少しだけ過去のことを思い出しました
王宮の外に逃げてきたのはわかった。でも、今どこを歩いているのかまではわからない。途中で移動のスピードを緩めたのに気付いてはいたけど、とても顔を上げる気力がわかなかったから。
「エマ! 良かった……無事に連れ帰れたようだな」
そんな私の耳に、アンドリューの声が届く。そっか。来てくれていたんだね。でも、返事をする気力がない。
「……どうした? どこか怪我でもしたのか?」
「怪我は手首が腫れているとか、ちょっとした擦り傷程度ですが……いや、それでもエマ様の柔肌に傷を付けるなどと万死に値しますが今はそれどころではありません」
シルヴィオが僅かに殺気のようなものを放った気がしたけれど、それはすぐに私への気遣いへと変わる。心配されているのはよくわかった。
「エマ……? 何があった? 話してもらえないだろうか。力になりたい。その、危険な目に遭わせてしまってこんなことを言えた立場ではないのだが」
そんなことない。私が勝手に動揺して、一瞬でも一人になってしまったのが悪かったのだ。シルヴィオだって悪くないし、ましてやその場にいなかったアンドリューは何も悪くない。
隠れ王宮へと連れてこられたのは私の落ち度だし、謝らなければいけないのは私の方。
教会にも迷惑をかけちゃったな。シスターは無事だろうか。アンドリューがいるのなら、その心配はないだろうけど……怖い思いをさせてしまった。合わせる顔がないや……。
頭の中では色々と考えられるのに、どうしても会話する気になれない。アンドリューとシルヴィオを困らせているのはわかるんだけど……。もう少し、気持ちの整理がしたかった。
「マリエ様が、いらっしゃいました」
「! そう、か。隠れ王宮にいたのか……」
私が話せる状態じゃないことを気遣ってか、シルヴィオが説明をしてくれた。
アンドリューは息を呑んだけど、すぐに納得したように小さく頷く。もしかして、ずっと探していたのかな。
「不思議なんですよね。オレたちは確かにマリエ様に封印されてこうして最近、エマ様に解放してもらったのですが……。どうしてそんな状況になったのかが曖昧で、思い出せないのです。それまでのことや、禍獣の王との戦いは覚えているのに。確か、かなりダメージを与えたと思ったのですが」
思い出せない……? 他の幻獣人もそうなのかな。てっきり、お姉ちゃんが水晶の中に閉じ込められた経緯をしっているものかと思っていたのに。これじゃあ、事情を聞けないかな。
「……姉、でした。前聖女は、マリエちゃんは、私の姉なんです」
シルヴィオが話してくれたことで少し落ち着いたから、少しずつ話すことにした。
私の明かした事実を聞いて、アンドリューは驚愕に目を見開く。シルヴィオも改めて聞いて、痛まし気に眉を顰めた。
「ずっと、家族のことは何も思い出せませんでした。でも、時々夢で見る女の子がいて……。彼女が姉だって思い出したのは最近で。夢で顔を見たのもついこの間だったんです」
アンドリューは黙って私の話を聞きながら、難しい顔で腕を組んだ。考えごとをしているみたい。
「まだ、思い出せないことの方が多いんですけど……でも、マリエちゃんが私の姉であることは間違いないです。その、血は半分しか繋がってないんですけど」
「半分?」
そこで初めて聞き返してきたアンドリューに一つ頷く。そう、マリエちゃんと私は母親が違う。私は、父が不倫して出来た子どもなのだ。
実の母親のことは知らない。どんな事情があったのかは知らないけれど、まだ赤ちゃんだった私をある日、父が家に連れ帰ったんだって聞いてる。
マリエちゃんのお母さんは、それはそれは怒ったって。……当然、だよね。私のことも、たぶん憎く思っていたんじゃないかな。
それでも、父がいる間は何ごともなく生活が出来ていた。だけど、私が小学生に上がる前だったかな……父が事故で亡くなった。
それから義母は、私のことが邪魔で邪魔で仕方なかったんだろう。私の生活はその頃から一変したんだ。
「……そんな中で、ずっと支えてくれたのがマリエちゃんでした。唯一、血の繋がりのある姉なんです。私はいつも助けてもらってばかりで」
思い出せるのは、そこまで。マリエちゃんがいつこの世界に迷い込んだのか、そうなるキッカケがあったのかはまだわからない。というか思い出すのが怖い、そんな気がする。
と、とにかく。私がマリエちゃんのおかげで生きてこられたのは間違いない。どれだけ救われたか。いつか絶対に恩返ししたいってずっとそう思っていたのは確か。ああ、なんで忘れていたんだろう。
でも、ここで出会えて良かった。無事、とは言えないけれど……。まだ間に合う。まだ恩返しが出来る。
「だから私、マリエちゃんを助けたい、です。私なら、解放出来るのでしょう?」
今度は私が、助けたい。初めて湧き上がる感情は、恐怖心や不安を乗り越えられる強さを持っていた。
真っ直ぐアンドリューを見つめて言うと、彼は何とも言えない表情で拳をギュッと握りしめていた。
「それは……まだ、出来ない」
「っ、どうして!?」
鍵の聖女である私なら、彼女を解放出来るって言っていたのに! 幻獣人の解放と同じように!
身を乗り出して言う私を、シルヴィオがそっと地面に下ろしてくれた。それから大事な物を扱うように私の右手を両手で取る。そのまま彼は、甲に刻まれた鍵の紋章を優しく撫でた。
たったそれだけのことだったけれど、興奮していた気持ちが少し落ち着いた気がする。すごいな、シルヴィオ。どうもありがとう。
「あのまま解放しては、世界が危険だからですよ。エマ様」
「え……? それは、どういう……」
問いかけて、ふと思い出す。あの水晶の中には、マリエちゃん以外の存在が一緒に封印されていたではないか。黒くて大きい、不気味な影。
「錠の聖女マリエは、弱った禍獣の王をより強固に封印するため、ご自身もろとも封じたのだ。そして時の経過とともに、幻獣人と同じように禍獣の王も傷を癒しつつある。だから今の状態で解放は出来ない」
「やはりそうでしたか。あれからは離れるべきだと本能が警鐘を鳴らしていたんですよね」
あれが、禍獣の王だったんだ……! そんな恐ろしい存在と一緒に私の大切な人が封印され続けているという事実を知って、私は身体の震えが止まらなくなった。