を消して行っても、どうせバレる。だったら!」
マイラは、全速力で馬を走らせて、突っ込んで行った。
そして、草むらから家の前に一気に飛び込んだ。
「じいちゃん!」
マイラは、馬から飛び降りた。
「ほお、度胸がいい。」
ハン・ゾウンは、マイラを見据える。
「マイラ!技は完成したのか?」
倒れ込んだままリチャードは、マイラに尋ねた。
「そんなの、まだに決まってる。じいちゃんが危ないと思って、戻ってきたんだよ。」
マイラは、こんな時に何を言っているの、そんな顔をした。
「馬鹿者、修行の途中で戻ってきよって。」
リチャードは、呟いた。
「話は終わったか?」
ハン・ゾウンは、倒れているリチャードを横から蹴り飛ばした。
リチャードは、呻きながら、その勢いでゴロゴロとボロ雑巾のように転がっていった。
「じいちゃん!」
マイラは、リチャードに駆け寄って、ハン・ゾウンの前に立ち塞がった。
「じいちゃん?そうか。あなた様は、ご自分が自給自足の年寄りの孫とお思いか?」
ハン・ゾウンは、片膝を付いて、左手に持った剣の先を後ろに向け、右手を左の胸に当てた。
「何なの?」
マイラは、呟いた。
「まあ、このまま、天に召された方が、幸せかもしれません。苦しまずに送って差し上げます。」
ハン・ゾウンが、スッと立ち上がって斬りかかる。
それをマイラは、避けながらハン・ゾウンの剣を自分の剣で弾き返した。
「何という不幸な事だ。リチャード、貴様、姫君に剣術を教えたか?可弱いままなら、苦しまずに天に召されたものを。」
ハン・ゾウンは、首を横に振りながら、斬りかかって来る。
気配を感じないまま間合いを詰められて左胸を貫きにかかってきた。
マイラは、自分の剣で弾きにかかるが間に合わない。
「!やられる!」
ハン・ゾウンの剣の切先がマイラの左胸に突き刺さった。
マイラが剣を、落として後ろに仰け反る。
「マイラぁ!」
リチャードは、その光景の精神的な衝撃と、斬られた肉体的な痛みが頂点に達して、意識を失った。
「姫君、苦しまずに逝きなされ!」
ハン・ゾウンが剣を両手で持って胸から背中へ貫こうと左胸に剣を押し込む。
「!」
その瞬間、ハン・ゾウンは、予期しない痛みを左の横腹に感じて、体から力が抜けていくのが分かった。
そして、視線を下に落とすと、土が流血で、どす黒く染まっていくのが見えた。
再び、視線を脇腹に移すと、マイラが忍ばせていた調理用のナイフが、自分の脇腹に刺さっていた。
「うぉ!」
ハン・ゾウンは、剣から手を放して、マイラを突き飛ばすと脇腹にナイフが刺さったまま、後ろに倒れ込んだ。
マイラは、後ろに倒れそうになったが、踏ん張って立ったまま、自分の左胸に完全に刺さっている剣を、両手で抜こうとするが、しっかり突き刺さっていて、なかなか抜けなかった。
「ヨイショっと!」
マイラは、剣を抜くと、脇腹を押さえて座り込んているハン・ゾウンの方へ剣を放り投げた。
「確かに胸を刺したはすだ。」
ハン・ゾウンは、マイラを睨んだ。
「フォグラ芋の胸当てよ。」
マイラは、衣服をずらしてハン・ゾウンに胸元を見せた。
「ふん、リチャードの入れ知恵か。フォグラ芋の感触は皮膚の感触と似ているからな。」
ハン・ゾウンは、胡座をかいて吐き捨てるように呟いた。
「行きなさい。医者に診てもらうまで、ナイフ抜いちゃ駄目よ。」
マイラは、剣を拾うと鞘に収納した。
ハン・ゾウンは、剣を拾って、それを杖の代わりにして、フラフラと立ち上がった。
そして、マイラが乗ってきた馬に跨ると、何も語ることなく、静かに背を向けて草むらに消えていった。
マイラが、リチャードを抱き起こすと、リチャードは、うっすら目を開けた。
「姫様、身分を偽ってきた罪、お許しください。」
リチャードは、かすれた声で告白した。
「何を言ってるの?じいちゃん。しっかりして。」
マイラは、泣くのを我慢してリチャードに声をかけた。
「私は、あなた様の守役に過ぎません。ここも危険になってきました。お逃げください。」
リチャードは、目を必死に開けながら話した。
「とにかく、一緒に。」
マイラが言うと、リチャードは、首を横に振って、マイラを制して、最期の力を振り絞って、胡座をかいた。
「もお、私は、あなた様と共には行けません。森を抜け、西へ逃げるのです。そして、平穏に生きるのです。姫様、あなたは・・・。」
リチャードは、ガクッと倒れそうになり、マイラは、抱きかかえた。
「じいちゃん、じいちゃん!」
マイラは、リチャードを揺すった。
しかし、リチャードは、その後、言葉を発する事はなかった。
リチャードは、静かに息を引き取った。
「じいちゃん・・・。」
マイラは、リチャードの亡骸を自宅だった小屋に運ぶと、小屋ごと火をかけて、リチャードを葬った。
「じいちゃん…。私は、何なの?」
マイラは、雨に逆らって天高く昇っていく炎と煙を見上げた
マイラは、小屋が焼け落ちるのを見届けると、再び、森の中へ歩き始めた。
雨は、まだ降り続いていて、森に火が回る事はない。
マイラは、そんな事を考えながら、森を進んだ。
そして、馬たちが繋がれていた場所まで戻ると、綱を解いて逃してやって、それを見届けると、更に森の奥へ進み、泉まで戻って来た。
一晩、テントで過ごして、夜が明けると共に出かける事にした。
目が覚めると、一降り続いた雨は、朝には止んでいた。
テントを片付け、リュックの上にくくりつけて背負うと、小屋に残っていたパンをかじりながら、西に向かって歩き始めた。
森の西には大きな町があるとリチャードから聞かされた事があったが、何せ生まれてこの方、森から出た事が無い。
ただ、定期的に町からやって来るリチャードの知り合いという女性が、勉強を教えてくれた。
この女性を、マイラは、先生と呼んでいた。
リチャードが、そう呼ぶように言ったからで、マイラは、この女性の名前さえ知らなかった。
滝を切る修行が終わったら、また来てもらうとリチャードは、言っていたが、とりあえず、この女性しか知り合いが思いつかない。
マイラは、とりあえず、町へ行って、彼女を探してみよう、そう思った。
森を出ると、強い日差しが照り付けていた。
目の前には、広大な草原が広がっていて、町へと繋がる一本道が延々と伸びていた。
どうやらこの森は、西の町と東の町との堺に広がっていているようだ。
森は、ほどよく太陽の光を吸収してくれて、とても涼しかったが、森を出ると、一気に直射日光に晒されて、マイラは、眩しくて目を細めた。
そして、手ぬぐいを三角巾のように頭に巻いて、帽子代わりにした。
そして、西へ西へと歩いて行った。
「外の世界が、こんなに日差しが強いなんて・・・。眩しい。」
マイラは、目を細めて空を見上げた。
先生の話では、森から町までは、歩いて半日かかるという話だったから、夜までには辿り着けるだろうか。
マイラは、ただ、黙々と歩いて行った。
自分が何者であるのか、どうするべきなのか、どうしたらいいのか、全く分からない。
思いついたのが、先生を尋ねるというだけで、それが正解とも思えない。
歩けば歩くほど、マイラの頭の中に、色々な思いが錯綜して、何度もエンドレスに考え続けた。
途中、食べれそうな木ノ実を見つけて食べたり、湧き水で喉を潤したりと、リチャードのおかげで、特に飢えを感じる事なく、太陽が沈みかけた頃には、町の近くまでやって来た。
特に堀も、壁も、関所もなく、簡単に町に入れた。
町の名は、アンゼス。
テルプルという小国の東の端にあたる都市である。
元々は、サリバーの都市だったが、サリバーが滅んだ後は、テルプルの統治を受けていた。
「夜なのに、明るい。それに、こんなに人がいるなんて。」
マイラは、初めて見る町の姿に、驚いていた。
宿に泊まる程のお金もないので、町の外れの河原でテントでも張ろうかと、人混みを搔き分けながらメインストリートを歩いて行くと、何か騒ぎが起こっているようで、人集りができていた。
「貴様、俺の財布から金を盗んだだろう。」
騎士の男が、マイラと同じくらいの年格好の少年を突き飛ばした。
「俺だって下級だけど騎士の端くれだ。そんな盗人のような事はしねえ。」
尻もちをついたまま、その少年は言い返した。
「お前が騎士だと?馬の世話役風情が偉そうな口を叩くな。」
男は、少年に怒鳴り散らすと、蹴りを食らわした。
少年は、横に転がりながら倒れた。
「やめろ。無くなった金はいくら?」
マイラが少年の前に飛び出た。
「何だ、お前は?1000ゴルドだ。」
男は、マイラを睨んで凄んだ。
「そうか、そこに、これが落ちていたぞ。」
マイラは、100ゴルド金貨を10枚、手のひらに乗せて、男の眼の前に見せた。
「何?」
男は、訝しげな顔をした。
「何だ?その顔は?無くなったのだろう?金が。」
マイラは、氷のような冷たい視線で男を睨んだ。
「す、すまんな。」
男は、マイラのチラつかせた金を引っ張り取るようにして懐に入れると、そそくさと去っていった。
「大丈夫か?」
マイラは、少年に手を差し伸べた。
「ありがとう。助かったよ。」
少年は立ち上がった。
「ケガはないようだな。それじゃあ。」
マイラは、少年が何か言いかける前に、その場を立ち去った。
とにかく、他人に関わるのは極力、避けたい、面倒なだけだ、マイラは、そう思いながら河原の方へ進んていった。
マイラは、焚き火をしながら、町外れを流れる川を眺めていた。
後は、テントの中に潜り込んで眠るだけなのだが、やはり、これからどうしたものかと考えてしまう。
「それにしても、夜だと言うのに、明るすぎる。」
物心ついた頃から森で生活してきたマイラに取って、夜の灯りは、月と星の淡い光と、小さなランプの灯りだけだった。
それがどうだ。
町は、灯りの光で溢れていた。
月の光は、辛うじて感じるが、星の光は、まるで感じない。
マイラにしてみれば、違和感でしかなかった。
「オーイ。」
遠くから自分の方に声をかけてくる者がいる。
マイラは、その声に背を向けて、いつでも剣を抜けるような体勢を取った。
「オーイ。」
しつこく、呼びかけて来る。
どうやら、さっき助けた少年のようだ。
走りながら、どんどん近づいてくる。
「聞こえている。それ以上、近寄るな。」
マイラは、剣に手を添えて、少し距離を取った位置で少年の方を向いた。
「何だ、聞えてるんじゃねえか。」
少年は、その場に座って懐から紙包を出した。
「俺はルーサー・パンって言うんだ。さっきは、ありがとな。」
ルーサーは、包を開けた。
包の中身は蒸しパンが2個だった。
「こんなもんしかねえが、せめてもの礼だ。」
ルーサーは、蒸しパンを1個掴むと、まず自分が頬張った。
「毒なんか入ってねえよ。ほれ。」
ルーサーは、紙包ごとマイラに手渡した。
「私は、マイラ・マイン。ありがとう。いただくよ。」
マイラは、とりあえず受け取る事にした。
ルーサーは、マイラの側まで行くと、焚き火を挟んで向かい側に座った。
「一つ、聞いていいか?」
ルーサーは、蒸しパンを頬張りながら尋ねた。
「何だ?」
マイラも蒸しパンをかじった。
「あの金は、お前のもんだろ。あいつは俺に言いがかりをつけてきただけで、本当に金を落とした訳じゃねえ。」
ルーサーは、怒りを込めた口調で、吐き捨てた。
「あいつの目的は、お前を挑発して逆に斬るのが目的のように感じた。騎士同士は、身分の上下に関わらず、互いに刀を抜いたら決闘になるのだろ。見た所、お前は剣の腕は無さそうだったしな。どっちにしても、あんな奴は、闘うに値しないと思っただけさ。」
マイラは、微笑んだ。
「そうか、それは、とんだ場面に出くわしちまって、すまなかったな。俺は、騎士と言っても、アンゼスの城で下働きをしている身分でな。いつもあの男にいびられていたんだ。運の悪い事に町で鉢合わせになっちまって、ご覧の通りの有様って訳だ。」
ルーサーは、愚痴っぽく呟いた。
「そんな事を、わざわざ言いに来たのか?」
マイラは、冷たく答えた。
「あぁ、すまんすまん。何か礼をしたいと思ってな。何でも言ってくれ。」
ルーサーは、満面の笑みを浮かべて尋ねた。
「礼?礼なら、今、蒸しパンをもらった。」
マイラは、素っ気ない。
「そんなんじゃなくて、何か無いのかい?」
ルーサーは、前のめりで尋ねた。
「そうだな。あ、私は人を捜している。20代位の女性で先生と呼んでいた。容姿は整っていて背は高い方だった。教会のシスターの格好をしていたが、本当に、シスターかは、分からない。後は、定期的に東の森に来ていた、その位しか情報がない。」
マイラは、淡々と話した。
「よし、分かった。当たってみる。」
ルーサーは、立ち上がると、一目散に走って行った。
「おかしな子だな。」
マイラは、くすりと笑った。
翌日、マイラは、早速、先生捜しの為に町に出た。
汚い身なりでは相手にされないと思い、川の水を汲んできて、人目に付かないように水浴びをして、一番、まともそうな衣服に着替えた。
そして、サラシを胸にまいて、長い黑髪も洗ってポニーテールにしてまとめた。
こんな物、盗みもしないだろうと思い、貴重品だけ持って、テントはそのままにして行くことにした。
ただ、捜すと言っても、何かあてがある訳でもなく、ただ、一日中、通りを歩いているだけだった。
何日か、そんな生活を続けていたが、情報が漠然としていて、情報は、得られなかった。
「マイラ、お前の捜してる先生、分かったぞ。」
ルーサーが、どこからともなく現れて、マイラに声をかけてきた。
「え?本当に?」
マイラは、驚いた顔で尋ねた。
「ああ。東の森はルーガン王国との国境だし、森の中に女一人で行くなんて酔狂な奴、目立たないようにしてても目立っちまうのさ。」
ルーサーは、得意げに語った。
「お前、凄いな。」
マイラは、感心していた。
「ほら、あの丘の上に教会があるだろ。そこのシスターの一人だ。訪ねてみな。」
ルーサーは、教会の方を指さした。
「ありがとう、行ってみるよ。」
マイラは、笑顔を見せた。
「これで借りは返したぜ。また、どっかで会ったら声をかけてくれよ。」
ルーサーは、握手を求めた。
「うん、分かった。」
マイラも握手に応じた。
ルーサーは、どこへともなく走り去って行った。
マイラは、それを見送ると、河原に戻って荷物をまとめると、早速、丘の上の教会を目指した。
丘を上がって行くと町の雑踏が遠ざかって、蝉の鳴き声だけが響いてきた。
時折、木々の間を風が通り抜けて来ると、一瞬だけ、森にいた頃を感じる事ができた。
「すみません。」
マイラは、教会の入口までやって来ると、ドアを叩いた。
「はい。」
中から返事がして、ドアが開いた。
「先生!」
中から出てきたのは、先生だった。
「マイラ!」
先生は、慌てて外に出てきた。
「どうしたの?あなたは修行ではなかったの?」
先生は、尋ねた。
「じいちゃんが殺されて、森を出てきました。頼る場所も無いので、先生に相談しようと思って、捜していました。」
マイラは、ホッとして泣きそうなのを我慢して、話の脈絡も気にせずに、まくしたてるように話した。
「ちょっと待ってて。」
先生は、マイラを外に待たせて教会の中に一旦、入ると、他のシスター達に事情を話しているようで、しばらくしてから出てきた。
どうやら、他のシスター達に、一旦、別の場所に移動してもらったようだった。
マイラに一礼して、シスター達が、丘を下りていった。
「待たせて、ごめんなさいね。さ、とりあえず、私の部屋に。」
先生は、教会の裏にある寮にマイラを案内すると、周りを気にしながら自分の部屋に招き入れた。
「さあ、座って。あなたは、分かっていないかもしれないけれど、あなたが私に会いに来るという事は、とても危険な事なの。だから、他のシスターたちには、別の教会に移動してもらうようにお願いしたの。この敷地には、私とあなたの二人だけ。恐らく、あなたは狙われている。時間がない、まず、何が起こったか話して。」
先生は、マイラを椅子に座らせた。
先生は、マイラが森を脱出してきた経緯を尋ね、静かに聞いていた。
「そお。それは、残念な事でした。でも、家臣として、立派に任務を全うしてくれました。」
先生は、涙をハンカチで拭いながら何度も頷いた。
「家臣?あの、一体、私は?」
マイラが、そう言いかけた所で、先生は、手でストップをかける仕草をした。
「私は、メリッサ・マインと言います。リチャードの娘です。」
メリッサは、そう静かに答えた。
「え?じいちゃんの?」
マイラは、驚いた顔で言った。
「元々、父は、ビューラー家の宿老でした。そして、あなた様は、ビューラー家が王を務めたサリバー王国の姫君、マイラ・ビューラー様なのです。ですが、サリバーは、東のルーガン王国と西のテルプル王国に挟まれた小国で、常に両国から狙われていました。そして、あなた様が4才の頃に国内で謀反が起こり、それに乗じて、ルーガンが侵攻してきたのです。結局、サリバーは、ルーガンに併合されました。そして、西から援軍と称して侵攻してきたテルプルと、ぶつかり、あの森を境に、睨み合いが続いているのです。父は、あなた様の命だけは救いたいという、サリバー国王と王妃の願いに応え、負け犬の汚名を甘んじて受けて、学友として選ばれていた私と共に城を脱出したのです。しかし、あなた様の生存がルーガンに知られてしまったのでしょう。それで、刺客が送られたのだと思います。」
メリッサは、これまでの流れを説明した。
「でも、どうして?もう国は滅びたのよ。今更、どうして私の命を狙うの?」
マイラは、悲痛な顔で尋ねた。
「サリバーの残党は、あちこちでルーガンに抵抗していて、その裏で、テルプルが手を貸している。ルーガンは、西へ領土を拡大したくて仕方がない。もし、ビューラー家の忘れ形見が生存していて、旗印になると事が大きくなる。だから、内々に始末しようと考えた、そんな所でしょうね。」
メリッサは、冷静に答えた。
「そんな、そんなの何か間違いよ。私の両親は、下級の騎士と妻で、じいちゃんも昔は下級の騎士だったって。」
マイラは、現実逃避しようと、喚いた。
「あなたの剣をご覧ください。」
メリッサは、マイラの剣を指さした。
「え?」
マイラは、剣をメリッサに渡した。
「ほら、柄に蓋のついた部分。取ってみてください。ネジになっていますから。」
メリッサは、マイラに指示した。
「え?これ取れるの?」
マイラは、蓋を回してみた。
固まってしまって、なかなか取れなかったが、クルッと一瞬、動くと、後は、簡単に回った。
「これは・・・。」
そこには、金と宝石で細工されたビューラー家の紋章が輝いていた。
「これは、あなたのお父様の形見の品。受け入れていただく他ありません。」
メリッサは、跪いて、胸に手を当てた。
「先生、やめてよ。」
マイラが手を差し伸べた時、メリッサがマイラに、覆い被さるように飛びかかった。
「何?」
マイラは、何が起こったか分からなかった。
「メリッサ!」
マイラがメリッサを抱き起こすと、メリッサの服の背中が、斜めに切られ、徐々に鮮血で染まって、体を伝って、床に流れ出した。
マイラが視線を上に向けると、黒装束に身に纏った男が、一人、血のついた剣を持って立っていた。
「どうして?こんな酷い事を…。」
マイラの手が、メリッサの血で、どんどん染まっていった。
男は、何も答えなかった。
「姫様、お逃げください。テルプルへ。テルプルに向かうのです。」
途切れ途切れの声で、メリッサは、マイラに逃げるように訴えた。
「先生も、先生も一緒に。」
マイラは、メリッサの前に立ち塞がって、背負った剣を鞘から抜いた。
その瞬間、男が、無言で剣を、上から振り下ろしてきた。
それを下から弾き返して、少し態勢を崩した男を縦に一刀両断した。
男は、その場に崩れ落ちた。
二人目が窓から入ろうとしているのを見て、マイラは、正面から顔面に蹴りを入れて、後続の兵達諸共に突き落とした。
「先生、さあ逃げましょう。」
マイラがメリッサの肩を支えて立ち上がろうとした。
「私はもういけません。さあ、早く。逃げて。」
メリッサは、最期の力を振り絞ってマイラを部屋の外へ突き飛ばすと、すぐにドアを閉めて鍵をかけた。
「先生、開けて。先生!」
マイラは、外からドアを叩いた。
「刺客が迫っています。火をかけますから、そのすきに。早く!」
メリッサは、ランプの火をベッドの布団につけた。
炎は、一気に拡がった。
「先生!」
マイラは、叫んだ。
部屋が炎に包まれ、一気に炎が吹き出していた。
マイラは、涙を流しながら裏口に向かって走り出した。
どこからともなく侵入してきた兵たちを斬り倒しながら、一心不乱に走った。
裏口から飛び出そうとした瞬間、建物の一部が崩れ始め、それに体当りするように外へ転げ出た。
炎は、またたく間に建物全体に拡がって、結果的に追っ手を足止めする事になった。
マイラは、体中の痛みを堪えながら立ち上がると、足を引きずりながら、丘を下った。